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日清戦争についてこの論文を評価してください。
日清戦争に関する論文を作成いたしました。 過程の誤りや、付け加えるべきポイントなど、その他日清戦争で重要だと思われるポイントなどございましたら、ご指摘下さいませ。 長文になりますが、宜しくお願いします。 日清戦争は、日本の産業発達に伴い、朝鮮国に市場を求めたことがきっかけであった。朝鮮国は日本における本国の支配を恐れ、この要求を拒否した。明治政府は朝鮮との国交回復のために、まず朝鮮の宗主国である清と対等の国交条約を結び、これを利用して朝鮮との交渉するという方針をたてた。1871年9月に李鴻章との間で、日清修好条規を締結。(この条約は日清戦争をきっかけに失効した。) しかし、朝鮮との国交交渉が進展しなかったため、武力による開国を迫る征韓論が台頭した。だが、交渉は行き詰まり、征韓論派の板垣退助・西郷隆盛らが辞職し、これ以降大久保利通らが政治の実権を握ることになった。征韓論派の大久保主導のもと1874年、台湾蕃地事務長官に大隈重信を任命し出兵準備をさせた。日本軍は台湾南部の事件発生地域を占領し、先住民の村を焼き払うなどし、日本側の戦死者は12名であったが、年末までの駐兵でマラリアなどによる病死者が500名を超える事態となった。清側は直ちに講義し撤兵を要求。明治政府は交渉決裂の場合の清との開戦も決した。大久保が全権大使として北京で交渉し、難航の末イギリスの仲介もあり清は日本の出兵を義挙と認め50万両の賠償をすることで決着。江華島事件(3日間の発砲事件)をきっかけとし、1876年2月日朝修好条規が調印し、朝鮮が開国。(釜山のほか2港の開港・領事裁判権の承認・無関税特権の獲得)これは朝鮮にとっては不利な条約であった。1879年、明治政府は琉球処分を行い琉球藩を沖縄県とし、琉球内ではそれを不服とし明治政府に様々な嘆願を行い、清に救援を求める人々もあった。朝鮮国内では親日の開化派(独立党)と親清の守旧派(事大党)との対立が激化し、これと同時に日清の関係は悪化。さらに、朝鮮国内では日本人殺害や公使館焼失など日本人が10数人殺害される壬午事変がおこり、1884年には日本公使館の援助のもとに独立党がクーデターを起こしたが失敗した。(甲申政変) この事件で悪化した日清関係を調整するために、両国が朝鮮から撤兵することなどを定めた天津条約が締結。その後、朝鮮において後退した日本勢力の回復を狙い、旧自由党員が朝鮮国内でクーデターを計画した。(大阪事件)。 朝鮮国内では日本は経済的に進出し、物価の沸騰や賠償金支払いの圧力などが農村経済を悪化させ、1894年5月に日・欧の進出阻止を求める農民反乱がおきた。(甲午農民戦争) この事件をきっかけに日清の対立は表面化し、日本は清に宣戦布告し日清戦争に突入。日本は黄海海戦で勝利し、黄海・朝鮮の制海権を確保。さらに、鴨緑江作戦の成功により、日本軍は清国領土を占領。日本は勝利に終わる。戦後、日本側が伊藤博文と陸奥宗光、清国側からは李鴻章を全権に下関条約が締結。(清が朝鮮を独立国であると認める、リャオトン半島・台湾などを日本へ譲渡、賠償金2億両など) 当時ロシアは満州への進出を狙っていたため、リャオトン半島が日本領になることに激しく反発。そして、ドイツ・フランスとともにリャオトン半島返還を日本に要求。(三国干渉) 日本側はこれらの列強国に対抗する力は無かったため、この要求を受理しその代償とし清から300万両を得る。これらの賠償金で八幡製鉄所や軍備拡張費用、台湾の植民地経営などに使用した。戦後、欧米列強各国は清の弱体化を見て取り、中国分割を行う。
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- kigis
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>>日清戦争は、日本の産業発達に伴い、朝鮮国に市場を求めたことがきっかけであった。 当時の朝鮮に、良い市場になるような経済力はありません。 >>明治政府は朝鮮との国交回復のために、まず朝鮮の宗主国である清と対等の国交条約を結び、これを利用して朝鮮との交渉するという方針をたてた。 明治政府にとっては、朝鮮よりも清国との関係のほうが大事ではないでしょうか? 別に朝鮮と国交を結ぶために清と条約を結んだわけではありません。 >>征韓論派の大久保 ? 台湾問題について長々書かれていますが、日清戦争と直接関係ありません。 単に「日清修好条規を結んだが、台湾・琉球をめぐる国境問題で日清関係がこじれた」でいいでしょう。 >>1876年2月日朝修好条規が調印し、朝鮮が開国。 ここがポイント。 日本は、国際法を基にした条約を朝鮮と結んだと受け取った。 しかし朝鮮はこの条約を、あくまで江戸時代から続く親善外交の延長と受け取った。 つまり朝鮮側はまだ鎖国中で開国したわけではない。ここ重要ポイント。 じゃあ、朝鮮を開国させたのは誰なのか?それを調べると、日清戦争がより理解できます。 >>朝鮮国内では親日の開化派(独立党)と親清の守旧派(事大党)との対立が激化し… 壬午事変・甲申政変の関係を整理しましょう。 >>朝鮮国内では日本は経済的に進出し、物価の沸騰や賠償金支払いの圧力などが農村経済を悪化させ… 本当ならば、日本は酷いですね。 でもおかしなことに、当時日本は清国や西洋諸国から非難されていません。 経済を悪化させたとして非難されていたのは一体誰なのか、当時の史料を調べてみてはいかがでしょうか? 日清戦争前後の歴史は非常に複雑です。 その上、根拠の薄い主張が飛び交ってる状態なので、今は教科書の記述を覚える程度で止めておかれたほうが賢明ですよ。
- isa-98
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1/5は読みましたよ。^^ 独立党と事大党は良く調べていると思います。 思いの外時間を費やしているんでしょうね。 貴方の良い部分を褒め、悪い部分を指摘出来る人間はネットにはいないと考えた方が利口です。 >過程の誤りや、付け加えるべきポイントなど、その他日清戦争で重要だと思われるポイントなどございましたら、ご指摘下さいませ。 キャッチボールを希望のようですが、 ネットでは、自己主張と言う岩を投げ付けられるだけです。 これが駄目。ここも駄目。ここが駄目。 結論は、自分は必ず駄目になります。 貴方の良い部分を見抜き、悪い部分を指導出来る 良い指導者(理解者)を見つける事が一番大事なんですよ。 頑張りましょうね。^^
- bismarks05
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>日清戦争は、日本の産業発達に伴い、朝鮮国に市場を求めたことがきっかけであった。 朝鮮半島に市場を求めたという歴史観ではなく、 (1)大東亜共栄圏構想の前段階 (2)朝鮮権益の確保 の方向性が妥当でしょう。なにせ、まだまだ生産力のボトムが輸出シフトできるほど強かったと言えないでしょうから・・・・ >征韓論派の板垣退助・西郷隆盛らが辞職し 近年の研究では、西郷は、『遣韓論』と規定するのが支配的ですので、西郷の名前は削除するのが妥当でしょう。 そして、岩倉が調停工作によって征韓論を正当化した流れを記述する方が君主制の明治政府の本質を掴んだもので、大久保は主導派と考えるのは拙速でしょう。 >日本は清に宣戦布告し日清戦争に突入。 事実ではありますが、宣戦布告の正当な過程を踏んでいないことは、当時の国際法違反として明記する必要性はあるでしょう。 同時に、明治天皇が開戦に関しての経緯を批判していることは、明治政府の暴走という意味もありますので、注意が必要でしょう。(主権者の意思に沿わない政治行為は明治政府の十八番ですが) >リャオトン半島 これは漢字に変換できるはずです。リャントンと覚えている人もいますし、リャオトンでは、”二同”、二つ連なる、という意味が含まれますから、遼東半島は面倒でも漢字で記載するのが妥当です。 >下関条約に関して 邦人の清国内の開市、開港場での製造業従事、は実は隠れた政治攻防戦ラインなので記述することをお勧めします。 ちなみに、言葉の問題でしかないのだが、 これは『論文』ではない 論文とは (1)論議する文。筋道を立てて述べた文。2 (2)学術的な研究の結果などを述べた文章 まぁ、論文の一説として日清戦争の経緯の説明部分だと想定して回答しましたが、 文章そのものは論文ではないことは理解しよう。
補足
長文にもかかわらずご意見をいただけたことにとても感謝いたします。ありがとうございます。 征韓論の件ですが、西郷隆盛を削除したほうがよいとのご意見ありがとうございます。そこで質問なのですが、この西郷隆盛は歴史的に何をした人物なのでしょうか?歴史を学んでいく上でこの方のお名前はよく聞きますが、私は征韓論を板垣退助とともに要求した人物と認識しておりました。ご回答者様はどう思われておりますか? 当時は宣戦布告するのに正当な過程があったのですか?それをしないで清に宣戦布告した日本は国際法違反なのですね?なるほど。。。 リャオトン半島は漢字でかいたほうがいいのですね。ですが、どのように変換すればよいのでしょうか? 色々とご意見をありがとうございました。夏休みの宿題にしようと思って今回初めて作成しました。色々ご忠告いただき大変感謝しております。
補足
お読みいただいてありがとうございました。 そうですね。ご回答者様のおっしゃるとおりです。 ただ、私の周りにはこのようなことを言い合える友達がおりません。 私はこの場で、皆さんの知識を拝借させていただきたいと考えました。 私は現在学生で、社会科に関してとても興味があります。先生によく質問をしたりもしますが、いつも先生とばかりつるんでいる私をみて同級生は私と距離をおくようになりました。 ご回答者様のおっしゃるとおり、ネットでこのような評価を求めることは正しくないかもしれません。しかし、こちらのサイトをご利用の皆様はとても親切で知識がおありになります。 ついついこのようなことを質問してしまいました。 ご気分を害されたのなら、大変申し訳ありません。そして、私の質問のためにお時間をいただきありがとうございました。 ご質問者様のご意見を深く受け止めさせていただきます。