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われわれはブッダという父親を殺して来なかったのでは

noname#89707の回答

noname#89707
noname#89707
回答No.18

観念は人を支配しない。 人が観念に執着しているから、彼は悩むのである。 潔くよこしまな考えは捨て去り、明るい心を人は取り戻すべきである。

bragelonne
質問者

補足

  rain_nil さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。  ○ 精神(こころ)は大海のごとくであって 事件やひとの言動やあるいは頭の中に描く観念は 心理の作用であるに過ぎない。海面に波風が立つというに過ぎない。  ★ 観念は人を支配しない。 / 人が観念に執着しているから、彼は悩むのである。  ☆ とおっしゃるとおりですね。  しかも この表面を行き交う心理の動きが 嵐や台風のごとくであって 長いあいだつづくとなると 精神も落ち込んでしまう場合があります。  落ち込んだと思わなくなってしまう場合さえあります。あるいは これは《わたし》でないと はじめは分かっていたのが もはやその《うわべの偽りのわたし》でもいいやとやけくそになって忘れてしまい 居心地がよくなる場合さえあります。  いまでは DNAから行けば 同じ人間が過去にいたなどとは考えられません。しかも《前世のわたし》という観念がまかり通っています。《輪廻転生》という観念が――たましいのお遊びとしてならまだしも―― 大のおとなが真剣に議論する的になっています。  台風が一過性ではなくなっています。一過性であっても また来て欲しい どんどん来て欲しいという心理に変わって来てさえいます。  六道輪廻を断ち切ることが出来ると宣言したブッダが 自分も過去世には 気の遠くなるような時間にわたって生まれ変わり修行をして来たとのたまいます。方便としての説教なのでしょうが 一向にその効果は現われません。  効果がないどころか 方便が方便でなくなり いまでは 前世のわたしだとか輪廻転生といった観念が 多くの人びとの頭を支配しております。心のただの表面での動き・そこにおける何回にもわたる吹き晒しによる刷り込み これがあたかも人を支配しているかの様相を呈しています。  ★ 潔くよこしまな考えは捨て去り、明るい心を人は取り戻すべきである。  ☆ そうなのですが――そのとおりなのですが―― 多勢に無勢ということもあります。やはりどこまでもこころの表面に起こる波風であることに変わりはないのですが 一過性のものも年中行事にでもなると あたかも頭の中で格上げの操作が行なわれるのでしょうか おのれの分身であるかのごとく扱われるようになります。  ★ 潔くよこしまな考えは捨て去り、明るい心を人は取り戻すべきである。  ☆ という命題をひとりの人間がこの社会の中で実践していくにはむつかしい部分があるようです。そういう実践をしようものなら かえって波風が強くなって当たって来ます。  ま この波風もふつうの批判であるならまだしも ただのののしりが雨あられのごとく降ってくるという現象であることが多いようです。わたしも質問者としてじゅうぶんこの現象を味わって来ました。ここではその結果は 質問じたいの削除とあい成ります。  つまり海面のうわべに立つ波風も 一回ごとの動きが常態化してくると 人びとの頭の中を支配するかのようにまでなるという現実の一端ですね。このことをお伝えしようとしました。  しかも ブッダはこの悪循環に悪影響を与えているのではないか。こういう問いです。前世の自分 その因果応報の説。あるいは さとりという遠い空にある星をかかげたことにより 一方ではたしかに夜空に光る星なのですから 人びとにのぞみを持つことを促している。しかも他方では このきぼうの星の――観念としての――存在が 世の中のいやなことに対するガス抜きにもなっている。  昨今はならなくなってもいるようですが 社会のアマテラスお二階さんが 和を以って貴しと為すと号令をかければ たいていのあたまは 右を向いたものです。おとなしくなったものです。聖徳太子も ブッディスム関係と言っていいですから。  切りがありませんので 球をそちらにお返しします。

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