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仏教と怨霊

古代史を自学していて、ときどき「怨霊のたたり」というのにお目にかかります。少し大げさかもしれませんが、「怨霊のたたり」が古代史を動かしたとも感じるところもあるのですが、一方で、飛鳥時代には、仏教が日本に入ってきており、いろいろ経過はあったようですが、仏教が受け入れられました。 現在に至る歴史的な寺院などのことを思い浮かべると「受け入れられた」というよりも、「歓待され、大いに信奉された」という表現のほうが当たっているかも。 ところで、疑問なのは、仏教には、「怨霊のたたり」というような考え方はないと……宗教のことは分からないので間違っているかも???……思うのですが、何で古代史に「怨霊のたたり」みたいなことが出てくるのでしょうか???という疑問です。古代史に限らないのかもしれませんが。 立派な寺院や仏像を作ったとか、中国から立派な僧を招いたとか、そういうことと仏教を受け入れたということ、あるいは「怨霊のたたり」とは関係ないのでしょうか???

  • 歴史
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みんなの回答

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (379/1173)
回答No.4

天変地異があれば、魑魅魍魎の仕業として、只々祈る事しかない 時代でした、現代でも、有るのでは? 奈良時代の仏教は、朝廷の権力争いに利用されてただけで、庶民には 広まってません、仏教を庶民に寄り添う形で広め様とした、行基菩薩は、呪術使いとして弾圧されました。 弓削の道鏡の騒ぎが有って、平安京に遷都した後は、仏教は比叡山、高野山に移り、修行、学問としての、仏教になり、庶民とはかけ離れてた存在に、成りました。 平安末期に法然と親鸞が登場して、仏教は庶民に寄り添う、様になり 現在に至ってます。 仏教はこの世の苦楽から、救い出すのですから、魑魅魍魎、怨念の 世界とは無縁のです、従って、死者を弔う葬儀にも無縁なのです。 祈るしかなかった平安時代には、何やら仏教には不思議なチカラ が有りそうだとして、坊さんに悪魔祓いとか祈祷をさせたのでしょう 坊さんも仏教には、そんなチカラはないのが解って居ながら、 金に、なるので、祈祷も葬式も行ったのでしょう、悪魔退散として、十字架を、突きつけるキリスト教と同じ図式でしょう。 ------------------------------------------------------------------------------------------- 行基さんは、行基菩薩と称されて、庶民の信仰の対象になってます。 庶民に寄り添った、御坊様としては、聖徳太子を凌駕する、実績が 有ります、教科書に取り上げて、もっともっと、教える人物と、 思いますが。

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質問者

お礼

ありがとうございました。 皆さんのご回答を読ませていただいて、「仏教と怨霊」ということについて、何か根本的というか、極めて初歩的なところで大きな誤解をしていたことが分かりました。恥ずかしい限りです。 現代でも、有るのでは?……考えてみると、天変地異に限らず、ありますよね。 奈良時代の仏教は、朝廷の権力争いに利用されてただけで、庶民には 広まってません、……怨霊が幅を利かせたのも貴族の世界だったと思うのです。 平安京に遷都した後は、仏教は比叡山、高野山に移り、修行、学問としての、仏教になり、庶民とはかけ離れてた存在に、成りました。……詳しくはありませんが、そんな印象は感じます。 祈るしかなかった平安時代には、~~金に、なるので、祈祷も葬式も行ったのでしょう、悪魔退散として、十字架を、突きつけるキリスト教と同じ図式でしょう。……私には、興味深い視点です。 行基さんは、行基菩薩と称されて、庶民の信仰の対象になってます。 庶民に寄り添った、御坊様としては、聖徳太子を凌駕する、実績が 有ります、教科書に取り上げて、もっともっと、教える人物と、 思いますが。……知識に乏しくよく分かりません。宗教者としては尊敬されるべき人物だと思います。でも、大仏建立では、利用されたという側面もあるのではないかという気もしますし、聖徳太子とは、そもそも比較の対象にならないのではという印象もあります。

  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2184/4839)
回答No.3

>仏教には、「怨霊のたたり」というような考え方はないと……宗教のことは分からないので間違っているかも???……思うのです その通りで、本来の仏教には「祟り」は存在しません。 お釈迦様も、死後には何も残らないと説法していますからね。 その後、各国で仏教が伝播して各宗派が誕生します。 この時点でも、「怨霊・祟り」の教えはありません。 >何で古代史に「怨霊のたたり」みたいなことが出てくるのでしょうか???という疑問です。 昔は、雨・風・火・陽(太陽)・月・水などの自然現象は神の恵みと考えていました。 ところが、大雨・台風・大火事・日照り(干ばつ)・疫病などは「怨霊の祟り」と考えていたのです。 仏教系の祟りでは、ありません。 今も昔も、原因が分からないのは不安ですよね。 そこで、〇〇の祟りだ!とする事で不安を和らげたのです。 >「怨霊のたたり」とは関係ないのでしょうか??? 実は、あまり関係がありません。 菅原道真は「天神さん」として、全国各地に天満宮がありますよね。 これも、京で天変地異が続いてたので「庶民・貴族が、道真の祟り」と看做した訳です。 そこで、道真を祀る天満宮が増えました。 そもそも天神は「農耕の神・水の恵みの神様」なのです。 ※天神を祀る神社では、「雨ごい神事」が残っていますよね。 ところが、道真が合祀されると「天神=道真」と看做され「農耕の神から学問の神様」に変身しました。^^; 不合理な死を迎えた有名人は、「怨霊」となり「怨霊を収める為に神として祀る」事が増えます。 要は、原因が分からないので「何かの原因を探して、その原因を摂取り除く行為が神社・寺院建立であり祈祷」です。 八坂神社(明治維新までは、天台宗のお寺で神仏習合)の祇園祭りも、疫病退散です。 仏教の受け入れと怨霊の祟りは、関係ありません。 単純に、大王(神武天皇が、初めて天皇を名乗った)が国内統一過程で「仏教を旧来の権力を持つ神道系貴族に対する抵抗手段」として用いたのでしよう。

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質問者

お礼

ありがとうございました。 皆さんのご回答を読ませていただいて、「仏教と怨霊」ということについて、何か根本的というか、極めて初歩的なところで大きな誤解をしていたことが分かりました。恥ずかしい限りです。 仏教系の祟りでは、ありません。……全く誤解していました。 そもそも天神は「農耕の神・水の恵みの神様」なのです。……そうなのですか。まさに「天神」なのですね。 「農耕の神から学問の神様」に変身しました。^^; ……今は遠い昔のことになってしまいましたが、私も「某天満宮」にすがりつきました。笑 大王が国内統一過程で「仏教を旧来の権力を持つ神道系貴族に対する抵抗手段」として用いたのでしよう。……蘇我と物部の争いももう一度読み直してみます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10495/33004)
回答No.2

質問者さんが指摘するように、日本人が古来から現代に至るまで最も怖れるのは「怨霊」です。強い思いを持って亡くなった人が成仏できずに怨霊となって災いを起こすことを何より怖れています。 これは古代や中世に限った話ではなく、現代でもそうです。日本のホラー映画などはほぼ全てが「怨みを持って死んだ人の呪いの話」です。「リング」も「呪怨」もそうでしょ。違うのは「バイオハザード」くらいで。 でも海外のホラー映画だと、だいたい人気なのはサイコパス(アメリカ人はサイコパスが大好きですね。レクター博士が最も人気がある悪役で、2位が「サイコ」のノーマン・ベイツでした。他はジョーカーやジグソウなんかが人気です)で、あとは地球外生命体ですよね。「エイリアン」とか「遊星からの物体X」とかね。 なぜ我々がこうも怨霊を怖れるのかは私も分かりませんが、とにかく私たちは怨霊が怖くて怖くてたまらないのです。かくいう私も、将門公の首塚で不埒な行動をするなどという怖ろしい真似は絶対にしません・笑。 仏教と怨霊が接点を持ったのは、やっぱり空海が真言密教をもたらしてからじゃないかなと思いますね。密教はオカルト色満載ですからね。あの梵字からしてオカルト心をくすぐりますよね。私も真言密教や陰陽道あたりの「結界を張る」とかはもう大好きです。 日本古来の「怨霊を怖れる」という民族性に、真言密教のオカルトがバッチリとハマってそんな感じになったのではないでしょうかね。 ちなみに、怖ろしい怨霊への対策は割とシンプルです。それは「神様にしちゃって神社を建立すること」です。 日本で最も怖れられている怨霊の一人である菅原道真公は、北野天満宮と太宰府天満宮で「学問の神様」にされました。前述した首塚でも知られる平将門公を祀っているのは神田明神です。日本のホラー界のスターである「お岩さん」も於岩稲荷田宮神社に祀られています。 日本三大怨霊のもう一人である崇徳天皇は、なんでも今でも天皇家の神事で崇徳天皇を慰める儀式をやってるのだそうですよ。 怨霊は「鎮める」に限るのですが、その役割は仏教ではなく、神社の担当なのです。

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質問者

お礼

ありがとうございました。 皆さんのご回答を読ませていただいて、「仏教と怨霊」ということについて、何か根本的というか、極めて初歩的なところで大きな誤解をしていたことが分かりました。恥ずかしい限りです。 私は、気が小さいので、ホラー映画は見ません。卒倒してしまいます。でも「地球外生命体」のようなSFは大好きですね。 なぜ我々がこうも怨霊を怖れるのかは私も分かりませんが、とにかく私たちは怨霊が怖くて怖くてたまらないのです。かくいう私も、将門公の首塚で不埒な行動をするなどという怖ろしい真似は絶対にしません・笑。……なぜか神社やお寺では神妙な気持ちになります。 仏教と怨霊が接点を持ったのは、やっぱり空海が真言密教をもたらしてからじゃないかなと思いますね。……興味深いご回答ありがとうございます。 密教はオカルト色満載ですからね。……全く手の届いていない世界ですが、どうにも「空海」と「密教」というのが結びつかないのです。 ちなみに、怖ろしい怨霊への対策は割とシンプルです。それは「神様にしちゃって神社を建立すること」です。……なるほど、なるほど、なるほど。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

> 立派な寺院や仏像を作ったとか、中国から立派な僧を招いたとか、そういうことと > 仏教を受け入れたということ、あるいは「怨霊のたたり」とは関係ないのでしょうか?  「習った」というのとは違いますが、高校の歴史の授業で先生が「神道には祟りがあるが、仏教には祟りはないからね。頼りがいがあった」と言っていたのを覚えています。  京都の朝廷は祟りをとても恐れていたようです。百鬼夜行とか、崇徳院(怨霊)とか菅原道真(落雷)の祟りとか。  仏教にはそれがありません。そういう祟りの話がない仏教は受け入れ易かったでしょうね。  ただ、坊主の後付けかと思いますが、「仏罰」というのはあって、「坊主殺すと七?代祟る」とか、寺から借りたカネを返さないとバチがあたるんだとか  (^_^;; 。  ただ、「立派な寺院や仏像を作ったとか、中国から立派な僧を招いたとか」は、仏教を受け入れた「結果」です。「仏教を受け入れたということ」の理由にはなりません。 > 何で古代史に「怨霊のたたり」みたいなことが出てくるのでしょうか?  理解できない自然現象が多数あったからですね。それを理由づけて一応納得するには便利な考え方だからです。今だって、見たこともナイ生き物に出逢うと、「これは〇〇の一種である」とか理由づけて納得します。

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質問者

お礼

ありがとうございました。 皆さんのご回答を読ませていただいて、「仏教と怨霊」ということについて、何か根本的というか、極めて初歩的なところで大きな誤解をしていたことが分かりました。恥ずかしい限りです。 高校の歴史の授業で先生が「神道には祟りがあるが、仏教には祟りはないからね。頼りがいがあった」と言っていたのを覚えています。……私は、高校時代、日本史は大嫌いでした。年代を覚えたり、人物名を漢字で書いたりするのが苦手で。でも、日本史の先生はまさに「恩師」でした。 「神道には祟りがあるが、仏教には祟りはないからね。頼りがいがあった」……面白い表現ですね。歴史学というよりも心理学の世界のような気がします。  ただ、坊主の後付けかと思いますが、「仏罰」というのはあって、「坊主殺すと七?代祟る」とか、寺から借りたカネを返さないとバチがあたるんだとか  (^_^;; 。……武士よりも一枚も二枚も上手ですね。笑笑 「仏教を受け入れたということ」の理由にはなりません。……たしかにそうですね。

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