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日清戦争とは
- 日清戦争は、日本と中国が朝鮮半島の支配権を巡って戦った戦争です。
- 日本は議会制の民主主義国であり、中国は封建制の国でしたが、両国とも帝国主義国であると言えます。
- 日本が戦争の結果として尖閣諸島を獲得したことは、国際法に基づいたものであり、北方領土のような違法な領土獲得ではありません。
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ひとつひとつ論点を整理しておきましょう。 1.尖閣諸島と琉球王国の関係について 琉球王に尖閣諸島を統治していたという事実は確認されません。したがって尖閣諸島は琉球王国の領土だったとはいえません。1879年の琉球処分と同時に尖閣諸島が日本領になったという認識は誤りといえます。実際は日本が1885年から1895年の10年もかけた慎重な調査によって無主の地であることが確認されて併合したものです。 2.尖閣諸島と沖縄県の関係について 1895年の尖閣諸島を沖縄県に編入したことによって、以降尖閣諸島と沖縄県は運命を共にすることになる。大東亜戦争後、米軍に沖縄県の施政権が移管すると同時に尖閣諸島の施政権も米軍に移管し、沖縄県の本土復帰運動を経て、1972年に沖縄返還と共に尖閣諸島が日本に返還されます。これはアメリカも公式見解で認めていることです。 3.尖閣諸島と中国代表権問題の関係について 1971年10月25日のアルバニア決議の前は中華民国(台湾)が中国を代表する政府でしたが、後は中華人民共和国が中国を代表する政府となっています。それが国際連合の立場であり、日本の認識でもあるのです。ですからサンフランシスコ講和条約に中華人民共和国が参加していないのは当然のことです。といって中華民国(台湾)も参加していません。それは1951年の時点では連合国内部で、中国代表権問題の見解が統一できなくて、日中講和は日本が主権を回復した後で、日本が別途やってくださいとサ条約から切り離されたからなのです。そして日本は中華民国(台湾)を中国を代表する政権とみなして1952年に日華平和条約を結びます。その日華平和条約では尖閣諸島には触れていません。つまり中華民国(台湾)には尖閣諸島が清の時代に奪われたなどという認識は全く無かったのです。アルバニア決議を受けて日本は1972年に中華人民共和国と日中共同声明を調印し、日華平和条約を破棄します。この日中共同声明でも尖閣諸島に触れられていません。中華人民共和国がサンフランシスコ講和条約と日華平和条約を承認しないという主張は一理ありますが、そもそも日中共同声明でも触れられていない以上は尖閣諸島に関しても、中華人民共和国は中華民国(台湾)の認識を継承したと考える他ありません。 4.清と台湾・琉球王国・尖閣諸島の関係について 明から清に変わる時代、明の残党が台湾に逃れて、反清勢力となった時期がありました。これが鄭氏政権 (台湾)です。まもなく清に滅ぼされることになりますが、この時から台湾は中国領だったといえるでしょう。鄭氏政権後、清は台湾が反清勢力の拠点となることを恐れて直轄領に組み入れますが、台湾は清の朝貢国だったわけではありません。 琉球王国は清に朝貢して冊封関係を持ちました。清は使節を琉球王国に派遣する関係で尖閣諸島を発見し地図に記入していましたが、それは領有権を意味しません。また冊封関係とは中国皇帝と各国王の個人的主従関係によって安全保障条約とするという関係であって、領有権とは何も関係がありません。主が有事の際は従が軍を派遣し、従が有事の際には主が軍を派遣するといった相互の互恵関係が冊封関係の本質です。どちらがどちらの領土でもないことは論を待たない。先に述べた1895年の日本の尖閣諸島編入は日清戦争で日本が自信を深めたといったことが背景にありますが、それは清の領土を奪ったなどという話ではありません。そもそも清が尖閣諸島を領有していたという事実が無いからです。日本が調査に10年かけたのは万一の清との紛争を懸念しただけのことです。 台湾は下関条約によって清が日本に割譲しましたが、その時期がたまたま1895年の日本の尖閣諸島編入に近いだけであって、台湾と尖閣諸島には何も関係が無いし、日清戦争と尖閣諸島も関係がありません。 日清戦争の結果、尖閣諸島が日本領になったという認識は間違いです。日本は、その実力に自信を持ち、尖閣諸島領有を宣言する好機だと判断したまでのことです。 5.沖縄併合について 日本は琉球王に清との冊封関係の解消を求めますが、当初琉球王が抵抗感を表明したのは事実です。しかしそれは上洛を拒んだといった程度のことで、意地を見せたまでのことなのです。明治維新に巻き込まれなかった琉球王国には中央政界の激変が全く理解できなくて、江戸時代から意識が変わらなかったという背景もあります。清は、冊封関係を解消したいなら、まず清から先に挨拶して了解を求めるべきだろうと抗議したのであって、日本の沖縄併合そのものに反対したわけではありません。要は、そんな勝手をされたんじゃ、清の宗主国としての面子丸つぶれだと怒っただけです。清は琉球王国の宗主国としての面子にこだわっただけで宗主国の立場にこだわったわけではないのです。 アヘン戦争、アロー戦争、清仏戦争、日清戦争とひたすら面子を守る為だけの戦争を清は19世紀繰り広げことごとく負け続けましたが、沖縄併合に関しては、単に抗議するといっただけで何ら軍事衝突すらありませんでした。 6.日清戦争について 日清戦争は李氏朝鮮との冊封関係にこだわる清と日朝修好条規(1876)にこだわる日本の対立が戦争に至ったものです。当時の日本には宗主国の面子にこだわる清に対する理解と配慮が足りなくて、清にろくな挨拶もしないで、日朝修好条規締結、沖縄併合と1870年代に矢継ぎ早に国際問題を解決していきました。それが清に「日本怪しからん」という感情を育てることになってしまった。 そもそも清朝と李氏朝鮮の冊封関係と日朝修好条規は完全に矛盾します。朝貢国と独立国という立場は両立しないからです。その矛盾が李氏朝鮮で起こった東学党の乱でついに表面化してしまったのです。 日朝修好条規も沖縄併合も清と李氏朝鮮、清と琉球王国の立場に対する理解と配慮を欠いた日本の稚拙な国際外交だったといえます。相手の立場を考慮しないで、一方的に武骨一辺倒の外交をしてしまった。当時の日本は、それが国際標準のルールだと勘違いしていた一面はあります。しかし、それを持って帝国主義という批判はいかがなものでしょうか。日清戦争に至ってしまったことは痛恨の極みです。 しかし、その反省が10年の調査期間をかけた慎重な尖閣諸島編入になったのであって、それを持って日本が清の領土を奪ったかのように主張する論はあらぬいいがかりとしかいえないものなのです。 7.日本近現代史の教育について 以上、私なりに論点整理を試みたのは、質問者さんがいわれるように日本近現代史がろくに学校で教えられていないからです。日本近現代史は日本と欧米列強、露西亜(ソ連)、中国(清、中華民国、中華人民共和国、張軍閥)、琉球王国(沖縄県)、李氏朝鮮(大韓帝国)が複雑に絡んでいて、きわめて理解することが難しい。だから質問者さんにも回答者さんにも事実誤認が見られるのは仕方が無い。それが今日、中国に付け込まれる要因になっています。複雑すぎて学校の先生も理解していないのです。だから学校の先生は、帝国主義の日本が・・・といった論調で問題を単純化し、日本側だけの説明でお茶を濁そうとしています。それはとりもなおさず、歴史を勉強しようとしているのでなく、自分の頭のレベルに合わせて複雑な歴史を歪曲し単純化してしまうという倒錯したアプローチになるということです。それが中国に付け込まれる背景なのだけれど、だからといって中国の今日見られる言論の一部には全く正当な根拠が無いということも理解しなければなりません。歴史カテで質問されたんで、その主旨にあわせて回答したつもりです。
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- ify620
- ベストアンサー率28% (228/794)
>・・・という認識でいいのでしょうか? いいと思います。 http://www.worldtimes.co.jp/special2/senkaku/senkaku.pdf#search='尖閣群島' http://imagic.qee.jp/sima4/okinawa/senkaku.html
お礼
ご回答ありがとうございます。リンク先のページは島の情報が多くていいですね。
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
日清戦争については、「朝鮮半島支配」を巡る日清の対立であっています。 ただ、両方共帝国主義と言うのは単純化しすぎている感じです。 当時の朝鮮半島は清に対しての朝貢国でした。 つまり、清の属国だったわけです。 そこで日本は、李氏朝鮮に対して「独立して開国しろ」とムチャぶりをしたわけです。(もちろん、朝鮮を奪いとり大陸進出の足がかりにしようという野心は見え見え) それに対して、清は李氏朝鮮に対して「お前は部下なんだから俺の言うこと聞いとけよ」と言っていたわけです。 つまり、李氏朝鮮は清の属国であったという点を抑えておかなくてはなりません。(この事は、中国と韓国との間で歴史認識を原因とする対立を引き起こしています) そういった面も踏まえて、天津条約や日清戦争を見ていかねばなりません。 この「清の属国だった」という点は、琉球王国と日本の琉球処分を巡っても言えることです。 「琉球処分」というのは、簡単に言えば「琉球王国を清の了解を経ないで併合した」ということになります。(当時の琉球王国は、清・日本両方に忠誠を誓うことでなんとか独立を保っていた) 当然、併合される側の琉球王尚泰王は反発しますし清も猛抗議をします。 よく「中国が沖縄も中国領だ!なんて主張するのはちゃんちゃらおかしい」なんて意見を聞きますが、あながち嘘とも言い切れないわけです。 さらに、台湾の問題もここに絡んできます。 台湾も当時清に朝貢していた国の1つですが、日清戦争を機に日本が併合します。 で、戦後に開放されるのですが台湾には中華民国を率いた蒋介石が渡って支配する一方、中国本土は中華人民共和国が成立していくわけです。 この流れでサンフランシスコ条約が絡んできます。 中国は中華民国と中華人民共和国との間で激しい内乱が勃発し、どの政府を中国代表とするかで連合国側の意見が一致せず、結局は戦後処理は日中二国間でと丸投げされました。 それが今でも尾を引いており、中国はサンフランシスコ条約の内容を全面的に認めていません。 また、台湾の主権がどこにあるのかも未だ定まらない問題のまま残されています。 閑話休題、尖閣諸島についてですが。 この島が、今日本領であるのは古賀辰四郎という人物のおかげですね。 この人物は実業家で、当時なんら注目されていなかった尖閣諸島で事業をおっぱじめたんだから、凄い商才です。 今、日本が尖閣諸島を実効支配できてるのは彼の功績が大きいですね。 日本政府が慌て出すのは、1970年代に石油埋蔵が発見されてからです。 詳しくは、最近別の質問に回答したので手前味噌ですがそちら譲ります。 参照していただければ幸いです。 http://okwave.jp/qa/q7710657.html 尖閣諸島は日清戦争後に台湾併合のついでって感じで領有宣言出された感じなようです。 この点をもってすれば、尖閣諸島は台湾諸島を構成する1つだと言えなくもありません(で、それを理由に台湾も領有を主張してます) しかしその後、米軍の沖縄返還の時に一緒に尖閣諸島も返還されます。 この事実を見れば、尖閣諸島は沖縄諸島を構成する島だとも言えます。 まぁ、立場変われば歴史認識も変わるで、「歴史的事実」でもどの「事実」に力点を置くかで今後の展開が大きく変わってしまいます。 そこで、国際法でより重きを置かれるのが「どちらが実効支配しているか」なんですね。 そういった意味では、もし国際司法裁判所に持ち込まれたら尖閣諸島は日本のものとして認められる可能性は大きいでしょうね。(まぁ、負ける可能性もあることを考えると、今のまま粛々と実効支配続けるのが正解でしょう) 逆に、竹島や北方領土は難しいかもしれません。 ではでは、乱筆・長文失礼しました。 参考になれば幸いです。
お礼
ご教授ありがとうございます。大変勉強になります。 まず日本の侵略目的は見え見栄です。一方中国はすでに侵略済みだっただけのことのように思います。いずれにしても朝鮮が喜んで中国の一員になったわけではなく、歴史的にも王様を決めるのに中国の許可が必要だったり従属国というよりも半分は従属地域です。例えば満州国は100%傀儡ですが、清と朝鮮の関係だって50%ぐらいはそうなんじゃないでしょうか。やっぱり侵略だろ、って思っちゃいます。例えば日本内の幕府と藩の関係ではないと思います。すでに「従属国だから侵略ではない」とはならないと思うんですね。 一方朝鮮が清の属国であったのとほとんど同じように現在の日本はアメリカの属国なわけで、振る舞いをどうするかを考える必要があるのは確かでしょう。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”日清戦争の結果、尖閣諸島が日本のものになったのを受け入れるべき、 としか言いようがない気がします。少なくとも北方領土のような 国際法違反ではない様に思います。” ↑ その通りです。 これが違反なら、米国がメキシコの領土を強奪したのも 違反で、米国はメキシコに領土を返却しなければ なりません。 米国などは、メキシコの領土の半分近くを強奪し 正々堂々と譲り受けたと豪語しています。 尖閣は、もともと所在不明の島を日本の領土にした のですから、その正当性は更に明らかです。 ”日本は議会制の民主主義国で清は封建制だったという違いはありますが” ↑ 中国は易姓革命の国です。 中国の感覚としては、前政権がやったことは現政権とは 関係がない、という意識が強いのです。 日本とは異なるのです。
お礼
ご教授ありがとうございます。 >中国の感覚としては、前政権がやったことは現政権とは関係がない、という意識が強いのです。 であれば歴史的に中国の前の王朝の領土だから中国のものだとはならないですね。どこまでも矛盾の多い国だとは思います。
- gungnir7
- ベストアンサー率43% (1124/2579)
このカテだから言いますけど、その認識はちょっと誤りです。 日本はカイロ宣言、ポツダム宣言を受け入れると無条件降伏しました。 その後に日本の国土は連合国によって引かれ、本土等4島以外は連合国が決める島となりました。 この島に関しては最終的にサンフランシスコ条約で決定するわけですが、中国は参加していません。 つまり、中国は調印もしていなければ批准もしていません。ここが双方の障壁になっています。 尖閣は1895年に日本の領土に編入されましたが、カイロ宣言では清時代に奪取した土地は中国に返す決まりです。 中国は清の時代に編入されたといい(沖縄もそうです)、双方の主張がぶつかり合っているわけです。 本土4島以外の島については実に不明確という唖然とした事実が隠されています。 現在の日本領土の島々は主権在民は無論ですが、連合国(アメリカ)の軍事力を担保にしたものなのです。 主権在民は移民で簡単に覆ります。 更に日本には国連憲章の中で敵国条項を突きつけられているという厳しい現実があります。 中国がその気になれば尖閣はおろか、沖縄も日本の遠洋の島々も奪い取れるのです。 陰謀論の立場でいえば、米国はこれを利用して米中戦争を起こすであろうとの考えも出てくるわけです。 以下の記事を上部を参考に見て下さい。 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120925-OYT1T01226.htm
お礼
ご教授ありがとうございます。 >中国はサンフランシスコ講和条約に調印もしていなければ批准もしていません。 そもそも'49年に中華人民共和国(共産党政府)は存在しなかったわけで、いないときに日本のものになっていれば後から言われても仕方が無いような気もしますがどうなんでしょうか。 そのころは中華民国(国民党政府)だったはずで、その外交成果を引き継ぐべきのような気もしますがどうなんでしょうか? >国連憲章の中で敵国条項 これがある限り戦後は終わらないのかもしれませんね。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
中国は、日本政府が日清戦争末期の1895年1月の閣議で、尖閣諸島を日本の領土に組み入れたために、勝利間近の機に乗じて略取したなどと主張していますが、これは、領土問題を歴史問題にすり替えようとするためのでっち上げです。 なぜなら、日本政府は尖閣諸島がどこの国にも属さず、しかも人が住んでいない、いわゆる国際法上の「無主の地」であることを調べ始めたのは、それより10年も前の1885年のことで、沖縄県が出雲丸という汽船を派遣し、現地調査したのがはじまりです。詳細な調査の結果、「無主の地」であることが判明したため、すぐに日本の領土とすればよかったのですが、当時はそれができない理由がありました。 それは、当時の清国が日本より軍事的に強大だったからです。それが証拠に、1886年には、世界最強の軍艦である「定遠」と「鎮遠」など4隻の清国北洋艦隊が長崎沖に現れ、上陸した清国水兵は暴行や略奪を繰り返し、多くの日本人が死傷するという「長崎事件」を引き起こしました。圧倒的な軍事力を背景にわが物顔の清国の前に、明治政府はなすすべもなく、賠償金なども妥協しなければなりませんでした。時の井上馨外相は、清国と事を構えれば、沖縄を取られてしまう、という危機感があったといわれています。 逆に言えば、当時、強大な清国が尖閣諸島を自国領だと言えば、誰も文句が言えなかった時代だったのです。尖閣諸島の調査後、沖縄県は同諸島周辺で漁業活動を続けていましたが、清国を含めどこからも、自国の領土主権を侵害しているという抗議がなかったことから、ようやく95年に正式に日本領としたのです。 国際法上、国家が領土権を主張するには、単に「無主の地」の発見による領有意思の表明だけでは不十分で、実効支配が必要とされています。このため日本政府は、尖閣諸島に「国標」である標杭を建てることに続いて、様々な開拓事業をスタートさせました。毎年のように移民を送り込み、海産物やアホウドリの羽毛を採集し、太平洋戦争が始まるまでは、カツオ節の製造事業なども営まれていました。魚釣島付近で遭難した31人の中国漁民を救助したこともあり、1920年には,当時の中国の外交機関である中華民国駐長崎領事から感謝状が贈られ、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記し、尖閣諸島を日本領土として認めています。 戦後は、米国の施政権下に置かれ、人の居住が制限され、米軍は射爆場などとして利用してきました。ところが、1969年5月に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、尖閣諸島周辺海域に膨大な石油資源が埋蔵されているとの調査結果を公表、それを機に翌70年に台湾、そして71年に中国が正式に自国領だと主張し始めたのです。台湾、中国ともそれ以前には領有権を主張したことなどなく、日本政府は72年、沖縄返還直後の国連の場で「尖閣列島に対しては日本以外のいかなる国も主権を持っていない。中国の主張はまったく根拠がない」と毅然とした態度で反論しています。
お礼
ご教授ありがとうございます。 国際法上の「無主の地」という事なので、一定の期間ほったらかしにしておくと領土ではなくなると言うことなのでしょう。韓国が竹島を5世紀から自国領だといっていますが、その後ずいぶん放置プレーしたのと同じですね。 「長崎事件」もひとつ重要なファクターですね。
- TooManyBugs
- ベストアンサー率27% (1472/5321)
日清戦争については概ね良いかと思いますが、尖閣諸島については別に考えるべきかと琉球王国を併合した時点で日本領になったと見るべきでしょう。
お礼
まず、この場を借りて皆様ご教授ありがとうございます。ここで結論出そうという大それたことは考えてなくて、 ・ただ考えるための材料だけは全部集めたい ・幼稚なナショナリズムで騒ぐ国民ではなくて色眼鏡無しに歴史を見られるワールドワイド日本人になりたい という事を目的といています。 おっしゃるとおり中国が昨今「日清戦争で日本が尖閣諸島を盗んだ」と言っているのはまずあさっての方向の議論のようですね。
補足
中国はいいぶんをころころ変えそうな気がするので「盗み取った」という発言のソースを魚拓代わりに貼っておきます。完全に政府の公式な見解なんですね。間違っていたら名誉毀損で損害賠償ものです。 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120925-OYT1T01226.htm 中国、尖閣は「日本が盗み取った」…白書発表 【北京=牧野田亨】中国政府は25日、新華社通信を通じ、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国固有の領土」と題する白書を発表した。 「歴史的、地理的、法的観点からみて、中国が争う余地のない主権を持つ」と強調している。 白書では、釣魚島は14、15世紀に中国が発見し、命名したが、日本が1895年に日清戦争を利用して「盗み取った」と指摘。「1943年、(英米中が)台湾など日本が中国から盗み取った領土の返還を求めたカイロ宣言を発表し、日本が同宣言の実施を定めたポツダム宣言を受諾したことで、中国に返還された」と主張している。 その上で、「日本による国有化は中国に対する重大な主権侵害で、先の指導者による領有権の『棚上げ』に背いた」と非難。「中日関係を著しく損なっただけでなく、世界の反ファシズム戦争勝利という成果への否定、挑戦」と位置づけ、日本に主権侵害行為を即時やめるよう要求している。 (2012年9月26日09時15分 読売新聞)
お礼
ご教授ありがとうございます。これからもじっくり勉強してみます。 実際にその時代を生きていると、その長い時間の中でたくさんの情報が入ってきて真実を見落としがちですが、逆に後から歴史を学ぶと単純化されすぎて全然だめだということがよくわかりました。 材料を丹念に拾い集め、それを並べて何度も読み返す努力が必要なことを強く感じさせられました。それでもご回答いただいたレベルに達するのは簡単でないとは思いますが、それだけにありがたく拝読いたします。