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アパルトヘイト撤廃の是非について
次回のワールドカップが南アフリカで開催されるということで、昨今南アフリカが日本でも注目を集めていますが、同時に同国の治安についても多くの人が不安を感じております。私の認識では同国の治安がここまで悪化した原因はアパルトヘイト撤廃後に貧困層の大多数を占める黒人が都市部に流入し、それにより、結果として犯罪行為等が多く起こるようになり現在に至っていると考えております。 そこで皆様にご質問があります。アパルトヘイト撤廃は正しい政策だったのでしょうか?誤解して欲しくないのですが、私は決して人種差別主義者ではありません。人種、性別など生まれもった属性により人を国家が差別するなどということは到底許されるべきことではありません。 ただ、長年差別され満足な教育を受けることができず、貧困に喘でいた黒人層を下準備もなく形式的な自由、平等、権利を与えても現在のような混乱を招くだけであり、アパルトヘイトを撤廃する前に順を追って不平等な状況を改善するべきだったのではないでしょうか。 忌憚ない意見をお願いいたします。
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逆説的ですが、社会的格差を根絶させるためには、その格差に起因する諸問題の存在が不可欠です。 まさにアパルトヘイトが、表面上は人種差別政策でなく人種「隔離」政策であったというのは、その問題を生じさせないことを政策目的としていたことを物語っており、その基本理念は「格差の安定的維持」であるわけです。 確かに革命的事態による混乱というものの弊害を考えると、格差が段階的に解消されるまで完全撤廃をしない、という手段には妥当性があるのですが、制度を運用する側の利益を段階的に減ずるという前提において、この方法では格差解消に向かうモチベーションが希薄となり、おそらく計画的な移行を大きく妨げたことでしょう。またその停滞により生じる内外の軋轢が治安のみでなく政治的不安定として国家運営に悪影響をもたらしたであろうことは十分に推測し得ます。 構造的な観点で言い換えると、人種階層的な利害対立について根本的解決に至るためのプロセスの決定権を利害当事者の一翼が多く担っているような状態では、その達成は力学的にも非常に困難であり、それが長期化することのデメリットは計り知れないのです。 社会の変化が往々にしてドラスティックなものになることは、長期的に見たリスクの総和においてむしろ有利であるという、いわばカタストロフィーのようなモデルの証左であるのかもしれません。 以上は机上の空論なのですが、故事にも「聖人虎変、君子豹変」などといい、政治的決断において悪しき慣習は速やかに革めることこそが、民衆の情実のバランスによって大きく動く政治というものについての、実に経験則的な教訓なのではと私は考えます。 またその情実的な一面から言えば、隔離政策を10年間暫定実施するとすれば、あと10年の余命の者は生涯において被差別のまま、そのとき生まれた子供も10歳までは被差別のうちに育つこととなり、それを未必の混乱回避を理由に納得させるのは非常に困難です。 まずは全てを平等に、そしてそれから生じる混乱は全ての階層が等しく責任を持って解決方法を模索する、というのが近代民主主義の基本理念にも適っているのではないでしょうか。
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- black217
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難しい問題ですが、基本的に「順を追って改善」というのは不可能だと思います。 まず、その論理はアパルトヘイト擁護者のものにきわめて近いということです。段階的な改善と言いながら少しずつ骨抜きにしていく。日本の行政改革で官僚たちが使う論理がそれです。 これに対して急進的な改善を求めるのは、当然のことながらそれまでの被抑圧者たちです。そもそもアパルトヘイトが撤廃されたのは、国際的な圧力だけでなく、国内の反対運動を抑え切れなかったという側面があります。その果実として勝ち得た権利を誰がガマンするというのでしょうか。 「私は成人だけど、まだ教育が足りないからしばらく選挙権はいらないわ」「僕は成人だけど、思慮分別が足りなくてこれまで警察沙汰になったことがたくさんあるから、今後しばらくは警察に不法逮捕されても仕方ないや」と言うのでしょうか。 その逆に、白人たちは闘争に敗れて権力を奪い取られた者たちです。残念ながら段階的な権力委譲をできるだけのパワーはありません。そのようなことを画策すれば、権力保持のための謀略だと言われるのがオチですし、それをはね返す力もないでしょう。 それでも現実を見てみれば、白人政権から黒人政権に移る前に両者による合同統治(1994年マンデラ大統領とデクラーク副大統領)の時代があり、段階的権力委譲の努力がうかがわれます。 現代の南アフリカの混乱は変化の途上だと思います。 日本の戦後も混乱はあったし、南北戦争後のアメリカ合衆国南部州でも大きな混乱がありました。 目先の犯罪抑制なども大切だけど、地道な国民教育が将来的な社会安定をつくるという意識をどれだけ持てるか、どこの途上国でもいわれることですが、それが要でしょう。
- eroero1919
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忌憚ない意見をとのことですので。 >アパルトヘイトを撤廃する前に順を追って不平等な状況を改善するべき #3さんも指摘していますが、そんなに都合よくコトが進むでしょうか。そもそも、もし順を追って状況を改善しようとするならば、当然あちこちから反発を喰らいます。黒人側からは、ちっとも状況が改善しない(目に見えて改革が進むわけではないから)と突き上げられ、白人側からはどんどん白人の立場が悪くなると反発されるわけです。 歴史を見ると、非常に頭が良い権力者は穏健な改革を行おうとしますが、得てして誰も満足できずに世間の恨みを買って失脚してしまいます。例えば、ソ連のペレストロイカがそうですね。社会主義を穏健に改革しようとしましたが、かえって国内は混乱してしまいました。実は日本の宮沢首相もそうでした。「ハードランディングなら誰でもできる」と日本の構造改革をゆるやかに進めようとしましたが、結局「何もしないのはもっと誰でもできる」といわれて細川連立政権を誕生させてしまいました。幕末の江戸幕府も、大政奉還して徳川家を大名家のひとつとすることで穏やかに新幕府への政権移行を行おうとしましたが、結局戊辰戦争となってしまいました。 フランス革命も、当初は王家追放までは誰も考えていませんでした。王家を象徴的な存在とし、その下に人民による政府を作ろうとしたのです。しかし、結局はルイ16世は断頭台送りになってしまいました。改革は、必ず先鋭化するんです。小泉改革しかり、かつての学生運動しかり。
- uvkki
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東京から大阪に行く場合、最短ルートは富士山のちょっと北側を通るのが最短です。 東海道や中山道はそんなところを通ってないし、新幹線のそんなところを通っていません。 江戸時代には航空写真があるわけではないので仕方がないけど、 新幹線を敷いた技術者は間抜けだったのか?そうではないですね。 アパルトヘイトを撤廃する前に順を追って不平等な状況を改善するべきかというなら、 アパルトヘイトを撤廃する前に順を追って不平等な状況を改善することができるのかということです。 ちょっと似たようなことは日本にもありました。2年前小沢さんは自民と大連立して与党を経験した後政権交代をしようとしました。 でもそういう常識的というか穏健なことになる確率は低く、過激な結果になることの方が多いです。 確か黒人がいきなり革命を起こしたわけではなく、共同でノーベル賞をもらった黒人と白人の政治家が政権以降をしたはずですが、それでも現在の状況です。 さらにうまくやれと言うのはかなり無理があります。 どんなに高尚なべき論もできなければ絵に描いた餅です。
撤廃後15年経過しており、以前よりは落ち着いてきているようですが、それでもエイズやら殺人やら蔓延して世界一治安が良くないようですね。クライムキャピトル、なんて言われているようです。 しかし、治安が悪いと言いながら、一方で、日産自動車の工場なども進出してるし、豊富な天然資源もあるのだから、アパルトヘイト闘争を主導したとされる現与党による政治が全くもって良くないのでしょう。イラクと同じで体制が変化すれば混沌が生じて当然。戦後の日本のように、憲法制定や治安体制に関しては、国際社会が仲介する必要があったのでは。
- potachie
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ご質問の内容は、アメリカの奴隷解放でも、同様の話があったようですね。 所有物には、最低限生存するだけのものが与えられますし、モノには愛着が湧きますから、よりよい境遇になるでしょう。 対して、労働者には、最低限生存できるだけのものが与えられないこともままありますし、そのために主人が起きている間だけ働いていた奴隷よりも長時間労働になるでしょう。 そして、年取って働けなくなった奴隷は、使い古して愛着のある大切なモノ、であるのに対して、年寄りの労働者は「定年」という名で解雇される存在です。 人は人として死ぬべき存在かどうか、答はこの点にあるのだと思います。