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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:小説における外的時間と内的時間)

小説における外的時間と内的時間

ghostbusterの回答

回答No.1

さまざまな説明の仕方ができるかと思うのですが、ここではエドウィン・ミュアの『小説の構造』に依拠しつつ、簡単に説明していきたいと思います。もしこの回答で興味をお持ちになりましたら、いまでも入手可能なようですので、ぜひご一読をおすすめします。 ミュアが注目するのは、小説における時間と空間ということです。ミュアは『虚栄の市』と『嵐が丘』『自負と偏見』を取り上げているのですが、ここではともに漱石の『坊ちゃん』と『こころ』を題材に取り上げたいと思います(その方がなじみがあるし、わたし自身が『虚栄の市』は、もうほとんど何も覚えていないからでもあります)。 『坊っちゃん』と『こころ』、主人公に注目してみると、その最大のちがいは、『坊っちゃん』の主人公が、最初と最後ではほとんど性格の変化が見られない、小説の入り口と出口でまったく同じ人物であるのに対し、『こころ』の場合、全編を通じての語り手である「私」にせよ、「先生」にせよ、作中人物は強烈な変貌ぶりを示している、という点にあります。 『坊っちゃん』のように、作中人物の性格がほとんど変化しない、溌剌とはしているけれど、あまり緻密ではない登場人物が、いろんなことに巻き込まれていく。つぎからつぎへと起こる出来事に巻き込まれ、主人公が生き生きと行動するさまが描かれる小説を、ミュアは〈性格小説〉と呼びます。 一方『こころ』のように、登場人物のなかのある種の性質が小説全体の動きを決定し、同時にその動きによって人物が徐々に変化していく。その結果、小説と主人公は渾然一体となって、終局を迎える。このような小説をミュアは〈劇的小説〉と呼びます。 ミュアの非常に興味深い指摘は〈性格小説〉の真の主役は〈空間〉であり、〈劇的小説〉の真の主役は〈時間〉である、ということです。 確かに『坊っちゃん』の「真の主役」が松山である、という説に異論のある人はないと思いますが、一方、『こころ』でも鎌倉は重要な役を果たしている、鎌倉がなければ『こころ』はなりたたない、と考えるかもしれません(というか、わたしもそう思います)。 けれどもミュアはこのようにも言っている。 「逆接を弄しているように思われるかもしれませんが、性格小説よりも劇的小説の方がかえって情景の実感は一層強烈で鮮明なのです。このことは一面からいえば、あきらかに劇的小説の情景は主要人物の情熱によって色づけ染めあげられているためですし、また読者の目に映る人物の姿にはいつも情景が背景にあって彼らを深くおしつつんでいるためにほかなりません。しかし、もっと本質的な理由が存するので、ハーディの小説や《嵐が丘》の場面などは、《虚栄の市》中の世取り胃の応接間やピット・クローリィの田舎屋敷といったごく普通の個別的な場面とはちがって、人間一般の時間的環境をかたどったものなのです。ヨークシャの原野やウェセックスは(略)特殊なこれときまった場所ではありません。人類の劇が演ぜられる普遍的な場面ともいうべきものなのです」(p.60『小説の構造』佐伯彰一訳) 言い換えると、『坊っちゃん』における松山は、地図上のあの地点になければどうしようもなく、温泉があり、東京から離れ、ひなびた場所でなければ小説は成立しません。作者の作為の及ばない空間として、超然とそこに存在しています。けれども、『こころ』の鎌倉は、登場人物たちの心性によって一種の変形がほどこされた「劇が演ぜられる普遍的な場面」なのです。 つまり、〈性格小説〉においては、〈空間〉を読者にはっきりととらえさせるために、作者は時間の影を消します。 〈劇的小説〉においては、〈時間〉を強烈に照らし出すために、空間を意に介さない。 この傾向を見ることができるのです。 質問者さんが例にあげられた『細雪』は、ミュアの分類にならえば〈性格小説〉に属するものです。ご指摘の「外的時間」は、時間というより、時間の推移によって変化する空間を描くために作者が導入した目盛りです。春が過ぎ、夏が来て、やがて秋になり、冬へと移ろう。ちょうどメトロノームがリズムを刻むように、移り変わる空間を美しく伴奏していくのが、『細雪』の時間です。 一方〈劇的小説〉にあっては、時間は一種独特の緊迫感をもって、わたしたちに迫ってきます。『ウェルギリウスの死』もそうですし、『白痴』のなかでムイシュキン公爵がリヨンでみた死刑執行の場面を語る言葉のなかに、「首斬台に頭をのせ頭上に刃の軋る音が聞こえる、ちょうどあの瞬間、その一分の半分にもたりぬ間が一番恐ろしいんです」部分がある。このあと何が起こるかが確実に予見されることで、時間の本質が変化していくのです。この小説で作品全体を覆う、なんともいえない息苦しい感じ、緊迫感は、この死を予感することで、特殊な時間(岡本靖正は『文学形式の諸相』の中でミュアをふまえて、劇的時間(カイロス)とこの時間を呼んでいます)によってもたらされている。 多くの小説は、〈空間小説〉〈時間小説〉のいずれかに分類される、とミュアはいいます。なぜこのようにどちらかを強調することになってしまうのか。 その箇所もミュアに説明してもらうことにしょましょう。 「われわれは人生を時間、空間入りまじった姿で眺めているのですが、それよりもっぱら時間的に、あるいはもっぱら空間的にと、どちらかに重点をおいて眺める時の方が、げんに人生の捉え方が一層深みを増すのです。人生には自分のすべての行為、その原因、結果、過去現在にわたるつながりなどすべてが一瞬のうちに一目でとらえられるような瞬間が間々あるものです。また自分の振舞がことごとく型通りに他人と同じような反応を示し、感情も振舞もそっくり他の連中そのままだと、はっと気づくような瞬間もあります。 こうした二つの経験はその強烈さ、その完結感において日常的な経験とはまるで別物のようです。ところでこれこそ劇的小説と正格小説においてそれぞれ恒久性をあたえられている瞬間なのです。 この二つは全く別種のもので同時にこの両方の気持になる事は不可能です。こうした瞬間が日常のそれに比べて完結感があるというのは、その際には人生を広やかな見通しにおいて眺め、ある意図や異議をそなえたものとして全体的に眺める事ができるからで、こうした際、われわれは人生を時間的にのみ、あるいは空間的にのみ眺めて、同時にごっちゃに見ることはしていないのです。」(p.85) > なぜ作者がこうした構成を試みるのか、試みたか。 混沌としてとらえがたい現実を「小説」という形式のなかにすくいあげるための工夫である、と考えることができるのではないでしょうか。

noname#107922
質問者

お礼

かなり時間を割いての回答、ありがとうございました。 そもそもこうした疑問を持ち始めたのは、ひょっとしたらご存知かも知れませんが、 ニコルソン・ベイカーの「中二階」を読んだときからです。これは主人公が昼休みに ドラッグストアーに寄り、中二階にあるオフィスに戻るためエスカレーターに乗るところから エスカレーターを降りた何十秒間が物語の全体で、その何十秒間に主人公の脳裏に 次々と寄せてくる事柄を緻密に描いたものです。ここでおもしろかったのは主人公がエレベーターを 降りて振り返ったとき、今までそこに在ることすら意識していなかったエスカレーターが急に「壮大な銀色の氷河」 に見えてくることなんですね。これは方法的には小説が「詩」に最も近づいた形だし、思想的には、通常の 時間(生きている時間)を変容して、空間を超えようとする考えだなと思った訳です。 たとえば休みの日、寝てしまったとすると一日はあっというまに過ぎて行きます。ところが朝早く起きて 今まで行ったことがない場所などを何箇所もまわって帰ってくると、その一日がまるで一週間分を過ごしたような気分 になることがありますね。これとおなじように通常の時間(外的な時間と言えば良いのでしょうか)を内的時間に よって変容してしまう。こうした理由がこのような小説構成をとらせるのではないかと思ったりするわけです。 ミュアの言われる「性格小説」「劇的小説」は理解できたと思うのですが、どちらかに分類するということには なにか違和感があります。というのもN02さんも書かれているのですが、これは文学的な流れではないかと思うのです。 『自負と偏見」は「虚栄の市」のあとに書かれたものだし、「坊ちゃん」の後に「こころ」が書かれたように。 文学の様相が物語性から主題性へ移ってきたということではないでしょうか。 わたしも脳足りんですから詳しくは説明できないのですが、たとえば埴谷雄高の「死霊」などもそうですけど こうした構成の小説は、われわれが生活上使っている時間をなんとか歪曲して新たな地平を模索しているように 思えるのです。 お礼が遅くなりました。ミュアの「小説の構造」は一度手にしたいと思います。

noname#107922
質問者

補足

<『自負と偏見」は「虚栄の市」のあとに書かれたものだし、 ここの部分は間違っていますね。訂正いたします。

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