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母の死

11月27日母が帰らぬ人となりました。83歳でした。3ヶ月間介護をしてきました。認知症もあり心臓も悪かったです。嚥下障害があり、私が作ったミキサー食を食べていました。当日会社から帰宅しいつもの様に母に食べさせようとしたところ、飲み込めなく声も出ないというので、往診に来てもらっている診療所電話をしました。肺炎の可能性があるのでいきました。レントゲンをとり結果肺炎だそうでした。点滴をしてる間私は診察の結果を聞いており、終わってから母の所へ戻ってみると痰の吸引を始めるところでした。その時看護師が母の異変にきずき心肺停止と叫んでいました。死因は窒息でした。痰が詰まったのだろうということです。誰も居ない時に起こったのです。残念で悔しいです。

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  • mama4615
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回答No.3

初めまして 二児の母です。 親が死ぬ、何歳であろうが 辛い事だと思います。 悪い方に考えたら いくらでも悔いは残りますよ。 ただ、介護が出来る状況にあった のは とても恵まれていたと思います。 大抵は 病院入院が多いはずなんです。 仕事があったり、子供が居たり、認知症と言っても人によっては様々ありますから、何処かに行ってしまうと 家で面倒見たくても見れない等。。 ですが、お母様はご自宅で逝く事が出来たのは とても幸せであり、恵まれていたと思います。 私の実母は 58歳で半年の余命宣告を受け、8ヶ月後に他界してます。 入退院は繰り返しましたが、自宅静養、家族旅行をし、最後は病院でした。 どうしても 私が看られなかったのです。 子供に手が掛かる年令では無かったものの、立ち上がる事も出来ない状態、吐気、目眩等、、、だからと言って オムツをする事を承知出来る年齢でもなく(多分母のプライドでしょう)、、、。 毎日通った病院ですが、夜は淋しかったはずなんです。。。 そんな思いは お母様は無かったと思いますよ。

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  • x1yobigun
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回答No.5

人も生き物であり、いつかは死にます。 そうは分かっていても、身内でなく親しい人ですら、人の死という ものは、悲しく、辛いものだと、そう思います。 お母様の元気だったころ、自分が子どものころ、そういったことを 忘れないように、日々、楽しかったことを思い出して、忘れないこ とこそ、供養になるのかな、と思います。 私にとっては、4年前に無くなった祖母がそうです。 病院のせいに思いたいのかも知れません。 でも、病院スタッフは、それこそ過労死すれすれのところで奮闘し ているのがほとんどです。 もっと手を尽くせば、という思いは遺族として、なかなか無くすこ とはできないでしょうけど、それを言っていても、お母様は戻って は来ません。 忘れないこと、それが、その人が永遠に生きているということなの かも知れないです。 人間って、やるせないです。

  • md0944
  • ベストアンサー率16% (35/214)
回答No.4

身内の死は受け止めるまでに時間がかかりますよね 自分の後悔、1人で逝かせてしまったことへの思い・・・ でも嚥下障害での食事の介護素晴らしいですね 我が子に最後は介護してもらえて幸せだったと思います きっとお母様、介護してもらいながら(認知症であっても)悪いな、ゴメンネという気持ちでいたのかも。 負担にさせてしまってと感じていたのでは・・・ 精一杯尽くしたのだから充分ですよ 母親を亡くすということは目の前の光を失うのに似ていると私は思います 道先案内人というか、故郷がなくなってしまう焦燥感というか。 時間薬です 時間をかけることが今の心の良薬です 今後はお母さんの好きだった花を毎月命日に捧げるといいですよ ご冥福お祈りしています

noname#143153
noname#143153
回答No.2

直接の原因が肺炎ではなく窒息と言うことだけれど それでも幸せな方だと思いますよ 肺炎で死ねたら神様の贈り物というそうです 窒息なので少し苦しい思いをしたかもしれませんね 痛みに苦しみ抜いて亡くなるよりは良いかなぁと思いました 私の父は癌でなくなりました 最後には見られないほどやせ細り、痛みに一瞬で目の周りに クマができたほどです 最後の1Wは食事も飲み物も取れませんでした そして50代半ばという年齢の最後でした お母様は充分人生を生き抜きましたよ

回答No.1

誰でも歳をとったら亡くなる時がくるのです。 お母様はちょうど病院にいる時に亡くなったのです。 それはあなたが家で、家事をしている時に 起きた事かもしれません。 これは寿命です。 人間はだれでも与えられた寿命を生きるのです。 偶然病院で起った事を、病院のせいにはできません。 いつかくるお別れだったのです。 お母様の死を誰かのせいにはできません。 運命だから、悲しくても受け止めて。 あなたは充分やったのです。 病院の人もみんな充分やったのです。

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