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ブッダとソクラテス(実はプラトン?)の思想の異同は?

ri_rongの回答

  • ri_rong
  • ベストアンサー率56% (30/53)
回答No.7

 到達した結論としては、どちらもこの世の観想という点で同じでしょうけれど、それを語る言葉に違いがあったという事なのだと思います。ではどのような理由から言葉に違いが生まれてくるか。先に僕の回答から書きますと、それは語りがプラトンにとっての詩神、仏教でいう偈(げ)、すなわち歌であったからだろうと思います。  人生は、生前には決まっていない。けれども、万物には真理というものがあり、その真理に従って人もまた人生を送るべきだという観想は、プラトンにせよ、ブッダにせよ、同じ結論だったと思います。その「真理」というものが、自然界のどこに発見でき、如何なる感覚でもって受け取ることができるのだろうか。  ――彼らは、彼らなりの歌を唄ったのだと思います。その歌を聴いた我々は、それ以後ずっと「真理」探求の旅を続けています。ある集団は勤労の合間に合唱し、集団に属さないひとり身の者は、荒れ地の声となって叫び続けてきたのだと思います。あるときは口を閉ざし、またあるときは自らの歌声に照れを感じながら、それでもその歌に励まされて人生を送る。彼らの言っているのは、こういう事だと思うのですが、どうでしょうか。

sono-higurashi
質問者

お礼

内容が分かっていれば、表現が曖昧でも正しく読み取れます。が、そうでないときは表現が曖昧だと内容が掴めません。 >>それは語りがプラトンにとっての詩神、仏教でいう偈(げ)、すなわち歌であったからだろうと思います。<< ここの意味が分かりませんでした。「プラトンは詩神を語り、ブッダは偈(げ)を語った」というのか、「プラトンは詩神を語ったが、それは仏教でいうところの偈(げ)である」というのか区別がつきませんでした。字面だけからいうと後者で読むべきみたいですが、その場合ブッダが語ったのは何かの記載がなくて腑に落ちません。 但し、ここの意味が分かろうと分かるまいと、ご回答全体の述べるところは私には分からないでしょう。こういう纏め方は分かる人にしか分からないのだと思います。また、このような制約の多い媒体で答えようとすると、こういう表現でしか表しようがない、ということは十分あり得ましょう。 有り難いような有り難くないようなご回答で、有り難とうございました。

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