• 締切済み

自然哲学を意識すれば環境問題は防げるの?

科学哲学の本を読んでいると、 今までの科学による環境破壊などの影響は、自然哲学の思想を無視して、科学技術の発達のみを重視したため起こったのである。だから、いくら科学が発達しても環境問題は対策できない。人間が環境すべてを理解するなんて無理であるからだ。結果的に副作用だらけの対策をして、環境破壊が進む という論調で、 自然哲学、つまり、人間の宇宙での位置、自然や世界の見方(自然と調和した生き方など)、しいては科学とは何か、という答えを考えなければいけない。これが今までの科学者には抜けていた。 という結論に至っています。 自然哲学を科学技術の進歩とともに学べば、環境問題などは起こらないのですか?自然哲学は環境問題の防止になるのですか?

みんなの回答

  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.4

問題を解決するのは、形式ではなく、人間です。

  • tosiro
  • ベストアンサー率30% (57/189)
回答No.3

主語が抜けています。 誰が副作用だらけの対策をするのですか。 誰が自然哲学を科学技術の進歩とともに学べばよいのですか。 前者と後者では、おそらく主語が違いますよね。論点を科学者の問題にしている気がします。 それと、これほど高度細分化された現代科学において 哲学は有効か、という問題ですが難しすぎて私には分かりません。 ただ、万能薬ではないだろうと思います。

  • v7nV1dZjx
  • ベストアンサー率10% (7/64)
回答No.2

すばらしい提言ですね。 しかし、どんなに意識しても無理でしょうね。 騒いでいるのは余裕があるか反対活動大好きの一部の人間 だけですから。

  • dipearl
  • ベストアンサー率38% (226/582)
回答No.1

その本は根本的におかしいと思います。 環境問題を引き起こしたのは、科学ではなく経済ですよ。科学は環境を悪化させることも出来るが、それを防ぐことも出来ます。今まで対策を立ててこなかったのは、儲からないからに他なりません。 自然哲学というのがどのようなものかは知らないので何とも言えませんが、科学をもっと学ぶことが大切だと思います。小学生の理科離れが問題となっているようですが、大人も同じです。賞味期限が切れた次の日にもう捨ててしまうような人や、つまらないニセ健康食品に簡単に騙される人等々、あまりにも科学のことを知らなすぎです。

関連するQ&A

  • 環境問題と科学技術

    科学技術により自然が破壊される、という話をよく聞ききますが、逆に科学の進歩により自然を守るということはあるのでしょうか?環境問題を解決する上で科学技術は貢献できるのでしょうか? 教えてください。

  • 日本が今必要とするものは思想と理念、哲学である

       あらゆる場面で既成のシステムが崩壊してゆく今日の日本を眺めていてつくづく思うこと、 それはいま必要とされるものは科学技術や経済の発達ではなく、高い思想と理念、本物の哲学であるとゆーこと。 なぜなら科学技術や経済などは放って置いても自然に発達するものであり、また誰もこの自然の動きを止めることは出来ないが、高い思想と理念、本物の哲学を生み出すには一人の天才を必要とするのであり、この天才は自然には生まれないからである。  

  • 哲学者のデカルトについてお教えください。

    私は哲学のことを全く知らないものです。 最近、現代の科学技術文明について、その元の思想としてデカルトという人のことをときどき聞くのですが、デカルトの思想とはどのようなものなのでしょうか? 人間が自然を支配できるとか、自然などをすべて数式に置き換えることができるとかを言った人とかをテレビで聞いたのですが、はずかしいことですが哲学の本を一冊も読んだことのない私には難しくてよくわかりません。 哲学を全く知らない私に、ご無理を言って申し訳ございませんが、易しい言葉でお教えいただけましたら助かります。 本当に初歩的な質問で申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

  • やはり哲学が先である。

      正しい哲学がなければ正しい科学は生まれない。 正しい哲学がなければ、ビッグバン宇宙論の如きペテン科学が生まれてしまうからである。 ビッグバン宇宙論は人間が観測可能な限界は137億光年であり、137億光年先は宇宙ではないと見なしているのである。 これは単に人間心理の都合によって生みだされる宇宙の捉え方に過ぎないのではないか。 人間が観測可能でない場所にも宇宙は存在すると考える方が正しいに決っている。 人間心理に左右される哲学は正しい哲学とは言えまい。 そして正しい哲学がなければ正しい科学は生まれない。 やはり哲学が先ではないのか。    

  • 科学的に「環境や健康に影響はない」と言われながら、結局被害を与えたものは?

    私は現在「科学は環境破壊をふせぐことができるか?」 というテーマで、 「科学のみで環境破壊の防止は不可能である。なぜなら、人類は自然環境全てを理解てきているわけではないからだ。アインシュタインは{私は宇宙の真理の2%しか理解していない}という。それから数十年たった現在においても、自然環境を理解したつもりになり、科学という側面のみから対策を講じるというのは傲慢である。人類は環境問題を目の当たりにし、環境へのさまざまな対策を行ってきた。小手先の分析を試み、副作用だらけの対策を行い、結局さらに環境を破壊しうる。たとえば~」 の例えばの具体例が思いつきません(なんだそれ) 内容は「環境保全のために科学からの視点から対策を行ったが、逆効果だった」という例はないですか? また、GMフードの反論に、 「科学的に環境、人体を破壊することは絶対ない、と証明されながら、数年後、大きな被害を与えてしまった」 という例も思いつかれたら教えてください。お願いします。

  • 思想や哲学の優劣

    思想や哲学って、歴史もあり、昔から様々な学者・知識人が研究や議論をしていますが、 思想や哲学というのは、自然科学の様に発展するものなのでしょうか? また、現実には、現代の思想や哲学が一番発展しているのでしょうか?

  • 自然を大切にする意識を高めるためには?

     環境問題が多く取り上げられているなか、自然破壊が進行しているのも事実です。そんな中私たちは自然を大切にすることが、これから生活していく中でとても重要であると思います。自然を大切にする意識を高めるためには私たち各自はどうすればいいのでしょうか?

  • 自然保護 それを行う理由は何ですか?

    自然保護という考えが出てきたのはそう遠くない最近ですよね? それは人間の環境破壊による影響が技術の発展とともに科学的に証明され、 そしてそれらの影響が将来的に人間に多大な影響を及ぼす、 もしくは既に取り返しのつかないことを行ってしまったからだと思います。 ただ、何故そこまで自然保護に執着するのでしょうか? 先に書いておきますが、私は自然保護には賛成です。 自然は保全よりは保護するべきだと思いますし、 その結果人間が滅んでもしょうがないとは思います。 しかし、現在の快適な環境も捨てたくはないです。 電気を使わない生活も水道水が普通に飲める生活も捨てたくはないです。 私の生活のために環境破壊が進んでいると言われても今の生活は捨てられません。 問題に戻りますが、例えば日本で絶滅した動物としてトキがいます。 日本のトキが死んだことをさも大きな問題のように言いますが、 一体何が問題なのでしょうか? 私たちの生活の中でトキが絶滅したかたと言って困ったことは何一つありません。 例のように、私たちは自然保護と口にはしても、 自然保護を行うことにどんな意味があるのか。 それに対して明確な答えを私は出せません。 自然が減っていくことは悲しいと感じるとともに、 自然が減らないと維持できない私たちの生活は捨てられない。 このジレンマを解決する方法、考えはないのでしょうか?

  • 学問の頂点に位置する哲学の役割

    私は大学の物理学の教授から 『学問の頂点に立つのは哲学だ。哲学の発展なくして自然科学、物理学は現在に存在し得ない。』 と教わってきました。 私もアリストテレスの時代のエーテルや4元素説から、ロックの経験主義、ルソーの啓蒙思想などを経て、哲学の発展と共に自然科学が発展していたものと思っています。 もちろん時代を間違えた有能な科学者が日の目を見ることなく没することも多々ありましたが… 常に時代や科学の指針付けを行ってきたのが哲学だと考えています。 そして現在、自然科学では生命倫理、特許権争い、捏造、従来の定義での問題性(例えば心理学は科学か否か)など様々な問題が起きています。 今一度、哲学が自然科学の指針を導く重要な転機だと思います。 そこで 現代における哲学の自然科学における役割とはなんですか? また現代科学の問題点にメスを入れるようなことは現在していますか?

  • 環境問題の今後の回復

    今温暖化やオゾン層の破壊など多くの環境問題がありますが、この先科学の進歩によって地球の温度が元に戻ったり、オゾン層が元に戻ったりすることは可能でしょうか?自分は元通りにするのは、困難で、温暖化や破壊のスピードを遅くするのが精一杯思います。もちろんあきらめるわけにはいきませんが、実際『環境問題』という問題がなくなる日は来るでしょうか? ご意見宜しくお願いします