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世間とはどんなものだと感じてますか

いわゆる「世間」とはどんなものだと感じてますか 世間の目が・・、世間様に申し訳が立たない・・・、世間体が・・・ つながり、つきあいの薄い相手は世間のうちには入らないと思いますか? 世間とは血縁・親戚のつながりのことだと思いますか 赤の他人に世間面されたことはありますか 世間の目だからと、世間役を赤の他人に勝手に買って出られて困ったことはありますか 世間の目だからと正義感で制裁を与えるのは不要だと思いますか もう好きによそへ行ってほしいのに、あれこれ理由をつけて仕事を作られたり、世間の目を買って出たりはた迷惑だと思ったことはありますか 日々思う、世間というものや、違和感はありませんか

みんなの回答

  • raison777
  • ベストアンサー率15% (4/26)
回答No.2

世間ってよくわからないものですよね。 でも確実に存在しますよね。 「世間とは何か」 という素晴らしい本がありますよ。読んでみてはいかがですか。 世間って実体はないのにかなりの手ごたえがありますね。 勝手な噂なんかがそれじゃないでしょうか。 「私は世間という者ですが」なんて来る人はいないと思いますよ。それどころかみんな「世間体なんて」とか言いますね。その癖一方では自分も世間に加担して世間を形成しているのです。 不可解ですね。 世間はいつだって冷たいし融通利かないですしね。人間の本質なんですかね。とにかく本を読むことをオススメします。

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  • heinell
  • ベストアンサー率35% (420/1172)
回答No.1

>つながり、つきあいの薄い相手は世間のうちには入らないと思いますか? 真逆でしょう。 つきあいの薄い人ほど「世間」です。 人は、自分が正常な状態であると認識するために、正常じゃない存在を認識したがります。 正常じゃない人が居るからこそ、自分たちが正常であると安心できる。 むしろ正常じゃない人が居なければ、自分たちの正当性を認識できないとすら言えます。 そのため、半ば病的・狂信的と言える程のセンサーで「正常じゃない人」を探します。 ぶっちゃけ。「魔女狩り」そのものなんですが。 あれは人の「自分が正常であると認識したい故、自分以外の正常じゃない人を認識したい」という欲求がエスカレートしただけの現象。 現在は「さすがに殺しちゃまずいだろ」という程度には冷静ですが、欲求自体は全く衰えてないという所でしょうか。

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