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なぜ男女差があるのでしょうか?

なぜ男女差があるのでしょうか? ある女性のタレントさんが子供の頃母親から、「女の子は勉強よりも笑顔で人に愛される事の方が大事だよ」と教わったそうです。 これを聞いて僕は思いました。「男の子も勉強だけしているのではいけない」と。 一般的に男の子は、勉強していい学校やいい会社に就職することが女の子よりも大事かもしれません。 しかし、人間関係を構築する力や「人に好かれる」ことができない男性になってしまうと、仲間と一緒に働いたり出世したりできないと思うのです。 昨今の凶悪犯罪の犯人も「コミュニケーションが苦手な男」ということが多い気がします。 男性も人に好かれることが大事だと思うのですが、「人に愛されることが大事」的な話で男女差があるのはなぜでしょうか?

みんなの回答

  • patorashe
  • ベストアンサー率40% (20/50)
回答No.8

男性と女性の差という寄りも、社会のあり方が間違っているためだと思います。 僕は大学生の時に「労働問題」という講義を受講しました。 様々な労働問題、例えば「結婚後も仕事をする意欲があり能力も優秀な女性が仕事を辞めなければならない不公平な事実、あるいは一度専業主婦になった女性が仕事に対する意欲や能力があるにも関わらず仕事に復帰することが難しいという事実」に対してどのような解決策があるかを真剣に勉強したいと考えたからです。 ところがその講師は、最初の授業で言いました。 「結婚後も働いている女性が大勢いる。これは所得が少なくて夫の収入だけでは生活できないからだ。これを解決しなくてはならない」 つまり「結婚後に女性が働きたくても働けないことが労働問題ではなくて、女性が働くことが労働問題だ」という認識なのです。 僕の世代では理解できないことでしたが、年配の人には同じ認識の方が多くいるようです。 「妻を働かせるのは男の恥」「女は仕事をせずに家事や育児に専念しろ」 そう言った間違った社会での処世術として、そのタレントの母親は子供に伝えたのだと思います。 脳科学的側面から説明すると、右脳と左脳を繋ぐ脳梁は、男性に比べて女性の方が太いそうです。そのため男性は右脳なら右脳、左脳なら左脳だけを使用するに対して、女性は右脳と左脳を両方使い脳全体で考えることが出来るので、コミュニケーション能力が高くなるそうです。 また言語機能を司るウェルニッケ言語中枢という部分が男性に比べて女性の方が発達しているそうです。そのため女性はコミュニケーション能力が高く、片方の脳しか使えない男性はコミュニケーション能力が低いそうです。 そういったことから、「元々男性はコミュニケーションが苦手なのだからコミュニケーション能力が低くても問題ない」という発想に繋がったのだと思います。

noname#89054
noname#89054
回答No.7

>「女の子は勉強よりも笑顔で人に愛される事の方が大事だよ」と教わったそうです。 女性は母性を社会に求められていると言うことでしょう。 女の子は勉強が出来なくて良いということではありません。 実際に母親にならなくても、社会に出れば、お茶出しやコピー取り、電話の受付、掃除など雑務は女性の仕事とされています。 今はまだ男社会だから、女性は男性社員が快適に仕事を進められるよう、裏方的な役回りが多いです。 裏方は、みんなとの協調性がなければやってはいけないから、コミュニケーション上手になる必要があります。その事を象徴した言葉“とも”言えますね。 本当に母親になったら、やはりご近所との付き合いや、PTAや学校行事もありますから、母親が上手く立ち回れた方が、子供も旦那も人付き合いの上で助かる面が大きいのです。 そして、「笑顔で人に愛される=コミュニケーションの能力が高い」母親がいる家庭は旦那さんも子供も情緒が安定しています。 だから、旦那さんも子供も、人と大きなトラブルを起こすことなくやっていくことが可能です。 このような点から、女性は社会を安定させることに一役買っていると思います。そのことを女性タレントの母親は人生経験上知っていたのでしょう。 >「人に愛されることが大事」的な話で男女差があるのはなぜでしょうか? 女性の脳は構造上、コミュニケーションや言語能力に優れているそうです。そして、物事を関連づけることや共感力にも優れています。一旦覚えたことや記憶のなかに焼き付けたことなどを忘れにくいという特徴もあります。 女性は男性よりも体格が小さく力仕事に向かないから、脳がその様に発達したのでしょう。この能力は全ての点で、子育てに役立っていると思います。 むしろ、女性は子供を産み育てる役目が大きかったから、必然的に脳がその様に発達したのではないかと思います。 原始社会から、母親は子供に言葉を教える役目は大きかったこと思われます。言語能力が高くなければ正しい言葉は教えられませんし、幼い子供の言う片言から、何を言わんとしているか読み取ることも難しかったと思います。 母親は、共感力で幼子の言葉をカバーする必要があったのでしょう。それは表情から感情を読み取ることや、その場の状況、言わんとしていることを読み取ることに特化した脳の発達を促すことになったのではないでしょうか。 重大に感じたことを記憶に焼き付けやすいというのも、整理整頓などの普段の家事に生かされることもあったでしょうし、体格の小さな我が身や子供を危険から守ることにも役だったと思います。 その様な細やかな心配りを可能にする脳を女性が持ったと言うことは、愛情表現の豊かさも可能にしたのではないでしょうか。 人に愛される人とは、人にも惜しみなく深い愛情が注げます。 惜しみない深い愛情を持った母親に育てられた子供も、やがて同じように深い愛情を持った親になります。「もちろん男性もです」。その愛情がずっと受け継がれていけば社会も安定します。 最初の話に戻りますが、「人に愛されることが大事」的な話で男女差があるのは、やはり、社会が女性に母性を求めているからでしょう。 母親の優しくない社会は、やがて崩壊すると言うことだと思います。

回答No.6

>「人に愛されることが大事」的な話で男女差があるのはなぜでしょうか? 世の中が間違っているからです。 愛されることよりもっと大事なのは愛することです。このほうが難しいはずです。 愛されるために努力をするなんて必要ないことです。ご機嫌取りなどする必要はありません。そうではなくこちらから、単純に敬意を払って他人に接するだけでも大きなプラスです。自分より無知な相手でも、他人から嫌われているような相手でも敬意を払うこと。しかし悪には徹底して抵抗するべきです。その誠実な態度の積み重ねは周囲のあなたへの評価を高くし信頼につながり、取引先にも通用するでしょう。 自分を守るために相手に合わせるとその場はうまくいきますが相手はそのうちあなたを簡単に裏切るでしょう。 いい人になりすますことはできますがそれで皆悩んでいるんじゃないでしょうか?それが本来の正しい生き方でしょうか? コミュニケーションはしゃれた会話をたくみにあやつることでもないと思います。 これに男女の差なんてありません。おくゆかしく知性にあふれた女性は現代でも魅力的です。心が強くて話し方がやさしい男性は女性の憧れではないでしょうか?個性はこの上にトッピングされるべきです。 目標にむかって勉強を一生懸命することは自分に対することであって、将来いい会社に入るためであると考えるなら本当に学校は興味がわかないところです。 お望みの返答ではないかもしれませんね、ごめんなさい。でも若い人はテレビや雑誌に振り回されず、まだこれから始まる人生を豊かに生きて欲しいです。

noname#101110
noname#101110
回答No.5

>なぜ男女差があるのでしょうか? 生物学的にはそれぞれの性に特有のホルモンが分泌されるから男女差ができるという事実があります。でも同じ人間であることは間違いありません。質問者様はそういう面からなぜ差を人為的につけねばならないのか!?という疑問つーか否定的な設問ですね。 ひとつは歴史的に男女の役割が分かれていたことがあるでしょう。最近は男女同権ということで差別はできないことになっていますが、それでも男と女は生物的な差(体力の差が大きい)が厳然としてあります。もっともこれも100万年間歴史的に役割分担されてきた結果なので、あと数千年もすればひょっとして同じ体格になってしまうかもしれません。そうなればオリンピックでもわざわざ男女に分けて競技をする必要はなくなってくるのでしょうね。 さて >、「人に愛されることが大事」的な話で男女差があるのはなぜでしょうか? これは上記の通り歴史的な体力的男女差に関係しているのでしょう。 人間は力の弱い幼児や小さい子供の動物、小動物全般を愛らしいものと見做してきました。その観点からいけば、男は力が弱く小柄な傾向のある女を愛する、いつくしむ立場なのです。女はそのことを歴史以前から意識して男に対しひたすら愛らしいものであり続けてきました。それで社会がずっとうまくやってこられたのです。貴設問はその歴史的産物なのです。これを悪い社会的遺産として排斥しなければならないかどうか、皆で考えたいと思います。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.4

「愛」を一つの商品として考えてみると、商品(愛)の循環がありますね。 女性は子供という「愛を生産者する者」を作ることができる存在ですから、たくさんの愛をもらえる者ほどより良き「愛を生産者する者」を作ることができる。と考えれば、子をもうけない男性より、そのような話が増えることは仕方がないことですね。 しかし、女性に愛を運ぶのは男性ですし、社会全体を良くしようとする愛もありますから、女性に限らず男性にはもっとそのような話は必要ですね。 眼の不自由な若きピアニストが優勝した話、母親は子供を授かったことに感謝していましたね。若きピアニストは年を経て歴史に名を残すかもしれませんが母のなど残らないものです。でも母は偉大ですよね。女性にはこういう偉大な仕事をする母になる道もあるということですね。

noname#117439
noname#117439
回答No.3

「女の子は勉強よりも笑顔で人に愛される事の方が大事だよ」 これはお母さんの勘違い。 愛されることお求めては笑顔はただの作り笑いです。 愛するならば、自らが愛と実感できる故に、愛らしい笑顔をこぼすことができます。 したがって学ぶべきは愛されることでなく自らの愛情を表現することです。 愛されることは全然大切ではないし、作り笑いでは満たされません。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

結局、女の場合、妊娠、出産、育児ってものがあるじゃないですか。 仕事が好きでも、妊娠したら、ホルモンのバランスがくずれ、人によりけりですが、つわりがあって仕事に集中できなくなる。 出産直前から出産後 しばらく仕事から離れなければならないじゃないですか。 仕事に復帰しても、赤ん坊の世話をしつつ仕事するわけで、幼稚園やら小学校やら、母親が出なければならないってことは無いが、親が父兄参観に出無いって、子供にとってショックなわけで、おかーちゃんが仕事を抜け出して顔出すしかないじゃないですか。 公園デビューしたら、ご近所さんにいい人だって思われないと、子供が公園で遊べなくされそうなので、他のお母さん方にに気を使って、嫌われないようにする。 「んなわけんーだろ」って内容の噂話を集団がしていても、「まあ そうなの」と驚いて信じたふりしたりとか演技力必須。 旦那さんが転勤したら、単身赴任もありでしょうけど、その頃は仕事で前線をかけぬけていなかったら、旦那さんについていって新しい土地の人と良好な関係を持たなければならないじゃないですか。 そんなわけで、女が他の<女>に好かれるほうが、集団で生きやすい後世に世の中なっているわけです。 ご主人は同じ会社の人ってことで、転勤先でも同胞でしょうが、おくさんは旦那さん以外 知り合いがいない状態からスタートですから。 男は仕事が認められれば、一応 他の男から叩かれないが、女は仕事ができると「生意気」とか憎まれて潰される。 だって、女の集団は「抜きん出ることは許さない みんな足並みそろえて一緒に行動するの! いい? わかった!?」 だから。 陰湿な虐めをして集団内の目立つ女の精神を破壊するってのは女の集団の特徴。 だから、目だったら潰されるわけです。 一緒じゃないとダメだから、一緒にぞろぞろ歩くわけです。 ファミレスで ピーチクパーチクするのも、仲間意識の確認作業なわけです。 他の女から好きれように、自分の意志など持たないかのようにふるまっていないと、虐めのターゲットになり、集団内で精神的に追い詰められてしまうという現実があるんです。 馬鹿って他の女から思われたくらいが、一番愛され災難を招かなくて済む。 何人も綺麗な人、集団行動をしない人、仕事で才能がある人が 陰湿な虐めでつぶされるのをみてきました。 そんなこ女集団の恐ろしさをそのタレントのお母さんは知っているので、サバイバル術としてそういったんじゃないかと。

noname#100496
noname#100496
回答No.1

NHKのテレビ番組で、男と女の違いを特集していました。違いの原因は、人類の歴史で、男は仕事の役割ための性格が発達した。女は家庭と子育ての役割の性格が発達したからだといってました。だから男は論理的で競争心が強いです。他方女は、情緒的で人間関係が上手です。つまり男は、脳の思考で問題を解決しようとするので、脳が休みません、脳は不調和な存在でストレスの源です。他方女は、脳を休めて情緒で判断します。情緒は調和世界だから、心を癒します。だから女のように人間関係が上手になりたい、情緒的になりたいのであれば、脳を休める方法を習得する事です。幸い日本には、脳を休める方法が多いです。仏教の禅や、伝統文化は脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを追求しています。西洋文化の自己表現とは違います。茶道、能、文楽、雅楽、平曲、民謡、演歌、詩吟、舞、浮世絵、日本画、短歌、俳句、太極拳など、脳が思考してる時は、人と情緒との交流を、脳が遮断するのでストレスになります。脳が休むと、人と情緒が交流するので心が癒されます。

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