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アイデンティティと偏見について

noname#114483の回答

noname#114483
noname#114483
回答No.8

 いまいち聞きたい事が分からないのですがアイデンティティは自己もしくは自我的な他者との一貫性であり、偏見はアイデンティティより広い形と考えた方が良いです、おそらく文化によって悲しい歴史を作っている現実をどう考えればよいでしょうということだということですね。  罪悪感の根源はなにか?というところからはじめれば自ずと答えは出てくると思います。おそらく罪悪感というのは相手の立場に立てるか立てないか?が原点になっているように思います、そこで何がきっかけで罪悪感が作られるのかと言えば一言で偏見であると考えてよいでしょうその場の人間の雰囲気が良し悪しを伝えていると考えるべきです、人が良くないという雰囲気を醸し出していれば何故良くないのかという検索が無意識的になされる訳ですが何処で相手が傷つくからだと感じて初めて罪悪感が沸くと考えられます、人が苦しむという現実を知ることで初めて罪悪感の根が完成されると考えます。しかし中には雰囲気の時点で終止してしまう人もいるわけです、所謂想像力の欠如というものです。  これが善悪の基礎になるものだと考えます、しかし食文化によるものは雰囲気の段階でまず笑顔ですよね?もしくは良し顔をして平然と生命体を食しています、ここには自らの食と天秤に掛けてまあそれ位良いだろうと判断するわけです、例えばいちいち魚を食べている段階で「ああ魚の気持ちになれば・・」なんて考えて食べている人はおそらく居ないと思いますがそこにはやはり、生命体=食物という概念があるからだと思います、そのような雰囲気の中で育った人は魚が炙られているシーンを見ても「おいしそう」位にしか思わないでしょう、そこには環境や人による雰囲気が関与していると考えられますその基を吸収して偏見やアイデンティティが出来上がります、なので白紙状態の身体に対して如何に刺激を加えられるかによって猿を食べるシーンをみて残酷と感じるかおいしそうと感じるかの違いが生まれてくると思います。罪悪感に話を戻しますが罪悪感の場合相手の立場に立つということから罪悪感に結びつく訳ですが食する生命体に対して罪悪感を感じないように出来るのは実は相手の立場に立つかどうかをコントロール出来るからなのではないかと考えます。おそらく相手の立場に立って考え罪悪感を感じるような場合はその行為を自らで選択していると考えられます。しかし雰囲気的に食物と認定されている生命体組織の場合はその生命体の立場に立つ必要のない存在であると認定していると言う事です。もしもありとあらゆる場面で相手の立場に立たなければならないと考えてしまうとレジのおばさんとかは神経症で病院送りにされていると思います、なぜレジのおばさんが神経症にならないのかと言えば仕事の時はただの生命体仕事が終われば人という認識に切り替えているから効率よくライフワークを過ごしていけると考えます。そういう意味で雰囲気が第一優先され生命体の認識をしているという時点で問題があるかどうかが優先されるということだと思います。なので罪悪感は第二優先にあたるので生命体を食することが出来るということだと思います。まあしかし人間ですから思考や情緒はあるわけで生命体の定義を考えれば直ぐに食に含まれていると理解できる訳ですからそこであなたみたいに葛藤が起こる人もいるということでしょう。やはり超自我と自我とエスで説明させて頂きますが分かりやすく言うと食したいという気持ちはエスです人を傷つけるのは良くないと考えるのは超自我です、しかし時と場合によっては人を傷つけてしまったりすることもあるだろう、食べるためには生命体をおいしく楽しく食するが人間の場合はそのような行為は良くないと考えるのが自我だとすると雰囲気を察するのが自我であり罪悪感を感じるのが超自我とするとあなたの場合超自我と自我との間で葛藤が起こっているということになると思います、しかし世間一般的な感性と比べると相当超自我が強いと判定されると思います。

heartmind
質問者

お礼

ありがとうございます。 またこういう見解ですか。ちょっと残念です。少し整理しましょう。 アイデンティティは自分が何者であるかという内省的な問いかけに必要なものです。しかし、それは同時にそういう主観的自己と社会からの目、つまり社会的自己をも意味するわけです。何者か?そこには、文化的価値観から来る経験やセクシャリティによる価値観は欠かせない。 しかし、それは同時に閉鎖的にも働くわけです。 私は私であり、あなたとは違う。それが健全性を持たないときに偏見が生まれる。自己確立と偏見の矛盾です。 なので、’偏見はアイデンティティより広い形と考えた方が良いです’これは当たってますね。 しかし、’雰囲気の基を吸収して偏見やアイデンティティができあがる’すみませんが、これには私は異を唱えてしまいます。雰囲気だけでなくもっと実感のある経験だと思います。 質問者様は偏見から罪悪感が作られるとお考えのようですが、相手の立場に立つこと、はたしてそれで本当に全て解決されるのでしょうか。 揚げ足取りではないですよ。 世界で紛争が起きている現実を考えてみてください。彼らは自分が死ぬことなんて何とも思わないのです。それは、彼らの正義の為です。 そんなことも、もっと普遍的に立ち返ってみれば解決できると思うのです。生きる喜びです。自然の美しさです。美味しい、楽しい、感情、情緒です。そういう経験です。 レジのおばさんは、心のこもった接客をしているのです。雰囲気だけではありません。感じませんか? ダイヤモンド鉱山で働く人がダイヤモンドの美しさを知らなければ、いいダイヤモンドはとれない。そうだと思うし、そういう社会でありたいと思いませんか? 私はエスも超自我もどうでもいいのです。 もっと自然に出てくる豊かな感情を経験で取得して、それを芸術や、各々の職業に生かせるそういう社会の在り方や、その中でもっと普遍的なものに立ち返って平和を願う気持ちだけなのです。

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