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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:心を変えたい)

心を変えたい

このQ&Aのポイント
  • 自分の心を変えたいと思う19歳の浪人生の悩みとは?
  • お金や他人への信頼のなさが心の腐りの原因か
  • 解決策を求める苦悩と支えを求める思い

質問者が選んだベストアンサー

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  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.1

何だか難しい言い回しをされる方ですね。 要は、お金中心で自己中の自分をやめたいのでしょうか? ならば、行動基準を他者が喜ぶ事はなにか?と考えれば如何でしょう? しかし、私は貴方の倍以上の時間をこの世で過ごしてまいりましたが、そんなに簡単に自分の行動基準ってのは変えられないと感じています。 自分を卑下する人は、自分を変える気が無い人。 自分を馬鹿だと言う人ほど自分を愛してやまない。 そんな気がします。 貴方はどうでしょう?

その他の回答 (6)

noname#97693
noname#97693
回答No.7

苦しい心中、お察しします。 私も幼少の頃から苦悩しておりました。 その答えを探す人生でした。 あなた様ととても良く似ているように感じます。 58歳になりますが、 あなた様の苦悩解決の糸口になればと思い、投稿しました。 たぶん、あなた様は (間違っていたらすみません) 大勢でいるよりは一人の方が、 雑踏よりは自室、 あるいは自然の中が好きではありませんか。 内省傾向が強くはありませんか。 人は常時、快楽を探し、対応しています。 それが意図的であろうが無かろうがです。 ここで言う快楽とは、 道徳的なものに対する狭窄的な意味合いではありません。 生存本能は勿論、仕事、健康、地位、経済力、名声なども含みます。 コミュニケーションも快楽です。 例えば椅子に腰掛けていても、 体は自然と動いて、微調整しています。 これは体の自動的システムです。 これが無いと血流が悪くなって、体を壊します。 体も心も止まることを知らないのです。 問題がなければ問題を作ろうとするし、 答えが無ければ答えを作ろうとします。 しかし一方では、 快楽を求めている筈なのに 不快になるのが顕著な現代でもあります。 更に増強するか、新たな快楽を求めます。 堂々巡り、悪循環です。 もうひとつの快楽 本来人間に備わっていて、 ほとんどの人々が 社会的規範の殻に閉じこもってしまって 忘れてしまった快楽です。 この快楽は好循環を創ります。 今の苦悩は、 「忘れ去れた快楽」からの、 心の深層からの、囁きなのかもしれません。 だとしたら、答えが見つかるまで、 あるいは糸口が見える時まで、 苦悩が続きます。 これは心の自動的システムです。 <糸口> http://jazznoyakata.jp/personal/kabbalah.html このページから目的の公式サイトにリンクしています。

  • jimtssk
  • ベストアンサー率7% (1/13)
回答No.6

↓「私が変わります」を実践している人々です.

参考URL:
http://www.gla.or.jp/
回答No.5

年齢の割には、よく自分のことを分析できていると思います。 それだけ、知能レベルが高いのでしょう。 自分で学業で苦しんでいないといえるくらいですからね。 >多くの人は自分の心に正直であるかと思っています。 については、結局多くの人は自分に不正直で、不正直を隠すためにまた不正直なことを言ったり、行動してみたり。 だから、自分と他人を比較しなくていいのではないですか? >異常なほどにお金から考える精神 >他人を信頼しない、頼みに思わない、大切にしない精神 いいではないですか。何がいけないのですか? 変えることは、個性を潰すことです。 苦しい作業ですよ。 本当に変えたいのであれば、人の意見は聞かず、自分で方法を考えてみてはいかがですか?

noname#207138
noname#207138
回答No.4

恐縮ではございますが、少しお酒が入っています。 文章に不備などありましたら、ご容赦くださいませ。 目の前にいる人間を悪人だと認識している限りに於いていくらその人を良い人間だと思おうとし、その人に心から親切にしようと思っても、恐らく出来ないでしょう。 それは、自分が「その人を悪人だと認識しているという”大前提の上に成り立っている世界”」に居るからです。 認識という大前提が変わらないで、その上に成立する発想や言動をコントロールしようとしてもそれはあまりにハードです。 それよりも、「自分が何をどう見ているか、何をどう聞いているか」に注意し、自分が何かについて認識した時、よく観察すると、それが反自動的に解釈、判断、認識された事が解ると思います。 そこには自分の意向や意思決定があまり介入していないとも思うかもしれません。 それは「”今ココの自分”よりは、むしろ親とか社会とかそういう先天的と言った方が適切かもしれないと思える程の”自分の中の他者の判断”であったり、”習慣の惰性的判断”だったりする」様にさえ思えるかもしれません。 もしそう思ったなら、その時に自分の意思を介入させれば良いのです。 「まった!今認識した解釈と判断は正しかったのか?」とその認識に対して介入するのです。 初めは雲を掴む様な作業に思えるかもしれませんが、慣れて来ると自分が物事をどの様に認識するかを自分の意思で決定できるようになります。 いくらかの人達はこの「”自分の中の他者”が下した解釈と判断による認識をそのまま今の自分の認識として受け入れ、その様に認識しています。」 これは今ココを生きる人というよりはむしろ習慣の中に生きる人と言った方が適切なのかもしれません。 それが悪いと言う事ではありません。 ただ、その”システム”による弊害が起きた時はシステムのメンテナンスができるスキルは持っておいた方が良いと言う事です。 山の頂上に上る道はいくつもあります。 これは私が過去に通った道です。数ある道の1つに過ぎません。 参考になれば。

  • h1r0s13
  • ベストアンサー率12% (61/497)
回答No.3

何か信条めいたものですか。では、ここにモーセの十戒を書きます。 一、汝、吾の外何者も神とすべからず。二、汝、何の偶像も刻むべからず。三、汝、吾が名をみだりに口に唱うべからず。四、汝、安息日を覚えて、聖くすべし。五、汝、父母を敬え。六、汝、殺すなかれ。七、汝、姦淫するなかれ。八、汝、盗むなかれ。九、汝、隣人につき偽証するなかれ。十、汝、隣人の家を貪ることなかれ。 また、お釈迦様の教えに十善戒と言うのがあります。 不殺生、不ちゅう盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見、です。 これらは、宗派は違えど同じことを言っています。それもそのはず、同じ根源からきた真理だからです。ご参考になればと記しました。

参考URL:
http://www.eqj.co.jp/corp/eq/eq.html
回答No.2

具体的な解決策ではありませんので、期待しないでください 今日、気付いた瞬間に、変わった可能性があります 変わらなければ、気付かなかったかもしれません 明日から、自分の変わったところを、注意深く探してみて下さい 私は親なので、子供をこんな視点で見ています

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