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弱者に冷ややかなのは競争社会だから?

以前にもここで派遣切りの質問をさせていただきました。 http://okwave.jp/qa4682708.html それとは異なる質問ですが、 派遣切りに対する自己責任論が多いとのことですが、これは日本社会の特徴だからでしょうか?つまり、弱いやつは弱いから悪い、みたいな風潮は大昔からあると思いますが、今に始まったことなのか、昔から何も変わっていないのか。 私自身は自己責任論という考えに思い至らなかったので聞きたいです。宜しくお願いします。

みんなの回答

  • huna-huna
  • ベストアンサー率5% (13/241)
回答No.6

日本の特徴ではなく、アメリカに洗脳された日本人が多かったので、こうなった、と見るべき。 ただ、自分で考えないで流されやすいのは日本人の特徴です。 自己責任などというのも他人の意見の受け売りです。 少しも自分で考えようとしないからネット上の意見は当てになりません。 真剣に考えてるのなら、内橋克人氏の著書でも読んでみることです。

noname#209756
noname#209756
回答No.5

弱肉強食社会ではないと思います。格差が許容されている社会ではもともとありません。ただ風潮がひろがり、それが一つがひろがっているからなのです。個人の対立にたいすることが無関心な感じもします。そこでフォローなど結構ほっとかれるということかもしれません。たしかによわいやつは悪いなどあります。でも平等社会を前提としてです。新しいことへの挑戦に慎重だともいわれます。弱いも代官的かもしれません。たすけあうのでなく、許容しようというおかしな村意識のひろがりかもしれません。

noname#81313
noname#81313
回答No.4

 競争社会だから? と問われていますので、その点から回答してみたいと思います。  「競争」ってどういうことなのでしょうか。似た言葉に「争い」がありますけど、少し違いそうです。例えば「争い」は、各々の力に優劣があるとか、正邪の違いがあるとか、そういうのとは関係なく相手と向きあいますよね。けれど「競争」は、そうではなく一応ルールのようなものがあって、そのルールを守れない人は参加できない。  ある種、限られた相手とのみ向きあうような、そういう違いがあるように感じます。  暴力ということではないですが、受験ですとか、入社試験ですとか、しばしば社会のなかで優劣を争わなければならないのは、避けられないのでしょう。だからこそ、社会のなかに潜在的にある「争い」の部分を、時代とともに「競争」に変えてきたのだと思います。  こういう過程をよくわかっているからこそ、リスクやリターンのバランスについての回答が多いのではないでしょうか。  さて、「競争」ってどんな社会なんでしょう。競争が成り立つためには、その社会への参加者がみな同じ条件でなければなりませんよね。他人には無い特殊な技能を持つような人がいたりすると、競争にはなりません。比べることができないからです。  競争が成り立つためには、誰が見てもはっきりわかるような、そういう判定がちゃんとできる必要があります。ですから、資格であるとか技能であるとか、そういう仕切りをつけて参加資格を明確にしてゆくんですね。参加資格を持つ者たちだけで公正に行われ、正しい判定が下されなければ、競争はその意味を失って争いと同じになってしまう。  競争社会には、競技場の設定が必要不可欠なのです。参加者たちにとって、正しい競技場は、差別がなく機会は均等であり、公正な判定に基づく――そういう価値観を持ったものに映るでしょう。ですからリスクやリターンのバランスについて、正義や公正さを失わせるような言わば、エコ贔屓なやり取りに関しては過敏になってしまいます。  ここまで書いて、ふと質問を振り返ってみます。「弱者に冷ややかなのは」こうお書きでしたね。うっかり、忘れるところでした。弱者? 弱者ってどういうことでしょうか。  これが敗者と書かれたならば、きっと得心できたでしょう。競争社会について考えてきましたが、正しい競争社会ほど、弱者というものは無くなって、きちんとルールに守られた競技場が用意されるはずだからです。けれど、質問には弱者と書かれています。  リスクやリターンのバランスについて書かれる多くの回答に、どこか「ためらい」を感じるのは、この言葉のせいではないでしょうか。  僕はこんなふうに思います。どこかに、見落としはなかったかと。  点検してみますと、「競争が成り立つためには、その社会への参加者がみな同じ条件でなければなりません」というところが、どうもうまくいってないようです。けれど、考えてみますと、そもそも何故「同じ条件」に、ならなきゃいけないんでしょうか。  人には個性があり、生まれも育ちもその人なりの人生です。そういうのを抑制して、同じになるってことは、何を意味するんでしょうか。自分を殺すことになるんじゃないでしょうか。そもそも、そういうのに価値があるんでしょうか。  価値はきっと、あるんでしょう。「同じになる」っていうことは、交換可能性を意味します。もしも救急車を運転できる人がひとりきりだったら、その人がいなければ患者さんは、とても困ったことになります。その人がいなくとも、同じ技能を持った別な人が代行できてはじめて、社会の要求を満たすことができます。  けれど逆にいえば、その技能を持った人が増え過ぎてしまったら、誰かをリストラしたって良いわけです。「誰か」と書いたのは、誰でも良いからです。必要なのは技能であって、ある特定の人物じゃないんですから。競争社会というのは、参加者が増えれば増えるほど、よく機能する反面、ひとり一人の存在価値はなくなってゆきます。そして不思議なことに、その技能を競いあうのではなく、年齢とか学歴とか、どうも競技とは別なルールで競争しているような節もあります。  それはしかし、そんな偏見で社会を見るのはやめましょう。社会はちゃんと機能し、競技場の正義は保たれているはずです。何よりも、そんな競技場に価値を見出し、交換可能な自分を目指して、多くの人が日夜、努力しているのです。 「ほんとうの自分」を目指して、人々はがんばります。だから、競技場に不正があるなどとは、決して思ってはならない。  でも僕は、ふと思います。自分が何かの替えになるもの、そういうものよりもむしろ、その替えが容易に手に入らないもの、そういう「かけがえのないもの」にこそ、価値を感じるのではないかと。何でも映せる新品のフィルムではなく、もう映すことのできない使い終わったあとのフィルムにこそ、価値を感じる自分がいます。  それはきっと、僕が古いタイプの人間だからでしょう。要するに質問の答えは、こういうことではないのでしょうか。

回答No.3

まず、なぜに誰が「悪い」と言う話になっているのかが分かりません。 自己責任論も、誰が悪いかを決めなきゃいけない場合には、もっとも因果関係の大きかった者が選ばれるはずだし、その結果本人と言うだけではないですか? つまりは、すぐに誰が「悪い」を言う人が虐げてるわけです。 派遣はまぎれもなくハイリターンですよ。 正社員に比べて非常に入社しやすいのです。 固定人員になるか、流動人員になるかはその人次第ですが、それ相当のメリットデメリットはあります。 投資が良くて投機が悪いということはありません。ですが、状況に合わせた行動でない限りはまずい結果になります。 また、日本は過度に社会主義だと言われており、貧富の差ははっきり言ってないに等しいのです。格差格差って言いますけど、自分の周りにいない人間と比較しすぎなのですよ。横3件の家庭と比較してから判断すべきなのです。 >弱いやつは弱いから悪い これも間違い。そんなこと考えている人を見たことがありません。幻想だと思います。今は仮想敵が必要なんでしょうね。 あるとすれば、弱いことを盾にして「もっとよこせ、我々には権利がある。弱者だから」と言えば非難されるでしょう。 「弱者」は何の理由にもなりませんよ。 環境によって、物事の一面だけがクローズアップされますが、 なんだかその一面だけ見てクローズアップしてませんか? ハイリターンがなかった人だとか。あったっちゅーねん。

xzrtelenet
質問者

お礼

ありがとうございます。 お礼がすっかり遅くなってしまいました。 そうか、そもそも入社しやすい、のがハイリターンである、という視点が抜けていました。納得。 私の勤め先の派遣の方々は派遣切りされてもやっていけると思うんですよ。それなりにもらっているだろうし、手に職持って来ていただいているから。 報道で見る派遣切りされた人たちって単純労働者ですよね。自分の中ではそこを同列に見るかどうかの気がしてます。

  • kanbiasso
  • ベストアンサー率63% (7/11)
回答No.2

自己責任だと思います。 私も以前派遣社員として働いていましたが、雇用期間があらかじめ決められており、都度、更新をしていました。更新できない状況に陥ることは、他の派遣社員の中で何人かいました。 でも、それは当たり前のことです。その条件で働いているのですから、リスクを認識せずに派遣社員という雇用形態を選択することが間違っていると思います。 厳しい意見かもしれませんが、契約時に上述を意識し、事前にリスクを回避する方策を検討しておくことが必要だと思います。

xzrtelenet
質問者

お礼

ありがとうございます。 回答がすっかり遅くなってしまいました。 なるほど、雇用期間が決まっているからそういうルールであるということですね。 私が思うのは、正社員が解雇されるとき(職務規定に触れて懲戒になる場合ではない)1か月分の給与と猶予が与えられますが(ですよね?)そういうのが派遣にはそもそもないんだ、ということですね。了解しました。

  • chobi001
  • ベストアンサー率18% (50/265)
回答No.1

派遣者が弱者であるとは思いますけど 個人の仕事スタイルの選択に伴うリスクだと私は考えています。 正社員での基本給は結構低いもので15万円くらいだったりします。 それに対して派遣労働者の月収は平均で30万円前後と言われていますので 大企業などの社員給与は派遣社員と同じかもう少し安かですが 中小企業の社員での給与はそんなに高くはありません。 その安い給与である社員ですらリストラの可能性があり 自由な職業を選んでこられた派遣者は弱者とは言い難い 企業からみたら社員には会社に尽くす義務がありますが 派遣社員には義務などはありません。 その変わり、一番初めにカットされる商品として派遣社員がある 逆に社員は給与が低くても会社都合での解雇は基本的に許されませんので 簡単に高収入を選択した派遣者(契約解除のリスク) 収入は低いが安定した正社員 派遣社員の給与が安かったら派遣社員を選ばず おそらく正社員を選択したでしょう 給与が安く好きな仕事を選べる派遣を選んだ時点で 安定収入が得られるものとは言えないわけです。

xzrtelenet
質問者

お礼

ありがとうございます。 派遣社員はハイリスクハイリターンである、と。だからハイリスク考えてなかったやつが悪い、ということでしょうか。 今話題になっているのは、ハイリターンのなかった人たちですよね。 老人年金問題と一緒で、金持ち高齢者とそうでない人の違い、みたいな話のような気がしてきました。

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