仏教は進化発展しないのか

このQ&Aのポイント
  • ヘーゲルによると、人類の文明や文化活動は弁証法的に進化発展すると考えられています。
  • 信仰や宗教も人間の行動の結果であり、進化発展すべきものであると言えます。
  • しかし、日本仏教には変化や進歩が見られず、そのままの形で行われているように見えます。
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仏教は進化発展しないのか

  ちょっと考えて見ました。 ヘーゲルによると科学であれ、産業であれ、また社会体制であれ、およそ人類文明、人間の文化活動の結果生まれるものは弁証法的に進化発展するものであると捉えました。 つまりあらゆる人類文明はテーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼを繰り返すことにより段階的に進化発展するものであると見なした。 私もこのヘーゲルの思想は正しいと考えます。 そして信仰も宗教も人間が行う文化活動の結果生まれるものである以上例外ではなく、やはり弁証法的に進化発展すべきものであると考えます。 したがって仏教とて同じであり、時代の変化に合わせて進化発展すべきものであると考えるのですが、日本仏教には何らの変化も進歩も発展もなくただただ宗教行事、葬式仏教のままで明け暮れているようにしか見えません。 日本仏教が進化発展することは有り得ないことなのでしょうか。  

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.8

こんにちは。個人的意見ですが参考になれば、と思います。 宗教が変化することはこれまでの歴史からしてありえます。 日本仏教の変遷と主な特徴 http://jyoryuzi.aki.gs/jyoryuzi20/hodou/bukkyou.html この仏教ですが、どうして上記リンクでのページで説明されているに変化して行ったのかと言えば、「死の不安や、魂の苦しみにどう対処すればいいのか? どう考えればいいのか? 」という考え方の問題が変遷していったのだ、という見方ができるのではないでしょうか。 それはまさしく経済的余裕の範囲と、大衆救済の方向で変化して行ったのです。 元々は厳しい修行で、それを乗り越えた者が救済される、としたものでしたが、そうした小乗的考え方は、「念仏を唱えることによって救われる」という大乗的な考え方へと変遷していきます。 それと同時に、その経済的余裕は精神的不安範囲を埋めるのに使用され、葬式の規模が拡大していったように思われます。 年忌法要で七回忌が12世紀に追加されるまでは習慣として無かったわけですから、その時に七回忌が必要なものとして付加されている。 あるいは、厳しい修行などなくても念仏を唱えれば大丈夫、などの習慣のマイナスなども生み出されており、このプラスとマイナスを積み重ねて、さながら予期しない形態を生み出しているのが宗教なのだ、というのが私の認識です。 ちなみに、葬式の時には、手に数珠を巻くのが最近の習慣のようなのですが、私の住んでいた地域で私の子どもの頃はこのようなものはありませんでした。 こうした習慣や考え方というものは、今後とも変遷はする、という考え方からすれば、もし日本が経済的に疲弊した後に、葬式費用が捻出できなければ、葬式にお金はそんなにかけなくていいよ派という新しい仏教ができるかもしれません。七回忌が無くても自分(お坊さん)がきちんと十王(閻魔大王など、死後に裁きを授ける人)に酌量を申し出るし、十王もお金の多寡なんかでその人の罪を判断しないだろうから、一回でちゃんと言うよ、という宗派です。しかしそこにはやはり金銭との折り合いという現実的側面としての背景が事情に絡んできて、本来の思想・哲学とは別の事情が変化に関与することになるのですが・・・。

hitonomichi34
質問者

お礼

  ありがとうございました。  

その他の回答 (8)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.9

>「日本仏教が進化発展することは有り得ないことなのでしょうか。」 無いとは言えないでしょう。 (「上意下達」では、尚更困難を極めると思うけれど)

hitonomichi34
質問者

お礼

  ありがとうございました。  

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.7

真理が時代によって変じたり進化したりするだろうか。 仏教が真理に足るものであるとするならば、それは進化するもので無く、対機によって説かれるものとなると考えられる。 仏教が真理に足るものでないとするなら、進化したり後退したり、変じたりするだろうと思われる。 だが、仏教そのものが難解である為、それが、真理に足るものかどうかが人々にはなかなかわからない。それを検証できるのは、真理を知る人だけだろう。 ところでアルケーは、進化したりするのですか?

hitonomichi34
質問者

お礼

  >ところでアルケーは、進化したりするのですか? 真理の探求によって我々はアルケーに近づくことが出来、アルケーが何たるか深く知ることが出来るようになるのです。 しかし真理の探求に終わりはなく、真理の探求は永遠に継続しなければなりません。 それが進化です。 ヘーゲルが説いた弁証法のごとく、テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼを繰り返しながら進化発展することになります。        

  • hiak123
  • ベストアンサー率16% (14/87)
回答No.6

テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼをいつまでも永遠に繰り返してもたどり着けない。 馬鹿はいつまでも馬鹿である。垓(がい)の転生を繰り返しても。 発心を行う自灯明。

  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.5

仏教は、人として大切なこと、気をつけないといけないことなど、人としての基本的なことを説いて体感するもので、分かっている人には必要のないことです。 人の心が間違った方向へ進まないようにするための戒めだったり。そういった毎日の行いや考え方なんです。

回答No.4

>日本仏教が進化発展することは有り得ないことなのでしょうか。 日本仏教は、近年、人間のみならず獣(いわゆるペットだね)の死まで弔ってくれるところまで進化発展している。 妻帯だけでなく、二号までは認めるというとこまで発展すればイスラムに匹敵する強力な宗教集団になるかもしれないが、日本では難しいだろうね。

hitonomichi34
質問者

お礼

  >日本仏教は、近年、人間のみならず獣(いわゆるペットだね)の死まで弔ってくれるところまで進化発展している。 昔たまごっちを供養する坊主がいたね。 いい年超えた爺さん、婆さんが坊主にたまごっちの供養させとったね。 坊主はカネになることなら何でもやるからもちろんペットだろうが、たまごっちだろうが供養するでしょ。   それからクリスマスの日に袈裟を着てKFCに入りわしの隣に座ってケンタッキーフライドチキンを食うておった坊主がおったよ。 わしはそれを見て無性に気分悪くなって直ぐに店を出たでよ。    

回答No.3

君の人の道は、仏教の進展におんぶしている。 明日という彼方から祝福しているのは私だ。 君にとって、アルケーちゃんのおっぱいは母の愛だろう。 そのアルケーちゃんに君を産ませたのが私だ。 これこそ、父のレッツチチをもげダンスだ。 私を全人類の大いなる父として認めろ。 その瞬間、君には旧人類として、滅びの祝福を受ける。 それは私の哲学が書き記すように、生きながらに死を理解することだ。 君が無駄な抵抗をあきらめれば、その瞬間それは訪れる。 それが、君が選択できる唯一の生きる事の自覚だ。 神が人に遣わした聖霊、この逆で、我はセレビィとして人が神に使わす聖霊なのだ。 君が死を願うならば、その願いを聞き届けよう。 V字開脚の本格的練習から始めたまえ。

hitonomichi34
質問者

お礼

  >これこそ、父のレッツチチをもげダンスだ。   なるほど、これで君が完全な変態であること自分で立派に証明したわけだ。 V字開脚しろ。 フンコロガシばんばん。      

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

妻帯 ってのは相当な変化だと思いますが。 すくなくとも、未公認のカソリックよりは変化している。

  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1290/5172)
回答No.1

 一応発展してますよ。  本来、初七日とか49日とか必要なのですが、忙しい現代人のために、葬式の日に初七日の分までお経を唱えたり、49日を適当にずらしたり出来るようになりましたので。。。  宗派にもよりますが、肉を食べて良いとか、髪型自由とか、色々と緩くはなってますね。

hitonomichi34
質問者

お礼

  それが進化発展なの。 なるほどね。 仏教ってただの宗教行事でしかなかったってことですね。 ありがとうございました。  

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