• ベストアンサー

村上春樹現象は 異常ではないでしょうか?

pokoperopoの回答

回答No.6

ぽこぺろぽです。補足質問をいただきありがとうございます。  村上読者は、おそらく村上が描く、虚無に通じる感覚を味わったことがある、自己の精神が正常であるかを、懐疑しているのでしょう。それを作品中の主人公に認めたことにより、作品を楽しみつつも、自身の正気を確認し、平穏な日常に戻れるのかもしれません。そうでなければ、村上現象は社会の衰退を意味しますから、広義の《甘え》が人気の原動力とはいえず、この点は考察が浅すぎました。  村上は主人公に、自己の《死》を描きますが、自己が死ぬまでの過程や、死の苦しみや、再生への試行も描いていません。ただ、死んだまま生きながらえている主人公がいて、知覚だけがかろうじて残されている状態です。このことは、人間や社会の問題を扱っておらず、マスターベーションのような自己満足を得ようともせず、無気力に疑問すら投げかけない、デカダンとも少し違った、無脊椎動物のようなジメジメ感があります。これは一体なんでしょうか?  そういえば、理論さんが、割れやすい卵に対する『壁』を、〈父なる神〉に例えておられました。そういう見方もあるのかと目から鱗でした。その《三位一体》について、私も考えを改めましたので、拙問のご回答番号6の補足質問欄をお読みください。

bragelonne
質問者

お礼

 (6) 具体的に 直子にかんしては 結果論としてでも そのように空虚そのものとして実際にも語られている。事実経過としては むしろかのじょの意向をすべて受け容れ かのじょその人を丸ごと引き受けた恰好なのであるが その主人公は それゆえにこそより一層 欠落感が増すというものである。  かのじょとの関係は そこでの主人公の振る舞いとともに ひとまずは 突き放して捉えざるをえないのではないか。つまり作品じたいが そのことを 要請しつつ 物語るのではないだろうか。  (7) 具体的に。あの『1973年のピンボール 』で主人公が《愛していた》同名の直子と同じような人物であるのかどうか。『ピンボール』のほうは 叙述が少ない。  この『ノルウェイ』のほうの直子の場合も 主人公がかのじょに《恋をしていた》ぶんだけ かのじょとの間に風の物語にかかわって希望を抱いていた。姿勢が受け身だからでもあるが――あるいは もっと詳しくは 小説じたいの成り立ちから言って 主人公は単なるものさしの眼(= private eye )としてのようにのみ 存在しているからであろうが―― 愚直というほどに かのじょの存在を受け容れていたし 引き受けようとしていた。  シンライ原則にかかわると見えつつ 二人のあいだの関係においては それ(受け容れ・引き受け)が 相手に届かなかった。けれども のちになって直子を理解したというその内容は 明言されたこととしてなら 《直子が僕を愛してさえいなかった》(〈第一章〉)ことだけである。  たとえば その恋心や親身になって注ごうとする愛情のことを別としてよければ 主人公が直子に 《肩の力を抜けばもっと体が軽くなるよ》とある種の助言を与えたとき 直子からは 《どうしてそんなこと言うの?》と むしろ突き返されることになる。このとき もし実際にも直子の言うとおり 《肩の力を抜けば体が軽くなることくらい》は かのじょに分かっていて しかも《もし今肩の力を抜いたら 私バラバラになっちゃうのよ》というのであれば 主人公はこれに対して 《バラバラになっちゃっても そうしたほうがいいのではないか》とすら 返すべきであったと思われる。このとき《僕は黙っていた》ことはなしにして 仮りにそのばあい薬の補助や医師の介助が必要であるなら それに頼ってよいはずである。主人公も 看護の手を差し伸べるはずである。・・・

bragelonne
質問者

補足

 ご回答をありがとうございます。  小説になると具体的な論評が必要でしょうし ただ記憶を頼りに述べてもいけないと思い 文章を皆さんに対しても掲げておこうと思いました。  話題作『ノルウェイの森』を取り上げます。  (1) 空虚なる信頼関係がまったくの虚無のみなのではないという経験現実 少なくともそれを問い求めつづけるという位置に 主人公は 立っている。あるいは その位置でさまよっている。そのように物語がつづき そこから新たな出発が始められる。  従ってちなみに ここでの《森》は 前著『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で扱われた壁の中の街にある森とは 別であろう。後者は――つまりそこでの全体としての想像上の実験は―― ご破算となっている。  (2) 主人公である語り手は ただし すでにおよそ二十年後の時にある。二十年前の自分をめぐる世界を回想しつつ 《風》のかかわる出発点 それとしての人間関係を 模索する。あるいは まだすべて受動的な姿勢にあるから 成り行き任せの如くそして回顧の中で発展途上の過程を再形成するかの如く 自らの経験現実の流れに立ち会っていく。  二十年の時の隔たりは それにもかかわらず 人間関係にかんして なおここでそう言ってよければ 試行錯誤を歩んでいることを示そうとしている。積極的な結論は 出されていない。少なくとも 二十年前から生き残っている人びととの関係が 二十年後の今と 必ずしもつながれていない。  ほとんどの人びとは死者となったから当然のようであるが 中で どこかで暮らしているはずの《小林緑》が今どうしているかも わからないし 死者たちについても その理解が もう一つ明らかなかたちでは 示されない。  あらかじめ言うとすれば 二十年後にしてこのようであるなら 初期作品からのシンライ原則が この作品では 一歩後退したかの感も否めないように思われる。  (3) 少年時代からの親友《キズキ》も 語り手にとって 《風》のかかわる信頼関係のもとにあるのではなかったと言おうとしている。親友にしてそうだというのであろう。  ある種の仕方でむしろ自らに固有の出発点ではないかと疑われた《永沢》との関係も 語り手にとって 実際に初めからそう思われていたように 風の問題として長く続くものではなかった。なのに 永沢として《永》の字が入っているのは 信頼関係の空虚さが 自らのことでもあると捉えられたこと その自らの空虚(欠落感)がつねに虚無と接しつづけていること これを示したものだと考えられる。  ここでは 全般的に 物語は 発展途上にある。  (4) それはまた すでに別れを見たと思われていた《鼠》ないし《影》との関係が なおここで 親友キズキとの関係に――そのキズキの死後も―― どこかに 一面では正当にも そして消極的にだが 続いていることの自覚に通じているのではないか。これは 一面では正当にもである。  『羊をめぐる冒険』におけるあの星印をつけた羊が人に入り込むという観念の王国 という観念 これとは もはや遠く隔たっているけれども なおその経験現実において むしろ風のそよぎのもとに このこと(すなわち 観念をめぐる志)を執拗にとらえつづけている結果であるように思われる。  もっとも キズキ自身にかんしては 思想の上でそんなに重きを置かれていないかも知れない。かれのばあい かれは主人公に対して親しい関係にある自分として見せる以外の自分を 見せようとしなかったと書かれている。  これは 演技原則でもなく 出発点の《わたし》がつまり自分が 自らの意志によって分割されていて そうとすれば これを使い分けするということであろうか。考えられないことである。ありえないことである。人間以前の状態にある人間である。  (5) キズキの恋人だった《直子》 永沢の恋人だった《ハツミ》 あるいは一種謎の人物・小林緑 これらの女たちも――結論から言って―― キズキが去っていくことになるのと同じように 一方で 青年にとって信頼の感覚が持たれ合われたというかたちで信頼関係に立ちつつ(つまり 立ったと何となく感じられつつ) 他方で 後からの回想のもとにでも 風のかかわる出発点を形づくらなかったと見ている。  一言でいえば 再び 『風の歌を聴け 』の中の空虚感に 戻ったと考えられる。  ただし 局面は新しくなっていた。新しい段階に立ったゆえ あらためてそのような欠落感の織りなす実際の歴史が たどられていったとも考えられる。

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