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浄土真宗の阿弥陀仏を、真理の擬人的表現と捉えてはいけないでしょうか

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

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回答No.5

 こんにちは。少しばかりお話をさせていただきます。 >>私は浄土真宗の教行信証や歎異抄に感激し、個人的に念仏を唱える用になりました。  このような方がいらっしゃると私も大変励まされます。南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛 >>私は阿弥陀仏を真理(縁起)を擬人的に表現した物と捉えています。しかし、そのような解釈は真宗の教義上、許されるのかどうか大変気になっているのです。  この問題は古い時代からずいぶんと議論が重ねられてきた、浄土教の根幹の問題を内包した質問です。その代表的な一例をまず取り上げたいと思います。  野村直太郎氏の『浄土教批判』という著作おご存知でしょうか?東京大学COE研究室特任研究員ワルド・ライアン氏は、この書を「浄土教の非神話化」と評しています。「非神話化」非神話化はドイツの神学者ルドルフブルトマンが提唱した概念です。日本仏教に限らず、近代の宗教は「迷信」という問題を抱え、それを排除しなければ時代に相応しないという危機感に直面していました。  そんな中、伝統的な浄土系の宗派は地球が存在するごとくに西方極楽浄土が存在し、アメリカにオバマ大統領が存在するごとくに西方極楽浄土には阿弥陀仏という人格者が存在すると、事実のごとくに説いていました。しかし、野々村氏は「往生思想を歓迎するような時代はもはやおそらく永久に去った」と述べ、近代科学の到来によって「前近代的」な浄土観・阿弥陀仏観は、もはや封建主義の残物に過ぎなかったのです。  この野々村氏の批判の対象となったのが「三世因果」「六道輪廻」「極楽往生の救済思想」、そして「宗教神話として築かれた弥陀成仏」でした。野々村氏によれば、原始仏教には往生思想などなく「印度人の大嘘」に過ぎないといいます。  では浄土教はただの嘘かといえばそうではなく、そういった神話化をそぎ落とした先にある浄土教の本質は「二種の深心」であると言います。二種の深心とは、絶対に救われることのない存在である自分(信機)が、阿弥陀仏によって絶対に救われるという(信法)ことで、この絶対に救われないものが絶対に救われるという「反論理的形式」こそが、我々を「はじめて計らひに囚われたる生活より脱出せしむる」と言います。野々村氏は浄土教を来世云々というのではなく、現世の苦悩を解決する教えであると位置づけたのです。  この本は当時の仏教界で爆発的に売れました。当時においては大ベストセラーといっていいでしょう。しかし、この後多く批判に晒されることになります。その批判の中心となるのが、「一体何を信じてるの?」ということです。野々村氏は二種の深心が浄土教の本質と捉えていましたが、自分自身は絶対に救われないという「信機」はいいとしても、阿弥陀仏が絶対に救ってくださるという「信機」は「印度人の大嘘」と否定べきものになってしまいます。  こういった論争は長引きましたが、その結果野々村氏は当時龍谷大学の教授でしたが、その座を追われることになります。しかし、この野々村氏の問はいまだ完全に決着を見ていません。私は中外日報社の復刻版『浄土教批判』をもっていますが、その前書きに龍谷大学学長二葉憲香氏の一文が添えられています。そこを抜粋すると、 「『浄土教批判』は、浄土教特に真宗に対する近代の問いに対して大胆で画期的な提言であった。師の提言は浄土往生の思想を取り除いても親鸞の宗教の本質的、現実的な意義は失われないとするものであった。この提言は、教団内伝統的な立場に衝撃を与え、強い拒否反応を呼び起こした。教団は野々村を追放したが、師の提起した問題は、真宗の根幹に関わる近代の問いであり、追放不可能である。この問いに答え、真宗信仰の本質と歴史的現実とのかかわりを明らかにするような教学は未確立であり、低迷に域を出ていないように見える。」 と述べておられます。  私は >>阿弥陀仏を真理(縁起)を擬人的に表現した物と捉えています。 というtaka-kazuさんの質問を読んだとき、この野々村直太郎氏を思い出しました。確かに親鸞聖人は阿弥陀仏の姿を「法性法身」「方便法身」に分けて説明されておられます。『唯信鈔文意』には、 「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩は「尽十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。」 とお説きになり、「法性法身」色もなく形もなく、我々の心では思うことも出来ず、考えることも出来ない「法(悟り)」そのものであるとします。そして、「方便法身」は法性法身よりあらわれたと説いておられます。確かにこれを「非神話的」に解釈すれば、阿弥陀仏は真理の擬人的表現した物と解釈することも出来るかもしれません。しかし、阿弥陀仏が真理の擬人的に表現した物とするのならば、我々が信じる「阿弥陀仏なんて本当はいない」ということになってしまいませんか?確かに「阿弥陀仏を真理(縁起)を擬人的に表現した物」とすれば現代人には分かりやすいし、納得もしやすいかもしれない。けれども、それと同時に私達を救ってくださる阿弥陀仏はいないことになってしまいます。  「方便」と言う言葉がありますが、浄土真宗では『教行信証』証巻に曇鸞大師のお言葉を引用し 「正直を方という。外己を便という」 と説かれています。この言葉は、偏りも歪みのない正直な心を「方」と言い、自分の都合を全く考えずひたすら人々のためだけを思う心(外己)を「便」と説いておられます。  つまり、一般的に方便とは「真実に導くための便宜的な仮の手立て」という意味で使われています。「嘘も方便」と言うのがその代表的な使い方ですね。その意味で考えれば、方便法身は「便宜的な仮の仏」と言うこともできるでしょう。しかし、親鸞聖人にとって方便とは便宜的な仮のものではなく、「差別なく自分の都合がよかろうとも悪かろうとも、ただひたすらに衆生を救わんとすること」を方便と言うのです。親鸞聖人にとって方便法身の阿弥陀仏は、法性法身の阿弥陀仏へ導くために表わした便宜的な仮の仏(あなたの言葉を借りれば「真理(縁起)を擬人的に表現した物」といえるかもしれません。)ではなく、「真実の救いの仏」であることが伺えます。    しかし先にも野々村直太郎氏話の中で申したように、この質問の回答はいまだ決着がついていません。私の意見を言わせていただけば「阿弥陀仏がいらっしゃることを信じることに意味がある」と思っています。真宗学者曽我量深氏は「私達を救う働きを阿弥陀仏と呼ぶ。」とおっしゃったそうです。私も「なるほど」と思います。しかし、同時に自分の考えが前に出て、仏様を後回しにしているようにも感じます。私は「私達を救う働きを阿弥陀仏と呼ぶ」というより、やっぱり「阿弥陀仏が私達を救ってくださる」と言うほうが好きですね。  さてここまで書きましたが、ぜんぜんまとまってないですね。申し訳ありません。こんな文章でも参考にしていただければ幸いです。  いくつか参考文献を挙げておきますので、お時間あったら調べてみてください。 ●参考文献参照  『浄土教批判』 野々村直太郎 中外日報社  『真宗の本尊』 宮城 顗 同朋選書  『中外日報』 近代の肖像  307、野々村直太郎(1)(H21.05.28)  308、野々村直太郎(2)(H21.06.02)  309、野々村直太郎(3)(H21.06.09)  『弥陀身土思想展開史論』 神子上恵龍 この神子上恵龍氏『弥陀身土思想展開史論』は名著です、一度目を通して見てください。あなたのおっしゃる意見から、私の意見まで網羅されているはずです。阿弥陀仏の仏身論(阿弥陀仏はどのような仏であるかと言う理論)の論書で今のところ最高のものです。  合掌 南無阿弥陀佛

taka-kazu
質問者

お礼

文献のご紹介と、私の見解に対するご意見、ありがとうございます。 確かに、阿弥陀仏を真理の象徴としてしまうと、救いの働きが説明できなくなってしまいます。私もそれに気づいてしまい、随分と悩ましい日々が続いていました。 結局、自分としては開き直って、阿弥陀仏がいらっしゃらないと考えるよりも、いらっしゃると考えたほうが、同じ人生でも楽しいものになると捉えています。また、歎異抄にあるように、「地獄は一定住みかぞし」のこの身ならば、阿弥陀仏信仰が正しかろうが間違いだろうが、それに一身を投ずるしかないとも思っています。 ご紹介された文献については是非とも探してみます。それでは、のちほど。

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