• ベストアンサー

「国民目線」と「官僚目線」の、曖昧な「選択肢」

民主党の、「国民の目線(=立場?)」という表現は、「国民全体の立場」と考がちなので、「国民全体(=約1億人)にとって、利益になる」という具合に聞こえますが、「国民全体の中に、資産家のグループや、貧乏人のグループが居る」わけですから、「国民の中の、資産家の立場」とか、「国民の中の、貧乏人の立場」という具合に、「明確に、区別した上で、どちら側の立場なのか?」をはっきりすべきだと思いますが、如何ですか? ついでに、「官僚の立場」という表現にも、「1人の官僚と、1億人の国民の立場」という具合に、「数の対応」を明確にして欲しいものです。というのは、「上から目線(=見下し型)」と「下から目線(=見上げ型)」という具合に、「優劣の課題として、あいまいなまま、選択肢に直結させようとする」傾向を感じるからです。「官僚目線(=見下し型)は、1人の担当官僚が、1億人の国民全体(=富裕層+貧困層)の立場の、それぞれの利益を考慮する」はずですが、「国民目線(=見上げ型)は、それぞれの個人・1人だけの利益」を考慮するわけだから、「優劣と選択の問題ではなく、必然的な、対応の、数の違い」で、「選択の課題ではない」ように感じますが、如何ですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#111050
noname#111050
回答No.1

立場は、比較でしか比べられないと思います。絶対的に、「国民の中の貧乏人の立場」というのは共産党かもしれませんが、大きい政党になれば、他の政党に比べてどうか、としか言えないのではないでしょうか。極論唱えれば、大政党にはなれません。文面後半は、よく理解できませんでしたが、官僚目線=1億人の国民全体の利益を考慮、というのが定義だとしたら、定義そのものが間違っていると思います。利権に走る天下り官僚が国民の利益を考えているとは思えませんので。

dsu323
質問者

お礼

「官僚目線」は、「1億人」を相手にする限り、「貧乏人」相手の「貧乏人の利益」や、「金持ち」相手などの「金持ちの利益」など、種々のレベルの「利益」を、「相対的に考える」必要がある、というイメージです。しかも、それぞれの「利害関係は、対立」する場合が多いので、「一方の立場を重視すると、他方の立場が不利になる」という関係が生じるはずです。「全ての立場のヒトの利益が上向く」ような方法は、なかなか見出せないので、例えば、「貧乏人の立場を重視」すれば、自ずから、「金持ちの立場が軽視」される、あるいは、その「逆の関係」が生じるというイメージです。 「官僚」が、「相対的に考えて、決断する(=国民全体の利益を考慮する)」場合に、必ず、「利益の平均化の調整」が行われるはずで、「調整の度合い」によって、「一方が得すれば、他方が損をする」という具合に、「利益の格差が大きくなる」はずです。この「格差を小さく出来る新しい方法」を、「経済学、あるいは、社会科学」で示せるのなら、「新政策」と言えるでしょう。 実際には難しいので、「官僚が行う調整の度合い」に、「変更を要求できるのが、政治家の仕事」になるはずです。その場合、「調整の立場を、金持ちサイドにシフトするか、貧乏人サイドにシフトするか」の、「どちら側の立場を、有利にするように、圧力をかけるか」というのが、「政治家の仕事(=立場)」だと解釈できます。従って、「政治家は、国民の、どの立場を代表するか」という、「立場(=政党)の色分け(=異なる立場を代表する、それぞれの政党に分かれる)」が、必然的に決まるはずです。「官僚」は、もちろん、「自分たちの利益」も考えるはずです。「官僚の利益」だけが優先され、「国民の利益」が無視されれば、その「不正(=不均衡)を、正すのは、政治家の役目」でしょう。「官僚と国民の関係」に対して、「政治家のかかわり方は、最低、2通り」あるわけで、「(1);政治化が、特別の立場のヒトの側に立つて、官僚の調整段階で圧力をかける」存在であることと、「(2);政治家が、国民の立場で、官僚と争う」のは、別問題として、切り離して考えるべきではないか、という指摘です。

その他の回答 (2)

  • kurotonbo
  • ベストアンサー率22% (11/50)
回答No.3

官僚目線というと、いかにも「個々の官僚の目線」という感じもしますが、むしろ「官僚組織目線」というべきでしょう。官僚組織(お役所)といおうのは、これまで自分達がしてきたことと違うことは云えない(出来ない)のです。もし、ある日突然今迄と違うことを云ったりしたら、「一体何故だ!」という非難・批判が巻き起こるでしょう。だから、官僚というのは従来の延長線上でしか物が云えない(仮に本人が時代に合わなくておかしいと思ったとしてもです)のです。これを転換(官僚組織にしてはコペルニクス的転換でしょうが)できるのは政治(政治家) だけです。政治家は官僚と違って選挙で選ばれ、国民の考えを身に沁みて分かっていますから(分かっていないアホだら2,3世議員は別として)、それに応えるべく議員として振舞うはずです。これを指して「国民目線」といっているのでしょう。したがって、金持ちとか貧乏人とかそれこそ1億人それぞれ個人の云っていることをどうこうというのでなく、自らを選んでくれた選挙民(選挙区で多数を占めている)の考えを踏まえる・尊重するということです。

dsu323
質問者

お礼

「異なる政党」を名乗る限り、「国民には、それぞれの立場があり、利害が対立するのが普通」なので、「どちら側の利益代表であるか」を明確にする必要があるのではないでしょうか?「2大政党」といえども、時代によって、「どちら側かに、多少は、シフトする」はずで、それによって、「国民にも、選択の余地がある」ことになるはずです。「官僚による、相対的な、利害調整」の段階で、「政治家や政党が、利害調整を、どちら側にシフトさせて、不公平にするか」ということがが目的で、「政治家の介入が行われる」はずで、「政治家の意図で、不公平にする内容が、国民の中の、多数の立場の要求側」というイメージです。「政治家が、国民に選ばれた存在」には違いないですが、「国民(=全体)の立場と言えば、利害が異なる立場が共存している状況が消えてしまう」でしょう。そこで、「政治家は、利害が対立する両方の立場の、何れか一方の立場の人々から、選ばれた存在である」ことを強調しておくべきでしょう。 「官僚の天下り」も、「国民の立場(=経済界など)によっては、歓迎する立場もある」わけで、やはり、「どの立場に立つ」という姿勢を明確にしない限り、「国民の立場(=プラス・マイナス・ゼロの立場)」だけを強調するのは、「政治家・政党の立場を明確にしないという意味で、あいまいに過ぎる」のではないか、という疑問なのですが。

  • kinuaki
  • ベストアンサー率16% (129/769)
回答No.2

官僚目線と国民目線という言い方は、国のお金の使い方での切り口で言われていると私は解釈しています。 官僚のリストラとか、天下り先へ大きな予算をつけているとか、そういう面には、メスを入れてない自民党と、政権交代したらメスを入れると言っている民主党という風に考えたら、ご理解いただけると思います。 民主党は、やると言っていますから、お手並み拝見でいいんじゃないですか? もう一回、言いますが、税金の無駄使いを徹底してなくしても足りない分を消費税でというストーリーだということです。 民主党にやらせて見て、できなければ、次は他の党にお願いすると考えたらいかがでしょう?

dsu323
質問者

お礼

私は、「民主党」支持でもなければ、「自民党」支持でもなく、いわゆる、「無党派」でしょう。政治に対する「特定の要望が、ない」ので、政党に参加する必要性を感じません。「政党」というのは、「支持を得るための、自らの立場を示す」ことが重要で、「立場の線引きによって、上側か、下側か、右側か、左側か」という、「立場を明確にした上で、必ず、どちらか一方の側に、自分たちの政党は、立つ」ことを示すはずです。それは、「社会生活の中で、それぞれのヒトが、種々の立場に立ち、お互いの利害関係が対立している」からです。それぞれが、「自分の立場に有利になるように、基準を線引きする」のが生存競争(=市場原理)ですから、必ず、「線引きの調整段階」が生じるはずです。結果的に、「線引きの調整段階に介入して、自分の支持者側に有利に線引きする」ことが、それぞれの支持政党の政治家の役割でしょう。 「自民党は、官僚の天下り」を、「推進する側に基準がある」のであって、「メスを入れない」のは消極的な支持になるはずです。現状の「民主党は、天下り」を「支持しない側に基準がある」と考えるべきで、「2大政党で、同じような構成」でも、わずかに、「民主党が、下側、あるいは、左側に基準がある」と考えられるので、その「僅かの線引きの差(=立場の違い)」を「選択肢にして、政党選択を、自民党から、民主党に、変えて見る」という局面が、「今回は民主党にやらせて見よう」というようなお考えに相当するように感じます。「金だけでなく、思想についても、あるいは、短期的、中期的、長期的な時間の尺度」でも、それぞれの「立場の利害が対立する」はずで、政治は最高に難しいと思います。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう