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ブッダとソクラテス(実はプラトン?)の思想の異同は?

augustinusの回答

回答No.1

プラトンとブッダの思想はその方向性の原点からまったく正反対ですので、結果も正反対になるのは必然かと思います。 そもそも西洋の哲学は、自身の存在意義を見出すための学問という側面があり、かたや東洋、特にブッダなどは、自身が悟りを開くため、いわば修行のための思想です。 西洋というのは、今ここにあるもの、つまり『現実』を解明すると言うことに根本的な目的があります。 だから、自分を分析するための哲学が生まれていますし、その後の科学(経済学も含めて)も、全て現実に起こっている事象を分析することが目的です。 しかし、東洋では、いかに自然と一体となるか、と言うことに重きが置かれていて、そのため風水、陰陽道などの呪術や漢方など自然を活かした学問が発達しています。 インドが生み出した「0」という存在こそが、まさにブッダの『空』であり、自然と一体となった状態です。そして、これが政治的な思想となって中国で『中庸』と言う発想に繋がっています。 自然を解明し、やがて支配しようとしてきた西洋思想と、自然と一体となって調和しようとしてきた東洋思想の差が、よく分かるのではないでしょうか。

sono-higurashi
質問者

お礼

こういうご回答は私の能力では勝手に加工できません。このまま拝読するだけです。東西の文化にどれだけ通じているかによって分かる人には分かる、分からない人には分からなくて当然なのだと思います。 正直を旨とする人間としては「分からん」というしかありません。 事実として自然や人に対する態度が西洋と東洋では異なることは感じていますが、それが何処から来るのかとなると分からないです。一因が風土にあると言われれば、そうかもしれないと思いますし、このご回答にもそうかもしれないと思います。張り合いのないことで済みません。 突飛な思いつきですが、ギリシャ人(西洋人)の精神文化に影響を与えているのは牧畜民のそれで、インド人(東洋人)の精神文化に影響を与えているのは農耕民のそれだ、というのは何の説明にもなりませんかね? ならないのでしょうね。いや、あまり素っ気無いお礼も書けないと思って苦し紛れに述べてみただけです。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

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