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考古学の存在意義

考古学の存在意義について皆様がどのように考えられているのかお聞きしたいので質問します。 乱文となってしまいましたが、質問させて下さい。 賛同、反論、ご意見や補足などお待ちしております。 (単なる賛同だけでも結構です) 考古学は何のために存在するのでしょうか? 一般的には、ああ、学者さんがやっているからきっと偉い事に違いない、でもおそらくは実用には使えない、くらいに思われているのではないかと思うのです(事実以前までの私がそう思ってました)。 ただ、私個人としては「考古学の為の考古学」ではなく、別の観点から社会的必要があるのだと思うのです。 哲学・思想に近いのかもしれませんが、私は、 ・文明や科学の進歩というのは本来の人間のあり方からすれば不自然なのではないか?  ・自然と共存すべきなのではないか?  という疑念に囚われており、もし人類そのものがすべからくして皆そうした思想を持っているなら、現代に至るまでも我々は洞穴に住んでいる筈ですが、そうではない。文明は発達し、科学技術は進歩する。知性は磨かれ、これらを道具として上手く使った集団が勝者となり、富を得、勝者側の人間としての人権を確保する事ができる。そうした「人類の文明や科学技術を進歩させるべきか否か」という哲学的命題(?)に対して、最初の考察材料、人類史から見る思想の変遷という建築物を構築する際の一番硬い足場を与えてくれるのが考古学であり、それが考古学そのものの存在意義なのだと捉えています。 以上は私個人の考古学に対する存在意義なのですが、本来の考古学の存在意義はどのようなものなのでしょうか?  ※ちなみに私自身は考古学は全く勉強しておらず(これから必要に応じて調べようと思います)、日本史は縦穴式住居と縄文式土器、世界史ではメソポタミア文明くらいしか覚えてません。 尚、この質問は学校のレポート絡みではありません。飽くまで個人的な知的欲求がある為に質問させて頂いております。私の質問はどうにも誤解されやすいようで、そのような指摘を頂く事が度々ありますので、一応念の為に書き添えておきます。

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  • 回答No.12

発掘調査業務に携わる仕事に従事している者としての私見を述べさせていだだきます。 日本全国の各県や各市町村、各地域では、たとえば、古くは縄文時代のムラの跡、古墳、中世や近世の城跡、寺院跡などの「遺跡」が存在します。これらの地下に包蔵されるものは、文化財の一つとみなされ「埋蔵文化財」と呼びます。このような遺跡は、史跡として保存されるものもありますが、道路や建物の建設などの開発行為により破壊を余儀なくされるものが多々あるのが現状です。(毎年おそらく千件以上はあるでしょう。)行政側では、工事にかかる前に発掘調査を行って、後世に記録として残す、記録保存という方法をとっています。 このように、開発行為によって失われる恐れのある遺跡や出土品(遺物)を、いつの時代であり、どのような人々によって、どういった事が行われていたのかを発掘調査によって調査し、記録し、評価し、保存し、後世の人たちが活用できるように配慮するために、全国あちこちで考古学は重要な役割を果たしています。 現在存在する私たちや、私たちの社会の由来を発掘調査という行為により「物質文化的な根拠)」をもって明らかにしてゆくことが目的の一つでもあり、また、地域の人たちが大切に守り伝えてきた古墳・城跡などの遺跡・史跡について、将来にわたって保存し、さらなる文化的な価値を見出して再評価する事の架け橋としての存在意義も多いにあると考えております。

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  • 回答No.11
  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)

===1意見=== 国立系の考古学の存在出来る理由は 納税者の一人として私も知りたいところです。逆に実学は目標は明確であり 結果が短期であれ長期であれ 答えはでるのです。それでも昨今の仕分け作業により見直されている事業もあるのです。だから 考古学に携わっている人は 納税者のどんな質問にも分りやすく説明して 欲しいと思うのです。 さて 私の知りたいところは(1)いかにして現代の日本人になったかであり、 もって(2)いかに その特徴を活用すれば日本人が幸せになるかであります。もちろん 必要事項として世界人の生い立ち 将来の幸せ にも注目しないといけないません。 この(1)のなかには日本人のルーツ、日本文化のルーツ、天皇家のルーツ のような考古学の分野が基礎データとして必要となります。これら基礎データに内外の物理的、精神的 要因が絡み 現代が成立します。梅原猛の縄文文化の洞察はその大きな一例でしょう(自然環境、人間関係などへの言及)。 ここで 私が言いたいことは、私の勉強の目的として 現代日本あるいは現代人を深くしるためには 日本人のルーツ、日本文化、天皇家ルーツなどを知りたい ということです。そこで この考古学分野の研究者にお願いですが 納税者に分る言葉で 研究目的を明示して 研究を紹介してほしいのです。税金を使う意味がない モノは 即刻見直しです。 あるは 天皇陵とか皇族DNAとかの研究では 宮内庁が問題である という話も聴きます が 真相はわかりません。研究の最前戦の問題を明らかにして 納税者に訴えることも 必要ではないかと思います

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質問者からの補足

回答頂きありがとうございます。(すみません、放置していました) 回答頂いた内容に概ね同意です。 自分のような一般人から見るとどうしても純粋な学問が理解されない傾向にあるように思われます。 もし事業仕分けが出てきたら、No.8さんの > 1つ目は考古学が単なる歴史の考証に成り下がっていること。 > 歴史の考証も重要なテーマですが、考古学は純粋に自然科学です。 > 地球のプレートのメカニズムとか、石油の精製方法とか、凶悪なウィルスが > どのように伝染していくかなどは完全に歴史を越え、化学や医療の分野に応用されています。 という言い方が一番インパクトありますよね。 学者の方々は自らのやっている事への誇りがあると思うのですが、現在の時代の要求にマッチしていない為、「純粋に考古学をしている意味が分からんのか! 」と意地を通してしまうと、それこそ本当の意味で食い扶持がなくなってしまう可能性があるように思えてなりません。 政府がインパクトある削減を望んでいるなら、こちらはやはりインパクトある実績(数字つきで)を突きつければなんとかなりそうな気がします。 (実は○○の考古学研究で○○円の経済効果があるなど) あるいは地層研究で地震の研究にひもづいているなどなど・・・。 考えればまだ出てきそうです。 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jaa2/ ↑辺りを読むとまだ対策に動いてないようにも思われるのですが、政府に対する学会の乾坤一擲を期待。

  • 回答No.10

booterさんの、》哲学的命題《についてのお考えがよく解からないところがあるので、 まずそのへんを質問させていただきます。 人類が、今までの歴史の中で、国家や宗教という社会や知恵を権力意識に振り回されるカタチで続けてきたことは悲しくても認めなければならない事実でしょう。 しかし、哲学的本質的にも、人間は文明が発達することで、科学技術を一部の国家や集団のために使うような進歩のあり方しか出来ないというふうに思われているのですか? booterさんの言われる「国体の護持」ということは、 “それは人間のどうしようもない性(さが)なのだから、 せめて我が国(自分の国)だけでも人権を確保すべく、勝者となるべきであり、そのためには国家が国家として団結を勝ち取らなければならない”といった思想が 考古学の価値への道をさぐる前提としてある、というお考えなのですか? 「国体の護持」という言葉は 戦前に日本人の戦意をあおるために使われてきてしまった言葉との印象が一般にあると思われますので そのへん、今までの質疑の中での その言葉等から たぶん誤解だとは思うのですが上記の疑問がでてきました。 猿から人間に進化した時に、(ミッシングリング等の議論はここでは略します) 脳の中で何が一番変化したかというと、それを一言で言えば 一番大事な点は「みつめる」能力です。 本能にしばられた五感がそこで「見つめられる」ことで、解放されたのです。 見つめることで そこに比較の能力も、反省の能力も生まれ、道具を道具として認識し、やがて言葉も生まれてきて(視覚が比較の対象となったためです)文明が発達してきました。 しかし、言葉は言葉で 一言で言えば嘘もつける表現手段でもあったわけです。 それを通して 村や村々を平和にまとめる力も出てきた代わりに、 村々を支配する道具にもその知恵や能力は確かに生かされてもきました。 がもとはと言えば、 すべて「見つめる」脳が生物の命に宿ったところから人間のすべてが始まったわけです。 私たちの脳は すべて、過去に縛られる必要はないのです。 過去は すべて未来のために「みつめなおされる」ことでよりよく生かしてゆくことが出来ます。 その時に重要なのが じつは五感という原点を言葉を越えて見つめ直してみることだと私は思っています。 すると 猿から人間に進化した時点で そのユトリの中で人間は 森をただの生き抜く対象(本能の奴隷状態)からの目ではなく、 始めて緑を そしてそこに太陽の日がゆれこぼれるのを、 海を、海の潮の香りを、雲を 大地を 感動してながめ、そしてそれを言葉以前に目と目で語り合ったのです。 あるいは、 今では ジャズ・ミュージシャン達の手によって アフリカの音楽が 単調な面は気持の統一をデタラメに聞こえる部分は じつはスイングしあった私たちの想像を絶するような感性の豊かさや新鮮さを表現していた事が知られるようになっていますが、 詳しくはともかく、 言葉以前にも 人間の脳がそこに作ってきた森の中での生活の豊かさが知られてきています。 歴史という言葉を 歴代の資料(言葉に残された)世界から史実を明らかにする学問というふうに定義すれば、 その言葉以前、 あるいは言外の五感の存在を 他の音楽や絵(この解釈の世界はじつは難しいですが) あるいは彫刻などに求める時、 考古学は 神話などの事実ではない描写の意味合いをよりいっそう深く哲学する材料を私たちに与えてくれると私は そのへんを期待しないではいられない人間なのです。 じつは私も 考古学自体はほとんど知りません。 アカデミックな哲学の世界もよく知らない肉体労働者として生きてきた者です。 が、考古学というと、私の中には 大きなロマンが起こります。 人類が言葉を いよいよしっかりと獲得した時代に、キリストや孔子のような人が 人類を貫くような思想を 自らは書物を書かなかったのに、残すとう偉業を成し遂げています。 が そこから同時に 文明の争いの世界も起こって来たわけです。 ここに、 私は その言葉の資料と 言外の精神の深みの世界を、今こそ考古学と哲学との融合の力で、明らかにしたいというそれこそ人類史的な神話解釈革命論を構築していきたい気持にもなるところ、 もっと日本に限定したことでは、 たとえば、 日本の琵琶という楽器は、シルクロードから中国の大地を源泉に伝わってきたわけですが、 同じ種の楽器はブルガリアの一弦琴や セルビアのサズという楽器としてシルクロードを通って伝わっていると聞きます。 モンゴルには、馬頭琴が昔から伝わっていますし、ニ胡の歴史も深いでしょう。 では、その源泉の源泉はどこだったのでしょう。  そして、それぞれのその音色の神秘の意味するものは?  セルビア民族が 武士道のような勇壮な魂を持っているのは? セルビア民族が、茶道にもまさる「もてなし」の魂をもっているのは?   なぜ、シルクロードの西の果ての弦を日本の弦とが、こうも深く響きあうものなのか? あるいは、 アンデスの音楽を聴いてなつかしい気持になるのは私ひとりでは無いでしょう。  あの山と太陽信仰の文化が やがて海をわたり、ポリネシアの無類の明るい音楽の地を通り、踊りと合唱と素朴な恋で有名な(一昔はです)台湾のもともとの原住民の地を通り 沖縄に そして日本に というルートの そのへんの楽器等の存在の発見も まさにロマンに満ちていると思うのです。   楽器だけでなく もちろんそのへんのフィールドワークとの比較は必要でしょうが、 生活やその道具の 移り行きをさぐってみたいと思いませんか。  出来うる限り もっともっと。 私が思う日本民族は、おそらく知れば知るほど、世界を調和させる能力がある民族だと思います。 そのルーツをこそ、 考古学が、もっともっと見つけて欲しいと思います。 天皇制ということは、半貴族主義とも言えるかと思います。 が君子の精神は 昔にはたぶん絶対的に必要だったと思います。 その時に聖徳太子も含め 日本は天皇制によっておそらく唯一 大きな争いをしないで君子の治める国として生き抜いてもきたわけです。 今では それを誇りある象徴としていますが、 平和的にそういうカタチにできるのも日本人だからこそとも思います。 この情報化時代(世界がつながっている時代)にて、日本人は おそらく世界を調和させる民族としてもっとも適していると私は考えていますが いかがでしょうか?  

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質問者からのお礼

ご意見ありがとうございます。 少し長くなってしまったので御礼と補足に分けて記載します。 また、文字数制限で書けない部分がありましたのでご容赦下さい。 > その言葉以前、あるいは言外の五感の存在を(略)そのへんを期待しないではいられない人間なのです。 私も同意見ですが、下記点を補足する必要があります。 こうした文化的な生活を営む事が人間の受ける幸福の一つだと考えていますが、これには社会の安定が必要であり、人間の優先課題としては社会を安定させる事から取り組まねばならないのです。但し、優先させるからという理由で完全に中断してしまうのはあまりよくは無いとも考えています。 (そう言えば質問時には意識していませんでしたが、考古学の必要性というお題目は事業仕分けが最近検討された事を考えると、かなりタイムリーなものでしたね。というより考古学は仕分け対象になっていたのでしょうか。) > じつは私も考古学自体はほとんど知りません。 > アカデミックな哲学の世界もよく知らない肉体労働者として生きてきた者です。 そうでしたか。私も同様でして、独学(というより遅々と本を読む程度)で疑問になった事をここで質問させて頂いています。ですがご意見頂けて嬉しいです。 音楽的、精神的普遍性については同意見です。 「音楽だけは世界語であって翻訳される必要がない。そこでは魂が魂に話しかける。」-アウエルバッハ 但し、そこから地域、風土により民族性が分岐するようで、その違いがどうしてそうなったのか、と考えると学問的には大変楽しいですね。 > この情報化時代(世界がつながっている時代)にて、日本人はおそらく世界を調和させる民族としてもっとも適していると私は考えていますがいかがでしょうか? これに関しては私は現在否定的な立場を取らざるを得ない状況です。 確かに現在はどちらかというと利害の中間的立ち位置にいますが、藤井厳喜という方によれば、日本人ははっきりとモノを言う大陸系の民族とは気質が合わない、どちらかというと南洋系の台湾などの民族と気があう、としていますが、全くその通りでしょう。 人間たるものは同じ根源を有しているが、その地域、風土、歴史、民族的特性、国民性からその気質を分離し、それぞれ違ったスタイルを取る。これを纏め上げるのは、調整型の日本より主導型のアメリカ乃至は主導を試みる中国でしょう。

質問者からの補足

>人間は文明が発達することで、科学技術を一部の国家や集団のために使うような進歩のあり方しか出来ないというふうに思われているのですか? 私個人の意見ではありますが、全てが必ずしもそうだと考えてはおりません。但し優先順位はあります。優先的に人間が営む社会集団の生存競争に使用される事は否めないと考えております。 社会集団の生存あっての文化ですから、技術の適用は「人の心を満たす文化」よりも「戦争乃至はそれに順ずる様式」に優先的に適用されるのと思っているのです。 >booterさんの言われる「国体の護持」ということは、“(中略)そのためには国家が国家として団結を勝ち取らなければならない”といった思想が考古学の価値への道をさぐる前提としてある、というお考えなのですか? 戦時に適用された全体主義への帰結を恐れているご意見と思いました。 結論を急ぐと語弊が出る可能性がありますので、上手く表現できるかどうか分かりませんが、これに関しては順次回答していきたいと思います。 まず現代の人間個人には生存の権利、文化的に生きる権利、自分の理想を追求する権利などが存在すると私は考えています。そしてこれとは別に、他人を救済する人としての気持ち、人間としての優しさがあるとも思っています。自分自身の価値を高める権利があり、然るべき個人の利得を得る。そして優しさがある。ここまではOKだと思います。 上記は個人の枠でしたが、枠を広げて社会集団に適用すると、「自分自身の価値を高める」というプロセスにおいて、個人レベルでは勉強が必要な要素だと思いますが、社会レベルであると必要な材料が少し異なってきます。あの社会集団が上手く社会システムを機能させているのは「過去の経験からあるいは過去事例を勉強し社会システムを上手く整備してきたから」となります。 更に枠を広げて長期的な国家運営に適用した場合、材料は更に異なり、教育、イデオロギー的なものを優先事項として挙げざるを得ないのではないかと思っているのです。長期的な国家運営で優先すべき要素として考える際に、イデオロギーを挙げる事自体が誤りであるというご指摘や他の可能性(経済、情勢、国民性、風土)などございましたらご教授下さい。 そして私自身としての解釈として、日本におけるその民俗・風土から形成される国民のアミニズム的性格からそのイデオロギーを構成する要素の一つとして歴史を捉えており、それを探求する一つの学問の可能性として考古学を捉えているのです(こちらも解釈に誤りがあった場合などはご指摘頂ければ幸いです)。これは前時代のような他地域への収奪、搾取は目標にありません。経済的システマティックな他地域からの収奪、搾取により文明の発展が達成されるという見方もあるでしょうが、知識・ノウハウの蓄積など努力の結果としての高度技量との引き換え、という見方も出来るかと思います)。努力に対する報酬は国家として認められるべき権利であります。 日本という国がそれ自身の価値を高める為の、引いては世界への貢献の為に為す事は当然認められている権利であり、それを達成する為の精神的支柱が失われている。このままでは欧米、中国からの搾取対象となってしまう。これを回避する為に、日本という車に何かしらのガソリンを入れなければならないと考えているのです。そこで天皇制など既存社会の基盤は残しつつも並存できるようなイデオロギー、体制とはなんだろう、と思考実験をしており、歴史とイデオロギーが離せない関係にある為、考古学もその範疇に入れていると言った感じでしょうか。 >「国体の護持」という言葉は(中略)上記の疑問がでてきました。 当時の不況と戦時の不安感にイデオロギーが結びついてしまった為に起きてしまった結果とも言えます。現在は100年に一度の大不況であり、現在のイデオロギーが全体主義に結びつきかねないという観測もあります。人が幸せを求める結果、不況の折には全体主義に傾きやすい。こうした中arayata333さんの不安もご尤もなのですが過去から勉強して同じ過ちは繰り返さないという姿勢が大事なのだと思います。 日本人としての誇りを取り戻しつつ、かつ、過去の過ちを繰り返さない。そうした新しい指針が必要になってきます。 その為に考古学が世界を形作る一つの要素として可能性を帯びてくるように思うのです。

  • 回答No.9
noname#98440

何か随分と難しい議論展開ばかりで、私なんか出る幕違うようですが、ちょっと書き込みします。 学問&専門的な事を知らないから、単純にしか分からない。 全ての歴史を裏付けするのは、考古学ですよね。 裏付けするには、あらゆる方面からの検証が必要。 生物学 医学 天文学 地学 物理学 化学 哲学(思想や宗教的) 行動心理学 などなど ありとあらゆる分野から、調査研究をしますよね。 その筆頭指揮するのが、考古学の方々だと思います。 だから、考古学は重要です。 そして、検証を根本原理に進歩&発展に繋がるのだと思います。 この答えでは駄目ですか?

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質問者からのお礼

>この答えでは駄目ですか? いえいえ、大変参考になりました。回答ありがとうございます。 私が恐れるのは他の方からの意見が聞けなくなる事です。 そもそも何か難しい事を言っているようなQAになっていますが、私も全くの浅学なんですよ。取ってつけた知識を並べているだけであって、消化しているとは言い切れない。そんなに偉そうにできない立場ですので、広く意見を求めたいのです。 私見ではありますが、これまでのQAを見返してみると、私自身は「人とは何であるか? 」という命題を追う為のツールとして考古学を捕らえているのに対して、回答して頂いた方達は考古学そのものを純粋に学問として追っている方達が殆どだったので、これが新鮮でした。

  • 回答No.8
  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1109/2548)

質問者様は根本的に2つの大きな誤りをしています。 その2つは私も若い頃に抱いたものであり、今では学問の態度ではないとはっきり断言できます。 1つ目は考古学が単なる歴史の考証に成り下がっていること。 歴史の考証も重要なテーマですが、考古学は純粋に自然科学です。 地球のプレートのメカニズムとか、石油の精製方法とか、凶悪なウィルスが どのように伝染していくかなどは完全に歴史を越え、化学や医療の分野に応用されています。 1つ1つの調査は無味乾燥としていても、その調査があったおかげで点が線になって繋がるのです。 そしてデータを欲しがっているのが地学、天文学、生物学といった分野なのです。 些細な調査結果でもどこで役に立つか分かりません。 有機的にリンクしていてこそ考察の幅が広がるとお考え下さい。 2点目はおそらく実用に耐えないと判断されたのは考古学の地道な調査方法だと思います。 遺跡1つを発掘するにしても丁寧に砂をどけ、傍目から見るとイライラするほどです。 しかし、これこそが学問の神髄であり、多くの学問はまさに地道な膨大な時間が必要なのです。 天体などはわずかなずれを確認するのに何十日も高価な望遠鏡を動かします。 私の友人はこんなことやって何の意味があるのかと疑問に思っていたようです。 傍目から見て地道な作業が無駄と思えるのなら、考古学に限らずに 物理でも天文でも医学でも、全てが無駄に見えるものです。 膨大な時間をかけてもわずかな結果しか出ないこともあるでしょう。 しかし、そのわずかな結果が他の研究での考察に使われる可能性がある、 そのことこそ尤も重要なことであり、データは多ければ多いほど有意義なのです。

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質問者からの補足

回答ありがとうございます。+御礼遅れて申し訳ありません。 >歴史の考証も重要なテーマですが、考古学は純粋に自然科学です。 こんなご意見待っていました。 新しい見識を与えて下さりありがとうございます。 津波がこの地方で○○年に起きたというのが地層から分かるので、大体このレベルの地震と津波は何年周期だ、というのは考古学の部分でしょうか。 極めて実用的です。 >2点目はおそらく実用に耐えないと判断されたのは考古学の地道な調査方法だと思います。 私はこの認識はしていないのですが、一般的にはそうでしょうね。 (というより自分自身もひょっとしてそうなのか? そういう文面になっていたか? と疑ったりしますね。) これだけやっているのに陶器の破片? 黄金とか出てこないの?  というような・・・。 が、大学は真理を追究する機関なのでそうした部分が必要なのですよね。 むしろ実用に応用しないで欲しいという研究者もいたりして・・・。 ちなみに数学のお話しになりますが、昔、ブルーバックスで出版された素数についての書籍の中で、「数学は直接的にどこにも応用されない事を誇りにしていたのに(科学は別)、素数が暗号という怪しい分野で直接的に実用化されてしまった。純粋な概念だったのに・・・」と、自分のか弱い娘をどこの馬の骨とも分からない男に嫁に出すが如く、著者がぼそりと嘆いていたのを思い出しました。

  • 回答No.7

#5です。 質問者さまの主張も分からなくもないのです。 たとえば中国でも科挙に合格するために勉強するだけの実体のない空疎な学問になりはててしまっていた儒学を、 もう一度社会を良くするための学問として復興しようとして、 明末清初には経世致用の学ということが盛んにいわれるようになりまして、 これをべつの言い方では実用的・実践的な学問という意味で実学といったりするのですね。 福沢翁は近代化に後れを取っている他のアジアとは縁を切るべしと主張しましたけれど、 世の中の役に立ってこそ学問であるという主張そのものは経世致用の学に連なるものといえるでしょう。 たしかに現代でも実学をモットーとする学者も多くおられ、 社会への貢献を第一に考えて熱心に研究をされている方は非常にご立派だと思いますし、 まったくそれを否定するつもりはありません。 しかし、質問者さまが考古学と哲学の間に実用の観点で優劣をつけたように、 実学を是として虚学を非とした場合、 たとえば天体物理学であるとか高等数学の理論研究の一分野であるとか、 直接的に一般大衆の実用につながりにくい研究が軽んじられたりする風潮が助長されるのですね。 現在でもやはり環境改善に役立つ研究やバイオテクノロジーなど社会的需要の高い分野への研究費の助成は大きくなっておりますし、 それは必要なことであるとは考えておりますが、 一方で実用に直結しにくいマイナーな研究分野は資金援助も得られず、 研究者も減って衰退していき、文化や知の領域が狭くなる怖れも生じています。 どちらかといえば考古学は社会的実用性という点においてあまり需要があるとは言い難い学問分野で、 それゆえに実用性や存在意義を強く訴えていこうという主張についてはむしろ応援したいという気持ちもありますが・・・。 しかし、気になるのは質問者さま自身が考古学についての見識に乏しく、 国体の護持に考古学を役立てよなどというトンデモ説に陥っているところでしょうか。 あらゆる学問はなにがしかの役立てようと思えば役に立つもので、 そういう意味においては存在意義のない学問はないはずなんですが、 あまり実用性ということにこだわりすぎると、 実態のない効用を捏造してしまう疑似科学の蔓延にもつながる弊害があります。 「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル・・・」とは終戦詔書の一説ですけれども、 質問者さまにとって国体とはなにで、それを護持するというはいかなることなのでしょうか。 考古学の実用を訴えつつも、質問者さまが空想上の考古学に基づき、空想上の効用を想定されている限り、 それはおそらく福沢翁が重視したような実学の立場からはもっとも遠い立ち位置におられるのでしょうか。 まずはその学問を修め、その成果に基づいて社会への応用を考える、これが順序です。

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質問者からのお礼

回答と御礼が逆になってしまったのですが、補足に対して補足させて下さい。 「宮内庁が拒否するなら仕方ないけれども、調べても良いのではないかと思う。」という事についてです。 思考実験上では個人の感情を挟んではいけないと思うのですが、先日、民主党小沢一郎氏の「仁徳天皇陵を掘ればはっきりするはずである」という意見に憤慨してしまいました。私が同じ事言っているのにも関わらず、自分自身と同じ意見に「この意見はもう少し柔らかくできないものか」と思ってしまったのです。 同じように私の意見を読んで、気分を悪くされた方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。

質問者からの補足

回答ありがとうございます+御礼遅れ申し訳ございません。 >質問者さまが考古学と哲学の間に実用の観点で優劣をつけたように、 少し補足させて頂きますが、実用=社会的に必要という観点ではありますが、私自身は、非実用=社会的に不要という観点ではないです。 >しかし、気になるのは質問者さま自身が考古学についての見識に乏しく、 国体の護持に考古学を役立てよなどというトンデモ説に陥っているところでしょうか。 むむっ。痛い所を突かれました。これはトンデモなのですね。 お恥ずかしい限りです。 >質問者さまにとって国体とはなにで、それを護持するというはいかなることなのでしょうか。 ああ、思想上のことはQAで話さないようにしてきましたが、やはり突っ込まれてしまいましたね。 ご指摘の通りちゃんと学問は修めておらず、言葉足らずの部分もあるかと思いますが、回答致します。 話しは外れますが、プロイセン人がプロイセン語を話さなくなり、ドイツ語を話すようになった時、あっという間にドイツに同化したと言います。 言語と同等のレベルで影響があるとは申しませんが、自らの国家の成り立ちを追う事はその国を構成する人間の思想の根底を成す上で重要なものであり、これを追う事の手段として考古学は役に立つと考えたのですね。 こうしてみると枝葉末節を追っているような感じになり、国体の護持そのものの実用性に関しては、歴史は有用であるが二番手以降であり、考古学は更にそのツール、という認識において実際には全体の実用性の数%も追えていないように思えます。 が、これを全て無くしてしまっていいのかというと、私自身の答えは「絶対にNO」なのですね。それでも基幹をなす強力なツールだと考えています。 日本の国体について、wikipediaから説明を借りると、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BD%93 「国家の本質的で歴史を超越した本来的なあり方を名指す概念」 となり、では私自身は国体とは何を指すかと考えているかというと、簡単に言えば、私自身は渡部昇一さんの説を支持しているのです。 (が、ちゃんと検討した事が無い・・・) では、国体=天皇とした場合、そのルーツを確定させるのに古墳を調べるべきだろう、宮内庁が調査にOKを出さない事についてはどう思っているのか、という事については私自身は「宮内庁が拒否するなら仕方ないけれども、調べても良いのではないかと思う。万世一系というのが否定されても今の国民にはどうって事はないし、思想の上において天皇を支持する学者は全力を以ってこれをごまかす。それよりも、今は世界の思想潮流に合わせて天皇という存在を更に別のものに応用して新しい思想を生みださなければいけないのではないか」と思っているのです。 思想そのものは実学ではないのではないか、というご指摘もあるかもしれませんが、福澤翁の「実学」という観点に立つと思想も実学と考えています。 日清戦争勝利時に一番喜んだのが福澤翁であり、これは思想戦争でもあり、実際の考えが正しかったから、という解釈もあります(伊藤正雄さんだったかな? ) 私の考える国体の護持とはこのような感じです。 浅学で大変恐縮ですが、上記の考え方に実用性は無いのでしょうか。 もしお時間が宜しければご意見を伺いたく宜しくお願い致します。 (ダメだったらいいです) p.s. 軽く読み返したら何か革命を起こすような文面ですね。 世界に比較したら政情不安でもなし、それに対する思想を考える必要もなし、いろいろと考えていたら地に足がつかなくなってしまっていたのかもしれませんが、平和ボケとも言われたくないので勉強だけは続けて行こうと思います。 質問の主意とは外れてきてしまってスミマセン・・・。

  • 回答No.6

#3です。 >考古学とは人類が「生物として生きる分には」不要であるが、人類が「万物の霊長として学術的知体系を練り上げる際には」これが必要なのだ、というスタンスで仰られている、という事で宜しいですよね?  なるほど。私の視点は、あなたの求める視点とは、ずれたものでしたね。 私の方は特に煽られてるとは思いませんので気にしないで下さい。 私はあなたが学校で学ぶ上での存在意義を確認したいと、つまり、なぜ学校に考古学があるのかを中心に考えました。 そして、数ある知的体系のうち考古学が科目として存在する理由を考えました。 それは見当違いだったようです。 本当に議論するとすれば私では力不足ですので、参考にもならないかもしれませんが。 まず人類の定義ですが、ホモ・サピエンスとして考えてみましょう。 例えば現代で考えてみても石器時代そのままの生活をしている少数民族のように考古学やそれに近い海外の学問の名前さえ知らない人も対象とするわけで、考古学が今彼らにどれだけ影響を及ぼしているか、または将来彼らにどれほど影響を及ぼすかは難しい議論だと思います。 しかしながら、例え今考古学という学問が失われても、現在の彼らの生活に多大な影響を及ぼすとは考えにくいのではないでしょうか。 彼らが考古学を知る知らないは別として、例えばそこで発掘がおこなわれ金銭的利益が入るとか、考古学で発見されたものが何かの役に立つとか、彼らに考古学が好きな人が現れるとか、そういったことがあってこそ彼らに影響をもたらすと考えます。 そういう意味では、人類にとって必要という前提は必ずしも合理的ではないと思うのです。 しかし、考古学が現在人類にどういったことで役に立っているのか、将来どういったことで役に立つかという意味での必要性というのはもちろん理解できますし、考古学は私個人にとってはなくてはならないものですよ。

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質問者からの補足

回答ありがとうございます。+御礼遅れて申し訳ありません。 > 私はあなたが学校で学ぶ上での存在意義を確認したいと、つまり、なぜ学校に考古学があるのかを中心に考えました。 > そして、数ある知的体系のうち考古学が科目として存在する理由を考えました。 > それは見当違いだったようです。 いいえ、そうした見解からの回答など、広範な内容もこの質問でお待ちしておりました。私が早とちりしていました。 それにしても発言そのものが若いせいか私は学生によく間違われますね。 (そんなに歳をくっているわけではないのですが、複雑な気分です) > 例えば現代で考えてみても石器時代そのままの生活をしている少数民族のように考古学やそれに近い海外の学問の名前さえ知らない人も対象とするわけで、考古学が今彼らにどれだけ影響を及ぼしているか、または将来彼らにどれほど影響を及ぼすかは難しい議論だと思います。 実際の遺跡発掘や遺跡の保守費用から来る経済効果についてはそうでしょう。但し、そうしたものが経済効果だけでなく、文明の興廃について教えてくれるという金銭にならない学術的価値を生み出してくれるものでもあります。私からの観点では人間とは何かを考える、それこそプライスレスなデータの宝庫なのです。 また、そうした研究は国家の衰亡にも関わります。戦前、アメリカが日本を攻略する際には、最初は情報収集から当たっていたが、その内日本の古文献などを購入しはじめ、これによって日本における思想体系の研究もされていたとの事です。逆に言えば戦争をする際には自らの国家の成り立ちを知らなければ勝てない訳です。 >そういう意味では、人類にとって必要という前提は必ずしも合理的ではないと思うのです。 なるほど。これについて私は私で意見があるのですが、議論に発展しそうなのでやめますね。酒でも一緒に飲んでどうでこうだと言いたい気分です。 >しかし、考古学が現在人類にどういったことで役に立っているのか、将来どういったことで役に立つかという意味での必要性というのはもちろん理解できますし、考古学は私個人にとってはなくてはならないものですよ。 ありがとうございます。個人的なご意見を聞けて楽しかったです。 また何か暇でしたら質問はいくつか出すつもりですので、ご回答頂けレ場幸いです。

  • 回答No.5

そもそもなにをもって存在意義とするのでしょうか? 考古学に限らず、あらゆる学問は、必ずしもなにかに役立てるために存在するわけではありません。 世の中の人々の役に立たないものには存在意義がないという考えの傾向を、 功利主義的であるという言い方がされることもあります。 考古学の成果を何らかの形で社会的に役立てたいというお考えを否定するものではありませんが、 実用的であるか否かをその学問分野の存在価値として認めてしまうと、 おおよそ教養に類する分野の研究には公的な資金によって助成する値打ちもないという判断につながっていくでしょう。 あなたが考古学に思想上の問題を解決するための価値を見出したように、 その学問の存在意義というのは各人がそれぞれ見出せばよいのであって、 万人に共通する根源的な存在意義というのはないかと思われます。

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質問者からの補足

回答ありがとうございます。 御礼申し上げます。 散文になってしまったのですが、意見を書かせて下さい。 > 考古学に限らず、あらゆる学問は、必ずしもなにかに役立てるために存在するわけではありません。 > 世の中の人々の役に立たないものには存在意義がないという考えの傾向を、 > 功利主義的であるという言い方がされることもあります。 むむっそうなのですね。 とすれば私は功利主義の急先鋒なのかもしれません。 「実際の世界に役に立たない学問は学問ではない」とした福澤諭吉におおいに同調しておりますので。 ただ、そうした上で考古学が役に立たないかと言えば、そうではないと私は思っているのです。確かに目に見える範囲で考古学が役に立っているとは言えません。考古学では金になりません。しかし、日本に限った話をすれば、国を主眼にした形で考えると国体を護持する為に、思想の基盤、足固めをする際の堅牢な材料として考古学が必要になると思うのです。 哲学という生物としての人間にとって一番必要でなさそうなものの方から見ると、考古学ははるかに実用的なのですね(えらそう)。 簡単な例からたとえますと、株式市場を予想する時に、我々が「人はどの状況の時にどのように売買するのだろうか? 」と考えた場合、国際情勢や金の動きなどの『記録』を追ったりしますが、これを更に幅を広げて(実世界の役に立たないレベルの思考をした場合)「そもそも人という高等知能を持った生物は本来どういう動きをするのか」を考えた際、その記録をひろげに広げ、考古学から追う必要があると考えられます。 またこれは私の想像なのですが、考古学をなくしてしまうと、「あの国は考古学も満足に出来ないのか」と世界から学術的になめられてしまうのではないかと考えたりもするのです。 実際、これも一見役に立ちそうにない「神学」について、無神論を国是としているチェコから国主導で年何本か論文が出ていたそうです。学術的な事はちゃんとやっているんだぞ、というアピールらしいのですが・・・。 仮に人類とは言わずとも日本国体を護持する為に必要な学問と位置づけた場合、これをなくす事は日本という国の屋台骨を一本抜く事になりますので非常に危険だとも言う事ができると、私は個人的な意見として思っています。 また、考古学というものが万人にとって「役に立つ」という認識がなされていないという危惧はあると思いますが、これに少し補足致します。 プラトンの「国家」からの受け売りなのですが、国体を護持する技術はそもそも持っている人は少ない。靴職人の技術を持っている人と比較すれば、その差は明確である、と。 ここで繰り返しになりますが、考古学を日本国体を護持する為に必要な学問と位置づけた場合、それを理解する人間はそもそも少ないのではないか、理解する人間が少ないから廃止しようというのは屋台骨なんていらないから抜いちゃえよと無知な人間が言っているのと同じではないかと思うのです。

  • 回答No.4

「自らのルーツを知り、できることならそれを誇りに思いたい」という欲求は、いわゆる「三大欲求」や「五欲」に比べたらささいなものかもしれませんが、しかし、人間本来の、普遍的、本能的な欲求のひとつとみてよいと思います。そして考古学は、この欲求に応える学問といえるでしょう。 進歩史観への疑問はおっしゃる通りで、前世紀の段階で、思想の世界ではもうその否定が常識になっています。ただ、現実世界はなかなか対応できず、進退窮まっているわけですが。そんな中で、考古学の存在意義が改めて見直される可能性は確かにあるかもしれませんね。 いっぽう、考古学が100年前と比べたら別ものといえるほどにその精度を高めているのは、まったくもって科学の進歩に依るところですから、そこは悩ましいところです。この矛盾はやすやすとは解消しません。

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質問者からの補足

回答ありがとうございます。 >進歩史観への疑問はおっしゃる通りで、前世紀の段階で、思想の世界ではもうその否定が常識になっています。 そうなのですね、と書くと無知がばれてしまいますが、正直申告をしますと知りませんでした。お恥ずかしい限りです。 >考古学の存在意義が改めて見直される可能性は確かにあるかもしれませんね。 同調して下さりありがとうございます。 いつの世も私のように「人間とは何なのか」と考え求める人間が出てくるはずです。そんななか、考古学の記録や研究が必ずその人間にとって役立つのです。 >いっぽう、考古学が100年前と比べたら別ものといえるほどにその精度を高めているのは、まったくもって科学の進歩に依るところですから、そこは悩ましいところです。この矛盾はやすやすとは解消しません。 そうですね。ちょっと笑ってしまいました。

  • 回答No.3

学問とは、多くの時間を割かなければ習得できない知識です。 しかし、その時間を割いても全ての学生が、その分野において専門家や教授になることは難しいです。 これは全ての学問に言えます。 例えば誰もが一晩で法学を覚えられるなら、法学は学問でなくなるでしょう。 そのような意味で考古学は学問であるといえます。 考古学は例えば法学や経済学と比べて企業の需要は少ないでしょう。 しかし需要はあります。 例えばあなたが時折ニュースでみる考古学のニュース。 考古学に興味がある人がいなければニュースとしてのカテゴリはないでしょう。 そして考古学者がいなければ考古学は進まずニュースは発信できません。 つまり需要とは、その学問が必要だ、興味があるという人がいることによって発生するのです。 それは企業に入っても同じです。 需要があるから液晶テレビを作るのです。決して人類にとっての必要性を判断してではないのです。 必要性は需要を創造する上でのアピールにはなりますが決定打ではないのです。 そして、もう一つ、学問の中で人類の歴史に関わる学問は特別なものなのです。 人類は持って生まれた知識だけで社会を形成しているわけではありません。 遠い世代からの知識の積み重ねがあってはじめて人類は人類としての社会を形成しているわけです。 どんなに未開の部族であっても知識は語り部や肉親から伝承されているのです。 国策であればそのルーツを国民で共有し尊厳を得るのです。 ですから、歴史学、考古学、人類学などは敬意を払われ、ただの娯楽ではないのです。

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質問者からの補足

回答ありがとうございます。 少し確認したいのですが、 >決して人類にとっての必要性を判断してではないのです。 という部分について、私は私自身の観点(私達人類はどういう風に行動する動物なのか)という問題を考察するのに、人類にとって考古学(正確に言えば、私自身は人類考古学を必要としている)は学術云々以前の問題として必要不可欠なものだと考えているのですが、karelcapekさんは考古学とは人類が「生物として生きる分には」不要であるが、人類が「万物の霊長として学術的知体系を練り上げる際には」これが必要なのだ、というスタンスで仰られている、という事で宜しいですよね?  そう書いたつもりです、と仰られるかとは思うのですが、「決して人類にとっての必要性を判断してではない」との言葉が引っかかったので、一応念の為はっきりさせておきたいのです。 ※決して煽っている訳ではないです。言葉遣いが乱暴で申し訳ないです。

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