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古代日本から重視されてきた「八」って?
今、数字の歴史研究をしています。色々調べていた所、数字の「八」は古代日本(仏教が伝わってきた頃?)から何か重要な意味を持つようになったらしいです。そうでなくても、日本の山々には八幡の神がいる、などの言い伝えもあったようです。 ここで質問があります。何故そんなに「八」が重視されてきたのかが良く分からなくて、苦戦しています。何か関連のある資料など知っている方がいらっしゃいましたら、教えて下さい!
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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に解答欄に書きましたとおり、数のことに私も関心があり、たまたま私の保存してあるものを見つけましたので、追加します。 なお、数について多くの方が、ご関心です。 http://kite.meikai.ac.jp/japanese/meikainihongo/7/wang.pdf http://www.geocities.co.jp/Bookend/3479/ 自分のファイルにあるのですが、添付文書ができませんし、私はブログっていうのですか、HPもありませんので、お伝え出来ませんが、技術を習っていつか出したいと存じます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
数には多少関心があり、ご回答を拝読するだけにしておりました。 此処に来て、河図のご説明があり、直ぐに連想するのが、河、図をいださずの嘆息でした。 そして私も一つのご参考にしてもらいたいことを投稿する事に致しました。 仰せのように八は大きな意味性がありそうです。 中国のことは、もう50年も前夢中に読書だけですが、関心を持ってきております。 でも信仰のことで、ここ40年ほどはインドのこと、バガヴァッド・ギータ関係に入れ込んでいます。 創造の至高霊の化身、シャンタヌ王が森の中で出会う女性。ガンガ。 森とは至高霊の意識のことで、たくさんの観念や意志、力があるのですね。 ガンガ、ガンジス。宇宙創造界である化身、創造界は女性なんですね。基本的意志、観念、vibrationですね。 シャンタヌと結婚した第一妃、ガンガが生むのは八人の子ども(王子)。 これは天界における、ある当為原理を象徴している。 一定のいきさつで、試練の償いをするためにガンガに地上に生んでもらうのですが、約束通り、ガンガは産むとすぐに、これをガンガ(ガンジス)に戻してしまう。 つまり殺すのです、つまり、不可視にする。天に戻す。 見かねたシャンタヌは、ガンガに懇請して、最後の八番目の子どもだけは何とか助命してもらう。 これがビシューマ、つまり人間意識ということです。はっきりいえばエゴです。 シャンタヌの懇請を受け入れたガンガは、代わりに自ら出てきたガンガ(ガンジス)に帰ってしまう。つまり死ぬ。 このようにインドの創世記でも八というのは宇宙の原理となっています。 宇宙は八つの原理(材料と、当為)ででき、その最後の原理がエゴであるということになっています。 私たちの勉強では。以上ご参考までに。
- michael-m
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時代の序列が判らないので断言はできません。また、易経や気学などの書物にも、時代的に順を追って経緯を述べてあるものを知りませんし、後世の人が記したものは、あまりアテにも出来ませんので、あくまでも個人的見解ですが… 季節は4つ。方位は4つの正方位(東西南北)と4つの隅方位(東南・西南・西北・東北)で8つです。 さて「囲」型の升目を書くと、升は9つ。等分された辺は12辺あります。これが十二支になります。 一方、全ての根源は陰と陽の二つです。そして、森羅万象の素材は「木火土金水」の五つです。 この素材にそれぞれ陰陽をつけると10組できます。これが十干です。 各マスに数字を入れていくと10個目は元の位置に戻ります。つまり、1~9に順行し、10で元に戻る事になりますから森羅万象の素数は1~9です。 基本的な所は「河図洛書」(参考はウィキペディア)で押さえて頂ければ幸いです。(ちょっと説明とは異なりますが、参考を用いれば、あまり異論は出ないと思います) ところが、「囲」型の周辺は東西南北、春夏秋冬に当てはめて変化しますが、中央はどの方位にも季節にも当てはまらず、変化が起きません。 つまり変化し続けるこの世の現象は8つの領域に当てはまると言う事になります。これが八方、八卦の基本となります。 逆にこの世の摂理を説明する際には、8つに分ける事で網羅できるとも考えられます。 なので多くの現象などの説明には8又は4を使うのです。 つまり八百万は変化し続けるこの世の森羅万象を司る全ての神と言う事になります。 仏教にもこの考え方が当てはまり、八苦、八正道、八部衆など多くの8が使われています。 日本と中国との関係は卑弥呼の時代以前からあり、中国の知識も早くから入っていた事に間違いはないでしょう。 また一説には卑弥呼自身も中国からの移住者(亡命者)というものがあります。 つまり、神道(というはっきりしたものではなくても)の成立期には既に中国の思想が基礎になっていると考えられます。
- phj
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世界中で「数」というものは神聖視されてきた経緯があります。 西洋ではピタゴラスの時代に数学が発展したために、割り切れる公約数が多い6の倍数(これが24時間制の起源)や素数も「神秘的」なものとして扱われてきました。英語で11と12の呼び方が13以降と違うのは、12進法が使われていた時代のなごりです。 「7」がラッキーナンバーとして受け入れられるのも、素数だからですし、「13」が不吉とされるのは、キリストの伝統を素数(神秘的→不気味な数字)が補強しているからです。 日本も中国の天文学(数学を扱って星や太陽の運行を予測する)が古来から伝播してきた際に、数字を神秘的に扱うようになりました。当時は学問として理解できた人は少なかったために、庶民には文字も数字も「偉い人が使う」神秘的なものだったのです。 そのうえで、「八」は末広がりとして縁起がよいと広まり「九」は苦、「四」は死、につながる数字として(意味が良く分からないのに)恐れたのだと思います。 古代では文字を理解している人が少ないうえに、文字を紙に書くこと自体が一般的ではなかったのです。つまり「今年の漢字」のようにお坊さんが何か紙に書くだけで、(意味は分からないけど)ありがたいものだったのです。 お札に意味の分からない文字が羅列してあるのも、そのような名残でありがたかったからです(もちろんお札の文字に意味はあります) このような時代に、文字と数学が中国からやってきたため、中国思想から末広がりは「子々孫々が増えて自分の家系が広がっていく」という意味がこめられ、仏教と共に広がっていったのでしょう。
- cyototu
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こんな説もあります。古代の日本人は数字を数える時に、右手なら右の親指以外の右手の指をその親指に触れて、各々摘むような形で数えていた。そうすると片手では4、両手では8が最大の数になります。ですから8は最大の数、即ち大きな数と言うことの象徴になります。そこで、古代の日本では、物の多いことを八、八十(やそ)、八百(やお)、八千(やちよ)、八百万(やおよろず)、などと表現していた。従って、八百万とはその数字その物ではなく、とても多い、あるいは無限大を表していたと考えられます。 その後、中国から八の漢字が入って来て、その形は末広がりで縁起がいいとして、ますます八が特別な意味を持つようになった。 ところで、指を使って数えると10となるのが自然だと言う見方は、必ずしも、当たりません。上の例の8ばかりではなく、例えば、一本の指を折り曲げると1、伸ばすと0と言うことで、右手だけの指の形を色々組み合わせて行くと、その形は全部で2の5乗=36通りあります。そこで順番に指を折り曲げたり伸ばしたりすると、片手だけで36まで数えられます。ですから、指を使って数えれば10になるというのは絶対に正しいわけではなく、日本の古代人のように8になったり、片手だけで36になったりします。
ヤタガラスも確か八と関係があるという話を聞いたことがあります。柳田国男さんの著作に何かないでしょうか。私としては数字というのは、例えばなぜ指は5本あるのかというのと同じくらい難しいことなので苦戦するのも当然だと思います。短歌などでもなぜ57577なのかという研究はたくさんあります。難しいからやりがいがあるのだと思います。ご学運の隆盛をお祈りいたします。
- myeyesonly
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こんにちは。 以前、同じような質問がありました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3103617.html 末広がりでしょうかね。