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小林秀雄、江藤淳

noname#212854の回答

noname#212854
noname#212854
回答No.2

日本の大学の文学部国文科(日本文学科、または日本文学課程だったかもしれないが,忘れました。)を卒業したので,あなたの言いたいことが半分は分かります。 彼らの表現は、わざわざ分かりにくく書かれていますから,分からない人がいてもおかしくありません。 学部生だった頃、なぜ彼らが分かりにくい書き方をしていて、平然としているのか,考えてみました。おそらく,次の様な理由によるのでは無いでしょうか。 日本人の教養は、江戸時代まで、漢籍だったこと。 そして、漢籍を理解できるのは、武士階級だけだったこと。 だから、武士より下の階級の人が理解できない表現、分かりにくい表現を立派な表現と勘違いしていた。 その伝統が、欧米文化の知識や観念や教養があることを前提として表現する貧しさを、近代日本社会全体が容認させた。 文学だけではありません。美術評論の世界や、官僚たちが使い始める意味がすぐには分からな西洋語の氾濫や、今回の裁判官制度でも、日本の法曹社会で使われてきた法曹用語の分かりにくさも話題になりました。 それらも全て、同じ様な理由によるものと考えています。 だから、彼らの表現は、古典としての価値はあっても、現代の表現としての価値は低い。そう断定できると思います。 また、そういった未熟な表現を、未熟と言わずに、有り難がる人がいるのもやむを得ないものと思います。 以上が、半分です。 残りの半分は、聖書、ギリシャローマ神話、アリストテレス以降の西洋哲学の歴史、西洋文化を中心にものとことを考える思考体系、を、身につけることができるか否か、にかかっています。

akarinn365
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございました。 小林秀雄は、ドストエフスキーに非常にのめり込んでいたようですが、ドストエフスキーの作品も私には、難解で全然訴えかけるものがありません。まだまだ勉強不足なんでしょうね。

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