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悟りへ転換した後の真実の世界は何か?

悟りへ転換した後の真実の世界は何か?

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  • mintarou1
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回答No.9

. 質問者さんの質問に問題があると思いますよ。 ここは、哲学カテです。 哲学的な考察が一般的なところです。 そこに、宗教の話を持ち込むのであれば、 「摂大乗論ではどう記述されているのでしょう?」 の記述を、質問の中に入れるのが礼儀でしょう。 .

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回答No.8

悟りに至るのは、一切皆苦という世界を通過して来ます。人間はどうして悩んだり苦しんだりするのだろうか?という事を実際に心に刻んで生きてきています。 例えば死に対する恐怖感等が一番判り易いと思います。その時の心は「永遠の命が欲しい」という自分と「人間は生まれたからには必ず死が待っている」という二つの考えが頭にはあります。 有限の命を永遠の命にする事は出来ない事は解りきっています。この心のジレンマが「人間を悩まし続けてきました」その事が根底にあって、自分自身の存在自体に疑問を抱くようになります。「人間は何処から来て、何処へ行くのか?」という事です。 処が「通過」して時間がたった場合には色々な事が分かってきます。人間の「心」についてです。人間が感じている脳は左脳の意識です。機能から言うならば分別する脳の事です。経験してきた事を記憶していてそれに分析を加えて判断してゆく機能の事です。 人間には分かりにくい事ですが、もう一人の人格が脳の中には存在しています。それは「自我意識」に環境が危険か或いは安心できるのか?という情報を常に流して呉れています。高い処に上がった時には「高くて怖い」を教えています。スピードを出してカーブを曲がる時には、ハラハラさせています。危険が差し迫った時には心臓まで早くしたりできます。納期や期限が迫った時には、差し迫った事をハラハラドキドキしながら教えています。恋人とのデートにはそれらしい気持を沸かせています。 名ばかりの恋人の時には、名ばかりの感激しか与えてはくれません。自分の心をしっかりと見守ってくれている存在の事です。全てを見通している「自分自身の中にある存在」の事です。 その存在は分かりにくい形で人間の中に存在しています。無意識の意識として、或いは潜在意識として存在しています。自我意識と絶えず交代しながら、」毎日が平和に過ぎてゆきます。 処が人間の中には「自分自身に敏感な人」がいます。例えばお釈迦さまや、白隠禅師のような人達です。自分自身の心の矛盾に気がついてその心に矛盾や不安を覚えたり、深い疑問を抱くという事になります。この疑問なが先に書いた疑問という事になります。そして不安も同時に抱くという事になります。 自分が分からなくなる不安という事になります。その答えを探し回るという事になります。ですが自分以外の処を探しても納得のいく答えは見つかりません。何故ならばその問題を提起している者は自分自身であった事が分かります。 自我意識の疑問や悩み、苦しみを作り出していた者が自分自身であった事が分かるからです。自我意識の他のもう一人の自分自身の魂の根源から投げかけられた疑問や、教えが「心に感じていた、疑問や矛盾」という事になります。 言い方を変えたなら「自分自身の命の源の意思」と出会うという事になります。その疑問の中に答えがもう用意されていたという事になります。それは望んでも手に出来ないはずの「永遠の命」からの救いの手であった事を知る事になります。 心の矛盾に苦しんでいました。死ぬ事で全て自分の欲しいものが自分から消えてゆくと思っていました。自分自身を知った事で、もうすでに自分は永遠の存在という事を知ります。体に存在する命よりも「大事なものがあった」という事を知ります。 他の言葉で言うならば、神に在って全ての罪が許された、といっても良いかも知れません。その後は「神の思し召しのままに」という事になります。 救いのない人生に「救いを求めている事が」迷いであった事が分かります。救いのない人生に本当は救いのなかった事が分かります。この事が悟ったという事になります。 つまり自我意識が「本当の自分の命そのものの源の意思」と出会うという事です。自分勝手な脳科学で説明するならば、悩みや苦しみや、心の矛盾とは、左脳の自我意識と、右脳の命の働きの意思との確執が「人間を悩まし続けてきた」という事になります。 自我意識が優位に立って、もう一つの働きを従えようとしてきた事が人間の苦しみのもとになってきたという事です。計らいで生きてきたという事になります。その計らいを捨てて生きてゆくという事になります。 自我意識だけで計らって生きてゆこうとしたけれども、刀が折れて矢が尽きたという事になります。そこに教えられなくとも全てを知っている者が救いの手を差し伸べるという段取りとなります。 その後は、分別脳が出しゃばらなくなるという事になります。分別では生きてゆけない事が分かったからです。左脳の人格と右脳の人格の間にホットラインが通じたという事になります。心が二度と争わなくなるという意味です。心には矛盾をそのままにして矛盾が解消されたという事になります。分別脳は右脳の人格「神、仏」の下で安心して生きてゆくという事になります。 能力が増すという事はありませんが、心は利害得失には関係なく、良いと悪いが解ります。お金が集まるという事が分かります。お金が出てゆくということも分かります。世の中の原理原則が少しは解るようになります。自分がしたい事が分かります、ただしたい事を本当にした時にはどういう結果が待っているかもわかります。 結果をわきまえてなら、人は何をしても良いと分かります。従ってしたい事をセーブしなくとも、出来ないようになります。欲しいものは手から離したときに手に出来るという事が分かります。

noname#103014
質問者

補足

最清浄法界ではありませんか。 摂大乗論ではどう記述されているのでしょう?

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noname#135843
noname#135843
回答No.7

 はじめまして、Hidocchiと申します。  何かのお役になればと思い、筆を取らせていただきました。  悟りへ転換した後の真実の世界 → そのまま以前とは別段かわらない世界だったかと思っております。もし、変わるところがあったとすれば、“苦”からの解脱をすべく、執着心、強欲、怒りといった感情の対処の仕方がわかったということぐらいかと思います。  そもそも、釈尊は“悟り”の境地に達した後も、修行を続けたそうです。もう必要ないのでは?と思うのですが、修行しました。おそらく“悟り”と一口に言っても、いろんな迷い、妨げ等(それとも、幾つもの“悟り”の段階があったのでしょうか?)があったのかもしれません。  ご参考になれば幸いに存じます。

noname#103014
質問者

お礼

最清浄法界ではありませんか。 摂大乗論ではどう記述されているのでしょう?

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  • ratesu
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回答No.6

現象。

noname#103014
質問者

お礼

最清浄法界ではありませんか。 摂大乗論ではどう記述されているのでしょう?

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  • imoga
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.5

宗教上、悟りの境地とは余人に伝え難いものとされているようですから、お釈迦様以来この方、悟りを教えた人もいなければ伝え聞いた人もいないとされていますよね。このため人は修行という行為を行なうものでしょうし、行為がなければ人は悟りには達しないものだとされています。実際にもお経を詠まれるときのお坊様、「あ~」とか「う~」とか唸りますよね、あれは実のところ「あいうえお_ん」という6種類の口の開け方を示していることなのですが、知っていましたか?  どんな動物でも口はついていますが、そのどんな動物でも「あいうえお_ん」以外に口の開け方、すなわち発音の仕方がないって言っているんです。 小乗仏教や日本以外の仏教では「あいうえお_ん」を「オウム」と表わすのですが、要は同じことで、発音の仕方がないということは言葉がないということに通じ、すなわちお経にしても悟りは教えたり言い伝えることが出来ず、ただ唸ることのみということを発信しているんですね。 それでは悟りの境地とは何事もこのごとくで、ご自身で悟りを開かれる以外に手立てはないということでしょう。 それにしても悟りってありますよね。今のあなたがそうだと思いますよ。 「悟りへ転換した後の真実の世界は何か?」 少なくとも悟りに近づいておられると存じます。がんばってみてください。

noname#103014
質問者

補足

最清浄法界ではありませんか。 摂大乗論ではどう記述されているのでしょう?

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回答No.4

 こんにちは。  いっさいまったく同じ世界です。同じ景色です。  《わたしはわたしである》が 確立するのみです。  ただ景色に対する見方が違って来ます。  だから 《わたしがわたしする》ようになる この違いはあります。  大筋でつねに明るく 小さなものごとに目が行くように成ります。  ひとについては まづは 一にも二にも 三四五六も 百も二百もですが そのひとの自由意志をそのまま受けとめます。受けとめてやれば いいのです。  そうして中から発酵作用か何か知りませんが化学反応か何かが現われるのに任せるという姿勢 これが こちらの身について来ます。  ここから 好循環への《転換》は やがて友を見出すというところでしょう。  これが 世界と人間の真実です。それほかのことは――神秘としてあるかも知れませんが 《さとり》の基本としては―― 捨ててください。これでじゅうぶんです、

noname#103014
質問者

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最清浄法界ではありませんか。 摂大乗論ではどう記述されているのでしょう?

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回答No.3

 存在する無  =全至福  =究極  =宇宙  =自己の不存在と全宇宙との一体  =一切が同じ=存在している無=無という存在  以上ことばでいえば。

noname#103014
質問者

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最清浄法界ではありませんか。 摂大乗論ではどう記述されているのでしょう?

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  • mintarou1
  • ベストアンサー率30% (22/73)
回答No.2

. これは、答えが出ない問題だと思います。 一つには、問いの提示の仕方の問題 もう一つには、問いの本質の問題です。 提示の仕方の問題を考えると、まず、転換と言う言葉が良くない。 「悟りへの転換した後」とは、不自然で、「悟った後」の方が、分かりやすいでしょう。 で、書き換えると、 「悟った後の真実の世界は何か?」 となります。まだ、違和感があります。 この、問いが成立すると言うことは、 「悟った後の虚実の世界は何か?」も成立するはずです。しかし、これはおかしい。 とするなら、先の問いは、 「悟った後の世界は何か?」 が正しい問いと思われます。 ここで、さらに問題なのが、「世界」と言う言葉です。 これが、現実の世界を示しているのか、精神世界を示しているのか分かりません。 つまり、何を問うているのか分からないという問題が残ります。 ・ 次に、問いの本質の問題です。 仮に、「世界」を精神世界と理解するならば、先の問いは、 「悟った後の精神世界は何か?」とは、 これは、「悟りとは何か?」と問うている事と同じと解釈していいと思えます。 「悟りとは何か?」これは、wikiでも分かるように、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%9F%E3%82%8A 悟り(さとり)は知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言い覚りとも書く。宗教上の悟りは迷妄を去った真理やその取得を言う。 と書いてあります。これは、悟った人なら腑に落ちるでしょうが、悟っていない人には、何のことかわかりません。 つまり、分かる答えを提示できません。 「悟った後の現実の世界は何か?」 となると、さらに、問いが難しくなります。 現実の世界は、悟った後も、前も変わらないので、この問いが成立するには、 「悟った後、悟った人から見た現実世界はどう変わるか?」 としないといけないでしょう。 これも、突き詰めるなら、 「悟りとは何か?」と問うている事と同じと思われます。 とすると、先の問題に行き着きます。 ・ ・ ・ あぁ、面倒くさいぃ。もういい! .

noname#103014
質問者

補足

はは、転依(āśraya-parāvṛtti)・・阿頼耶識自体の転換 。 摂大乗論を勉強せよ。

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  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6196)
回答No.1

人それぞれ、答えが違います。  

noname#103014
質問者

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最清浄法界ではありませんか。 摂大乗論ではどう記述されているのでしょう?

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