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過去は文書「だけ」が頼りなのか?
日本における歴史の学習,教育,さらには,研究においては,いわゆる「文書至上主義」的な「風潮」があります。 このような,「視野の狭い歴史分析,歴史理解」によって,日本においては,「語ること」は歴史を理解するための「手段」としての価値がないとされます。(「語り」を歴史資料として扱うことに意味がないとされる。)つまり,「語ったこと」が歴史の資料(史料)としての価値をもたない,ということになります。 日本においてこのような「風潮」がある一方で,外国における歴史研究では,「語ったこと」が歴史の資料(史料)として,文書の資料(史料)と「同等の評価」を得ています。 このような「風潮」がある「背景」には,おもには,日本においては歴史研究のための「フィールドワーク」が,ほかの学術分野と比較して積極的に実践されなかったことや,いわゆる「戦争体験との関係」,「マイノリティの歴史との関係」も指摘されています。 さまざまな「事情」がありますが,さらなる歴史の理解のためにも,「語ったこと」の「価値」を見出す必要があると,わたしは考えています。 1.もしも,あなたが歴史の研究,学習において,「語ったこと」を参考にすることが有意義であるのならば,その「理由」を挙げてください。みずからの「経験」でもかまいません。 2.もしも,あなたが歴史の研究,学習において,「語ったこと」を参考にすることが,有意義ではないと考えるのであれば,その「理由」を挙げてください。
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- TANUHACHI
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こんばんは夜分に失礼します。過日は丁寧な補足をいただき恐縮です。しかしながら質問者様が当方の回答に対しいささかの誤解をお持ちのご様子ですので、その点から始めます(今回はNo.9に関してです)。というのも、質問者様が僕の回答に対し、多分に先入観の様な誤解をお持ちとの印象を得たからです。 少なくとも僕は近現代以後の歴史の綴り方に関して「聞き取り」を軽視しているわけではありません。日本の歴史教育では、なぜ「ヒロシマ・ナガサキやオキナワ」に関して、研究者や教育現場に携わる方々と政府側(行政としての所轄官庁)の間に温度差があるか、質問者様はお考えになったことがあるでしょうか。 昨日も「ワンフィート運動」が組織としての活動に終止符を打つとのニュースが報じられていました。日本では同時に「テンフィート運動」も組織的な活動を行っていることが知られています。共に民間組織で、そこに携わる方々が「なぜこの活動を始めたのか」といえば、アメリカの公文書館等に保存されている沖縄戦の記録フィルムをすべて買い取り、戦争を知らない世代に、沖縄戦の実相を伝え、沖縄を、そして日本を世界平和の原点とするとの未来に対しての希望を拓くと同時にそれを担う次の世代へのメッセージとして受け継いでいかねばならない、との強い危機感が働いているからでもある。 運動の原点は「歴史の記憶を紡ぐ」ことに主眼があるのであって、そうした眼差しに対し政治的に保守的なスタンスの方々からすれば「反米的であり、日本の国益にそぐわない」と冷淡視したり排他的な姿勢や現在と将来にわたる日米関係に影響が及ぶとの目線も実際にあります。 少なくとも僕はそうした方々に与する意識など毛頭ありません。僕自身も幾つかの学会に所属していますが、何れの学会にあっても、そうした立場とは一線を画し、テンフィート運動にもワンフィート運動にも積極的な支援を行ってきています。 これは日本の実例ですが、オキナワの方々は本土に住む人間をヤマトンチューと呼び、何世代もの間を沖縄で生活してきた自身と区別しています。明らかな皮膚感覚の違いを感じ取っているとの証拠に他なりません。 質問者様は、僕や日本の歴史学徒を「マイノリティを知らない」と侮蔑されていますが、それこそ逆差別ともいえる現象ではないでしょうか。 オーラル・ヒストリーを軽視する者は歴史学に携わる資格などないと非難する資格など質問者様にあるでしょうか。たとえ質問者様がアメリカ歴史学会の重鎮であるとしても、アメリカの歴史学でも「個別分野史」があり、それを対象領域とする研究者が多勢いることも事実です。キャロル・グラックをはじめドナルド・キーン更にはライシャワーといった先学がいることもご存知でしょう。こうした方々が「歴史学の研究方法」を批判的に継受しそして自らの方法論を確立することで、優れた研究成果を発表してもいます。 そして「世代が違うから」と論点をずらし、自らの土俵に持ち込んで議論を優位に進めようとする姿勢は学問に携わる者として厳に慎まねばならないことも指導教員から再三再四指摘されてきたはずです。こうした部分は世界中いずこに行っても共通する「歴史学に携わる者」の根本姿勢でもある。自らを対象化し、自説の論理展開を冷静客観的に観ることができなければ、それは歴史オタクや歴史マニアと変わりません。 僕自身も在外研究の形で海外の大学で学ぶ機会も何度かありました。ドイツもあれば、フランスやアメリカもありました。また現在も研究室には海外からの留学生も数多く在籍しています。そうした実情を前提にするならば「日本の歴史学会にどっぷりと漬かっているだけ」との批判は不当且つ独断ともいえる。 日本の歴史学で新たな地平を拓いた先駆者に網野善彦氏がいらっしゃいますが、この研究者の足跡を辿ったことがありますか?。 質問者様が「生活史」と定義付けされている領域で主体とされてきた「民衆」の概念を日本の史学史で辿るなら、明治以前の歴史記述では専ら「農業民」とされていましたが、その概念にメスをいれたのは明治以後の「歴史叙述」に示されてきました。十分とはいえないまでも、それ以前に比して、歴史が権力者の軌跡を辿る作業から一歩踏み出した形です。 そして1945年以後、世界史的枠組みとしての日本の歴史像をどう構築するかでも幾つかの議論がありました。安良城盛明氏に代表される農奴制・奴隷制の展開に着目する理論的枠組みに基づく社会構造史の観点もあれば、一つ一つの史料に基づき小さな事実を積み上げて「その時代が持つ実像と特性」を炙り出していくとのスタイルもありました。 ここでの「実証史学」は1945年以前のそれとはスケールもスタイルもそして学問としての誠実さも明らかに異なります。1945年以前の日本史学を代表する歴史学者を一人挙げましょう。平泉澄です。彼が遺した有名な言葉があります。戦後歴史学を代表する人物の一人が、学部の卒業論文で「商業史それも庶民からみた歴史を扱いたい」との希望を出した時、この重鎮は「ブタに歴史がありますか?」とそれを却下したとのエピソードです。1945年以前の「日本史研究」否「国史研究」および「国史教育」は専ら「天皇の歴史」でした。ですから「民衆」などとの存在は歴史に存在しないとの途轍もなく歪んだ歴史像の作り方であることも、戦後歴史学からの検証によってその独断性が断罪されたことも事実です。 話は横道にそれましたが、そうした「民衆像」に具体的なメスを入れたのが先の網野善彦や法制史を専門とする石井進・笠松宏・勝俣鎮夫などの各氏であり、他方の社会経済史からのアプローチを試みたのが永原慶二や黒田俊雄・戸田芳美や峰岸純夫・佐々木銀弥や脇田晴子などの各氏です。何れも前近代史の領域を専門とする方々ですが、近現代史ならば遠山茂樹や大江志乃、安丸良夫・鹿野正直をはじめ丸山眞男や藤田省三・萩原延壽などがいます。 何れも「史料の着実な読み」に基づいた精緻な作業から「生きた歴史像」の構築に多大な成果を遺している方々ばかりです。 失礼ですが、質問者様の「ジャーナリズム論」に関しても誤解と偏見が多分に観られます。件の記事は「週刊誌」の記事ですから、ジャーナリズムの本筋からみればキワモノです。好奇心をそそる書きぶりや推測などが多分にウェイトを占める場合が多い。アメリカではジャーナリズムにも「イエロー」と「本筋」の区分があることもご存知でしょう。取るに足らないゴシップや大統領選挙でのネガティブ・キャンペーンがこれに属します。扇情的である以外には何もない。 一方の「本筋」にはデービッド・ハルバースタムをはじめボブ・ウッドワード・ピーター・アーネットやがおります。イエローが匿名寄稿であるのに対し、後者は署名入りの記事であり、日本でも古いところでは桐生悠々や菊竹六鼓・山路愛山・石橋湛山といったところから戦後の児玉隆也・角間隆・本田靖春・筑紫哲也・立花隆などがおり、それに続く世代には荻上チキや津田大介・鈴木謙介などの名も見えます。 質問者様からすれば、僕は日本のおっさんかもしれません。しかし、その「おっさん」の方がよほど好奇心を持って世の中の動向を眺めていることだけは確かです。もっと勉強してください 爆!。
僕は中学校教員としてある校区に赴任したころ、 その地域の高齢者の方々がまだ生々しい戦争中の グラマン機銃掃射によって土手を逃げ惑い、親戚 のおじさんが腹から腸を出して苦しんでいるのを 怖くて近寄れずにその場を逃げ出した当時の少女 が老婆になった「今」でも苦しんでいることや、 嫁入り前日の娘さんの頭に爆撃機が投下した焼夷 弾の不発弾が直撃し亡くなった話などをフィールド ワークで伺い子どもたちの聞き取りとともに記録 しました。カセットテープが数巻と文字記録の貴重な ものであったと思います。残念ながらそれに関心を 示してくれた先輩教員に渡して二度と戻らなかった のですが、二次史料ではあるけれど当時の思い出を 語れる人はもう存在しませんから、そのテープを 死守すべきだったと思います。(とは言え僕では その史料をいかせませんが)
お礼
回答ありがとうございます。 日本におけるオーラル・ヒストリーにおいては,回答者さんが指摘された「トラブル」は,つきものですし,よくあることです。これは,「データの保管・活用」の問題出もあるのですが,正直なところ,「技術の革新」を待つしかないと,わたしは考えています。
- TANUHACHI
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先程の追記の形になります。 「歴史学」が一つの事象を語る性質の学問であるならば、そこには「枠組みとしての物語」と「個人の物語」の二つの要素もあります。 「枠組みとしての物語」とは国家史であり、政治史であるといった「人間がそこに所属する領域」を対象とする括り方であり、一方の「個人の物語」とは質問者様の仰る「私にとっての昭和史」なり「従軍体験記」などの形です。 実際に近現代史の史料にも永井荷風の『断腸亭日乗』や『木戸孝一日記』をはじめ、昭和天皇のメモなどもありますが、それをどの様に読みとるかが歴史学での作業です。それはあくまでも「歴史事象」の一つの側面を明らかにするための手段であって、それに拘泥してしまうと肝腎な部分である「歴史像の構築」という目標を見失うことにもなりかねません。 余程のことや資質を兼ね備えていない普通の人間ならば、どうしても自らの過去を正当化してしまいがちですので、個人の物語を読む時にはそれなりの注意が求められます。 ところで余談ですが、質問者様が理想とされる「オーラル・ヒストリーの創造」によって、学問としての歴史学にはどの様なメリットをもたらしうるのでしょうか。戦後歴史学の薫陶を受けて育ってきた僕としては、「歴史学の最終目的」を「人類が歩んできた道程を検証し、そこから未来への新たな地平を切り開く叩き台」と理解し、その上で個別の事象を究明しそれを紡ぎ合わせていくことで「歴史の全体像」を構築しうると考えています。このため「歴史学」は「実証と理論」「個別と全体」「集合と離散」それぞれの往還運動をベースとしたアウフヘーベンの過程であると位置付けています。 よろしければ、お話をうかがいたいと存じます。
補足
回答者さんが指摘されたところの「注意点」については,すでにコメントしましたので,「追記」にたいするコメントを書きます。 オーラル・ヒストリーとは,ひとつの受けとめ方ではありますが,「研究手法」のひとつです。つまり,回答者さんが指摘されたところの,「歴史学にもたらされるメリット」のひとつに,「新たな可能性」をもたらす要素になるということです。 「語り」を集めること,そこから,回答者さんのおっしゃった,「実証」,「理論」,「個別」,「全体」,「集合」,「離散」,それぞれの要素を,満たすことができると,わたしは考えています。 わたし自身の考えではありますが,日本においては,オーラル・ヒストリーとは,表面的な部分においては,「実践」,「活用」されたのだと思います。それでもなお,さまざまな「批判」にさらされているということは,どのような「理由」が考えられるのでしょうか?これは,社会学においても,厳しく問われています。社会学の学会においては,オーラル・ヒストリー,あるいは,ライフ・ストーリーにかんするパネルディスカッションは,食べ物でいうところの「主菜」のような扱いを受けるようになりましたが,現在もなお,オーラル・ヒストリーにたずさわる人々,それはわたし自身も含めて,ですが,回答者さんの指摘された「メソドロジー」の課題を背負っています。 わたし自身の考えることではありますが,「データの活用」に,「課題」があるのだと,わたしは考えます。それは,初歩的なものであれば,「データを紛失した」,「破棄した」といった,「考えられないようなミス」があれば,どうやって「語り」を解釈するのかといった,「高度な課題」もあります。 そして,ひとつの「ボトムライン」としては,「日本人の口下手さ」が挙げられます。つまり,「口下手」であるため,「インタビューの技術」に「課題」が発生するのです。意外なことかもしれませんが,たとえば,高級官僚などのオーラル・ヒストリーであれば,そういった「課題」はないのかもしれませんが,歴史学者がいうところの「常民」のオーラル・ヒストリーにおいては,それは「課題」になることがあります。わたし自身,「誘導尋問」はしません。語ってくださる方のほうから,積極的に過去のことを思い出してもらい,そのことを,語ってくださるように,お願いしています。アメリカであれば,わたしのほうから,「〇〇について語ってください」と言うことは出来ますが,日本では,そういったことが,「難しい」ときがあるのです。たとえば,「謙遜の文化」というものがあって,どうしても,過去のことを聞いてしまうと,「そんなこと聞いても仕方がないだろう」と,あまり積極的な態度に出てくれなかったりします。でも,こちらから「熱意」を見せると,なかには,「饒舌」になる人々もいますが。 回答者さんには,機会がありましたら,オーラル・ヒストリーを実践する人々に出会い,「交流」をしてみてください。そうすると,当事者の人々が,いかにして「良質の語り」を得るのか,さらには,それを学術的に解析するのか,つねに悪戦苦闘している姿を見ることと思います。それは,オーラル・ヒストリーを実践している人々にとっても,「実証」,「理論」,「個別」,「全体」,「集合」,「離散」,などといった,歴史学における重要な要素のために,「語り」を活用するための,「真剣勝負の場」でもあります。回答者さんがおっしゃった,「人類が歩んできた道程を検証し、そこから未来への新たな地平を切り開く叩き台 」に少しでも貢献できるようにするために,「頑張っている」,というわけです。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
こんにちは、歴史学と歴史教育に携わる者の一人です。 質問者様がご指摘の「文書至上主義的な風潮」との問題ですが、歴史学では「史料の性質」を「一次史料」と「二次史料」に分けて考えます。 「一次史料」とは文字どおり「史料そのもの」を指し、これに対し「二次史料」は「一次史料から抽出した『史料の源泉部分』」に相当します。ですから一次史料に含まれるものとして「古文書」をはじめ「考古史料」などがあります。 またもう一つの分類法として「形のあるもの」と「形のないもの」との区分法もあります。この「形のないもの」が人間の記憶であったり、口伝などと呼ばれるものです。 質問者様は「史料偏重」と憤りを示しているご様子ですが、「歴史」をどう評価するかの問題を考えた場合、その言説を説得力のあるものとするには「論拠となる証拠」が求められます。他の学問と全く同じです。そして「その証拠」が果たして信頼に値するかどうかを検証する作業も歴史学にとっては重要な課題ともなり、この作業を「史料批判(Text-Kritik)」と呼びます。その史料が恣意的に改竄されたり捏造されたりするなどの偽文書であったなら、その史料に裏打ちされた見解は信頼に値することとはなりません。そのため歴史学に携わる者には物理学などと同様、厳しい自己対象化が要求されることとなります。 この場合の作業姿勢は、対象が文書や考古遺物であっても記憶や体験であっても変わることはありません。否、基本的スタンスだけは変えてはならない。 質問者様はが主張する「オーラル・ヒストリー」がともすれば「自己正当化」と同化する危険はこの部分にあり、こうした形はアメリカでも同じはずです。近いところでは「イラク・アフガン戦争」の事例があり、アメリカ国内でのこの戦争に対する評価は「正義の戦争」であるとのことにされていますが、実際にそうだといえるでしょうか。 「9.11」で史上初めて、アメリカは「その国土を直接に攻撃され」ました。けれどもそうした事象を生じさせた背景を考えねば「なぜアメリカが攻撃されたのか」も知ることができません。「攻撃を受けた」のは1つの事実です。その背景を知るには「アメリカとイスラムの関係」などに言及する必要が最低限求められます。 けれども当時の映像を見て「どの様な印象を受けたか」と問われれば、“USA,USA!”と叫び、イスラムに報復措置を行うことが正当な行為であるかのような感も否めない。もしかしたら、死者に対する弔い合戦と勘違いしているのではなかろうかと疑問符が付いてしまう。アメリカを攻撃したのは「イスラム原理主義に基づく過激な集団」だったのであって、それがイラクの仕業であると考えたならば、それは大間違いであり、その事実を当時の国務長官(コリン・パウエル氏)も認めています。 >外国における歴史研究では,「語ったこと」が歴史の資料(史料)として,文書の資料(史料)と「同等の評価」を得ています。 これはアメリカ国内での歴史学の潮流の話であり、僕が質問者様に問い返したいことは、史料とそれに携わる者に対して余りに先入観が強すぎるのではなかろうかとの危惧です。アメリカは未だ歴史の浅い国です。ですから現在と過去の間にある距離感が他のヨーロッパやアジアそして南米などに比較して「近い」ともいえる。従って、アメリカ的な手法で歴史を辿ることも「アメリカをアメリカたらしめる」ためには有用であっても、それをそのまま他のケースに転用することは歴史学に携わる者の姿勢として批判されるべきであると僕は考えます。 無論、「語ること」が歴史資料として無効であるとは申しません。けれども「その中身に対する省察」なくしては、単なる自己満足や名誉話そして美しい夢物語として歴史を矮小化する危惧が多分にある。このことだけは言わせていただきます。第二次大戦に対する「ヨーロッパでの考察姿勢」がどの様な形であるのか、ご存知でしょうか。ドイツとポーランドが共同作業で「歴史教科書」の作成に取り組んでいること。近年では日・中・韓でも歴史学者による共同研究が進められてもいます。アメリカではどうでしょう。あまりこうした「共同作業」は見受けられません。 僕の記憶にあるのは1980年代の立教大学とシカゴ大学による共同研究です。この時のアメリカ側の参加者としてT.ナジタ、B.シルバーマン、C.グラック、H.ハルトゥーニアンなどの各氏、日本側からは神島二郎、高畠通敏、丸山眞男 、松本三之介、大江健三郎などの各氏が名を連ねています。 なお質問者様は「歴史学」が政治学や経済学、社会学や民俗学などと領域を共有している科学であるとの原則をお忘れの様子ですので、この部分を今一度確認された方がよろしいかと存じます。こうした「科学としての『歴史学』」を創造してきたのは他ならぬ「戦後歴史学の軌跡」そのものであり、近年に他界された網野善彦氏や永原慶二氏などもそこに名を連ねる人物として知られています。 また「オーラル・ヒストリー」の位置付けですが、これはアメリカならばウォーターゲートにみられる「当事者の証言」日本ならば「国鉄民有化」などの事象において「聞き取り調査」が実際に行われてもいます。さらにいえばアメリカを含め世界各国の大統領経験者や首相経験者に聞き取り調査した「回顧録」も多数刊行されてもいます。 優れたジャーナリストは同時に優れた歴史学者でもある、この原理を緩用するならば、質問者様の様に「ジャーナリズムを排除する」ことは歴史学を否定することにもつながりませんので熟考されることをお勧めします。
補足
まずは,回答者さんが「危惧」されていることは,いわゆる「研究者の”暴力的”行為」であると,わたしは考えます。このことについては,“The Oral History Reader”の,“Do I like them too much?”や“That's not what I said”が参考になると思います。 オーラル・ヒストリーを扱う,わたし自身も,このこと,つまり,回答者さんがオーラル・ヒストリーにかんして指摘されたことは,十分に承知しています。そういったことも含めて,わたしは,日本社会,さらには,日本の歴史学において,いまだにオーラル・ヒストリーが,歴史学において,社会学などのほかの学問分野と比較したところ,積極的に実践されていないと考えて,今回の質問を出しました。 わたし自身も,日本社会の事情や,日本の歴史学については,「一定の理解」を持っています。わたし自身は,アメリカで歴史を学んだので,「アメリカ的手法」で日本の歴史をひもとく作業をしています。もちろん,これは日本で日本の歴史を学んだ人々にとっては,「違和感」のあるものだと思います。しかしながら,オーラル・ヒストリーも含めて,歴史学者が指摘するところの,いわゆる「常民歴史」においては,「アメリカ的手法」(たとえば,いわゆる「下からの歴史」の探求のために)をとっても,わたしはそういったオプションもあると,考えています。もちろん,すべてを応用する,活用するというわけではありません。日本で日本の歴史を学んだ人々,研究している人々の持つ「ロジック」には,「理解」を示しています。日本的な手法に「理解」を示しつつも,アメリカ的手法を,できるだけ多く活用したい,それが,わたしの「やり方」です。なぜならば,わたし自身が現在取り組んでいる歴史の研究は,戦後の日本の歴史の一部であると同時に,戦後の日系アメリカ人社会の歴史の一部でもあるからです。どちらかの一方だけをとる,そういった<やり方>は通用しないと,わたしは考えています。さらには,これは「トランス‐〇〇〇」な歴史でもあります。バイリンガルであることや,日米双方の事情を理解したことで,実践できる研究でもあると,わたしは考えています。 回答者さんのコメントを拝見しましたが,おそらくは,わたしとは,まったく異なる世代を活きているかたであると,わたしは考えました。わたし自身は,ジャーナリズムの良い面を知っています。しかしながら,現代日本社会において,回答者さんの指摘されるところの「良いジャーナリズム」が活きているのでしょうか? ある日本人ジャーナリストが,先日,ある地方公共団体の首長のことについて評した記事が,週刊誌に連載されようとしましたが,中止となりました。ジャーナリズムという点においては,ある種の「功績」だと考えていた人々もいたことでしょう。しかしながら,わたし自身の認識においては,「出自」を「悪用」した部分が否めないものであり,ジャーナリズムとは程遠い,「言葉の暴力,卑劣な行為」であると,わたしは考えました。 そういった,「ジャーナリズムもどき」,があるのですから,ジャーナリズムには批判的な態度をとる必要があると,わたしは考えました。回答者さんの知っているジャーナリズムと,わたしの知っているジャーナリズムに,「差異」があるのです。もちろん,わたしはジャーナリズムは素晴らしいということについては,そのように認識をしています。 さらには,回答者さんのコメントを拝見したときに,わたしが気がついたことではありますが,おそらくは,回答者さんは「マイノリティの歴史」を扱っていないのでは,と考えました。わたし自身は,台湾系日本人ということもあって,おもにアメリカ社会の,アジア大洋州系のマイノリティの歴史に向きあってきました。回答者さんは,おそらくは,戦争体験の歴史,戦争にかんする認識の歴史などが専門なのかもしれません。「マイノリティの歴史」とは,「ナショナル・ヒストリー」にはなることができないのかもしれないものではありますが,それでも,歴史を構成する立派な「部品」のひとつです。 これは,わたし自身の日本社会にたいする「認識・価値観」ではありますが,日本人は過度に「ナショナルなもの」を強調したがります。そうすることによって,「マイノリティの歴史」が隠れてしまうことを,わたしはつねに「危惧」しています。 回答者さんの言い分,主張することは,わたしは「理解」をしています。しかしながら,回答者さんは,何かしらの「枠組み」に固執しすぎていると,わたしは考えます。たとえば,「ラディカル・オーラルヒストリー」という書物,大変素晴らしいものがありますが,そういったものを,おそらくは,回答者さんは「キワモノ」扱いしてしまうのかな,と思います。
- staratras
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No.7です。拙文に頂戴した「お礼」で質問者様の問題意識がよく分かりました。 私は歴史研究者ではなく、学会の最新動向に詳しくもありませんが、少し補足させてください。「お礼」を拝見して十分には理解できなかったのは、「オーラル・ヒストリー」の重視ということは「一時的なブーム」に過ぎなかったのかということです。本来歴史研究、とりわけ近・現代史研究においては、文字史料の発掘・分析とともに、関係者からの聞き取り調査は重要な位置を占めてきました。文字史料自体、公的な保存体制が十分でなかったこともあって、関係者との接触・交渉を通して初めて利用できるようになるケースも多く、両者は密接不可分な車の両輪のようなものではなかったのでしょうか。 またこの「聞き取り」は別に歴史研究者のみが行っていたことではなく、ジャーナリズムの世界でも昔からよく行われてきた手法でした。例えば岩波文庫に収録されている『戊辰物語』(東京日々新聞社会部編)という作品は戊辰戦争から60年を記念して昭和3年の正月に東京日々新聞が連載した幕末から明治初年にかけてのできごとを古老からの聞き書きを元にまとめた記事です。もとより「厳密な歴史資料のつもりで取材されたものではなく、あるていどまでは必然的に興味本位」ですが、「アカデミックな歴史家が無視して通りすぎてきたようなところに興味本位で踏み込み、多くの貴重な証言を引き出すことに成功している」ものです。(()は同書巻末の解説文中の表現) こうした聞き取りは録音・録画機器の技術的進歩と放送メディアの社会的発達とともに、話したことを文字化しなくても映像と音声をそのまま記録・伝達できるようになり、さらに貴重なものとなりました。こうした記録を保存・活用する大切な事業もNHKの「戦争証言アーカイブス」などすでに始まっています。 歴史研究者を志していた学生のころ、私は歴史の研究はほとんどすべて大学で行われているのだと漠然と考えていましたが、社会に出て見ると、決してそうではないことを感じます。特に近・現代史の分野では歴史研究者とジャーナリストの仕事が重なる部分があります。ジャーナリズムの世界で極めて大事なものとして重視されている「直接の関係者の生の声」を歴史研究者がうまく活用できないとしたら、それは損なことだと思います。ただそうだとしたら「自分史ブーム」など世間の「語ること」を重視する方向とは逆ですね。 余談ですが、私が学生のころ中学校から大学まで直接教えてもらった年配の先生の中には、応召して戦場で戦った経験がある人がいました。(大学には学徒出陣された教授が複数いました)就職して駆け出し時代には、他社の年配(といっても40歳くらい)の記者には空襲の体験者もいましたし、取材先の警察幹部のなかには、軍隊帰りや少年警察官(戦時中出征した警察官の不足を補うため15、6歳の少年を警察官に採用した)出身ですと自己紹介する人もいました。 当時は戦争体験を語ったり聞いたりすることは特別なことではなく、政治的な立場や思想信条の違いはあっても、あのような戦争を二度と起こしてはならないという一点に収束する方向では共通の認識があったように感じます。このように直接の戦争体験を持っている世代が、社会の現役を退いたとき、立場を超えて存在した共通認識が失われて、ご指摘の「「戦争体験」が「政治問題」,「外交問題」になった」のだと考えますが、だからといって「日本における歴史学は「たったひとつの真実を求める“だけ”の存在」になってしまった」というのはいささか悲観的過ぎるように思います。 というより、学校の試験は別として、そもそも歴史において「たったひとつの真実」が存在すること自体に世間の多くの人は懐疑的ではないでしょうか。戦争体験などが原因となって現実に起こっている「政治問題」や「歴史問題」は、「真実の歴史」と「虚偽の歴史」の間の闘争ではなく、多種多様な過去の体験(事実)を双方が「たったひとつの真実(と思い込んでいる)」という(双方で異なった形の)鋳型に強引に押し込もうとするために起きている争いであることに、人々は気づき始めていると感じます。そしてその点では、精緻な鋳型作りと押し込み作業に熱中する一部の人たちよりも、一般の人の方が健全だと考えます。 近・現代史はもともと政治的な問題とつながりやすく、学問的な論争が政治問題化することも明治以来少なくありませんが、相手方の鋳型の不備を論うあまり、その中にある多種多様な体験(事実)まで価値がないと決めつけるのは適切ではないでしょう。歴史で重要なことは多種多様な過去の事実そのものの方であって、無理に作り上げた鋳型の方ではないはずだからです。研究者やジャーナリストではない多くの人が、多種多様な『私の昭和物語』を語り残すべき時代になっているのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 まずは,ジャーナリズムについて,ですが,先日,ある日本人のジャーナリストが,日本国内のある地方公共団体の首長にかんする記事を連載しようとしました。そのタイトルには,「奴の本性」という「言葉」があり,このことは,「ジャーナリズムが暴力と化した」ひとつの例であると,わたしは考えます。(この,某ジャーナリストが連載しようとした内容については,その対象となる某首長の「出自」について触れられていますが,このことは「差別」の助長につながりかねないものでした。その後,この記事の連載は中止になったほか,出版社の責任者がそのポジションを追われるなど,一大事へと発展していきました。) オーラル・ヒストリー,さらには,ライフ・ヒストリー,生活史という分野においては,「生の声」をそのまま「活用」することが重要であるとされます。ジャーナリスト,ルポタージュといった類のものは,「作者の意図」がこめられたものであり,それは,学術用語でいうところの,いわゆるインフォーマント,つまり,「語ってくださる方」にたいする「侮辱」です。 わたしは,純粋にオーラル・ヒストリーを実践しているわけであって,ジャーナリズムのためにやっているとか,ルポタージュのためにやっているわけではありません。ですから,語ってくださった方の「語った内容」,「語ったことにたいする解釈」は,そのまま活かすようにします。また,オーラル・ヒストリーをやるときには,なるべく,語ってくださる方が,自発的に語ることを重要視します。ですから,誘導尋問のようなことは一切しません。そのようなことは,「言葉の暴力」でもあります。 さて,回答者さんがコメント欄に書いてくださったことについては,同意できるものです。そして,あなたがおっしゃったように,日本の歴史学も,そこまでオープンになってほしいと思うのですが,どうも,いまだに日本の歴史学は,いわゆる「WWII」の歴史から抜けだせない印象があります。 ひとつひとつの,異なった歴史に触れることが,歴史の学習,その理解,さらには,研究にとっては重要なのですが,しかしながら,現代の日本人の,「寄らば大樹的体質」というものの「影響」があって(ほかの理由も考えられますが),そうはいかないのが「現状」です。いわゆる,「ナショナル・ヒストリー」に「正義」を求めてしまう,という人々が多いのです。そして,そういった「ナショナル・ヒストリー」から「漏れてしまった」ものは,「歴史にあらず」という態度をとってしまうのが,現在の日本人の「本心」なのだと,わたしは考えます。歴史に多様性を求めてしまうと,「国家(あるいは,「国体」)」が成り立たなくなると,そのようなことを,「妄信」している人々がいると,わたしは考えます。歴史と国家が,無理やり「くっつけられた」ことについても,考える余地があると,わたしは思います。 わたしは,実は,アメリカのオーラル・ヒストリーの組織に身をおいて,アメリカの組織の活動の一環として,日本でオーラル・ヒストリーをやっていますが,日本人のオーラル・ヒストリーほど「難しいもの」はありません。なぜならば,日本人が概して,「口下手」が多すぎるからです。自分から語ることができない,ですから,こちらから色々と質問をしなければなりません。誘導尋問のようになってしまうのが嫌なので,すこしずつ,時間をかけて,語ることをお願いするようにしています。サイドイフェクトのようなものではありますが,日本社会においてオーラル・ヒストリーがあまり広まらない理由のひとつに,日本人の「口下手」があると,わたしは考えます。「沈黙」に価値などないと,わたしは考えます,極論のようなものではありますし,まるで,日本人の価値観をないがしろにしていると思われそうですが。 また,歴史が政争の具になったことも,ほんとうに痛ましいことです。これがアメリカ社会になると,歴史+宗教で政争の具になっています。日本社会においては,いわゆる日中関係,日韓関係がその,もっとも「トゲ」のある部分であると,わたしは考えます。これについては,わたし自身の考えではありますが,「日本人の過去にたいする受けとめかたの問題」であると,思います。向こうにも,歴史を政治や外交のタネにしていることは,非常に腹立たしいことではありますが,そういった「政治のゲーム」に日本がしっかりと対応していないことについても,腹立たしくなるときがあります。 政治のことはここまでにして,過剰なまでに歴史が政治や外交とむすびつけられたことは,歴史を愛する立場としては,非常に理解しがたく,苦しいものです。これは,まるで「神と時計の理論」のように,一度スイッチを押してしまうと,永遠にとめられなくなってしまう,永遠に操ることができなくなってしまうようなアスペクトがあると,わたしは考えます。 あとは,そうですね,「昭和の経験」,これは,もっとしっかりと,その語りに耳をかたむけるべきだと,わたしは思います。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1494/3640)
>日本における歴史の学習,教育,さらには,研究においては,いわゆる「文書至上主義」的な「風潮」があります。 昔はそうした傾向が強かったかも知れませんが、少なくとも近年は変わってきているのではありませんか。少なくとも現在の日本の近代史・現代史の研究者で「「語ったこと」を参考にすることが,有意義ではない」と主張している人を私は知りません。(どのような場合に、どの程度有意義かという点では、研究者によってそれぞれの考え方があるでしょうけれど) 私は1970年代後半に、大学で日本の近・現代史を学びましたが、すでに「オーラル・ヒストリー」の重要性が指摘されていて、私の指導教官は積極的に研究分野の関係者の聞き取り調査を行っていました。学生にも近・現代史の研究においては文字史料を大切にするだけでなく、現存する関係者や遺族の聞き取り調査が重要であると教えていました。 また私たち学生も、この時代のことを少し調べるうちに、戦前・戦中の史料となる文書は相当数が戦災で失われたり、敗戦時に破棄されたりしているうえ、検閲などのため(当時は私信も検閲されていました)必ずしも実態を表していないことを理解し、この点からも文字史料だけに頼るのは危ないことを痛感しました。 1970年代には1930年代から40年代にかけて日本を動かしていた指導的な立場の政治家や軍人でもまだ存命の人が相当数いましたので、そうした人たちの高齢化(中には5.15事件と2.26事件の前後関係が怪しくなっている人もいるという話を聞きました)や死去との競争のようでもありました。戦後70年近くたった現在では事情がやや異なりますが、当時「語られたこと」の録音は残っていますので、これらは貴重な史料となっています。 さらに「語ったこと」が重要なのは、歴史学においては必ずしも近・現代史に限定されないと思います。それはご質問のお礼のなかで挙げられている柳田国男が次のように警告している通りだと考えます。 「文字史料の存在にしか、我々の歴史は無いときまると、北海道東北の広々とした地域はさておき、首都を取り繞らす活発なる生活帯の中にすらも、なおアメリカ以上の古さを尋ね難い地域が多い。まして何百とある離れ島などは、一歩門を出れば則ち神代になってしまう」(「歴史教育について」 原文は旧かな使い)
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃるとおり,日本の歴史学においては、1970年代後半から80年代前半において,「オーラル・ヒストリー」にたいする関心が非常に高まった時期でもありました。 しかしながら,日本の歴史学においては,1980年代以降,「オーラル・ヒストリー」にたいする巻新が薄れていきました。その一方で,社会学の分野においては,「ライフ・ヒストリー」,「生活史」というジャンルが生まれ,「語ったこと」が研究手段として,研究における資料としての「価値」が評価されるようになりました。 日本の歴史学において,「一時的なブーム」をみせた「オーラル・ヒストリー」は,「語ったこと」の「価値」やその「意義」を,社会学のように,それを見出せぬまま,ふたたび「文書至上主義」へと,そのベクトルを変えていきました。その背景には,いわゆる「戦争体験」があったことは,明らかなことです。そして,「戦争体験」が「政治問題」,「外交問題」になったことによって,日本における歴史学は「たったひとつの真実を求める“だけ”の存在」になってしまったと,わたしは考えます。本来ならば,歴史学は多様性に富むものです。それは,アメリカの歴史学においては,長らくマイノリティの歴史があまり注目されなかった「過去」があったものの,現在のアメリカの歴史学は,アメリカの社会学や女性学も驚くばかりの「多様化」を達成しました。そして,その背景には,「オーラル・ヒストリー」の活用もあったのです。 回答者さんが指摘されたように,柳田國男の「警告」からうかがえることは,日本の歴史学も,「非常に多様な存在」であるはずです。しかしながら,わたし自身が考えることは,「戦争体験」,それも,「ごく一部の戦争体験」を理由に,そういった「多様性」が「否定」されていることです。非常にもったいないことでもあります。
- shirouuda
- ベストアンサー率17% (14/78)
そもそも、 「語り」と 「文書」を 無理に分けるべきではないですよ。 「信長公記」は、 文書でもありますが、 故人である、太田牛一の語りでもあるのですから。 故人は、文書でしか語れないですし。 私の母の戦時体験の「茶がゆ話」は、 真実では無くて、母の心象風景であります。 これは、歴史の一場面ともいえますが、 むしろ、母の人生の「文学」でしょう。 もちろん、歴史は境界のあいまいな学問であり、 よくある、兵器ネタなど、歴史と科学技術の境界をさまよってますし。 自分の意見に賛同を求めるための質問は、私もたまにします。質問者本人に自覚があればいいとは思いますが。
補足
今回の質問は,わたし自身の意見に「同意」してくれる人を「募集」しているわけではありません。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
世界にある伝承されている歴史遺物(発掘品とかではなく、XX家が代々受け継いだ物)の7割は日本にあります。これが何を意味するのか?歴史の調査をするにおいて、海外では発掘と文書調査がやりやすいのに対して日本はやりづらい環境があります。 語りは真贋鑑定が必要です。自己弁護の為、戦死した指揮官に責任を押し付けたり又は美談に変えたりなど平気で喋る関係者もいます。発言が二転三転してる人のは信用無しで済むのですが、高級軍人や官僚など頭の良い連中は計画的に偽証していますので真贋鑑定が難しいのです。それを覆すには文書史料を調べるしかありません。
補足
あなたの指摘した,「真贋鑑定」は,「文書」においても必要です。なにも,「語ったこと」だけが,「真贋鑑定」の「対象」というわけではありません。 そして,あなたは「職業軍人」や「高級官僚」を例にしていますが,「語ったこと」の対象,それは「すべての人」なのです。つまり,あなたの隣人の「語ったこと」も,歴史的な価値を見出せるものとして「認識」しなければならないのです。 回答してくださったのはありがたいのですが,ある種の「視野の狭さ」という印象を持ちました。おそらくは,あなたの考えているところの<歴史>とは,「国家」,「殿様」,さらには,「天皇」なのかもしれません。わたしは,そういった<歴史>があることを理解していますが,それと同時に,かつて柳田國男が指摘した「常民の歴史」にも,大いなる価値があると考えています。
- Subaru_Hasegawa
- ベストアンサー率11% (106/937)
韓国のように、「騙る」事に重要性を見出す国もあるのです。 だから文献だけではなくて、第三者の視点も必要になってくるのです。 考古学なんてイケコミなんて珍しくありません。口頭は参考にはなるが 公式文書よりは信憑性がない。そのあたりは中国や朝鮮を見るとよく分かりますよ。 ただ、彼らの公式文書は同人誌並みですから、それも危ういのですが。 だから、同人国家なんて言われています。発言に価値があるのは、発言者に信頼性が あるかどうかに依存します。
補足
回答になっていません。 わたしは,韓国のことを質問しているわけではありません。 今後,歴史や社会にかんするコメントは控えてください。
- shirouuda
- ベストアンサー率17% (14/78)
私の母は、 「戦時中は食糧不足で、毎日、水で薄めた茶がゆを家族6人で分けて食べた」 と、言いますが、私は大幅な誇張があると思ってます。 なべいっぱいだとしても水で薄めたかゆでは、 体重数十キロのほ乳類6人も生存できません。 さらに 「小学校の運動会で活躍した。」 と言ってますが、そんな低カロリーでは運動できるはずがありません。 そんな低カロリーで運動できるとしたら、 私の母とその兄弟は、変温動物・爬虫類です。 「検証」せねばならんのですよ。 その真偽を。 科学の目と刑事の目で。
補足
今回の質問内容にかんして,わたしが問いかけていることは, 1.「水で薄めた茶がゆ」から,どのような「生の営み」が理解できるか 2.「小学校の運動会で活躍した」から,どのような「生の営み」が理解できるか ということです。 あなたの場合,「真実」だけを求めたいがために,「真実」にばかり気をとられているために,「なぜ,そのような語りがあるのか」,とか,「そのような語りから,どのような“価値”が見出せるのか」について,あなたは一切考えていないと,わたしは思います。 あなたの指摘する「検証」とは,歴史学においては,「ひとつのアスペクト」でしかありません。 歴史というものは,「多様性」に富み,「多元性」のあるものです。あなたの場合,「ひとつのパースペクティブ」でしか,歴史を理解しようとしない,そのような「印象」がします。 また,あなたは「科学の目」,「刑事の目」という「言葉」を使いましたが,それは,どのようなことでしょうか?回答してくださったのはありがたいのですが,「言葉」にこめられた「意味」についても,あなたは言及する必要があります。 いわゆる,「戦争体験の類」などにおいては,「真実を知りたい」という「気持ち」があることは,理解の出来るものです。 しかしながら,わたしは今回の質問において,「歴史学における語りの価値」について質問したわけであり,「戦争体験」について質問しているわけではありません。
- 1
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お礼
ていねいなコメントありがとうございます。 回答者様のコメントを拝見しました。いろいろなことを説明してくださるのは,ありがたいことですし,これをご覧になっている人々にとっても,さまざまなことを知る良い機会になると思います。 まずは,ジャーナリズムのことですが,わたし自身,アメリカに住んでいたこともありますし,アメリカの大学に通っていたこともありますので、回答者様のご指摘されたことは,よく理解しています。ただし,それは,「アメリカの事情」です。「日本の事情」とは異なります。 そして,重ねて申し上げますが,わたし自身も「日本の事情」はよく理解しています。回答者様のおっしゃった,網野善彦,藤田省三,といった素晴らしい先生方の著書に目を通す機会も得ました。 知っていることは色々とありますが,これが,「真の質問」とでもいうべき点だと,わたしは考えています。これだけ「素晴らしい研究成果」がありながら,なぜ,それらが「日本の歴史教育」に活かされていないのでしょうか?いまだに,日本の歴史教育,とりわけ,「日本の公教育における歴史教育」は,その「大きな幹」とでもいう部分が「天皇の歴史,殿様の歴史,いわゆる“えらい人”の歴史」です。わたし自身, 網野善彦の「日本社会の歴史」という著書がありますが,こういったものを,日本の中学生や高校生が読むチャンスがどれくらいあるのか,そのことに非常に強い興味を示しています。 もちろん,「日本の公教育における歴史教育」においては,いわゆる「教科書制度」や,保守的な風潮で知られる「文部科学省のスタンス」があるので,容易にこれを「改善」することはできません。しかしながら,エスニック・スタディーズが研究や学習における「大きな幹」でもある,わたし自身にとては,これらの「素晴らしい研究成果」が,あまりにも知られなさすぎることには,とても遺憾なことです。そして,そのように考えている先生方も,多くいることでしょう。 わたし自身のことですが,いわゆる「オーラリティ」ということにつきましては,日本の歴史学においても,深い理解がされているということは,回答者様の再度のコメントを通して,もう一度,よく理解することが出来ました。そして,いわゆる「下からの歴史」についても,同様です。 しかしながら,「猫も杓子も大学進学」という「時代背景」において,いまだに,そういった「日本の歴史学の功績,貢献」が,歴史教育という場面において,十分に活かされていないということは,「大きな問題」であると,わたしは考えます。 日本においては,いまだに,エスニック・スタディーズが,学問のひとつとしては,あまり浸透していないものと思います。エスニック・スタディーズは,「アクティヴィズム」の面もありますので,そういった面から観ると,「学問的ではない」と考える先生方が多いと思います。 「素晴らしい研究成果」が教育に反映されていないことは,現在の日本における社会事情をみると,それがよくわかると,わたしは考えます。たとえば,現在の日本社会においては,過剰に「国家」を強調する人々がいます。それは,「国家の本質」,あるいは,「政府というものの本性」があまり深く理解されていないからだと,わたしは考えます。あるいは,「安定志向」という言説をとるのであれば,「国家」というものに,「安定志向」を求めていると,解釈することもできます。マイノリティの歴史に向きあっているわたし自身にとっては,「国家」,「政府」とは,「いとも簡単に,自国民にたいして牙を向けること(たとえば,さまざまな人権侵害)の出来る組織」であると考えています。 さらには,回答者様が例として挙げてくださった,「素晴らしい先生方」は,日本社会(一般的な,日本社会)において,どれだけ知られている先生方なのでしょうか?日本社会は,「学問が浸透しやすい社会」であると,わたしは考えていますが,回答者様が挙げてくださった「素晴らしい先生方」の名前や功績が,もっと社会のなかで浸透しても良い,そのはずであると,わたしは考えます。 さまざまな「やりとり」を通して,あまりにもロジカルではない質問文を出したこと,そのことは,わたしにとっての「教訓」であると,そのように受けとめています。また,さまざまな「日本事情」を知るうえで,良い機会になったと思います。 そして,そういうことを学んだときに必ずわたしが考えることは,「日本の先生方も,こういった研究の成果を教育に還元するために,必死になっている」ということです。日本社会とは,「制約の社会」の面もありますので,「大変なこと」であることは,よくわかっています。ある学会の懇親会で,わたしは,西洋史の先生と話をする機会を得たのですが,そのときの先生のコメントの,約4割が,「お役所にたいする“文句”」であったことは,とても印象深いものでした。日本の歴史教育においても,「先生がマテリアルを選ぶ“権限”」があったほうが良いと,そのようにわたしは考えました。