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日露戦争について

日露戦争は、日清戦争と違い、今ひとつ教科書などで勝敗が明記されていません。ただ、ひとつひとつの戦い、旅順とか日本海海戦とかを考えた場合、日本の勝利のような気がします。日露双方が疲弊したときにアメリカの仲裁で講和条約をポーツマスで結びましたが、賠償金を取れなかっただけで、戦況としては日本有利であったと思います。日露戦争の勝敗について、ご意見を伺わせて下さい。特に子供たちに伝える立場の方々のご意見を望みます。

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  • ベストアンサー
  • junt
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回答No.7

大勝利というのはちょっと違うような気がします。辛勝、やっと勝ったというところではないでしょうか。  NO.5さんもいわれる通り、日露戦争時の日露の国力(軍事力、経済力、工業力)は太平戦争時の日米の格差以上のものがありました。それで、個別の戦闘でも日本は常に倍以上のロシア軍を相手にしなくてはなりませんでした。それでも日本は、遼陽・沙河・奉天の戦い、黄海海戦・日本海海戦と勝利を収めます。奉天の戦いは過去にもこんな大規模な会戦はなかったしこれからもないだろうと言われるぐらい大きな戦いでの勝利でしたし、日本海海戦は歴史上の4大海戦のうちもっとも一方的に勝利した海戦といわれるものです。  この戦争のロシアの目的は不凍港の獲得と満州・朝鮮への影響力の拡大だったのに対し日本の目的は、満州・朝鮮からのロシアの影響力の排除でした。そして、戦争の結果ロシアは目的をはたせなかったのに対し日本は目的をはたしました。  ポーツマス条約に先立ち小村寿太郎は閣僚・元老から絶対的必要条件として次の3つが言い渡されます。つまり、 一.韓国からロシアの権益の一切を撤去し、同国は日本の  利益下に置く。 一.日露両国軍は、満州から撤兵する事。 一.ロシアの有する旅順、大連その他遼東半島の租借権及びハルピン以南の鉄道、炭坑を日本に譲渡する事  これ以外の賠償金を取る事とか沿海岸の領土をとることは比較的必要条件といい、ロシアが承諾する可能性は少ないという理由でムリをしないで出来れば貰いなさいと言う扱いでした。交渉の結果、日本は絶対的必要条件の3つ全てと、比較的必要条件のうち南樺太を獲得します。  明治41年7月、小村全権大使とロシアのウィッテ全権大使(既に首相になっていましたが)はぺテルスブルクで再開し会話を交わしています、この時の会話が、ポーツマスでの交渉の成否を語っているように思います。 小村;『ポ―ツマスでは、互いに祖国のために全力をつくしたが、全く夢のようだ。今日、日露両国は友好国で嬉しく思っている。』 ウィッテ;『ポ―ツマス条約成立の時、世人は私が大成功したと言い、私自身も密かに誇りに思っていた。が、今では私を非難する者が多く、それに反してあなたは罵声に包まれながらもようやく国民の理解も得られるようになっていて羨ましい。』  ポーツマス条約を成功させた小村寿太郎と不平等条約の改正に成功した陸奥宗光は日本外交史に残る金字塔として今も燦然と輝いています。  私は、日露戦争は戦闘においても、外交においても日本が勝利したと思います。

madoushi
質問者

お礼

ご意見をありがとうございました。小村とウィッテの話は初耳で勉強になりました。それにしても、当時の日本人は不平等条約の改正を考えていたせいか、実にシビアに世界情勢を見ていたのですね。大物政治家や大物外交官が一定の人数いたということなのでしょうか。してみると現在の政界は……。参考にさせて頂きます。

その他の回答 (6)

  • eria77
  • ベストアンサー率25% (49/196)
回答No.6

>今ひとつ教科書などで勝敗が明記されていません。 素晴らしい読解力です。 日本が戦争に勝ったとどこにも書いていません。 >日本の勝利のような気がします。 これもなかなか良い感想です。 しかし、教科書には講和したと書いていませんか? もちろん、日本はロシアを降伏させていませんね。 旅順とか日本海海戦とか、部分的には勝っています。 しかし、部分とは全部ではありません。 これは大きな間違いです。 日本はロシアを降伏させていませんから、 ロシアには勝っていません。 >戦況としては日本有利であったと思います。 正解です。歴史的な事実です。 教育とは、正確な判断の出来る、偏りのない公平な人間を育成させるのが目的です。 貴方の読解能力は普通の人より抜き出ています。 その頭脳がもったいないですから、 間違っても、自分の主観で勝ったと言ったり、教科書以外の正確な文献でない本やテレビをそのまま勉強に用いるような事をしないで下さい。 それなりの人間で終わってしまいますから。 日露戦争を勝ったと言わない生徒は滅多にいません。 自信を持って勉学に励んで下さい。 とても期待しています。

madoushi
質問者

お礼

お褒めに預かり光栄です。どうもありがとうございました。

noname#113260
noname#113260
回答No.5

この時代の日本人は非常にリアリストで、日露戦争においても自国の国力と国際情勢を正確に分析し、戦争に入る以前の段階で幾つか手を打っておきました。 例えばイギリスと同盟し、ロシア艦隊がスエズ運河を通行できないようにしたり、敢えてアメリカには中立な立場に立って貰い、講和の交渉役になってもらったり。 それとともに、ロシア国内の共産党勢力など、反政府勢力にも援助を行い、ロシア国内を不安定になるように手を打ちました。 また戦争ですが、正直日本の国力ではなんともならず、大蔵大臣高橋是清は借金の為に諸外国を走り回り、それが尽きかけるとユダヤ資本(ロシア国内では迫害されてたので協力的)から借金(ロスチャイルドなどから)したりと、将に自転車操業の戦費調達で、とても自前で余裕を持ってとは行きません。 国力では、人口は2.5倍、国家歳入は8倍、軍人は15倍、軍艦は2倍ですから、こうした手を打って早期決着を計らなければ日本の勝利はありませんし、政治家や軍人はそれを冷徹に知っており、落しどころの問題でした。 一般国民はそんな事情は知りませんから、勝利の割に相手が傲慢と不満を爆発させましたが、もしロシアが本気になって戦争を継続すれば、恐らく日本の敗戦になっていたと考えます。 このリアリズムが昭和になっても伝えられていれば太平洋戦争も無かったと思いますが、あの東郷元帥ですら昭和になると楽観的精神主義のロマンティストになりましたから・・・いやはや。

madoushi
質問者

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ご丁寧な解説をありがとうございます。最近「日露戦争は日本軍の大勝利だ」という意見に接したので質問させて頂きました。私もいい時期に講和条約を結ぶことができたと思っています。おっしゃるように、国力はロシアのほうが上でしょうから。仕事が塾の講師で、生徒から質問が出ているので、ご意見に従って説明したいと思います。

  • been
  • ベストアンサー率39% (490/1243)
回答No.4

戦争は、政治目的を達成する手段です。外国との利害の対立を、議場ではなく戦場で打開する行為です。よって、より多く自国の政治目的を達成した方が勝者となります。敵国の首都攻略と戦争の勝利を直接結びつけるのは、戦争の本質を誤解した誤りです。 日露戦争は、ともに中国東北部・朝鮮半島に対する支配権の獲得を目指した日露の争いなので、この方面の支配権を獲得したものが戦争の勝者ということになります。戦争の結果、日本が朝鮮半島・中国東北部に権益を獲得したのですから、日露戦争の勝者は日本です。疑問の余地はありません。 NHKの番組は、当時の外交交渉の裏舞台について興味深い事実を紹介していましたが、目新しさを追求するあまり本筋を見失っています。戦闘終結後の外交交渉は議場における戦いです。ロシアは戦場で失ったものを机上で取り戻そうとしましたが、結局、中国東北部・朝鮮半島の権益を失いました。議場でも破れたのです。にもかかわらず、番組から受ける印象は、日本は戦闘では勝ったが交渉で負けた、というものでした。これは、根本的な部分で史実の評価が誤っているからです。番組の製作者は、戦争の本質に対する無知をさらけ出したといえるでしょう。 なお、日本が獲得したのは「租借権」という権益であって、領土を獲得したわけではありません。誤解のないように。また、賠償金は、戦勝国の戦費を敗戦国が償うものですが、それ自体は政治目的ではありません。国民の期待を裏切ったのは事実ですが、賠償金の有無は戦争の勝敗とは関係ないのです。

madoushi
質問者

お礼

ご丁寧な解説をありがとうございます。最近「日露戦争は日本軍の大勝利だ」という意見に接したので質問させて頂きました。私もいい時期に講和条約を結ぶことができたと思っています。NHKは見ていないのですが、漁業権も獲得していますし、勝敗的には日本の勝ちでも良いような気がしています。仕事が塾の講師で、生徒から質問が出ているので、ご意見に従って説明したいと思います。

  • norikunny
  • ベストアンサー率21% (256/1168)
回答No.3

日露戦争についてNHKの「その時歴史が動いた」という番組でやっていました。 内容をかいつまみますと、日本は局地戦で勝利を収めたものの国力も疲弊してそれ以上戦争を続けられない状態であった。 日本は講和条約で賠償金と領土割譲を目論んだが、ロシアは日本に戦争継続の能力が無いことを知っており、強気に出ており、またアメリカのマスコミを利用してアメリカ世論を操り賠償金も領土割譲も行わない交渉戦略を行ってきた。 一時はその戦略に押され、日本の全権交渉役の小村も日本政府も賠償金や領土割譲は無理だと最後まで思っていたが、太平洋進出の機会を伺い、仲介でその国際的評価を高めようと考えていたアメリカのリーク情報、つまり最終的にロシア皇帝は領土割譲だけはのむつもりがある、にもとづいて急転直下交渉がまとまったと言う内容でした。 この番組から受ける印象は、日本は欧米列強の駆け引きの上に踊らされていた弱小国で、到底戦勝国だとは思えませんでした。 また、小村が帰国後国民の強い批判や自宅が焼き討ちにあった事を考えると当時の日本人の多くもそう考えていたのだと思います。

参考URL:
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2004_06.html#03
madoushi
質問者

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ご丁寧な解説をありがとうございます。最近「日露戦争は日本軍の大勝利だ」という意見に接したので質問させて頂きました。NHKの番組は見ていないのですが、仕事が塾の講師で、生徒から質問が出ているので、ご意見に従って説明したいと思います。

  • riderfaiz
  • ベストアンサー率31% (1072/3360)
回答No.2

ちょっと乱暴に分かり易く言うと、南へ南へ進出したかった ロシアと大陸に進出したかった日本との満州、朝鮮半島 の奪い合いです。 この局地戦に日本は勝ちました。ので戦闘上は日本の勝ち。 しかしロシアは世界に対して大ロシアが負けたという ことを認めるような講和条約を結ぶわけにはいかなかったので 宣伝等をうまく利用して講和会議を有利に進めて引き分けに 見えるような講和を結んだということだと思います。 こういうご質問はウィキペディアをご覧になることをおすすめします。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
madoushi
質問者

お礼

ご丁寧な解説をありがとうございます。最近「日露戦争は日本軍の大勝利だ」という意見に接したので質問させて頂きました。私もいい時期に講和条約を結ぶことができたと思っています。仕事が塾の講師で、生徒から質問が出ているので、ご意見に従い、ウィキペディアも参考に説明したいと思います。

  • sanpen
  • ベストアンサー率36% (17/46)
回答No.1

もともと日本は日露戦争で勝利することは考えていませんでした。というより勝利は無理でした。日本の国力ではロシアの首都に乗り込んで勝利のパレードを行うようなことは不可能だからです。ですので日本しては満州においてロシア軍と決戦を行い勝利し少しでも有利な条件で講和を結ぶことを考えていました。しかし決戦においてロシア軍を殲滅させることはできませんでした。ロシア軍との決戦は陸上では遼陽会戦と奉天会戦と2度行われました。いずれにおいてもロシア軍は退却しますが日本もロシア軍以上の死傷者を出しました。最終的には長春という町の南方で睨み合いになり、ここで戦争は終結します。この時点では日本海海戦の大勝利や旅順もとっくに攻略していました。しかし日本は動員できる兵力は、もはや無く、弾薬も不足していました。一方でロシアはまだ余力が充分ありました。最終的にも満州においては日本を上回る兵力を有していました。ロシアの国力はそれほど日本を圧倒していたのです。もし、講和条約を結べなかった場合には日本は敗北していたかもしれません。このときの情勢が講和条約の結果に反映されています。日本は賠償金をとれるような状況ではなく、戦争を終わらせなければならなかったのです。戦争の結果に関しては当時の西洋列強が比較的日本びいきであり各戦闘の結果に関しては日本側の勝利と判断しました。また日本としては当初の考え通り講和に持ち込むことができ満州からロシア軍を追い出し朝鮮半島をはじめとする利権を得ることができたので賠償金がとれないという不満があるにせよ満足いく結果であったと思います。戦術的には日本は勝利と判断されたものの戦争そのものは勝利とは判断されなかったのではないのでしょうか(もともと勝利なき戦争だった)。勝敗が明記されていない理由はこんなところだと思います。

madoushi
質問者

お礼

ご丁寧な解説をありがとうございます。最近「日露戦争は日本軍の大勝利だ」という意見に接したので質問させて頂きました。私もいい時期に講和条約を結ぶことができたと思っています。仕事が塾の講師で、生徒から質問が出ているので、ご意見に従って説明したいと思います。

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