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日本では、なぜ裁判のような重要な判断では、物事を確定的に断定するような言い方を避ける傾向があるのでしょうか。

 日本語を勉強中の中国人です。法律関連の文章を訳しています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5167586.html  上記の質問でいただいたネイティブの方のご意見についてお尋ねします。 1.また日本では、特に裁判のような重要な判断では、物事を確定的に断定するような言い方を避ける傾向があるので、「と言える」「とは言えない」と間接的な言い方をすることが多いです。 2.「根拠に欠ける」も裁判でよく使われる言葉です。「根拠がない」とほとんど同じ意味ですが、「ない」は断定する言葉なので避けられる傾向があります。  日本では、なぜ裁判のような重要な判断では、物事を確定的に断定するような言い方を避ける傾向があるのでしょうか。法律には権威を持っています。確定した言い方をしたほうが法律の地位を守ることができるのではないでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

これは2つの側面から見ると良いでしょう。 1、 様々なシチュエーションで、 「である」という断定よりも、「と言える」「とは言えない」と間接的な言い方をすることが多々あるのは事実です。 これは、ある側面から見れば、 『断定を避けることによって自らの責任を逃れようとする曖昧で卑怯な表現である』 という見方が可能です。 (無意識的にですが)こういった目的で、 「と言える」「とは言えない」 「と思われる」 などといった表現が使われるケースもたしかにあるでしょう。 2. もうひとつの問題として、 「>物事を確定的に断定する」ことができるケースというのは、そう多くない。 という事実があります。 「完全なる善(正)」「完全なる悪(邪)」というものは、果たして存在するだろうか、ということにもつながるかもしれません。 「である」というのは確かに断定ではありますが、所詮は人間一個人の判断にすぎません。 「絶対的な真理として断言できるか」と問われれば、いくら裁判所であっても、「絶対間違いない」とは断言できないでしょう。 それで、【裁判所として判断した結果、~と言える】のように表現するのが、最も適切な(=真理に近い)表現である、ということになるのでしょうね。  

1mizuumi
質問者

お礼

 ご親切に回答していただき誠にありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • Ishiwara
  • ベストアンサー率24% (462/1914)
回答No.4

たいへん重要なご指摘です。法律家は、あまりにも、そのような論理を使いたがります。しかし、彼らを代弁するならば、次のような事情があると思います。 対立する相手方が「Aは真である」と主張したとします。こちら側は「Aが偽である」ことを証明できればベストなのですが、それよりも、相手が<Aが真である>と主張する論理の運びの中に瑕疵(かし)があることを指摘できるならば、一般にはそのほうがラクであり、相手に立証責任がある場合には、十分に有効です。 つまり「Aが真(偽)である」とは断定できなくても「Aが偽(真)であるとは言えない」という主張は、十分に意味があることになります。 しかし、一般的な国民感情としては、刑事裁判で被告人に有利な状況証拠がたくさんある場合、それらを1つずつ取り上げて、「この証拠をもって被告人が無実だとは言えない」と潰していくやり方は、どうにも納得できないものがあります。 これは「立証責任」の履き違えからくるものです。刑事事件では、被告人が犯人であるということを証明する責任が検察官にあります。ところが、いつのまにか「無実であることを証明する責任が被告人にある」かのような「すりかえ」が行われます。冤罪(例えば痴漢冤罪)とされる事件の記録の中には、きっとこのような論理の誤りが見られます。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。ちょっと難しい説明になっています。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

#1 の言われる通り, 「物事を確定的に断定する」ことが難しいから, でしょう. 裁判は実は「真実を見出す場」ではありません. 「どちらがより確からしいか」を判断する場です. ですから, 「断定する」必要はないし要求もされていません.

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答をいただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

回答No.2

 法学を専攻し、法律書や判決文なども、必要な限り読みました。  ことばということ、そして心性や心の構造、更に日本語にも少なからず関心を寄せてきております。    判決文は仰せの特徴があります。ジャーナルや文人の文章とは少し違いますね。  どうしてこういう文体をとるのか。これは大きくて深い研究テーマとなるでしょうね。  多くの方が断片的に解説はしていますが、仰せの側面を直接に取り上げている方はまだ出会っていません。  一つは攻め込まれないような(そういう側面を持たないように)防備。  つまり用心でしょうね。  判決文としての、形とリズム。  判決者(組織・機関)としても立場からの文体体裁。  判決者(具体的個人)としての心理プロセス。  それと、そういう習慣になっている。言い方をする事になっているということではないですか。  慣れると、歌、歌詞のようなものですよ。日本語ではね。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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