• 締切済み
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:愛する人が他界するとき)

愛する人が他界するとき

このQ&Aのポイント
  • 愛する人が他界することについての向き合い方とは?
  • 自分自身の心境について考える
  • 死と向き合い、生きる意味を見つける

みんなの回答

noname#189246
noname#189246
回答No.7

 愛する人を失うことを悲しむのは、その人に対する愛情からではなく、自分勝手な思いから来るのです。実際には死後の人はその多くが苦しみから解放されて明るい気持ちになっていくし、そうなるように配慮することが現世の人間の務めです。  しかし、人間は無知だからやみくもに悲しんで、霊が明るい世界に昇ろうとする足を引っ張るのです。霊にとってそれは有難迷惑な思念なのです。  まず、死は苦しみではない、むしろ苦しみからの解放という喜びであるということを知る事です。そして、自己中心的な思いにより生活するのをやめて、常に人の実際の心を想定して生活することに努める事です。

回答No.6

私自身はむしろ、愛する人間の死(他界)を経てこそ、人は一人前になるのだと思います。 友人知人や恩師の死、また祖父母の死。そのあたりまでは単に「近しい人の死」です。さらにその後、親の死(大抵は介護の年月を経たうえ)や親友の死(同年代であるだけ強烈です)、さらには配偶者の死(これはほとんど自身の死でもあります)を経て初めて、人は自分というものを、また命の意味を、生きるということの重みと深みを、知るのではないでしょうか。 死を知らないでは、本当に生きているとはいえない・・・とまで極言しても、あながち過言ではないと思うのです。 死すべき運命にある私たちは、すべからく「朽ちていく蛋白質のかたまり」に過ぎません(先年亡くなった親友の言葉です)。その事実を身をもって体験してこそ、わが身を、また自分にとって大切な他者を、愛し慈しむことができるのではないでしょうか。

回答No.5

死を恐れて生きる。 今だ考えもしませんでした。 もういいんじゃ無いですか? 人生50年・・・もっと昔の平均寿命は40歳半ば。 70年も80年も生きて 悪い所が有れば切って貼って簡単に直り、血管が詰まれば太くして・・・ 医学の進歩で生きているのではなく生かされている。 そんな中で何を俗世間に臨みますか? 地獄があるなら行っても見たい。 そんな考えの私は異常なのかな??? もちろん身内の死は悲しいです。 《天命を全うすれば悔いはなし》

noname#194289
noname#194289
回答No.4

自分が生きている限りその人も生きていると考えられないでしょうか。でもよくよく考えてみれば、自分の頭の中にいるその人は生きているときから死んでいます。

noname#94456
noname#94456
回答No.3

確かに生きているうちから心の準備はイヤのものですが,人間必ず他界します。この時に満足な事をして上げられなかったら,かえって惨めな思いをします。 その人それぞれだから何も明るく生きなくてもいいです。自分に悔いのない人生を送ってください。

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2728/12284)
回答No.2

昨年、父が亡くなりました。早朝に病院へ搬送され、夕方に息を引き取りました。七十も半ばでしたが非常に元気だったので悲しいよりか呆気にとられた感が強かったです。 もうすぐ一年になりますが、落ち着いた今になっても大きな悲しみに襲われる事はありません。家族も同様です。 これは総合的にみて、亡くなった本人も残された家族も悔いのない人生(生活)ができたからだと考えています。 家族それぞれ感じ方も違うので何が正解、という言動はないのですが、自分の場合はお互い思いやりをもって、ごく普通に毎日生きていたからそう思えたと感じます。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20266/40177)
回答No.1

勿論残された人はとても辛い気持ちを抱えて、現実を受け止めきれずに悲しみを抱く事はある。 でも一番辛いのは心ならずも次の世界に逝かざるを得ないその方本人なんですよ。愛する人が逝く。現実に残った人はそれを悲しむ。 でも逝ってしまったその人も、現世で愛せなくなってしまった事を悲しんでいるんです。それはお互い様なんですよ。 だからこそ、勿論簡単には受け止められなくても、最期は安心して旅立てるようにおくってあげる。おくる側の命にもまた限りがあるんです。 いずれ合流する。命が絶えてしまった事も一つの意味なら、残さた事もまた一つの意味なんです。自分なりに悔いなく生まれてきた事に感謝しつつ、自分なりの人生を全うする。そのプロセスの中に死の影をちらつかせる必要は無いんです。それはいつかやってくるもの。万人にね。 もし死というものを考えるなら、それは逆に生の特別さ、尊さにつなげていく。生きてる事自体が特別なんですよ。 その特別な状態を与えられたからこそ、今がある。 生きてる事が特別なら、それ自体が明るい生なんです。 その生き方はその人次第。どういう形でも良い。 自分なりに与えられた中で良いなと思える人生を歩んでいけば。 死の辛さだけで自分を持ち崩さずに、生の尊さ、特別さをしっかり受け止めて、これからの1日1日をボンヤリ過ごさずに、貴方なりに命を燃やしていってください☆

関連するQ&A