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三国志の劉禅の本当の姿

osamu5304の回答

回答No.6

諸葛亮が出師の表を表す際、改めて国を治める為の心得を説いているのは、 劉禅に不安が大きいからだと思います。 また黄皓のような佞臣を登用し、跳梁を許したことからも、暗愚ぶりは間違いないと思います。

w-icp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、出師の表は臣下としての孔明の気持ちが出ていて泣けてきますね。 ですが、劉禅が出師の表を読んだとしても暗愚なら理解出来なかったでしょうね。また二回目以降の後出師の表は後に作成された偽物という説もありますね。 宦官の黄皓が佞臣とされ、跳梁跋扈し蜀の国を傾ける原因になったというのは、主に三国志演義での記述が元になっていますね。将軍の姜維を追放したり、怪しげな巫女に占わせたり、賄賂政治を行ったりとされ、重用したのは劉禅が暗愚だったからとされていますね。 ですが、もうその時代は治世であるのに、たびたび無用な魏と戦闘を繰り返し、そのため戦費が増大し蜀の民を疲弊させた姜維を遠ざけたのは正しい判断だったかもしれないと思ったりします。もうその時点で魏との国力の差は格段に開いていましたから。 そもそも黄皓は歴史書『三国志』の著者である陳寿が蜀漢に仕えていた際に、陳寿を免職しているので、良く書かれることがなかったのではないかとも思います。

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