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大東亜戦争を短期で切り上げるのは可能だったか
大東亜戦争で日本は残念ながら負けてしまいましたが、山本五十六長官が言っていたように、短期で戦争を切り上げる、すなわちミッドウェー海戦より前に講和に持ち込むことは可能だったのでしょうか。また、もし講和に持ち込めたとしたらどうなっていたでしょうか。
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まず、条件講和とは「両国の同意」がなければ絶対にありえません。つまり、講和とは「どこまで譲歩、妥協できるか」というものでもあります。 結果的に多く譲歩したほうが「不利な条件で講和」となりますこれは、日露戦争のロシアが非常に良い例です。日露どちらも窒息、崩壊寸前でしたが、革命の危機があったロシアがかなり譲歩したおかげでポーツマス講和はなったのです。 そして、戦果というのは、その「譲歩」を引き出す要因でしかありません。 なお、講和がない場合は、どちらかが足腰が立たなくなるまで打ちのめされることになります(両方が足腰が立たなくなった場合は、当たり前ですが講和になります。)。それが無条件降伏。近世においては非常に珍しい例です。第2次大戦はその珍しい例がでたものなのですが・・・ まず、日本は、「有利な条件で講和」するのが目的ですから、とにかく相手を叩いて戦果を稼ぎ、ソ連あたりの仲介で切り上げることを考えていました。講和において、仲介国というのは非常に重要です。当事国同士は外交ルートを閉じている場合も多いですから、第3国を通じて交渉するのが普通です。ポーツマスも、アメリカの仲介無しには実現は困難だったでしょう。しかし、第2次大戦においてソ連は仲介なんかする気はなかったのは、すでにわかっています。 また、「有利な条件」というのは、いかに譲歩しないで、となりますから、この時点で折り合いがつきにくいのは明白です。 対するアメリカは、対独参戦は行ったため、あとは工業力をもって圧倒するのを待つだけでした。 そして、決定的なのは1943年1月にあったカサブランカ会談。ここでルーズベルトは「無条件降伏に寄る終結を目指す」と打ち出します。つまり、条件降伏(条件講和)はしない、といっているようなものです。 つまり、端からまとまるわけがない講和であるといえましょう。「有利な条件であっても講和しない」としているアメリカと、「有利な条件で講和したい」としている日本。折り合うわけがないのは火を見るより明らかです。 で、講和がない場合は、さっきも言いましたがどちらかが足腰立たなくなるまで殴りあうしかないです。で、日本とアメリカではアメリカのほうが数十倍スタミナがある。 ルーズベルトが1945年4月に死ぬ前に残した問題である「日本の領土をソ連に割譲」というヤルタでの密約(ドイツ降伏3ヶ月後までに対日参戦すれば北方領土と朝鮮半島をソ連に割譲する)は、日本に対して非常に有利に働いたと見ることができます(ちなみにこの3ヶ月の期限切れは8月8日。つまりソ連参戦は期限ぎりぎりに行われました)。 アメリカは、これを防ぐために6日に1つ原爆を落としましたが、日本は降伏しませんでした(日本にはまだ講和なんていう甘い考えがありました)。 で、このままだと日本の領土をソ連に持っていかれるため(ソ連の進軍は速く、このままだと北海道といった本土領土まで持っていかれる可能性があったため)、とにかく速く降伏させないといけないので、9日にもう1発落としました。で、その5日後に降伏。 で、ヤルタ密約はどうなったかと言えば北方領土はもっていかれて、朝鮮半島は半分くらい持っていかれました(もちろん今の北朝鮮)。 つまり、アメリカも戦争を終わらせたかったのです。そのため、全力を持って日本を叩き潰したのは、日本によってはある意味幸運であったと言えましょう。 結論としては・・・「不可能」ではないが限りなく困難な話。といえるかと。 とりあえずミッドウェー前では無理です。戦果が足りません。もし押し切るならば、米太平洋艦隊すべてを沈めるくらいの戦果がなければ無理かと(あとは相手の陸上兵力を犬死に的な状態で壊滅させること。たとえば艦砲射撃で皆殺しとか。アメリカは民主国家ですから、死者の数に敏感です。とくに戦果のない死者には敏感に反応します。これは、イラクやベトナムのときを見ると、よくわかりますね)。 もともと講和に応じる気のない国を動かすのは並大抵のことではありません。
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- IXTYS
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猪瀬直樹氏の著書に『昭和16年夏の敗戦』があります。 昭和16年に各省庁から三十代前半の若手官僚が、今の山王ホテルに集められました。 目的は対米戦争のシミュレーションです。 そして、半年の調査レポートがこの年の夏に提出されました。 私の父も満州国を代表して参加しました。 第二次大戦の半年も前に総力戦研究所のレポ-トは敗戦を予言し、戦況はまさしくその通りに推移しています。 当時、誰がシミュレーションしても結果は同じだったはずです。 しかし、明治維新この方、日清、日露、第一次大戦と勝ちすぎました。 負ける事を知らなすぎたのです。 私の父は満州国の参事官でした。 任地は満州国ではなく、そのはるか外側の熱河省、豊寧県です。 ここは、あの李香蘭さんの育ったところでもあります。 偵察機に乗って、はるか西のノモンハン付近の地理調査でした。 この模擬戦争の仕掛け人でもあり、また生き証人でもありました。 ですから、総力戦研究所でも、発言は大きく取り上げられたと聞いています。 海軍は、このレポートを尊重し、短期決戦を望んでいます。 しかし、残念ながら海軍は陸軍の偏狭さに負けてしまい、甚大な損害を蒙る結果になったのです。 この研究所のメンバーは、戦後の政治家に大きな影響を与えています。 (特に、中○根○弘氏を初めとする、『鷹派』の方々に)
- gange
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NO11さん。私もそこまでは、知りませんでした。何か背中を押されて、兵士の60%まで餓死させてしまい、最後は、早く終戦にしたかった天皇までが、一戦だけでも勝って講和に持ち込みたかった為に、地図まで持ってこさせ、インパール作戦をやらせたと、一週間前に知りました。おまけに、外務省はこんなソ連に、講和の仲介を最後の最後まで頼って地方都市の空襲、原爆2発まで食らいました。結局、こういったことの反省、検証と言うものがないものだから、中、韓、からヤーヤー言われるし、1000兆円も借金するし、いまだにスパイ天国だし、明治以来、右翼からも左翼からも、政官業の癒着は、やめろと言われても、なんにも変わらないんですねえ。
- jigyakujii
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戦争は不可避であったと言う立場からは、講和(乃至は降伏)も不可能であったと言う事になるでしょうね。 可能かどうかと言う問題は、白旗を揚げるかどうかと言う問題と同様に当然「可能」のはずです。 要は国民全体も含め国としての能力が足りなかった、特に外交に関する未熟さと自己能力に対する認識不足が2つの誤りの原因です。 相手側はニーズがあった上で意図した行動を採っているので、そのニーズを満たせば戦争を続ける必要はありませんでした。 神国日本といった神話を大半の国民が信じ(信じさせられ)、その上に体制が成り立っていた当時の日本では、「体制を維持」すること自体が目標化されており、正に現在の北朝鮮的な状態で、その前提を崩すだけの力を持った政治家が居なかったと言う事ですね。
- Kohki2666
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No10さんの言う通り、ゾルゲは、第一次世界大戦でヒトラーと同じ激戦区で3度の負傷を得て生き残り(足には障害が残りました)、その後ナチ党に入党した人物で、多くの日本人(特に軍人)からすればそんな愛国者の英雄がスパイなわけがないと思いこんで、見事に騙されてしまいました。 実際には、ゾルゲは終戦直後にドイツ共産党に入党し、ドイツ共産党弾圧後ソビエトの市民権を経て、ソ連のスパイになり、中国で蒋介石のスパイをやりつつ上海経由でアメリカ人ジャーナリストの紹介で尾崎に接触し、中国ではなく日本のスパイへと役割を変えます。 ソ連の攻勢のすごいところは、あらかじめ日本が予想して治安維持法などで日本共産党の徹底弾圧を進めたにもかかわらず、彼らを捨て駒にしてゾルゲと接触を絶たせて、ゾルゲのスパイを続行させ、見事に蒋介石との日中和平を潰し、南下政策をいち早く入手しソ連へ伝えたことで、ドイツは師団を殆どドイツ戦へ割り当てられ、ドイツに勝利しました。 また、1999年に米国議会で一部機密解除されて公開されたVENONA文書によると、ハル・ノートの作成に関わったホワイトらはソ連のスパイであり、ルーズヴェルトの大統領補佐官であったカリー(対中担当官)は、彼らの協力者であったことが明かされています。 黄色人種に対して徹底した差別意識を持っていたルーズヴェルトは、見事に騙されて乗せられたのでした。 ルーズヴェルトは、選挙で対日戦をやらないことを選挙公約にし、更に一度は戦争をしようと演説して民衆の大ブーイングにあわてて撤回までしているにも関わらず、それでもハル・ノートなど日本を追いつめる戦略を続けられたのは、ホワイトらソ連スパイの強力なプッシュがあったせいでした(米国に潜入していたスパイらがばれたのは、朝鮮戦争の頃です)。 更に、米国に滞在していた蒋介石の兄嫁(孫文の妻)や、蒋介石の側近にも多数共産党員が入り込んでいました。 全情報の機密解除は2041年以降なので、我々が生きている間に全ての真実は明らかにされないでしょうが、今判っているだけでも、ソ連の思惑を覆すのは相当難しかったであろうことが判っています。 しかし、これらを「ソ連すごい!」で片づけることは出来なくて、よくよく考えてみると、日露戦争から第一次世界大戦までで、ソ連に日本がしたことと同じスパイ戦略(日本も、敵将を寝返らせたり、ロシアを滅ぼすためにソ連共産党へ資金援助したり、北欧など周辺国をそそのかしたり、相当えげつない戦術をとりました)をやり返されているだけで、お互い様というべきものでした。 当時の外交力が鈍く落ち込んでいた日本では、ソ連の思惑をはねのけてまで、早期講和に持ち込むのは難しかったのではないかと思います。
- gange
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ところが、もっと長期に戦って欲しい人がいたんですよ。 この戦争は、もっと広い視野で見ないと分かりません。 日本人全員が、あやつり人形みたいに踊らされていたんですよ。 振付師はスターリンです。 つまり、資本主義同士で徹底的に戦わせて、へとへとになった所で、共産軍が出動して、世界を制覇すると言う戦略です。 その為に活躍したのが、スパイ{ゾルゲ・尾崎秀実}です。 もう、敵ながらアッパレ! 拍手を、せざるをえないくらい優秀なスパイでした。 戦後、それを知った、近衛秀麻呂、岸信介などは、開いた口が塞がらなかったとの事でした。{参考:大東亜戦争とスターリンの謀略 自由選書}
- nyaa519323116
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No6の方に賛成です。と言うか、よくまあ1945/8の段階で無条件降伏できたものだと思っているくらいです。 日本と合衆国の戦争観が違う以上、早期講和はほとんどあり得なかったと考えます。中国大陸での紛争解決の目的で、合衆国・英国を中心とする欧米諸国の中国支援遮断を目的とする、限定的な武力行使として対米英戦争を捉えていたのが日本です。一方、合衆国は太平洋と中国から日本の影響力を半永久的に排除し、そのために日本という国そのものの消滅を意図する、総力戦争を前提として戦争を計画していました。従って、緒戦の数戦闘での戦術的敗北では、合衆国の戦争意思そのものを挫折させることは不可能と考えるしかありません。 合衆国はすでに1924年段階から対日戦争を計画しており、その中で、『日本の重要な海上補給路の支配、ならびに日本の海軍と経済生活に対する海と空からの攻撃を通して、日本を孤立化させ、消耗させるための海軍を中心とする攻撃的な戦争』を計画する、と言い切っています。合衆国が、日本と戦争になった場合、あらゆる手段を尽くして、日本を攻撃し、断固として降伏に追い込む国家的な意思を持っていたことが分かります。 このような、日本に対して数十倍の生産力を持つ国家に対して、数度の戦闘で勝利を収められたからと言って、早期の講和にこぎつけられるなどと予想する当たり、山本提督も見方が極めて甘かったというしかないです。井上成美提督などは、『なんで1、2年は暴れられるなんて言ったんだ。戦えば必敗、とでも言わなきゃ』と山本提督を批判しています。 また、1940年代の日本は海外との貿易すら、自国の輸送船舶だけでは十分に行うことも出来ず、海外からの借り入れ船舶で辛うじて貿易を維持している状態でした。海外に植民地というか、軍事基地を確保しても、それを維持することなどできるものではありませんでした。開戦時、すでに補給はあっぷあっぷの状態だったのです。 当然、緒戦の勢いでオーストラリアを攻めようとしても、上記のようにもともと補給もろくにできない状態ですから勝てる戦いになりませんでした。実際に、1942年以降、日本軍は陸路と海路からオーストラリア攻撃を目指していますが、壊滅的な打撃を受けています。対オーストラリア攻撃用としてニューギニアに送り込まれた日本軍は、ろくに戦うこともなく、その大半が餓死、病死しています。
- VFR
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まあ開戦した時点で結果は全て決まっていたと思います。 客観的な視点からの自己分析が全くできていなかった。 それは国力や軍事力もそうだし、国際情勢や外交に関しても全てが独りよがり。国際連盟からの脱退を名誉ある脱退などと意気がり、それが何を意味するのか他からどう見られているのかもわからず、全てを自己正当化。 ハルノートの内容は現在の視点から見ると、決して理不尽なものとも思えませんが、それを無理難題と片づけて戦争突入。 No.6の方が書かれているとおり、多少のぶれはありえても、結果はあれしかなかったと私は思います。
- kurou_shana
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無理です。 アメリカは日本と戦争したかったんですよ。 日本に先に手を出させるために、無理難題なハル=ノートを突きつけたりして挑発し続けました。 だから、真珠湾攻撃も暗号解読などして、知っていながらハワイには知らせず、日本軍に叩かせています。 もっとはっきり言えば、日本にもアメリカの協力者がいたと言うことです。 ミッドウェー海戦も暗号が解読され、アメリカには日本の作戦は筒抜けでした。 この戦争は、ルーズベルトなどに仕組まれた謀略なんです。 原爆なども、落とさなくても、すでにアメリカの勝ちはわかっていたことです。 すでに、この時に水面下では、日本は降伏することを交渉していたわけですからね。 最後に・・・今の歴史は「アメリカが戦後に日本に押しつけた歴史観」なんです。 それを頭にいれないとわからなくなります。
- pbf
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昭和20年の8月以外に終戦はあり得なかったと私は考えています。講和というものは、およそ戦局を有利に進めている側から申し出なければ成功するものではありません。確かに日本は緒戦を有利に進めましたが、それはアメリカの戦時体制が整っていなかっただけの話。さしたる戦闘もなしに南方の軍事的空白地帯に侵攻したに過ぎません。じっさい、山本五十六は一年半は暴れてみせると豪語しましたが、ミッドウェー海戦を期に日本は半年も経たないうちに敗戦へと向かい始めたではありませんか。日本にとっては文字通りの総力戦だったのですが、アメリカは欧州戦線が主であり太平洋戦争には全体の30%程度の物資しか投入していません。負けているなどとはこれっぽっちも思っていなかったのです。 また、対戦国より強い中立国の存在がなければ仲裁することもできません。日本はソ連にその役割を期待し水面下で交渉していたのですが、結果はご存じの通りです。 くわえて大戦末期、米軍は沖縄戦や硫黄島戦ではじめて日本軍を上回る死傷者を出しましたが、本土にはまだその30倍もの日本軍が残っていたのです。本土上陸となればそうとうな犠牲を覚悟しなければならなかったでしょう。このときの厭戦世論がポツダム宣言につながったのは言うまでもありません。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>大東亜戦争で日本は残念ながら負けてしまいましたが、山本五十六長官が言っていたように、短期で戦争を切り上げる、すなわちミッドウェー海戦より前に講和に持ち込むことは可能だったのでしょうか。 すでに回答にあるように不可能だったと思います。アメリカの国力は日本よりも上だったし、まだまだ余力十分なのに「講和」なんてする必要はないですね。損得の面からみても、それこそ「ありえない!」でしょう。 それに、アメリカにとっての当時の危険度からみた優先順位は「ナチスドイツ」が上であり、日本は軽く見られていたような気がしています。本当に危険でラスボス級のヒトラーを倒せば、三下やくざのような日本は簡単に倒せると思っていたのではないでしょうか?実際には、その計算はちょっと狂いましたけどね。 それから、「ミッドウェー海戦」が勝敗のターニングポイントとして考えられているようですが、日本軍はアメリカから見ると「第二次大戦中、個々の負け戦から一切何も学ばず改善の無かったおバカな軍隊」と評されています。つまり、アメリカは、ある戦闘で負けたなら、「自分たちは何が悪かったか?日本がそこで勝った理由はなぜか?」を研究し反省・改善を行っています。もちろん科学技術や新兵器作りも継続しました。 そうした努力を続ける国に、「問題はあったが、今日の戦闘に勝った。改善する必要なし。」「負けたが、その原因を追究すると、学校の先輩である○○将校を糾弾することになるから闇に葬る。」という日本が勝てるわけがありません。 また、ミッドウェーでは、地上攻撃と空母攻撃の兵装転換(魚雷か爆弾か?)で混乱が発生し、その隙を突かれたように思われてますが、それ以前から兵装転換と対空防衛については問題と認識されていました。でも、全く改善されなかった。つまり、ミッドウェーに勝利しても、「次のミッドウェー」が必ず起こったでしょう。 また、ミッドウェーでアメリカの空母3隻を完全に沈めていても、その後に配備される予定の空母がアメリカには何十隻もあったわけですからね。 ところで、第二次大戦までの戦闘の歴史を見ると「天皇とかお国のためと言うが、本当に日本の勝利を第一に考えて戦ったのか?自分たちの出世や保身が第一ではないのか?」と思えてなりません。(ノモンハン事件の真相を知ると、本当に日本軍部への怒りが沸いてきます!) なお、真珠湾の奇襲は、アメリカ国民を戦争賛成の姿勢にするために必要だから、アメリカはあえて攻撃成功させたわけです(周知の事実でしょうけど・・)。アメリカという国は、独立の時から、「勝利のためには、自国民を騙す、殺す、殺させる」も有りの国です。9・11の同時多発テロもアメリカ政府の自作自演ですからね。 イスラムの自爆テロが宗教的信念に基づくように、アメリカも宗教的信念でそうした行為を行っています。イスラム教ともキリスト教とも距離を置く日本こそ世界平和の鍵を握っていると最近思っています。
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