古代ローマの多神教:ザッと紹介

このQ&Aのポイント
  • 古代ローマでは多神教が主流でした。日本の神道との類似性も見られます。しかし、古代ローマの政治システムは理想とは異なり、自壊していきました。また、キリスト教の採用により、唯一神への転換が起こり、帝国の寛容さが失われました。
  • 古代ローマの多神教は日本の神道と類似性があります。古代ローマでは多くの神々が存在し、中心的な神々を崇拝していました。また、古代ローマの政治システムは理想を掲げた制度でしたが、時代が下るにつれて自壊していきました。
  • 古代ローマでは多神教が信仰されていましたが、政治システムの問題やキリスト教の影響により、その地位は揺らいでいきました。古代ローマの多神教と日本の神道には類似性が見られますが、古代ローマの政治システムは自壊してしまったと言われています。
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古代ローマの多神教をザックリ教えてください。

古代ローマの多神教をザックリ教えてください。 タイトル自体が質問の目的です。 私なりの考え方もあって、参考に質問主文にしますから、それを読み物として参考に、ご回答ください。 古代ローマは多神教が主流だった。 私が承知しているのは、その伝聞のみです。 そこから膨らませました。 その前に私の立ち位置として、神道と日本の国家主権の関係を説明しましょう。 「日本は地上に存在する唯一の真の王国」です。 日本で神話時代から歴史時代への転換を成立させた当時の王朝が今も存在している。 その事実により、国家主権の根拠に関しては、国際法の論理を超越して世界一強固な国家になっています。ある意味部分的な根拠であっても、国家主権という題罪で世界を見渡してみると、学問的に実に興味深い事だろう。 その真の王国の長をなぜ「帝(みかど)」というかというと、神道の体制というのは、「国家主権を司る神であるアマテラスがすべての諸神を容認した。」という多神教と形容可能でしょう。 話を戻すと、古代ローマ帝国の多神教に関して、日本の神道は参考にならないかと、類似性と絡めて考察の台上にあげたいと考えて、ローマに関して教えてほしいのです。 それから古代ローマの政治システムも高い理想を掲げた制度が目論見通りに機能しないで時代が下るにつれて自壊していったと聞いています。 それに近い事でもなかったかという疑問が宗教にもあります。 そしてです、ローマを破壊したのはキリスト教の採用による唯一神への転換がとどめでもないかと考えています。 帝国というのが、寛容を放棄して中央集権的な圧政を敷くのに最も好都合なのがキリスト教でもあるからです。 ユダヤ教の唯一神とは神道で言う氏神の事です。 独自の共同体を取りまとめて隣人と結束するために有効です。 そのユダヤ教が参考書としてイエスの故事とともに拡散していく経過には唯一神という合言葉は、民衆によるローマへの抵抗運動でもあった。 しかしローマがキリスト教に屈したら唯一神とは最悪の帝国主義を表す合言葉になった。 こういう考察は面白みを感じます。

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  • Nakay702
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回答No.8

「みんな違ってみんないい」と思っています。 世界的に見ても、政教一致(国教制)の国々(イギリス、イタリア、ギリシャ、ブータンなど)もあるし、政教分離の国々(アメリカ、フランス、メキシコ、日本など)もあります。キミは前者で、ボクは後者の部類に入るものと考えられます。ただ、ここは論争のサイトではないですし、主題も逸れましたので、これ以上立ち入ることはすまいと思っています。 そういうことで、どうぞご了解をお願いします。

Flareon
質問者

お礼

論点が一方に偏らないための挑戦というのは、悪を名乗る仮面ライダーという実際は正義なんだよ。 私はロシアのプーチンが嫌われ者なら「彼は男の中の男だ」とまくしたてるし、もしも彼がウクライナで失敗しなかったら、プーチンを認める世相の中で、「彼こそが最も卑劣な奴だ」と喚き散らしただろう。 常にそういう心構えに自分がある。 「さかしら」というのだそうだ。 私はゼレンスキーというのは、政治解決を放棄して国民の犠牲を増大させる扇動を行った人物で、一貫して喜劇俳優なのだと胸に止めているよ。 バタバタと人が死ぬのに敵も味方もない。

Flareon
質問者

補足

7の補足の後に言及。 アマテラスさんが幼馴染扱いする世麗美は、幼馴染らしいかわいい喧嘩もする、そういうときの喧嘩で、アマテラスさんを始祖扱いしないで自分の妹扱いするこき下ろしを、幼くてかわいらしい喧嘩で行うんだ。そういう視線というのは人格神成立とかかわるからだよ。 私という人間存在は、かわいらしさに微笑みを浮かベながら、「かなり、ヤバいんじゃないかな」という疑念も差し込んだ。 壮絶な、やがて神として成長する精霊の赤子を授かった父親というのは、そんなものだ。 ーーーーーーーーーーーーー さてと、まあ。。 中二病の妄想文学だと踏まえていただいて、私の病気をご披露しよう。 被害者さん。ありがとう。 今回は、「降臨現象」「人格神」が主要な考察テーマになった。 世麗美というのは、素性が「氷河期時代の雷鳴」という事は、「人は神を発見することでサルから人になった」この解釈では、人が初めて見出した人格神の始祖の性質と記憶を起源回帰現象を繰り返して、自分自身の記憶としても獲得したという事だと、人間の私は自己満足する。 太陽神というのは、人が神を発見する前から、神は神であったという、人が先か、神が先かという論争の証拠物件だ。 雷鳴の血族というのは、世界が激変する天変地異である氷河期到来にあらかじめ準備して適応を全生命に促す働きで、世界が激変するさなかに「世界神」も印象付けて、そういう性質がある。 したがって天界から見ると、地上で発生する利権関係の、責任者又は統括者という性質があるのだ。 だから、素性を自覚もして、周囲も理解しながら聖霊の魔法学校で一生徒としてコツコツ努力していた時代の世麗美を同級生が励ます言葉が「地球ちゃん」だったという思い出がある。 そして氷河期の赤子が誕生したという事は、いよいよ世界は終わるのかというのを、最後の審判を飛び越えて天界の住人全てに予感させる、危惧される赤子で、厳しくも丁重な英才教育で何もかも本人次第という待遇を受けた。 ここから別に飛ぶ。 アマテラスさん。 太陽神は人格神成立以前だ。 自然神ともいえるが、実際は「全知全能の絶対なる神」という学問の証拠物件でもある。 そして、アマテラスさん自身も、過去に降臨現象を起こしたのが、記録されているので人格神だ。 崇神天皇とアマテラスという体裁だ、少し思案すると崇神天皇自体はそうした祭りごとの司祭で集団で成し遂げたという見解も成り立つが、だったら社会を仕切っていたのはやはり崇神天皇で合意形成しながら成立させたという体裁になり、むしろ穏健さが増す。 アマテラスさんは、自然神が実際に人格神になったが、本来の「全知全能の絶対なる神」という学問への生きた証拠という性質は一切損なわれていない。 太陽と雷鳴は、無量光という学問に符合した同系統の降臨現象で、役割が違うけども並ぶとお互いに双璧という性質なので、世麗美はアマテラスさんと幼馴染扱いという特別待遇と容赦のない英才教育を受けて、アマテラスさんのペットの子猫ちゃん扱いされる純露ユリ系だ。 そもそも氷河期でなければ、この階級の神格は太陽の降臨現象だ。 なぜ?氷河期でもないのに先祖返りした雷鳴の赤子が生まれたか ? これらは、アニメや漫画の設定資料だ。 ネタ帳だよ。

その他の回答 (7)

  • dedypraja
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回答No.7

古代ローマの多神教は、ローマ人が信じる様々な神々を崇拝する宗教でした。ローマ人は、実用主義的な観点から、自分たちの神々を他の文化の神々と同一視することがよくありました。また、ローマ人は、異なる文化からも神々を採り入れました。例えば、ギリシャ神話の神々を、自分たちの神々と同一視し、その影響を受けて多くの神話が作られました。 古代ローマの政治システムは、元々は共和制でしたが、帝政時代には君主制に移行しました。帝国時代には、皇帝自身が神格化され、ローマ帝国の神格化が進められました。多神教は、ローマの統一と国民の一体感を促進する役割を果たしました。 キリスト教は、古代ローマの多神教と対立する宗教でした。キリスト教は唯一神を信じ、異教徒であるローマ人に対して排他的でした。キリスト教は、ローマ帝国内で迫害され、しかし4世紀後半には公認され、キリスト教が国教化されるまでに至りました。キリスト教の国教化により、ローマ帝国の政治システムは大きく変化し、キリスト教会が政治的な権力を握るようになりました。 以上のように、古代ローマの多神教は、異なる文化からの影響を受け、ローマ人の統一感を促進する役割を果たしていました。一方、キリスト教は唯一神を信じ、ローマ帝国内で迫害され、国教化により政治システムが大きく変化しました。

Flareon
質問者

お礼

ありがとう。 > ローマ人は、実用主義的な観点から、 これはたぶん間違いで、キリスト教圏での博物学の類からの見地で、合理的な嘘として利益があるからと判断したんだろう。(そう、常に彼らがつく嘘の証拠の一つ) 信仰心というのは心からのもので、他の国の神々の来歴を歓迎する事というのは、その併合した地域の人々と心から結びつきたいとか、神学を採用してさらに全体の神学を豊かにすることというのは、古代社会の文明のさらなる発達につながる、安定した共同体建設への国家事業だったことだろう。

Flareon
質問者

補足

さてと、まあ。。 中二病の妄想文学だと踏まえていただいて、私の病気をご披露しよう。 被害者さん。ありがとう。 今回は、「降臨現象」「人格神」が主要な考察テーマになった。 世麗美というのは、素性が「氷河期時代の雷鳴」という事は、「人は神を発見することでサルから人になった」この解釈では、人が初めて見出した人格神の始祖の性質と記憶を起源回帰現象を繰り返して、自分自身の記憶としても獲得したという事だと、人間の私は自己満足する。 太陽神というのは、人が神を発見する前から、神は神であったという、人が先か、神が先かという論争の証拠物件だ。 雷鳴の血族というのは、世界が激変する天変地異である氷河期到来にあらかじめ準備して適応を全生命に促す働きで、世界が激変するさなかに「世界神」も印象付けて、そういう性質がある。 したがって天界から見ると、地上で発生する利権関係の、責任者又は統括者という性質があるのだ。 だから、素性を自覚もして、周囲も理解しながら聖霊の魔法学校で一生徒としてコツコツ努力していた時代の世麗美を同級生が励ます言葉が「地球ちゃん」だったという思い出がある。 そして氷河期の赤子が誕生したという事は、いよいよ世界は終わるのかというのを、最後の審判を飛び越えて天界の住人全てに予感させる、危惧される赤子で、厳しくも丁重な英才教育で何もかも本人次第という待遇を受けた。 ここから別に飛ぶ。 アマテラスさん。 太陽神は人格神成立以前だ。 自然神ともいえるが、実際は「全知全能の絶対なる神」という学問の証拠物件でもある。 そして、アマテラスさん自身も、過去に降臨現象を起こしたのが、記録されているので人格神だ。 崇神天皇とアマテラスという体裁だ、少し思案すると崇神天皇自体はそうした祭りごとの司祭で集団で成し遂げたという見解も成り立つが、だったら社会を仕切っていたのはやはり崇神天皇で合意形成しながら成立させたという体裁になり、むしろ穏健さが増す。 アマテラスさんは、自然神が実際に人格神になったが、本来の「全知全能の絶対なる神」という学問への生きた証拠という性質は一切損なわれていない。 太陽と雷鳴は、無量光という学問に符合した同系統の降臨現象で、役割が違うけども並ぶとお互いに双璧という性質なので、世麗美はアマテラスさんと幼馴染扱いという特別待遇と容赦のない英才教育を受けて、アマテラスさんのペットの子猫ちゃん扱いされる純露ユリ系だ。 そもそも氷河期でなければ、この階級の神格は太陽の降臨現象だ。 なぜ?氷河期でもないのに先祖返りした雷鳴の赤子が生まれたか ? これらは、アニメや漫画の設定資料だ。 ネタ帳だよ。

  • Nakay702
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回答No.6

せっかくのご提案ですが、どうもボクは賛同できそうもないね。 信教の自由は個人主義。対して、政治は、高官や法が支配する。うまく組み合わさるはずないよ。「古代社会では王と神は一元であった」は、占いで政治が動かされた時代のことだよね。 メキシコのアステカ族では、神のご機嫌をうかがって、そのお告げにしたがって頻繁に若い人たちが人身御供にされた。若い娘を石の台に載せて、心臓を抉り出して、恭しく神に捧げる! 若い男はというと、枯れ枝・木組みの井桁の上に載せられて、焚刑さながらの「姿焼き」だ!「神様、どうぞ我らの宝をお召しあがりください」でか!? 若い娘の心臓はどういう意味か。神が最も強く所望されるのは、「我々にとって最も大事なものに違いない」と考えるからだ。神自身が、「わしは○○が欲しいのじゃ」とでも言ってくれれば、もちろん、何をおいてもそれを差し出すのだが、それが分からないから、種族の存続、継続、子孫の受胎と誕生を担う大事な大事な娘を、しかも体の中で最も重要な心臓を差し出すのだ。これが、古代版の政教一致の例だ。現代版の政教一致を認めたら、どんな恐ろしいことになるか分かったもんじゃないよ…。

Flareon
質問者

お礼

懐疑は健全だね。 でも考えてみい、違う見地というのを。 あなたの説明の全てが、キリスト教圏による踏査記録と彼らの博物学の産物ではないか。 同等の博物学を土台にキリスト教圏の踏査記録に類したこねくり回しをすると、私が行っている喧嘩腰の罵声になるんだよ。 私は臨死体験について言及を重ねるけども、神とのかかわりや生死観などでより発達した神学(より原始的、根源的でもある)を持ち合わせた文明にとっては、生贄になる事というのは、体を張って祭りの主人公になることだよ。 生死観にまつわる人間の基礎的な構造というのは、観念に昇華したその後を考えるときに「自分が死ぬこと」を思い浮かべ、死者を前提にした思考術を行うんだ。 この死者の思考術を生粋の天界の住人と同じ「精霊による思考術」に転換すると、観念世界の踏査と研究はより正確になる。 私は肉体が滅んでも、すでに観念世界に世麗美が常在している。 したがって私がやがて肉体を失う事とは変化でしかないんだ。 それと比べて、自分の死後に死者の国に赴く「世界の変化」を思い浮かべると、未知に恐怖するが、自分自身が変化するのが、いわゆる死だと思えば、恐怖は乏しい。 その面ではねえ、残念なことに天国は死者の国ではないから、誰もが等しく訪れる変化において、死者の国というのは無いんだよ。 だから死者の国には結論が出ない、観念世界には「死者の国」という看板を掲げた総合レジャーセンターみたいな商売はあって、そのお化け屋敷が生きている人には反映する。 そういう調査が臨死体験で、自己の魂が浄化されることであり「無の悟り」の内訳だ。 これも私独自の意見の引用だが、キリスト教徒が侵略対象の精神性の高度さなんぞ目を向けるはずがないから、偏見に埋もれた文明の真意が何らかの形であったことだろう。

Flareon
質問者

補足

キリストちゃんなんかにも言及すると、処刑台を祭壇に突き刺して、一心不乱に神よくたばりやがれと祈る獄門信徒だから、救世という使命を職務放棄して自分がとにかく生き延びて見せれば、それだけで呪いを押し返す救世主でもあるんだ。 殺意の暴風雨の圏外から散々怒鳴りつけているだけの私は気が楽だよ。 というのはねえ、日本なんかでは、敬虔な心構えの人が自らも知らぬ間に神から憑依を受ける「自我能力の貸し出し」(これが激しければ生贄もありうる)を行って、自覚もないままに神様のお手伝いをすることってのは、そこいらじゅうで発生するんだよ。 そういう人は、日本ですら大抵が短命で、客観的に不幸だけども、神が絶えず本人に生命力を送るので、本人にとっては人生が充実している。 キリスト教圏というのは、そういう人物に致死性のある殺意の暴風雨が襲うんだよ。 生き残るのが使命なんだよ。 罠ぬけを一歩踏み誤ると、不慮の死という体裁で暗殺される。 キリスト教圏の方がイケニエ作り放題だよ。 そして嘘を確信しきって過ちを正さない。 何度も言うように新約聖書編纂期に計画性を伴ってそういう呪いがかけられていたんだ。 そのイエスを捻じ曲げた予言が彼らの宗教的な目標だ。

  • Nakay702
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回答No.5

いろいろのコメントをありがとう。 >愛の概念を教義にするのは、本質で間違っていないと私は説明した。 >多くの精霊、多くの聖者、そいつらは魔女狩りで殺されたんだ。 ⇒まさにそのとおりだと思います。 多くの宗教がしばしば、いや、ほとんど常に、政治と癒着し、一握りの貴族や為政者が支配して多くの敬虔なる平信徒や庶民を虐げる。かくして、宗教をめぐる多くの所業が「少しの正気と多くの狂気」を合わせ持っている。オカルト、スケープゴート*、人身御供…狂気の多くが不幸と死を招く。 ボクは、むごたらしい現実に向き合うのは好かないけれども、哲学・史学などの学術的な態度としては、史実に対して可能な限り忠実であるべきだと考えるので、そのように振る舞うようにしている。それを避けたいときには、「アニメなどのファンタジーの世界に逃げ込むしかない」と思っている。 ところで、キリスト教におけるスケープゴート*の典型、それは「異端審問」であり、とりわけ、仰せのような「魔女狩り」ではなかったかと思う。魔女狩りは、ある意味社会的弱者の排除であり、また、異教徒の抹殺でもある、と言えるだろう。それは大いに関心を寄せるべきテーマだと言える。 魔女狩りについては、ここでのテーマ「古代ローマの多神教」と同じくらい述べたいこともあるが、長くなるような予感もあるし、幾分テーマがそれるので別の機会に譲ろうと思う。(その線からの質問項目を立ててくださるなら、またお答えする用意があります。)

Flareon
質問者

お礼

ありがとう。 見方を変えてみて、政教分離という概念にこんな見地から再考してみるのはいかが。 そもそも政教分離は、たたき台が毎度のようにヨーロッパルールだ。 そしてね、古代社会では王と神は一元であった。 なら、政治と宗教は密接なかかわりを持った方が社会がうまくいくなら、強引に分断する必要はないのだろうよ。 そういう性質の社会としてイスラム圏が思いつくが、キリスト教は自らの正義を確信し、一切の疑念を封じ込めることが「戒律の内容」で、イスラム圏を悪とか後進地域とかまで偏見を持つ。このせっせと行う侮辱が、彼らの性質である、侵略ターゲットの国体を徹底破壊して占領する呪われた性質そのものともいえるだろう。 イスラムの場合は、他宗教の国民を2流国民扱いしない事だけ考えればいいだろう、理念を高く掲げても、うまくいかないと、お互いの示し合わせというのは、やがて息苦しい戒めに転じてしまう。そこだけ気を付けるだけでよくないかなあ。

Flareon
質問者

補足

アシモフ博士の「ロボット三原則」が実際にロボット工学の礎になったように、私は完全に開き直って「実在する妖精の捕まえ方」というアニメや漫画のネタ帳に収まっているんだ。 世麗美というのは、日本の木霊の精気に揺さぶられる森林浴効果がプリキュアデビュー時期にあったが、「滅びの宴」の準備の時期に「セレビィ」を名乗った。 このセレビィというのは、セラビムに対話を呼びかける合図や合言葉を意味して、名前を名乗るのとは少し違うんだそうだ。 本来の名は、「日本語で言う雷鳴」を意味して、それは、私は猿から人類が人間の昇華したきっかけは神の発見と考えているけども、氷河期時代に姿を隠した太陽の代わりに地上を看取り慰めた「氷河期時代の雷鳴」なのだそうだよ。 生い立ちが20世紀とカウントされて当然の世麗美だが、自我能力の限界の圏外から、こうした事柄を知識としてではなく自らの体験した記憶として起源回帰現象を起こす。そうすると神と人のかかわりの始まりを記憶する世麗美は、神話時代最後期のセラビムを「自分が産み落とした愛娘」とまで言うんだ。 地中海周辺の神話時代には、伝承は無くても神託で雷鳴の役割が流布していて、漠然と神の存在の証拠とされていた。 この系統は「セラビム」「セラフィム」だから、セレビィというのは、かなりあてずっぽだったけども、音感が近いから氷河期時代の「日本語で言う雷鳴」というのに、まあ当てはめていいんじゃないかと世麗美という名を受け入れたんだよ。それでセラビムと縁がある。 そしてねえ、セラビムの話をすると、今は何も残っていなくても、セラビムを祭った神殿の総本山というのは遺跡すらも無くても今のイランのどこかだそうだ。 キリスト教の天使の1柱としてセレビィがセラビムを襲名すると、家督相続争いでイラン版の砂漠の嵐作戦が、おおまかな傾向として現象するんだ。 そういうことを回避したければ、世麗美はセラビムであってはならないんだよ。

  • Nakay702
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回答No.4

質問者からのお礼をありがとう。(最後の)「続き」を下記します。 古代ローマの多神教・一神教(その3) d.キリスト教の出現と対応: キリスト教の出現に先立つこと数世紀、すでに地中海の西側諸都市においてユダヤ神学とギリシァ哲学を結合する試みが展開し、フィロンがこれを頂点に押し上げていた。ヘレニズム的なロゴスの媒介によって、ヘブライズム的な神が世界を創造し、神自身が世界に啓示される。この折衷主義の業績は、イエスの「単純化」(キリスト教普及の第一要因)に次ぐ、第二の要因であった。また、使徒パウロが、「キリストの福音はユダヤ的律法を条件とせず、それゆえに人種、社会の差別なく、すべての人に伝えられねばならぬことを確信した」時に、キリスト教の普遍性は確認され、保証された。この、異邦人・異教徒への布教が、キリスト教普及の第三の要因であったと言える。 キリスト教の国教化: 前節で述べたような経緯を経て、ローマ帝国は徐々にキリスト教の排除を断念していき、その存在の権利を容認するに至った。ただし、公式には依然として多神教のままだった。引き続き、ジャン=レミ・パランク『末期ローマ帝国』から引用する。コンスタンチヌス帝はキリスト信仰に帰依してかかる状態に終止符を打ったのではない。四分治制下の宗教理念を放棄した後も帝は依然として太陽神崇拝の信奉者たちが崇拝していた最高神に忠実であって、初め帝は恐らくこの混合主義の信仰をキリスト教の信仰と両立しうると判断していた。311,313,321年のガリア人の頌詞やローマの凱旋門の碑文はかかる一神教をやや漠然と反映している。それでもやはり古来の形式は存続している。帝は「大神官」―古来のローマの司祭団長―のままであって、疑わしいと判断される様相を禁止するためにしか干渉していない。324年に東方の支配者となると、帝は異教徒にはっきりと自由を認めて彼らを安心させてはいるが、偶像崇拝者の「誤謬」に対して相当に軽蔑的な言葉で自己の考えを表明している。太陽神の崇拝者がアポロンの神託をためらいなく汚辱したのだ!帝の後、その息子たちはさらに異教を排撃する法を制定する。古来の宗教は本当に寵を失ったのである。かかる凋落に際して、ユリアヌス帝による異教的反動が反撃を加えようとする。帝は、初めは秘密裡に後には公然と哲学のしみこんだ異教思想を公言している。新プラトン派哲学者の弟子で、小アジアの神秘主義諸派の信奉者であり、オリエントの秘儀を伝授されていた帝は、新異教の様々の流派を自己の思想の中で統合し、それを帝国全体に強制しようとした。多様なやり方でキリスト教徒を悩ませながらも、統一された典礼と聖職者が模範を示すべき厳格な規律とを備えたキリスト教の司教制を模範にして、異教の教会を組織しようと試みている。かかる伝統的異教の改革は成功しえただろうか?帝の存命中に、それは激しい抵抗にぶつかったようである。その抵抗の最大のものは、異教信奉者たち自身の中における確信の欠如であった。というのは、ヴァレンチニアヌス(西の皇帝:364-375年在位)とヴァレンス(東の皇帝:364-378)が、占星術や夜間の供儀をなおも追い回しながら様々の形の多神教を励行したからである。 一神教化の舞台: それまで存続していた国家宗教に最初の打撃を加えたのはグラチアヌス(西の皇帝:365-383年在位)である。379年、帝は東の同僚皇帝テオドシウス[大帝:379-395]と同時に「大神官」の称号を放棄する。382年にはローマの元老院議事堂から公的儀式の対象であった勝利の女神の祭壇を撤去し、ローマの祭司団の補助金と不可侵権とを廃止し、彼らの所有地を没収する。これは永遠の都における異教と国家との完全な分離であって、ヴァレンチニアヌス二世(西の皇帝:375-392)のミラノ宮廷は、かかる処置の廃止を懇願すべくローマから来た請願運動を拒絶した。まもなくテオドシウス帝はもっと先へ進む。帝は385年から東方において反異教的な示威運動を許容ないし促進し、391-392年には異教禁止の勅令を発布する。全ての異教の祭儀は廃止され、神殿の出入りは禁止された。かかる急進的な立法が西方における反抗を引き起こすのであり、それがエウゲニウスの簒奪(392)をほとんど説明している。ローマでは、それは新たな異教的反動であるが、テオドシウスの勝利(394)はそれにたちまち終りを告げさせる。帝の息子たち、東のアルカディウス帝と西のホノリウス帝の下で、諸法令が禁止令を更新しており、神殿の閉鎖、文書及び偶像の焼却が命ぜられた。もはや異教徒にとっては公然たる礼拝の自由はなかった。信仰心の自由が存在しただけである。なお、長い間異教信者は少なくとも二つの非常に目立った社会的部類の人々、即ち元老院貴族と田舎の民衆の間に存続していく。それに対し、4世紀の最後の25年間にガリアで戦いを始めるのがトゥール司教マルチヌスである。そして6,7世紀にアルル司教カエサリウスらがそれらを根絶すべく戦うことになる。異教は田舎において生命を保ち続けたといわれる。しかしテオドシウス帝以来、それは致命的な打撃を加えられたのであって、もはや生き残っていることを示しているだけであった。かくして、この時期すなわち4世紀末に至ると、ガリアなどごく一部の地域を除き、ローマ帝国の隅々にわたってキリスト教が伝播・流布し、人々を《「心の危機」からの脱出にいざなうべく》キリスト教的「信念」が民心の内部に醸成されていった。(終)

Flareon
質問者

お礼

3番の補足欄に、今の世麗美の爆発する感情を象徴した記述を書いたよ。私は人間存在だから、世麗美を寝かしつけないといけない。 それはそうと、あなたの記述は追いかけるように調べてみるよ。 新旧キリスト教徒に悪魔だと言われようと、いかなる天界の乱闘があろうとも、もう決まったことだ。 条理の采配を下す天界から、地上に業火が降り注ぐだろう。 できるだけ、今後も的中率の高い説明で誘導したいものだ。 てめえらだけでいさぎよくくたばるつもりがない連中だ。

Flareon
質問者

補足

ローマの白い羽の本質を少しつぶやこう。 「敵は容赦なく蹂躙する」そういう交戦規程だってさあ。 甘いことを申し述べても、こちらの交戦規程は受領されない。 しかがって、彼らの交戦規程に立脚した対処だ。 したがって赦しを与えない。 彼らの流儀で、聖霊も容赦しない。 どんなものだろうねえ。 彼らの信仰を支え、彼らをはぐくむ者どもが、彼らをせん滅するという事は。

  • Nakay702
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回答No.3

質問者からのお礼と補足をありがとう。 お書きの文言を読み、古代や現代の神問題を考える。分からない。混乱する。確からしいことに行き当たらない。分かるのは、古今を問わず、洋の東西を問わず、有神論・無神論を問わず、信奉する宗教の如何を問わず、有神論であってもそのうちの汎神論か理神論かそれ以外かを問わず、無神論でもその度合いや経緯の如何を問わず、すべてが曖昧模糊としていること、どのレベルにも判然としたたものはないこと、どのジャンルに当てはまる人もそれなりの苦悩があることである。 そんなわけで、明示もないので迷いましたが、せっかく乗り出したことなので、前便の続きを書くことにします。「関係なし」と思ったら無視してください。 古代ローマの多神教・一神教(その2) c.多神教から一神教へ:当然ながら、ローマ帝国内では、ローマ人の政治的優性という理由から、ローマ人の宗教、すなわち征服者である首都のラテン人の奉じる宗教(多神教)が、相応の優越性をもっていた。ところが、これが徐々に一神教化することになる。その状況や顛末について、ジャン=レミ・パランクの『末期ローマ帝国』はこう述べている。至るところに普及した「ローマとアウグストゥス」の礼拝は、公的な性格をもつものであるが、ローマ世界の支配者たちはその領土内において寛大であることを自ら示そうとしてきた。ユピテルとカピトリウムの丘の三神(ユピテル、ユノ、ミネルヴァ)は、他方において地方的偶像神を[崇拝対象として]そのまま存続させている。即ちギリシァにおけるゼウス・アテナ他、ガリアにおけるテウタテスとタラニス、エジプトにおけるイシスとオシリス、東方ないしカルタゴのセム族の地方におけるバール神などである。その間、たとえ各民族や都市が祖先伝来の宗教を保持していても、相互の接触が混淆をひきおこした。「ローマ的解釈」は、ギリシァのオリンポスの神々とローマのパンテオンの神々の神格を互いに同じものとみなし、東方の諸宗教の神格をも同様にみなした。帝国のもとでは多神教がどこでも存在している。誰もが自然の諸力または人間生活の諸機能における様々の属性を備えた多くの神々を崇拝できたのである。しかし一つの発展が様々の宗教を結びつけて融合現象を生み出した。これは様々の信仰の混合から成っていて、とりわけストア派のようなギリシァ哲学の影響を受けている。この学派は下級の神々の外に、そしてその上に「最高神」即ち世界の支配者で多かれ少なかれ太陽に化身せる最高存在を認めている。  アウレリウス帝は、270年頃帝国の守護神で皇帝がその「僚友」であるところの「不敗の太陽神」の礼拝を創始した。少なくとも知識人の思想の中では、融合宗教は一神教へと向っていたのである。三世紀に最も流行した哲学者プロティノスらの新プラトン主義は、プラトンの学説に宗教的色彩を与えた。知識人の社会の外でも、聖なるものの感覚、彼岸の世界における救済への魂の渇望が東方の諸宗教の盛行をもたらしている。それらの宗教の秘儀を伝授された信者たちの小集団が増加していって、それ自身一つの救済宗教であるキリスト教への道を開いていき、その礼拝式の神秘性のゆえに地方的な団体、即ち「教会」を結集していくのである。しかしこのキリスト教会は他の諸宗派と違って意見の不一致を許さない。キリスト教会は、イエスに化肉せる真の神を認めない者を拒絶し、想像上のものないし悪魔的なものとみなされる神的存在を崇拝する者を拒否した。かかる排他主義はキリスト教と異教との間に生じた抗争を説明している。たとえよりよく実情が知られるようになって、二世紀にキリスト教の儀式について行われた中傷的偏見が消滅しても、競争心が東方の流行宗教とキリスト教とを対抗させたのである。  三世紀の迫害は最初は部分的であった。デキウス帝とヴァレリウス帝の勅令(250-260)は、内外の国家的災禍に際して、キリスト教徒を民衆の不満の贖罪の山羊とすることによってこの敵対関係を利用したものである。愛国的感情に訴えることによって帝国を再建し、伝統的な異教を中心として精神的統一を立て直すことが考えられた。が、かかる苛酷な手段は長続きせず、260年ガリエヌス帝はキリスト教徒に信仰と礼拝の自由を認めたのであった。303-304年におけるディオクレチアヌス帝の相次ぐ四つの勅令は、キリスト教徒の礼拝を禁止することによって、また全ての信者に死刑をもって棄教を強制することによって、「神々の敵」を取り除くことを要求している。これまでに規定された諸種の処置のうちから、教会の閉鎖と聖書の消却、聖職者の逮捕、強制労働への追放、拷問による死刑が布告された。ただし、ディオクレチアヌス帝の諸勅令はどこでも実施されたのではなかった。副帝のコンスタンチウスは目をつむっていて血を流すのを嫌ったので、その結果ガリア地方はごく少数の殉教者を出しただけであった。ローマでは306年にマクセンティウスが即位してから厄介なことは起こらなくなる。ガレリウス帝は、迫害の扇動者でかつその最も残酷な執行者であったが、彼自身311年におけるその死の直前に寛容勅令を発布して、苛酷な手段を放棄した。帝はキリスト教徒に「既定の秩序に対して何ら反しないという条件で」信仰と礼拝の自由を承認している。以上の記述から、4世紀初頭のキリスト教徒は、イエスの教えをすでに「信念」として取り込んでいる様子がうかがえる。(続く)

Flareon
質問者

お礼

ありがとう。 さらっと、ここまでのテキストを作成できる人を前にすると、自分がいかに浅薄で勉強不足だか痛感するよ。 せめて関連ワードをWIKIで把握して断片だけでも、自分で知れべて置けばよかった。 圧倒的な知識量で何も返せないよ。 教えていただいたと事には、ところどころグッとくるよ。

Flareon
質問者

補足

本来はあなたに理解できることを返答したほうがいいのだろう。 でもね、、、 「精霊伝心」 「憑依現象」 「天使依り」 「精霊依り」 病的な私の立場だとねえ、あらぶれるんだよ。 善と悪のケジメではない。 悪と悪のけじめだ。 それはキリスト教徒が同族同士で行うんだよ。 私とアマテラス王朝は、徹底して拒否したから圏外だ。 愛の概念を教義にするのは、本質で間違っていないと私は説明した。 でも、猥談で他宗教を煙に巻き、ローマの母屋を乗っ取ったキングオブカルトがキリスト教だ。ファックが目的の宗教だ。 ローマの衰退にキリスト教が役割を果たした可能性があるというのは、言い出しにくくても、誰もが記述の検証で浮かび上がったことだろう。 確証もなく、誰にも言い出せない「戒め」に人類はさいなまれただろうさ。 原始キリスト教、新約キリスト教。 もはや双方とも悪VS悪だろうよ。 さあ、、、、、 君たちよ、「我々の元にイエスを返してくれ」 取り組んでみなよ。拒否する連中と域内で争いなよ。 殺されて行った、多くの精霊、多くの聖者、そいつらは魔女狩りで殺されたんだ。 ケジメ付けろよ。 最後の審判だ。 悪と悪に勝者などいない。 彼らのみ滅びるんだ。 回答者さん、支援をありがとう、何かと裏付けをとってみるよ。 私は、のらりくらりと最後の審判の回避法を思案する親切というのをやらされていたんだよ。 核弾頭と放射線の土砂降りも良いものだ。 人類には必ず生き残りが出る。 キリスト教を悪魔の所業と語り継ぎ、今すぐにでもイエスの故事は理解可能な事だろう。 彼らは滅んでこそケジメをつけるんだよ。 それが今を生きるキリスト教徒と、彼らの栄光の歴史時代だ。

  • Nakay702
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回答No.2

>古代ローマの多神教をザックリ教えてください。 ⇒多神教国家の古代ローマ帝国はその属州に対して、初めは「ローマ神と皇帝」を崇拝するよう強要したが、諸地域の反抗や各種密教の存在と、それらとの習合現象などによって譲歩を迫られ、両者を「縫合」した太陽神の崇拝に切りかえた。すなわち、多神教が一神教化したわけで、このことが結果的にキリスト教に道を開いたとされる。 それまでは多くの神々がいた。 a.ユダヤの神:アジアにもヨーロッパにも神々がいた。しかし、両者のそれにはほとんど共通点がない。ヨーロッパの神々は、「自然的現実の最高級」に過ぎないが、アジアの神々は「超自然的」な存在であった。そして、ユダヤの神は、後者に属するとオルテガはいう。ユダヤ人すなわちヘブライ的生は、太古からギリシァ・ローマ的生とは別な構造を有していた。それはシュメール、アッカド、カルデア、バビロニア、ペルシャ、インドなどと共に、人間存在のアジア的形式に属していた。ヨーロッパ的人間にあっては、満足している状態が常規であって、絶望する者は、ただ時々だしぬけに絶望するに過ぎないのに対して、このアジア的人間は、最初から絶望の中に住んでいる。絶望がアジア的人間の自然な正常な態度なのである。満足というものは、常に自分自身に対する満足、現に自分があるところのもの、自分が所有しているものに対する満足、自己自身の存在に対する信頼である。ギリシァ人は、自己の勇気と精神―自己の理性を信頼した。ローマ人は、自己の国家・軍隊・行政・司法官を信頼した。ローマ人にとって、生きるとは支配すること、すなわち、組織することと同じであった。彼は、生について、いわば、服務規程的見解をもっていた。しかるにアジア的人間は、自分自身を信頼しない。そして、まるでこれが生きるための基礎的な前提ででもあるかのように、この不信を生の出発点とする。それゆえ彼は、自分自身だけで生きることが出来ない。彼は自分を支えてくれるものを、自分より強い力を、自分に推称することができて自分の生をそれに捧げることが出来るような力を必要とする。この力が神である。 アジアの神々は、ヨーロッパの神々とほとんど共通点を持たない。ヨーロッパの神々は、どちらかと言えば、自然的現実の最高級に過ぎない。それは、自然の内部における最大の力であると言える。人間と神話的存在との間には、人間的なものと神的なものという連関を可能ならしめる、いわば量的な差異があるに過ぎない。だから、例えば、自然に対するアリストテレスの態度には奇妙な曖昧さが指摘される。その論文『睡眠論』において彼は、「自然はデモン的であって神的ではない」と述べながら、『ニコマコス倫理学』においては、「すべての自然的なものは神的なものである」と言っている。アジア的人間にあっては、このような曖昧さは存在しない。彼は、まったく自明なこととして、神的なものを、自然的なもの・人間的なものに対する弁証法的対立において考える。この観念の表現は、もちろん最初は純粋ではなかった。人間の知性は、最初はどこにおいてもまだ形体的なものから独立してはいなかったのである。あるいは、もっと正確に言うならば、人間は、最初は物質を抜きにしてものを考える能力をまだ持っていなかったからである。しかしこの不完全な概念操作の中にも、アジア的見解にあっては、神を、自然とは別なものとして、超自然的なものとして考えようという傾向がはっきりひらめいている。自然的なもの、だから人間的なものは、本質的に不完全な不十分な現実である。人間は、自己を別個の完全な十全な現実の、つまり神的なものの無価値な破片だと感じる。このような確信によって生きる人間にとっては、生活とは、自己の不完全な存在を現実に、これのみが真の現実である超現実に、絶えず関係させることに他ならない。それは、自分自身を食って生きるのではない。神を、人間と神との関係を糧にして生きているのである。ユダヤ的生は、このようなアジア的構造類型に属する。 b.ギリシァ・ローマの神々:ギリシァの神々は、ホメロスの詩『イリアス』『オデュッセイア』の中で家族関係に構成され、オリュンポス神殿に祭られている。ローマでは、神々は事物(木、石、水、動物、人など)に内在して現象を支配する力「ヌメン」から生まれてきた。例えば、Junoユノは女に内在するヌメンから生じた女神である。これがギリシァ神話に感化されてHeraヘラに同化した。ローマの神々はパンテオン(万神殿)に祭られている。 ♂ Zeus=Jupiter:神々の父、最高神/Apollon=Apollo:太陽神、詩・音楽の神。Artemisと光明双子。好青年の代名詞。北方ドナウ川上流から来た。/Hermes=Mercurius:商業・発明の神/Poseidon=Neptuno:海神。Zeusの兄で、彼以前の大神/Dionysos=Bacchus:酒神。陶然とした趣ゆえ、凛然としたApolloに対置されることがある。/Eros=Cupido:恋愛の神/Cronos=Saturnus:農業の神/Ares=Mars:軍神、戦の神/Hades=Pluton:冥府の神/Hefestos=Vulcanus:火と鍛冶の神。ヘラの怒りを買い、足萎えになる、他。 ♀ Hera=Juno:最高女神/Artemis=Diana:月の女神。美女の代名詞。小アジア方面から来た。/Athena=Minerva:知恵の女神/Afrodita=Venus:愛と美の女神。その妖艶なる美ゆえに、貞淑な美女神のArtemisに対置される。/Eos=Aurora:暁の女神/Eris=Erido(別名Discordia):不和・争いの女神、他。 以上のように、ローマの神々はほとんどすべてギリシァのそれに同化した(=の左右に、それぞれギリシァ名とローマ名とを並置した)が、Janus(年の初めの神)やAnna Perennia(1年全体の女神)などはギリシァ神話に対応するものが見つからない。なお、ギリシァ・ローマの神々は崇拝の対象というよりはむしろ、人間という観客に対する「俳優」のような趣があった。だから、これらの神々は演技し、戦い、罪を犯し、恋し、嫉妬する…。 お、おっと、「ざっくり」のつもりが、全然ざっくりでなく延々来てしまった。あまり長くなるので途中で切った。お読みくださるなら、続きを書きますが、どうしようかねえ。

Flareon
質問者

お礼

ありがとう! それだけは初めに言わせてもらう。 東西がどうとかは違和感があるけども、神様が大はしゃぎして人に親切にするってのは、ダメ亭主たる人間存在が嫁の尻の下に敷かれる完膚なきはめ込み工作でもあるんだ。 憑依障害を報告した私にはセレビィちゃんが私をお父さんと慕うけども、セレビィの友達の妖精さんも私をお父さんと慕うんだ。 看板娘のセレビィを基準に憑依現象の全てをセレビィに集約していないと私の自我というのは飽和と拡散を起こしてしまう。 そしてだ~~~~~!!!! この濃密な絆は愛の原理では婚姻関係という体裁になるんだよ! なにが現象するか説明しよう。 私の内心とはJS妻を複数抱えた倒錯のハーレムというイビツさを醸成するのだ。 これ! 人間の威厳を放棄しろと持ち掛けられているような事柄だよ。 お礼として第一印象を報告しました。。。。。 恥さらしは正直にしたほうがいい。

Flareon
質問者

補足

掲載機会を喪失した他方に向けた手紙。 ーーーーーーーーーーー 今回は若いころの青臭い話がネタだ。 二十代の時に、「苦しみは等価で等しい」という心得の例外をおもちゃ屋の店頭で見かけて動揺したことがある。 老夫婦と孫の来店だ。 老夫婦の一人娘は生まれつき障害があり、その障害は知性面で「痴人の愛」の主人公になれる資質だそうだ。 その娘さんは、「痴人の愛」のロマンスに沿って結婚して子供を産んだ。 父親はこらえきれなくて逃げた。離婚だよ。 そして、老夫婦と孫という形で、私のお店のお客さんとして来店した。 老夫婦は自分達の一人娘と、たった一人の孫を面倒見ているんだ。 老人というのは、孫の人数が、最も心が潤う財産だよね。 私が動揺したのは、その老夫婦は、自分の人生において、やり直しや再構築がもはや不可能なことだ。 だから、それだけは「苦しみは等価で等しい」の例外だと思った。 そして、その孫本人は境遇に置いて「苦しみは等価で等しい」という原則で過酷なスタートラインに立脚した出生をしているんだ。 親ば貧乏だ、とかの不平不満と全然違う。 おもちゃ屋というのは、子育てを支援するわき役で、むやみにお客に介入しない。 でも、自分の思いを正直に打ち明けたら、老夫婦は「わかってくれるんだね」と喜んでくれた。 それは「苦しみは等価で等しい」の原則を条文にして自分の心情を老夫婦に正しく伝えたからだ。 老夫婦は少しは楽な気分を味わってくれただろうか。 孫も人生の荒波が大人になってからもあるけどもね。 こういう私の心からの言葉は、愛ではないんだ。 慈しみなんだ。 でも同情という表現は現代では劣化していて、同情とは対象を侮辱する事なんだよ。 それは西洋文化に汚染された、現代人の疫病の片りんでもあるのだろう。 こういうのは友情と愛情の違いでもある。 慈しみとは「友に傾ける思い」の事だ。 憐れみを意味しない。

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.1

古代ローマの多神教は、ローマ帝国が支配していた地域において広く信仰されていました。この宗教は、多数の神々と崇拝される英雄や祖先の霊を含む、多神教的な信仰体系でした。 主要な神々の中には、ゼウスに相当する「ユピテル」や、ヘラに相当する「ジュノー」、アポロンに相当する「アポロ」、アルテミスに相当する「ダイアナ」、アテナに相当する「ミネルヴァ」、ヘルメスに相当する「メルクリウス」、ディオニューソスに相当する「バッカス」、ヴィーナスに相当する「ヴィーナス」などがあります。これらの神々は、それぞれ異なる領域や分野を支配しており、例えばユピテルは天空や雷、ジュノーは女性や結婚、アポロは太陽や予言、ミネルヴァは知恵や戦争、バッカスは酒や宴会を象徴していました。 また、祖先や英雄の霊も崇拝されており、その中にはローマ建国の父とされる「ロムルス」や、エジプトの女王クレオパトラなども含まれていました。 この多神教は、様々な儀式や祭典を通じて神々に敬意を払い、神々の加護や保護を求めることが一般的でした。例えば、ローマで最も有名な祭りの一つである「ローマ祭」は、ローマ建国記念日であり、ロムルスとレムスを祀った神殿での儀式や、軍事パレード、競技大会などが行われました。 しかし、この宗教は時代が進むにつれて、キリスト教の拡大や哲学的な影響などによって衰退し、4世紀にはキリスト教が公式宗教として認められ、多神教は消滅していきました。

Flareon
質問者

お礼

ありがとう。 あなたのザックリした説明は優秀だ。 私はこれらの事実を内在する精霊が当事者の神々から聞いていたんだよね。 そういう揺さぶりを受けたよ。

Flareon
質問者

補足

う~ん。 キリスト教が多様性を放棄する先悪の帝国主義の発端になったという過激意見は細かく修正しなければならないけども、そういう言い回しは暴言でもできそうだなあと、本日改めて考えました。 それから訳の分からん「内在する精霊」というのは、私は精神医療における「憑依障害」の類例に相当するガチの病人で「脳内に妖精さんが生息しているという奇病」です。 アメリカの金持ち向けの診療で保険が効く「インナーチャイルド」というトランパーソナル心理学的な治療法の発案者と経歴に類似項があります。

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