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仏陀の悟り後

仏陀のことを調べています。 悟りを得た後、より人間らしくなった、喜怒哀楽を素直に表現するようになった…と言う事を、ある方から聞きました。 実際に悟りを得た後の仏陀は、どうだったのでしょうか?

noname#57922
noname#57922

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  • magga
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回答No.1

ブッダに対する概念によっていろいろ変わるとは思いますが、大元だといわれている、上座仏教的にはその解釈はないでしょうねw 「煩悩が滅せられたあとに、より煩悩まみれになった…」 なんだか「?」と言った感想を持ちます。 上座仏教の解釈が知りたければ「心の中はどうなってるの?」や「ブッダの実践心理学」などにくわしいです。 サンガ出版の「仏法」も仏陀がどのような方だったのか理解する助けになると思います。

noname#57922
質問者

お礼

仏陀を勉強している中で、難しい壁にぶつかってしまっています。独学で色々な本を調べている最中なのですが、サンガ出版の書籍の中で「ダライ・ラマ科学への旅」に興味を持ちました。「ブッダの実践心理学」も読んでみたいと思いました。現在のスピリチュアル・ブームに対して苦々しい想いが少しある中で、ダライ・ラマを描いた映画「クンドゥン」に出会った次第です。仏教は分派しているので、どこから手をつけて良いか分らず困っていました。上座仏教の解釈を「正しく知りたい」と改めて思いました。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

仏陀は釈迦牟尼世尊(世尊は仏(如来・世雄ともいいます。))といいます。幼名はゴーダマ・シッダルタといい,釈迦は種族の名で牟尼は聖者をいい,釈迦族出身の聖者を意味します。質問の回答ですが,仏陀伽耶の菩提樹下の金剛宝座に座し,沈思黙想,よく魔を降して大悟を開いたのであります。悟りを開いた釈尊は正覚を成じたその座で華厳経を説き,波羅奈国鹿野苑へ行って憍陳如等の五人を済度した。以後約五十年間八十歳にして拘戸那城外の沙羅林中で寂滅するまで,法輪を転じ不幸な民衆を化導しました。王舎城においては頻婆沙羅王をはじめ宮廷の人々を教化し,故郷においては父王はじめ親類の人々を化導したのです。釈尊の従弟・阿難や一子・羅睺羅も帰依し,舎衛城の富豪・須達長者は有名な祗園精舎を供養しました。もちろん釈尊に敵対する者も現れました。九横の大難と呼ばれる中で,阿難の兄・提婆達多が憍慢の心を起こし,摩竭陀国の阿闍世太子と結託して,釈尊を迫害するという幾多の事件もあった。釈尊は,これらの大難を少しも恐れず説法を続け,華厳・阿含・方等・般若の経々を説き,最後に出世の本懐たる法華経を説いたのであります。釈尊入滅の年代については数十種類の説がありますが,東洋古来の説は周の昭王二十四年(前1029年)四月八日生誕,同穆王五十二年二月十五日(前949年)と定め,「周書異記」にそれがでています。

noname#57922
質問者

お礼

ありがとうございました。 手塚治虫の漫画も読みましたが、今一度、勉強しなおそうと思います。

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  • 悟りを開くとは何ですか?

    私の回答を評価して 頂けると幸いです? 参照! http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q10128943180 私の回答! 質問 悟りを開くとは何ですか? http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q12128919567 自分自身を 偽りなく直視する事が出来 る事が 悟りであり、 全ての生き物が 自分の近親者の様に感じる事が 悟りであり、 自分自身が 幻想の世界(夢)に 生きている事を自覚するのが 悟りであり、 全ての物事の儚さと尊さに 気付く事が、 悟りであり、 悟りを開くと 過去(記憶)と未来(妄想)ではなく 現実の一瞬を生きれる様に成れる! しかし 副作用として 悟ると言葉が必要無くなるので、 言葉を徐々に忘れていきます。 過去への執着心が無くなるので 物事を記憶しなくなります、、、 、、、、、、、、、、 全てを悩みを 解決出来る様には成るが、 身体から解放されない為に 全ての苦しみを超越出来る死を 恋い焦がれる様に成る! 悟った後の苦しみについて? http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11125327881

  • 仏陀の教え

    仏陀の教えではどう生きても最後はゼロらしいのですが、ではなぜ五戒などがあるのですか? どう生きても最後はゼロならば、自分に正直に生きたいように生きればいいと思いました。 仏陀の教えでは人生に意味など無いということですが、意味が無いことはしないほうが良い=死んだほうが良いという事になりませんか? 私は意味が無いことなんて無いという考え方で、仏陀の本を読み出してから心が和むどころか私は生きている意味がないと思うようになってしまいました。どうせゼロなんでしょ?どうせ意味が無いのでしょ? しまいのは「私」はただの錯覚とまで書いてありました。 鬱まっしぐらですね(笑) 私の解釈は誤っていますか?

  • さとりとは 動態である。

     にわか仕立ての立論です。  批判・修正・そしてさらなる展開を よろしかったら 思う存分おこなってください。  1. さとりとは 池に落ちて 濡れずに上がって来ることである。  2. さとりとは 池は要らないと気づくことである。すでに洪水が地を蔽っているというのに という場合を言う。(ヱ゛-ダだか何だったかの請け売りです)。  3. 客観は ただ人間が世界を認識したと思い 〔じつはそれは世界の一部なのだけれどそれを〕言葉の論理と表現のあやとで何とか説明しようとしたその見方である。  4. そのような池は 要らない。(池のために人間があるのではない)。となれば――その境地にあれば―― まづさとりを得ていると言えるのではないか?  (4-1. ただし その溜め池を――覚え書きとしてのように――つくったりすることは なおも怠らない。必要であろう)。  5. 人間は 世界についての全客観には及ばないけれど 見方によっては そのかよわいささやかな主観がすでに世界を超えてものを見ることができると どういうわけか なれば――それは けれども なおも時間的存在たる者の部分的な動態でしかないゆえ―― そのような人間たちが相い集まって力を合わせて どこまでも話し合いをとおして一緒になおも問い求めを欠かさず 世界をともにいとなんで行くこと これが さとりである。つまり 動態だ。  6. 単純には 縁起共生と言うと思われる。業もこれを共業(ぐうごう)として捉えているということであろう。  (これは ここで ぼんぼにえさんたち専門家におそわりました)。  (6-1. ゴータマくんら ブッダはどうでもよいでしょう。いかにブディズムに通じているという人たちのあいだに 過去にとらわれている場合が多いことか。つまり いわゆる精神論が 大雨を降らしたごとく崖崩れをもたらして世界を蔽っている。あぁ うっとうしい)。