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源頼光や四天王はなぜ土蜘蛛や鬼を退治したという伝説が残っているのですか?

goo-par1732の回答

回答No.7

土蜘蛛は、8世紀に編まれた「風土記」に古老の伝える話として出てきますから、その時点ですでに「伝承」であったということでしょう。 その伝承では、土蜘蛛は朝廷に討伐されるべき対象としています。 源頼光が、反乱を起す土豪たちを天皇・公家の命令で鎮圧したり、あるいは自己の勢力を拡大していく過程で、反抗する土着の勢力を駆逐したりしたので、勝者の立場から敗者を昔からの言い伝えである「土蜘蛛」と呼んだと思います。 討伐した相手を山や地面を連想する「土蜘蛛」と呼んだのは、自分たちを「水神」と見立てたのだという研究者もいます。 源頼光の妖怪退治 http://homepage1.nifty.com/heiankyo/kuni/yomo21.html 次に「鬼」ですが、鬼や妖怪の存在が信じられていた時代、人びとは「鬼」をどのように想像していたのでしょうか。 「鬼」と呼ばねばならぬほどの残忍な行いをする者がいたとすれば、それは山間に隠れ住んでいた「食人の風習をもつ古代からの原住民」だと思います。 「今昔物語」や「宇治拾遺物語」に「人」を食う話が出てきます。 手元にある宮崎惇『消された日本史』(廣済堂文庫)には、 「日本紀略」の寛平元年(889)7月の条に「信濃国から人を食う鬼人がいま京に滞在している(食人之鬼人来洛中)」とはっきり記録されていることからも、当時、まだ食人の風習が残っていたと思われると、書いてあります。 また、飢饉で人肉を食べたという記録は、「日本書紀」にもあります。 人肉を食った例は、上記の本に多数出てきます。 ヤマで働く人たちの一部には風体が異様で、里に出てきて悪業を働き、言葉が通じない場合が多々あったと思います。 だから「鬼」と呼ばれたのではないかという説を受け入れるには、抵抗があります。 鉱山で働く人々やサンカの人たちが、近隣の住民にひどい暴力を振るうことは考えられません。 食糧をはじめ日用品を得なければならず、また鉱山では生産物を舟で運ばねばならず、里に住む人びととは、敵対することはないと思います。

noname#82952
質問者

お礼

ありがとうございます! 土蜘蛛=山、退治する側=水神 というのは面白いですね。 人を食う話ですが、伊勢物語では在原業平と藤原高子が駆落ちした際、 高子が鬼に食われるという話が出てきます。 でも、実際には高子は鬼に食われたのではなく 兄の藤原基経に連れ戻されたのでした。 平安時代にはこのような比喩的な表現を用いることが多いようです。 「日本紀略」の記事も比喩的なものだという可能性もあるのでは? (読んでないのでなんともいえないですが) しかし、平安時代の飢饉は相当ひどいものであったらしいので 人を食べるということもあったかもしれません。 鉱山で働く人々が暴力をふるうことは考えられません、とのことですが それは私もそうだと思います。 ただ、彼らは差別されていた非人でした。 酒呑童子はある日、祭礼の時に被った仮装用の鬼の面が顔に吸い付いて取ることができず、 やむなく山奥に入って鬼としての生活を始めるようになったという話が伝わっています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90 仮装用の鬼の面とは節分の面のことでしょう。 かつて非人を偽装鬼にして石を投げるという風習があったとされています。 つまり、彼らは里の人々に暴力を振るったりするわけではないのですが 非人として差別されていたがゆえに敵対視されたという可能性があるのでは、と私は考えています。 節分とは二十四節気の大晦日のことで 12月は丑、1月は寅なので1年の変わり目は丑寅です。 一方、吉備津彦が退治したとされる鬼の温羅は丑寅御前などとも呼ばれ 鬼は丑寅をあらわすものでもあったようです。 そして丑寅=鬼をはらうことで新しい年がやってくると 古の人々は考えたようです。 また八卦では丑寅は童子をあらわすそうです。 しかし、日本紀略や日本書紀の記述など大変参考になりました。 『消された日本史』おもしろそうですね。 読んでみたいです♪

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