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命令文が使えるシチュエーションは?

kogotokaubeweの回答

回答No.6

 No.3です。  文法に関しては異なる考え方による幾種もの文法体系があるようですが(日本語を母語としない人々が日本語を学習するときのための文法もその一つですね。)、ここでは中学校(現代語)・高校(古語)の国語の授業で教える、いわゆる「学校文法」の場合を紹介したいと存じます。  手元にあります中学生に現代語の文法を教える為のテキスト「中学 新国語文法 修訂版」(京都書房)〔現在は版がもっと新しくなっているだろうと思います。〕では、「文の種類」は、  「1 内容による分類」として、   (1)平叙文……断定や推量・意志などを表す一般的な文。     彼は 歩いて ゆく。   (2)疑問文……疑問・質問や反語を表す文。     君は どこから きたの。   (3)感動文……感動の気持ちを表す。     ああ、おもしろい。   (4)命令文……命令や要求・禁止などを表す文。     早く おいでよ。  ここで あそぶな。 の4つにしか分類されていません。  (ちなみに「2 形態による分類」は、主語・述語の関係に基づいて(1)単文、(2)重文、(3)複文の3つに分ける分類です。)  大学の講義などでは他の文法体系に基づいたもっと複雑な分類が教えられ、質問者がなさったような細かな分類も提示されることもあるかとも思いますが、ともかく義務教育下の中学生はこの程度の分類しか学ばないわけです。  (「早く おいでよ。」が例に入っている点から考えて、大雑把な分類であることがわかりますね。)  また、(私の知る範囲ですが)受験塾などは別ですが、文法はあんまりしっかりやらない中学校も少なくないのではと思います。  高校の古典の授業でも、たとえば「精選 古典文法」(明治書院)では「文の種類」の「意味上の分類」はやはり(3)・(4)の順序が入れ替わっているものの、さきの4種類です。「新・要説文語文法 四訂版」(日栄社)には「文の種類」自体の説明がないようです。文の種類は大学入試にあまり出題されることがないためか、高校の授業では重視されないと思います。  したがって、仮に、命令文の細かな区別を示して、「お前はこんな事も知らないのか。」と言ったとしても、「そんなの、習ってないもん。」で片付けられてしまうし、「常識」を振りかざしてもだめだろうと思われます。  ところで、古典文法では、助動詞の「べし」の文法的意味として、一般に「推量・意志・可能・当然・命令・適当」の6つが教えられます。(この6つの分類も標準的なものであって、旺文社の「全訳古語辞典」(手元のものは第二版)では、推量・予定・当然・適当・義務・可能(または可能性の推定)意志に分類しています。)  この「べし」の適当(~するのがよい)・当然(~しなければならない)・命令(~せよ)というあたりの区別が、質問者が意図されるところに近いと思います。ただし、これはあくまで助動詞の意味の分類であって、文の種類ではありません。  なお、余計なお世話とは存じますが、「我流」の命名の「平叙文」は一般には、上記の命令でない普通の文をいうので誤解を招く危険性があるし、「丁寧文」の「丁寧」は、   「今日は雨だ。」に対する「今日は雨です。」、「雨が降る」に対する「雨が降ります。」 といった敬体の文全体に当てはまってしまう名称なので、「丁寧な命令文」とでもすべきですね。

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