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村上春樹現象は 異常ではないでしょうか?

mmkyの回答

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.9

追伸まで ☆ わたしの場合 《死を受け容れよ。その死の観念をも包みこんだ大いなるもやもやの中で生きよ》というふうに受けとめたのですが 重なっていますでしょうか? ● 重なっていますね。私の感覚では死も生の一部であることを認めてはいるが完全には受け入れていないのでもやもやとしていると考えているのです。 生と死に境界はないのですが、死の明確な意義やビジョンが描かれていないので生と死の狭間文学といいたいのですね。 例えば、芥川の「くもの糸」はあの世の世界の話ですがこの世のことのようにリアルに描かれていますね。そのようなリアルさがないもやもやの世界ですね。つまり、単にドアの外がその世界で現実のようなそうでないようなもやもやですよね。 挨拶も無く死後の世界に踏みこんでいることは確かですが、例えば、三途の川を渡らない状態でいまだ死を完全に受け入れてはいないなと感じるのですね。それがもやもやの理由かなと思うのですね。 まあ、あの世の世界を真摯に描いてしまうと本は売れないですから作家の知恵としてあえてもやもやなのかもしれませんが。 しかし、こんなもやもや本が売れるのですからまっとうな作家は気落ちしてしまいそうですね。

bragelonne
質問者

お礼

 主人公は――ユミヨシさんを介して―― 妻・有紀子とともに 一たん新しい人となっている。従って この新たな出発点に立っては 現在や将来のことだけでなく 過去のことも 回想の中にではあるが 自らの経験現実として――主観真実の限りで―― 再形成されていくのである。取り返しのつかない不信の関係がその過去に見出されたとしても 語り手はは もはや無力感のもとにでも 自らの物語(歴史)を再形成していく。これが 風の歌の問題である。  なおも執拗に発現する欠落感とその欲望は すでにここでは風の歌を聞いているかに思われる自らの新しい経験現実の中の一部分である。  風の歌は じっさい 一個人の主観真実の域を出ない。それは大きく虚構をとおしてしか 表現されえない。あるいは まぼろしである。よくも悪くも そういうものである。  有紀子(主人公の妻)は 島本さん事件のあと 主人公にこう問いかけている。    《そしてあなたは何も尋ねようとしないのよ。》    ・・・       有紀子はしばらく僕の顔をじっと見ていた。《私は思うんだけれど》   と彼女は言った。《あなたは私に向かってまだ何も尋ねていない。》     (『国境の南、太陽の西』 pp.289&291)  風の歌の問題は もしシンライ関係にかかわるのならば それは 関係であって その過程なのだと思われる。話し合い 尋ねあわなければいけないというわけである。上の問いかけを承けて    《明日からもう一度新しい生活を始めたいと僕は思うんだけれど 君   はそれについてどう思う?》と僕は尋ねた。    《それがいいと思う》と有紀子はそっと微笑んで言った。         (同上・承前)  ユミヨシさんと生活を共にしていくといった経験現実の過程が 類型的に同じ形態として 島本さん事件を経つつ ここで有紀子との家庭生活となって 落ち着きを取り戻すと言ってよい。そのような再形成が描かれる。ただ《現実だ。ここにとどまる》と宣言するだけの踏み出しでいいわけである。風の主題は 全く単純である。  物語は最後ではなおも不安が 顔をのぞかせている。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

bragelonne
質問者

補足

 mmky さん ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  例えば、芥川の「くもの糸」はあの世の世界の話ですがこの世のことのようにリアルに描かれていますね。そのようなリアルさがないもやもやの世界ですね。つまり、単にドアの外がその世界で現実のようなそうでないようなもやもやですよね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ どうもこのあたりの事情が 絡んでいるようですね。この《リアルさ》を村上ないしその読者は かたくなに嫌っているのでしょうか。――それで 思想(生活態度)がはっきりとしたものになればいいのですが。  ちょっと質問者が出しゃばりますが 《現実感》のある作品がひとつありますので 紹介しておきます。反論を待ちたいと思う意味でも。  ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  『国境の南 太陽の西』。わたしは この作品で作者は 主人公なる語り手をして ほとんど作者自身が現実に語るのと同じように 語らしめるようになったとまづ思った。  《現実に語る》というのは たとえば作者が 対談者を前にして会談で自らの考えを述べる如くという意味あいである。ただし 《作者》といっても 人間としての村上春樹と作家としてのかれとが考えられるから ここではなお 後者なのだとは思われる。  いづれにしても 初めからの主人公の系譜は続いている。この作品では 主人公の《わたし探し》の巡礼の旅が ある種の仕方で 落ち着きを見出した。すでに以前の作品でも部分的には シンライ原則という現実に立とうとするかに思われたが この《国境の南 太陽の西》なる霊場(?)(どこだ?)に来て その姿は ほとんど一つの作品の全体にわたって 拡がりをも持ちつつ 安定した様子を見せた。  そんなシンライ関係の具体的な相手は やはりとりわけ妻の有紀子である。  もしそうではなく 単純に 風の歌をめぐる旅に出て シンライ原則の問題で発展途上にありつづけたという見方に限定しつづけるなら この作品では 一つの到着点に大きく近づいたのだという段階である。けれども 出発点が 時間過程にあって常なる動態であるなら 主人公は 自らの出発点に立ったと言ってよいと思う。  既に結婚して仕事をこなし家庭を持っている主人公にとって 幼馴染みの島本さんに出会うことは 確かになお これまでの旅にかかわる精神分析のことがらにからんだ問題が 残っていたことを物語る。この島本さんとのかかわりで 自己に重大な欠落感が残っていたとするなら それは 相手のほうではなく むしろ全く逆に自らのほうにである。  ただし この島本さんと主人公との関係で 一方的に主人公のほうに欠落感があり これに促され 促されるままに ついにその実際上の関係に走った とは思わない。それは 二人の間の問題だと言ったほうが よい。  だが 作者はここで主人公を すでに基本的に 動態としてのシンライ関係を妻との間にきづいて来ている情況に置いている。その夫婦としても家族や身内としても 《幸せである》と繰り返し語っている。ということは 主人公じしんの《欠落感》やあるいは一般に人間そのもののたとえば《無意識》や《井戸=イド》などという問題が どこまでもわれわれの生についてまわるという現実の一環であることを 示唆しているように思われてくる。  いや ひょっとすると 作者は そのように無意識問題の重要さを主張したいと思っているのかもしれない。実際にそのような主題を追究しているのだとは推し測られる。そのためにも 少年時代に遡って 島本さん以外の女性との関係も 筋の展開にとっては克明にもと言えるほどに 報告したりしている。  まさにシンライ関係を結果的には明らかに裏切ったことになるその相手であるイズミにかんしては 決して脇役とは思えないほどの位置が与えられているようである。このイズミ問題のほうが むしろ主人公やその夫婦にとって ついに埋めることの難しい深い《井戸》となっているとさえ考えられてくる。  主人公は このような経験現実に立ち会っているのであり そこに《風》の問題が展開されている。だから 逆にいえば ここでは 段階と情況とが かなり新しい確かな基盤の上に立っていると言ってもいい。それは 『ダンス・ダンス・ダンス』の結末で ユミヨシさんと現実の共同生活を始めようとするに到ったことが 基礎となっているであろう。そしてそうとすれば 詰まるところ この作品ではやはり主人公の人間関係における出発点は 妻・有紀子とのシンライカンケイ〔の動態〕にあると見てよいであろう。もしくは そう見なければならないであろう。

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