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科学を研究する意味

今人間が見てる世界って、真実ではないですよね? 昆虫からしたら紫外線だって見えるだろうし、 イルカだって超音波が聞こえて… 人間が普通に生活している世界は、色んな見方のごくごく一部にすぎないと思うんです。(なんか分かりにくくてすみません;) そんな真実ではない世界の研究を人間はして、 科学の法則だとかを見つけていますが、意味はあるんでしょうか?

  • 科学
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.5

世界の「真理」を探る方策として、「博物学」という学問が成立しました。そこから、科学と哲学など、いくつかのアプローチをする方法を模索し、確立してきました。 世の中の理(ことわり)を知りたい、という思いは、「人類」の存在意義そのものだと私自身は思っていますが、その手法が「科学」だけだというのは、ちょっと足りません。 >> 科学の法則だとかを見つけていますが、意味はあるんでしょうか? 詩歌で真理を捉えようとする人がいます。 宗教で真理を捉えようとする人がいます。 富で真理を捉えようとする人がいます。 人の中に真理を捉えようとする人がいます。 日常の生活の中に真理を捉えようとする人がいます。 科学もその手法の1つに過ぎません。 ご質問者は、「科学とは何か」をまだ把握されていないように思えます。残念ながら科学的手法で確実に捉えたと断言できる真実はまだほんの一握りです。ただ、ご質問の内容は、全ての人が通って来た道です。小さな子どもさんがいろいろと質問するのは、世界が広がり、その世界を確認するためですよね。それと同じで、人類が人類として存在してきた世界は広がっています。そこで広がった世界を確認するにはどうすればよいか。 単にそれに迷っているだけです。 >> 昆虫からしたら紫外線だって見えるだろうし、 >> イルカだって超音波が聞こえて… 知魚楽という言葉をご存じでしょうか?  ご質問者は、どうやって、  昆虫は紫外線が見えること  イルカが超音波で話をしていること を「知って」いるのでしょうか? 「科学」で、でしょうか? 違いますよね。 昆虫やイルカと話ができる人に聞いた、もしくはその人の話を聞いた人に聞いたからなんです。 その対話の仕方が、先に書いた様々なアプローチで、科学はそのひとつに過ぎません。 ご質問の中にすでに回答が含まれていると思いますが、いかがでしょうか? 「科学」に興味があるのでしたら、「ろうそくの科学」(ファラデー)を一読されてみることをオススメします。生涯を科学の研究と教育に捧げた物理学者ファラデーが退官記念に一般の人向けに行ったクリスマス講演をお弟子さんがまとめたもので、科学的なアプローチについて、分かりやすく書かれた良書です。

lllllllll
質問者

お礼

>世の中の理(ことわり)を知りたい、という思いは、「人類」の存在意義そのものだと私自身は思っていますが、その手法が「科学」だけだというのは、ちょっと足りません。 今まで何冊かの科学の本を読みましたが、どれも科学者の功績について書かれており、 『科学は1つの手法に過ぎない』ということに気付きませんでした…。 知魚楽は、湯川さんが好んでいた言葉…としか思っていませんでしたが、 よく調べてみると深い言葉だったんですね。 ありがとうございます。今度、ろうそくの科学を読んでみたいと思います。 ご回答ありがとうございました^^

その他の回答 (4)

  • Grandeco
  • ベストアンサー率70% (7/10)
回答No.4

「科学を研究する」という言い方はちょっと変ですね。「科学」は科学的手法、科学的知識、科学的技術に分けられます。科学的手法というのは、自然やこの世界がどうなっているのかを調べる方法の一つで、証拠に基づいて、客観的に、合理的に考えましょうと言うことです。小説のように誰かの空想だったり、宗教のように信じている人と信じていない人で真実が異なることなんてことはないようにしましょう、と言うことです。それによって得られた知識を科学的知識、応用して得られた技術を科学的技術といいます。だからこそ、飛行機が世界中を飛び回れるのです。 >昆虫からしたら紫外線だって見えるだろうし、 >イルカだって超音波が聞こえて… なぜそれを知っているんですか?自分で確かめましたか? 違いますよね。それは科学者が、科学的手法をもちいて発見したことです。100年くらい前に、同じような二種類の花なのに、一方の花はハチに好まれて、もう一方はあまり好まれないと言う現象が発見されました。その時に、科学者は試しに紫外線に反応するカメラで花を撮ってみました。すると、好まれる方の花びらには人間の目には見えない模様があることが分かったのです。 人間の目や耳などの五感で察知できない世界が広がっていのは確かです。それでも慎重に、様々な工夫を繰り返し、科学的な態度で解き明かそうとすれば自然の多くのことが分かるのです。

lllllllll
質問者

お礼

科学的手法・科学的知識・科学的技術… 「科学」という言葉が、そのように分けられるなんて知りませんでした。 自然のことがわかっても、それは人間が得た結果であって、真実ではないのでは… とも思いましたが、『科学的な態度』がキーポイントなんですね。 ご回答ありがとうございました^^

noname#160321
noname#160321
回答No.3

既にあなたが答えています。^^ 「科学」が無かったら、 >昆虫からしたら紫外線だって見えるだろうし、イルカだって超音波が聞こえて… 等ということは全く想像もつかなかった訳です。 「科学」は世界を拡げますね。

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質問者

お礼

確かに…。 科学がなかったら、世界はちっぽけなんでしょうね。 理科の授業を受けるたびに、世界の広さや物事の深さに感動します。 ご回答ありがとうございました^^

noname#100814
noname#100814
回答No.2

 今あなたがこうして、意味があるんでしょうか?、などとネットを通して問いかけることができているのも科学の研究成果だとは思いませんか?  それともこんなものは虚構の世界であり、真実ではないので無意味だとお考えですか?

lllllllll
質問者

お礼

虚構の世界であり、真実ではないので無意味… それに近いことを思っていました。 ですが皆さんの意見を聞いていて、 決して無意味ではない、人間の生活が便利になったのは科学があったからこそだ と、改めて思いました。 ご回答ありがとうございました^^

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.1

人間の目に見えるものしか研究しなかったら、今ごろ赤外線センサー付きの自動ドアはありません。

lllllllll
質問者

お礼

そうですよね。 研究しているからこそ生活は便利になっていってますよね。 ご回答ありがとうございました^^

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