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卑屈が治るまで人と関わるのを控えたほうかいいのか?(長文です)

僕はどんな人に接する時でも、その人に自分より優れたところがあると劣等感を感じてしまいます。特に仲が良くなればなるほどさらに引け目を感じるようになり… そして "こんなすごい人が自分と一緒にいていいはずがない"→ "あの人とこの人ならうまくいくはず"→ "どうやってお互いを近づけようか?"→ そして成功したら、 "これで相手も安心だろう、自分は身を引こう" という流れを自分から作ってしまいます。 自分が傷つきたくないだけなのはわかってるのですけどこの考え方がやめられないのです。 この根本的な原因を考えてみると、姉が二人と母が家族の中心で父は影の薄い存在でそのためか自分のもともとの性格からか男らしい趣味とか遊びに関心を持てず、今まで同性の友達を中心とする人たちの話についていけなかったからかなと思います。 もちろんこれ以外にも外見に自信がないとか、不器用だとか上記の原因にあてはまらないものがあります。しかし"男のくせにこんなこともできない"とか"男らしくない"と言われると家族や社会に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。 しかしこんな気持ちになっているにもかかわらず、過保護な母の影響からか僕は人の世話をして、人に依存されます。これも"人に必要とされるようになるなら、人に尽くすしかない"という歪んだ考えからきています。 そこで前置きがかなり長くなりましたがこの卑屈さは自信や自分を持つことでしか直らないと思うのです。なので自分はその状態になるまで人と深く関わるのをなるべく控えた方がいいと思いますが皆さんはどう思いますか?もっと他に方法があるんでしょうか? 優しい、厳しいを問いません。教えてください。 最後まで回りくどい長文を読んで頂きありがとうございました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • jimmy35
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回答No.3

うーん...少し深いかも知れませんね。 >姉が二人と母が家族の中心で父は影の薄い存在で >しかし"男のくせにこんなこともできない"とか"男らしくない"と言われると 日本語が少し乱れているのはこの際かまいませんが、要するに女系家族だったんですね。幼少時に言葉で劣等感を植え付けられた可能性があります。他人の言葉を恐れないことです。言葉を恐れるあまり考えが引きこもって(行動とは別の部分で)机上の理論になっているように思います。まずはコミュニケーションを恐れずに他人と話をすることです。その中に指摘を受けたりすることもあるでしょうが、他人だって欠点は持っています。要は指摘することだってお互いさまなんですよ。お互いが成長する為にお互いさまな部分を指摘し合って成長するという部分は確実にあるんです。 >なので自分はその状態になるまで人と深く関わるのをなるべく控えた方がいい 「その状態」にするには人と深くかかわらないと不可能です。人とぶつかり、人と融合し合い、そして人は成長します。人は「その状態」は一人では作ることができないんです。複数の人が必要になります。そのコミュニケーション体の事を人は「社会」と呼びます。 人と深くかかわることを控えると「心の引きこもり」から「本物」の「引きこもり」になってしまう可能性が大と言わざるを得ません。 まずは、言葉に左右されずに自分を持つために他人と話を積極的に行う事です。

ayumuru
質問者

お礼

回答ありがとうございました。質問文が乱れていたことを深くお詫び申し上げます。自信や自分の核を作ることができないと人を信じられないと経験上わかったのですがやはり人との深い関わりをやめてはいけないんですかね…

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  • taka-aki
  • ベストアンサー率12% (748/6126)
回答No.5

> 自分が傷つきたくないだけなのはわかってるのですけどこの考え方がやめられないのです。 練習すればやめられます。 > なので自分はその状態になるまで人と深く関わるのをなるべく控えた方がいいと思いますが皆さんはどう思いますか? それより効果的な練習プランを練る方がいいと思います。 人と関わること自体が練習だと思いますが、 他にいい練習プランをお持ちならそれでもいいと思います。

ayumuru
質問者

お礼

回答ありがとうございます。人と関わるのが一番の練習なんですね… それを越えるプランをまだ思いつけません…

  • formidable
  • ベストアンサー率15% (470/2940)
回答No.4

なにかしら、アナタさまの売り(=才能・特技etc.)に関わるテーマ・目標で、 日々、完全燃焼できるといいですね。 いつごろからそうした感情が始まったのか不明ですが、 次回、そのような機会が訪れた際には、 どうしてそのようにおもうのか、根拠を明確にしてみましょう。 それには、たとえば、 限界に陥りがちな垂直思考を休ませて、新たに ゆとり・余裕が生じる水平思考を採用してみませんか。 それで、 特性要因図をつくって多様な視角・視点から検討してみましょう。 先ず、5W1Hに整理してから、特性要因図をつくってください。 特性要因図の作り方は検索すればわかります。 <特性要因図>作製力は一生もののスキルです。 Tentar non nuoce(=やってみても損はない)でしょう。 他、問題解決には<連関図法>も活用できますが…… 特性要因図をつくって問題点を考えることを習慣にするといいですよ。 ※与え上手は幸せ上手というコトバがあります。誰かに何かを あげようとして《要らない!》と拒否されてハッピーな感情をもつ人は 稀少なことから、わかりますね。与え上手は受け取り上手、善意・ 愛情・友情・褒めコトバ・励まし・自作品etc.を喜んで受け取って、 与えてくださる人に与えることの喜びを感じさせてあげられる機会を 多くつくってあげられれば、ハッピーな気分で暮らせます。 アナタさまの売りでハッピーにしてあげる機会を増やすことに徹して 過剰な自己低評価は休止させませんか。 <怒り>の心理学的な意味を知ってみましょう。 (質問文には世話好きで依存される旨記載されていますが 過保護の世代連鎖よりも)母親の過保護と父親の不在から想起される 複数の Personality Disorder のほうが心配ですし……この先、 ちょっとした反社会的な行動(=非行・犯罪・嗜癖etc.)で自己冒涜 しないように、また「うつ」に移行させないように注意しましょう。 アナタさまの売りに関わる完全燃焼で、小さな成功体験を積み重ね つづけていれば、そうした感情が消滅して救われると思われますが 併せて、たとえば、 常識力検定の1級をクリアすれば客観的な自己評価になって 自信になりますし、 マナー検定の上級~指導者クラスをクリアすれば 自信をもって、あらゆる対人関係に臨めるようになるでしょう。 ※とりあえず、日ごろ<淡交>を目標にしませんか。 〔荘子(山木)「君子之交、淡如レ水」 あっさりした交際。わだかまりのない君子の交わり〕 与え上手(受け取り上手)で (既成概念・既成観念から自由になって) <淡交>であれば、感情の揺れの少ない 穏やかな気持ちで静かなときを過ごせるでしょう。 アシュタンガ・ヨガ クンダリーニ・ヨガ あるいは ラージャ・ヨガ をつづけてみませんか ヨガはポーズを想起するでしょうが 心身の安寧と健康をもたらしてくれます。 検索すれば動画も観られます。 ポーズより呼吸が大切で、ゆっくり深い 呼吸だけでも効果があるのですが、たとえば 太陽礼拝 1つだけでも、お試しあれ! 小学校の高学年~高校生初期のころ 自己嫌悪の感情に心を支配されることがあるなど 思春期妄想症といった症状が顕現することがあります。 ご心配ならば精神科医の診察をうけてみましょう。 (いま思い込んでいる)考えが整理されて落ち着くかもしれません。 他、俳句の実作に親しんでみませんか。 俳句で神経症的な症状が治った人がいます。予防のためにも お勧めします。 【参考】 桃太る夜は怒りを詩にこめて 〔 寺山修司〕 ところてん怒りの口に沈みけり 〔 仙田洋子 〕 怒りたき時は黙して花ざくろ 〔 安斉君子 〕 怒りの夜ひかり満ち来る波頭 〔 鈴木六林男 〕 あるいは、 真間川を流れに添いて歩みゆく怒りも一人の視野のうちにて 〔 大島史洋 〕 怒りなどいきどほりなどいたみなどあらぬ浄土へかへり給ひぬ 〔 堀口大学 〕 相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ 〔 川田順 〕 解けがたき不和のあひだに身を処して、 ひとりかなしく今日も怒れり。 〔 石川啄木 〕 ヨガ・俳句……Tentar non nuoce(=やってみても損はない) でしょう。 ふだん着でふだんの心桃の花   〔 細見綾子 〕 蕗の薹見つけし今日はこれでよし   〔 細見綾子 〕

noname#98329
noname#98329
回答No.2

あなたの言ってることは理想論であり机上の空論に過ぎません。 確実に言えることは他人に会おうとせずひきこもっていては卑屈は直らないと言うことです。それどころかますます悪化します。 年を取れば取るほど取り返しがつかなくなります。 まわりはどんどん成長していくのに自分はストップしたままだからです。 差はどんどん広がります。 あなたは卑屈というけれど優しいとか何かしら長所があるはずです。 その長所を認めてくれる気の許せる友人や彼女を見つけることです。 友人の心ない一言で傷つくこともあるでしょう。 しかしそれに慣れさせることによってストレスへの耐性ができあがるのです。 人間は失敗したり傷ついたりしながらもそれを克服することによってのみ成長できるのです。 今のあなたはストレスを感じる前に逃げ出してるわけだから、永久に強くはなれませんし卑屈もなおしようがありません。

noname#98329
noname#98329
回答No.1

あなたの言ってることは理想論であり机上の空論に過ぎません。 確実に言えることは他人に会おうとせずひきこもっていては卑屈は直らないと言うことです。それどころかますます悪化します。 年を取れば取るほど取り返しがつかなくなります。 あなたは卑屈というけれど優しいとか何かしら長所があるはずです。 その長所を認めてくれる気の許せる友人や彼女を見つけることです。 友人の心ない一言で傷つくこともあるでしょう。 しかしそれに慣れさせることによってストレスへの耐性ができあがるのです。 人間は失敗したり傷ついたりしながらもそれを克服することによってのみ成長できるのです。 今のあなたはストレスを感じる前に逃げ出してるわけだから、永久に強くはなれませんし卑屈もなおしようがありません。

ayumuru
質問者

お礼

回答ありがとうございました。回答主さんの意見の"ストレスを感じる前に逃げている"は図星なんです。今まで常にそう思ってきましたから。でも人に会うたび"自分なんかといてくれてありがとう"という感謝よりか"自分がいなければ(自分と出会わなければ)もっといい人生が相手は送れていたはず" という卑屈が頭の中に浮かぶので相手を疲れさせてしまい傷つけるので、自分磨きが終わるまで、浅い関係が一時的に必要かなと思いまして… まだ自分は回答主様の意見を理解してないでしょうか?

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