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メディアが使う言葉には
メディアが使う言葉には何故か「手垢のついた言葉」「紋切り型」表現が多く見られますね。 これは、締切りに追われて記者が多忙だからでしょうかね?
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メディアの人ではありませんが,むかしメディアの研究をちょっとしていたこともありますので,やや詳しく回答したいと思います。 どうも批判的な回答が多いようですが,私は少し違ったスタンスから書きます。 まず,clementiaさんがお考えの「紋切り型」表現とは,具体的にどんな言い回しのことでしょうか? メディア経験者の多くの方が「避けろ」と言っているのは,たとえばこんな表現だと思います。 「(容疑者は)カツ丼をぺろりと平らげた」←昔はよく社会面で使われましたが,最近はめったに見なくなりました。 「成り行きが注目されます」←俗に「ナリチュウ」などと呼ばれ,「紋切り型」「クリシェ」の筆頭のようにいわれます。 「複雑な表情をしていました」 これらには,その言い回しを使うことでそれ以上突っ込んで考えなくなってしまうとか,見てもいないことを見たかのように伝える,という特徴があるように思います。 つまり,「無難な表現で逃げている」ということでしょう。 ある容疑者が,逮捕当日は一食抜いたのに,あとで新聞を見たら「ぺろりと平らげた」ことになっていた,という話を読んだことがあります。 また,ナリチューでお茶を濁さずに,どう注目されるのか具体的に言ったほうがいいでしょうし,「複雑な表情」も具体的にどんな表情をしていたか記述するなり,それが分からなければあえて表情には触れないなり,もっと良い方法が取れそうです。 そういった,具体的で適確な記事を書くには,きちんと取材をしなくてはなりません。 たとえば,裁判で「傍聴席の家族は複雑な表情をしていた」のかわりに,判決の前や後で家族に直接会って取材することになったりするでしょう。 そういう意味では,clementiaさんのおっしゃる通り,「締切りにおわれて多忙」だと,つい紋切り型の表現に流れがちなので,多くのマスコミ人がそれをいさめている,と言えます。 これに対して,既出の回答者の方々が挙げられた例は,これらとは少し違うように思います。 「語彙が足りない」「工夫が足りない」のではなく,「決まった言い方」として半ば固定されているから,そのまま使っているのではないでしょうか。 それを毎回言い回しを変えられたのでは,読者や視聴者は混乱するばかりです。 そのような意味で,私はtakntさんや,spolonさんの友人の意見に同感です。 ワールドカップのときに「死のF組」という言い方が飛び交っていて,これを「ボキャブラリーが貧困」と評されていましたが,じゃあ何といえばいいのでしょうか。 私もふだんそんなにサッカー記事を見るわけではないのですが,昔からサッカーファンの間で,強豪ぞろいで激闘が予想されるグループを「死の○○」という言い方があって,それをあてはめただけではないでしょうか。 それとも,記事を書くたびに,毎回言い回しを変えて,今日は「死のF組」,明日は「地獄のF組」,明後日は「激突のF組」などと,グループの厳しさを表す修飾語に気を配るべきだとおっしゃるのでしょうか。 私なら,そんなことをされたのでは,かえって不自然に感じられます。 「死のF組」は一種のニックネームのようなものでしょう。 まして,貴公子とか白い巨人などは,まさにニックネームそのものですね。 ニックネームが毎朝毎晩変わったほうが,「語彙の豊富な報道」になるんですか? もし >カッコよさそうな言葉を口にしたいだけのように思いました。 >もしくは、ボキャブラリーが貧困である。 という批判をするのであれば,それをマスコミに向けるのはお門違いというものです。 サッカーファンが昔から現にそういう呼び方をしつづけているわけだから,サッカーファンに向かって言うべきでしょう。(私は別にニックネームをコロコロ変えるべきだとは思っていませんので,念のため) 「視聴者をナメた考え方だ」というのであれば,私はナメられる視聴者で結構です。妙に凝った言い回しは他のところでいくらでも使えるでしょう。 凝った言い方は,週刊誌の記事や,ノンフィクションライターや,小説家にゆっくり考えてもらえばいいと思います。 「フセイン政権完全崩壊」,明快でいいじゃないですか。これのどこがいけないんでしょうか。 もしいけないのなら,どういう見出しならいいのでしょうか? 文句を言うのなら対案を示さなくっちゃ。 でも,新聞が政権崩壊を伝える第一報の見出しに,もしいきなり週刊誌にあるような文学的な表現を使っても,とまどってしまうでしょう。 週刊誌がいろいろと凝った見出しをつけても,読者に通じるのは,テレビや新聞などで,とりあえず第一報を知っているからだと思います。 「悪の枢軸」に至っては何をか言わんやです。(←強いて言えば「何をか言わんや」なんて言い回しは「紋切り型」と言っていいかもしれない) 確かに普通の会話では使わないかもしれませんが,そんなことを言ったら,新聞のどのページを見たって,「普通の会話では使わない言葉」ってたくさん出ていませんか? そういうのを一々言い換えろということでしょうか。 「悪の枢軸」(evil of axis)はブッシュ大統領が演説の中で使った言葉で,ある意味では「用語として決まっている」といっていいでしょう。 それまでは,米国が敵視する国家は「ならずもの国家」(rogue states)と呼ばれていましたが,クリントン政権時代にいったん引っ込めたのを,ブッシュ政権になって「悪の枢軸」として呼び直したわけです。 第2次大戦の時の「枢軸国」(日本・ドイツ・イタリアのことです。念のため)を連想させる言葉を使うことで,「全世界の敵」というニュアンスを感じさせようとした,という話です。 いくらボキャブラリーがあっても,「悪の枢軸」をニュースの中で別の言葉に言い換えるわけにはいかないでしょう。 もし言い換えてしまうと,メディア側が勝手に言い換えたのか,それともアメリカの外交政策に何らかの変化があったのか,わからなくなってしまい,視聴者がいたずらに混乱するばかりでしょう。 英語の文章では,あまり同じ単語を繰り返して使うと,教養がないとみなされることがあるよ,という話を聞いたことがあると思います。 そのため,同義語・類義語を集めた辞典であるシソーラス(thesaurus)が数多く出版されていて,味わい豊かな文章を書く時に役立ちます。 これは英字新聞の記事などでも同様で,たとえば「京都市に○○ができた」というような記事があったとすると,最初の文では「○○が○曜日に京都市郊外にオープンした」みたいに書いてあって,次の文では「関西地方の歴史のある街に,こういう施設ができたわけである」,その次の文では「この人口○○万人の都市では…」のように,「京都市」を指す他の表現でつないだりします。 しかし,「悪の枢軸」はつねに「悪の枢軸」です。場合によっては,たとえばクリントン政権などと政策の比較をするような時は,「悪の枢軸」をさして「ブッシュ版のならずもの国家」などと呼ぶこともあるかもしれませんが,イラク戦争を伝える記事の中では基本的に「悪の枢軸」のままです。混乱するからです。 「大量破壊兵器」も,イラク戦争に至る一連の流れの中できちんと意味を持った外交上のキーワードになっていますので,勝手に変えるわけにはいきません。 同じ言葉が出てきたというだけで「語彙が貧困」と決めつける発想はいかがなものでしょうか。 繰り返す必然性のある言葉というものもたくさんあるのです。 (もっとも,私の文章も同じ言葉がちょくちょく出てきますが,私の語彙は貧困だというのはよく言われることですし,私も同意せざるをえませんので,これについては反論しません。) また,ニュースの言葉にあまり文学的な表現が出てこないのは,別の理由もあると思います。 昔の新聞記事は,もっと情緒的でした。特に戦前に甚だしいのですが,心中の記事など,まるで講談か何かのように,「お涙ちょうだい」的なトーンで書かれていたりしました。 また,戦後になっても犯罪事件の記事は,いかに犯人が極悪非道であるかをこれでもかと書きたてるというスタイルが,1980年代なかばごろまで続いていました。 ところが,これが往々にして問題になりました。 つまり,記事を書く時点ではまだわかっていないこともたくさんある。極端な場合,容疑者が実は全くの無罪で,真犯人は別にいた,なんてケースもあります(松本サリン事件なんかそうでしたね)し,死刑判決がひっくりかえって無罪になったこともあります。 しかし,あまり凝った表現,文学的な記述を目指そうとすると,どうしても立ち入った描写や主観的な記事になりがちで,内容が正しいか,人権を侵害していないか,といったことは二の次にされがちです。 そういった反省から,「カツ丼をぺろり」とは逆の意味で,「無理して目新しい表現を追い求めることはしない」ようになったのではないでしょうか。 週刊誌の場合は,新聞やテレビ・ラジオのニュースよりも多少は取材する時間があるということもあって,ある程度は突っ込んだ記述が可能になっているのだと思います。 というわけで,No.1のお礼に >一般人はということなのですね。 とありますが,これが「メディア経験者は同じ表現を避けろと言っているけれど,現役の記者は,それはプロの記者にしか通じない考えだとみなして,一般人のことを思い,わざと紋切り型の表現を使っている」という理解だとしたら,それは違うと思います。 紋切り型を避けるのは,読者が素人だからとか,No.2の言い方を借りれば「視聴者をなめている」からだとか,そういうわけではありません。 「複雑な表情」を避けて具体的に描写するのも,「悪の枢軸」を「悪の枢軸」のまま繰り返すのも,その背後にある目的は,「事実を的確に読者・視聴者に伝える」という同一のものです。 (長々とすみませんでした。通じるかなあ。)
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- fushigichan
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clementiaさん、こんにちは。 >メディアが使う言葉には何故か「手垢のついた言葉」「紋切り型」表現が多く見られますね。 本当に、そうですね~。 私は今、イラク戦争に興味を持って、毎日新聞を見ていますが どの新聞も、似たような見出しですもんね。 「フセイン政権完全崩壊」とか ブッシュ大統領が、イラクなどの国を「悪の枢軸」とか言っていましたが 「悪の枢軸」って、普通の会話では使わないですよね・・(笑) 大量破壊兵器とかもそうですよね。 ああいうのは、もう用語として決まっているんでしょうか。 阪神が活躍すれば、猛虎仙風になっちゃうし(笑) 松井が活躍すれば、ゴジラにかけて、GOOD ZILLA!! とか書かれていましたね~。 あと、世界新を出せば「世界最速」とか。 短い単語で、みんながおおっと思うような納得できる言葉って 決まっているんでしょうかね・・・
お礼
ありがとうございました。 メディアの人が回答してくださるといいのですけれど、どなたかおりませんかしらね。
わたしも同じような疑問を抱いていました。 作家であれば、他人のシャープな比喩とかうまい形容をぱくる、なんてことはとてもじゃないけどできないことですが(沽券にかかわるし、したいとも思わない)、メディアの人は違うように見えますね。 昨年のサッカーワールドカップの際は、毎日のようにメディアで手垢のついた表現が飛び交ってましたね。 ・赤い悪魔ベルギー ・死のF組 ・白い巨人ロシア ・王子トッティ ・貴公子ベッカム などなど。キャスターが使いまくっていました。 わたしもこの話を友人にしたら、「同じ表現を繰り返した方が視聴者が分かり易いから」と言われたのですが、「白い巨人ロシア」って言われても、なにがどう分かり易い?という気がします。いわんや「王子トッティ」をや。 単にメディアの人が、カッコよさそうな言葉を口にしたいだけのように思いました。もしくは、ボキャブラリーが貧困である。 本当に「視聴者に分かり易く」という理由なら、それはそれで視聴者をナメた考え方だなぁと思います。
お礼
ありがとうございました。 新聞は中学生レヴェルに理解されるように書かれるのが基準のようで、それはいいのですが…… 結構白々しいところがありますね。 「それなら読んだり見たりしなければいいじゃないか」と息子たちに言われてしまいました。
- taknt
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メディアは、なるべく誤解がなく正しく伝わることを 念頭に入れて、語句を選んでます。 手垢のついた言葉のほうが、受け取り側が、誤解しにくくていいからでしょうね。
お礼
ありがとうございました。 メディアに籍を置いていたか置いている多くの著者が避けろ!と主張しているのですけれど……一般人はということなのですね。
お礼
ありがとうございました。 多岐なアプローチによる濃密な内容でございました。感謝しております。 日頃、スポーツ紙の言葉、特に漢字の使い方は巧みだと思っています。 週刊誌は「~の真相」という中吊り広告に誘われて購入し少しも真相が書かれていないことに絶望したという体験をムカ~シにしましたので現在は読んでおりませんが、見だしというかコピーの言葉の使い方はいつも鮮烈だと思います。 普段、「みんな言ってるよ」って全員かい? 誰と誰と誰が言っているのか名前を挙げてみな? と類いのことを言っている私の、質問の仕方が「みんな言ってるよ」式になりキチンと層別して書くべきだったと思っています。