• ベストアンサー

なぜイスラム教の礼拝日は金曜日なのか?

高2の女です。 ふと、世界史の問題集でイスラム教の礼拝は何曜日に行うかという問題があり、答えは金曜日でした。ただ答えだけ記載されているだけで解説が無かったので、何で金曜日なのかなぁという疑問がわいてきました。 知識のある方、教えて下さい。 また、ユダヤ教は土曜日、キリスト教は日曜日に礼拝を行うようですがこの由来も教えて頂ければ幸いです。

  • pimik
  • お礼率98% (704/713)
  • 歴史
  • 回答数3
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8861)
回答No.2

・メッカ入城=627年3月、イスラム教徒の拠点ヤスレブを、イスラムを弾圧するメッカの既成宗教勢が包囲する「ハンダク(塹壕)の戦い」で、メッカ側は攻略に再度失敗します。その後、メッカの隊商へのイスラム側による襲撃により、メッカのクライシュ族は経済的危機に陥ります。圧倒的な軍事的優勢を得て、630年1月11日(金曜日)ムハンマドらが、メッカ無血入城します。 この勝利を祝し、以後イスラム教徒は金曜礼拝をもっとも重視し、金曜日が休日となりました。 ユダヤ教・・・創世記に、天地創造を始めて、創造の業を完了した神が七日目に休まれたことに、ちなみ、週の七日目の土曜を、聖日とした。 キリスト教・・イエスが、キリストとして日曜に復活したことを信じ、 日曜を聖日とした

pimik
質問者

お礼

お礼が遅れて済みません。 成る程!イスラム教を唱えたムハンマドがメッカを征服したのが金曜日だったのでそれを祝して金曜礼拝を重視するようになったのですね。それなら納得です。 ユダヤ教、キリスト教についても納得です。 いや~、心の底からスッキリしました☆ 有難うございました。

その他の回答 (2)

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

「キリスト教」といっても, 全てで日曜日に礼拝をするということではないようですぜ.

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%81%AF%E6%97%A5
pimik
質問者

お礼

お礼が遅れて済みません。 必ずしも日曜日と決まっているわけでは無いのですね。 勉強になりました。 有難うございました。

  • wild_kit
  • ベストアンサー率32% (581/1804)
回答No.1

 あははは。 私もわかりませんでした。 なんで金曜日がイスラム教の礼拝日なんでしょうね??  ユダヤ教の礼拝日が土曜日なのは、神様が天地創造を終え7日目を休みとされたので、それを由来とします。 ですから、土曜日は一番右側(= その週の最終日)なのです。  キリスト教で日曜日が礼拝日となっているのは、キリストが復活されたのが日曜日とされているからです。 アーメン

pimik
質問者

お礼

お礼が遅れて済みません。 ☆ユダヤ教 神が天地創造をなさって7日お休みなさったのが由来なんですね。 知りませんでした。つまり週の最終日となるのですね。 勉強勉強っと_φ(・_・ ☆キリスト教 キリスト様が復活された曜日が日曜日だったのですね。 こうやって分かると昔の人々は神の存在を重視していたのですね。 神々しいです(^_-)-☆ 非常に勉強になりました。 有難うございました。

関連するQ&A

  • 礼拝。

    こんばんは。 イスラム教徒が、一日5回、礼拝しています。なりふり構わず。 それを見て、キリスト教徒は、どう言うでしょうか? さらにユダヤ教徒は、その事態に直面して、どう言うでしょうか? よろしくお願い致します。

  • キリスト教はイスラム教から生まれた?

    キリスト教はサウロ(パウロ)が創始した宗教だと思っていました。サウロは熱心なユダヤ教徒だったらしいので、キリスト教はユダヤ教から生まれた宗教だと思っていました。しかし、「キリスト教はイスラム教から生まれた。イスラム教異端派の最大勢力だった。」という説もあるようです。このことについて解説してあるサイトをご存じでしたら、教えて下さい。

  • ユダヤの安息日について

    ユダヤの安息日は金曜日の日没から土曜日の日没までとされています。そうしますと、最初の始まりは何曜日になるのでしょうか?? 日曜日が始まりだとすると安息日である金曜日の日没から土曜日の日没までは、六日目になり七日目ではありません。そうしますと土曜の日没が始まりとなるわけですか?? 神の天地創造は何曜日から始まったのでしょうか??

  • 安息日について

    キリスト教はミトラ教の影響で日曜日が安息日ですが、 ユダヤ教では土曜日が安息日だそうです。 なぜそうなんでしょうか?さっぱり、分かりません。 是非、教えて下さい。

  • 【再投稿】では週末に 金曜日はいかがでしょう?←の意味は?

    すみません、少し前に同じ質問を投稿したのですが、付け加えたいことがあったので、前の質問は締め切って再投稿します。 ご回答いただいた方ありがとうございました。 以下が質問です。 --------------- 彼と今度会う約束をしました。 メールで では週末に 金曜日はいかがでしょう? と書いてありましたが、これは金曜のみのことでしょうか? それとも金・土・日も含まれているのでしょうか? 彼と私は共に一人暮らしで、一人暮らしというと洗濯や家事?その他用事などは、大抵週末に済ませたりするのですが。 そういうのもあり、大体会う日程は ●土曜日の夜~日曜終日 ●日曜の午後~終日 というパターンで、泊まりを含めて長く過ごすためには、暗黙の了解で土曜日を大抵用事に当ててその後ゆっくり会うというパターンでした。 でも今回金曜日の指定は初めてでした。 これは、金曜~日曜ずっと一緒に過ごせると考えてもいいのでしょうか? 今までのパターンを考えて、いきなり土曜や日曜になったら帰って!と言われないと思うのですが・・・

  • ユダヤ教の休日とキリスト教の休日

    「週末」wiki によると「ユダヤ教徒の休日である土曜日と、 キリスト教徒の休日である日曜日」とあります。 キリスト教はユダヤ教から派生したにもかかわらず、休みが異なるのですか?

  • ユダヤ教、キリスト教、イスラム教について(平和はあるのか?)

     ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の起源はひとつであるときいております。それなのに(だからこそ?)、上記3つの宗教がお互いに和解できないのはなぜなのでしょうか?  まあ、和解できない理由をなんとなくわからないでもないですが、中東における深い問題を解決し得る”すばらしい和解への方策”、そのシナリオを誰か教えて(作成して)いただけないでしょうか?

  • キリスト教教会の日曜礼拝のような集会を、他の宗教は行っていないのでしょうか?

    大抵のキリスト教の教会は、日曜日に礼拝を行います。 そこでは、初めてそこを訪れた外来者も迎えられ、礼拝が終わった後は昼食などを一緒にいただきます。 しかし、他の諸宗教、たとえば仏教系などで、このような週一回の、一見さんでも迎え入れられるような集会をやっているというのを私は聞いたことがありません。 他の宗教でも私が知らないだけで、このような活動を一般に行っているのでしょうか? そうだとしたらぜひ行ってみたいのですが。

  • イスラム教 本来テロに関係なく良い宗教と感じますが

    敬虔なイスラム教徒はテロ、ジハードに関係ないと思いますが? コーランに書かれた教えには異教徒を排除するような教えは 存在していなくて、 それは新約聖書に描かれているキリストの教えと同様です。 イスラム教自体は、極めて差別性とは無縁な宗教であって、 異教徒を差別するような論理は、 真のイスラムの教えには存在しないと言われています。 この点を指摘することは、今後の世界平和を考える上で 重要な論点であって、 イスラム過激派の主張はあくまで政治的なもので、 イスラム教とは基本的に無関係であるという認識が重要です。 この事実は、キリスト教との比較でもより鮮明になります。 一般にキリスト教の信者は、神の子キリストを特別視しています。 しかし、イスラム教信者はモハメッドをキリストのように 特別視はしていなくて、モハメッドはあくまでアラーの神の教えを 人々に伝えるメッセンジャーに過ぎず、 私たちと同じ人間だと考えられています。 この違いは、キリスト教とイスラム教の違いに反映されています。 キリスト教徒の世界では、 キリスト教徒と異教徒とは、もともと厳密に区別されてきました。 それ対してイスラム教徒は、異教徒に対して極めて寛容です。 しかも、その寛容さはコーランの教えに由来しています。 キリスト教には差別の歴史が濃厚にありますが、 イスラム教には基本的に宗教絡みの差別の歴史が存在しないと言われています。 ただし、シーア派とスンニー派の対立など、 宗教的な教えの解釈も絡んだ政治的な対立は、この間に一貫してありました。 しかし、これは宗教的な対立というよりも、極めて政治が深く絡んでいる問題です。 ひとつ象徴的なこととして、キリスト教徒は 歴史的に布教活動を積極的に行ってきましたが、 そもそもイスラム教徒は布教活動自体を行いません。 キリスト教徒の布教活動には、 異教徒を正しい宗教に改心させるという狙いがありますが、 イスラム教徒にはそうした発想がありません。 そこはイスラム教が、異教徒を含めて すべての人間が神の前で平等であるという発想を、 まさに教えの基本にしていることに由来しています。 イスラム哲学の権威として有名な井筒俊彦氏の著書などを読むと、 その辺のことが詳しく説明されています。 こうしたイスラム教についての基本的な認識が、 大多数の日本人には欠落しているので、 上記のような点を指摘することは重要なのです。 イスラム過激派が、コーランの文句を言えない人 を異教徒として殺害したからといって、 そうした常軌を逸した行為をイスラム教と結びつけるのは、 おそらく正しい判断とは言えないのです。 イスラム教自体を批判しても、 およそ発展的な議論にはならないのでは、という感じがします。 少なくともテロに心を痛めている 大多数の敬虔なイスラム教徒との連帯を阻害するだけにしかならないと思います ただ異教徒差別はないものの、女性差別は存在します。

  • イスラム国の兵士は、エボラの研究を終了してから聖戦

    内戦をしている場合では、ないかもしれない。人類共通の敵「エボラ」は、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、仏教徒を無差別に殺戮し、世界人類を破滅に追い込むかもしれない?