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キリスト教についての質問

キリスト教にはいくつかの種類がありますが、(1)簡潔に具体的に言うと何が違うのでしょう?カトリッ ク、プロテスタン等(2)イタリアのローマ法皇はどういった方なのでしょう。誰かの子孫なのでしょうか? (3)もともとはイスラム教とあと1つと同じ?だったと聞きましたが、本当ですか?どうしてそうなったの ですか?(4)右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せとありますが、また豚などににそういう高価なものを( 物質にかぎらず)与えると盗まれる?(文がわかりません)のようなものもありますが、これはどういう文章 ですか?(5)偶像を崇めるなとありますが、これはどういう文章ですか?どれか1つでも構いません。よろ しくお願いします。

noname#116869
noname#116869

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回答No.8

  >(1)簡潔に具体的に言うと何が違うのでしょう? キリスト教は、大きく二つにまず分かれます。「西方教会」と「東方教会」です。東方教会には、ロシア正教、ギリシア正教、ブルガリア正教など、「正教」と名の付く分派があります。 東方教会と西方教会の違いは、両者はどちらも、「聖書」を聖典とし、「ニカイア・コンスタンティノープル信条」という、キリスト教の基本教義信条を信奉していることが共通点です(この教義を否定する宗派は、キリスト教とは認められないという立場が、多数意見です。古代では、アリウス派、ネストリウス派、現代では、エホバの証人、モルモン教会は、彼らはキリスト教と自称していますが、古代教会継承の使徒信条からは異端乃至、非キリスト教です)。 異なる点は、東方教会は、3世紀から6世紀頃までに定められた公会議等での決定を、基本信条とし、キリスト教のオーソドックスな古い形の教義を信奉している(だから、「正教会」と呼びます)のに対し、西方教会は、ローマ司教・カトリックが、「ペトロの首座権」というものを主張し、ローマ教会こそが、キリスト教の中心教会で、その「普遍正統性」を継承する教会であると主張し、東方諸教会に対し、卓越性を主張したことです。 このことから、東方と西方の分離が起こりました。(他にも、細かい典礼・教義などの違いがありますが、根本的には、カトリックが「普遍性」を主張し、東方教会は、「古代キリスト教の伝統継承正統性」を主張したのが違いです。時代と共に、東方教会独特の教義や聖伝、典礼も成立しました)。 東方教会は、その後、首都座総大司教が、それぞれ首位者となる、ギリシア、ロシア、ブルガリア、セルビアなど、多数の「正教」教会に分かれますが、これらは、おおむね、教義的に、大きな違いはありません。 西方教会は、ローマ首都座総大司教が、「ペトロの首座権」を主張し、キリストの普遍正統的後継者であると主張し(「ペトロの首座権・首位権」とは、ローマ司教が、使徒ペトロを通じてのキリストの正統後継者であることです。カトリックの初代教皇は、ローマで殉教したとされる、キリストの第一の弟子、使徒ペトロということになっています)、「パパ(父)」と称号して、東方教会も含め、「全キリスト教」の正統首座者であると主張しました。この「パパ(聖父)」を、普通、「教皇」と訳します。 教皇を首座に置き、各地に、大司教座管轄管区、その下に司教座管轄管区などの教会組織をヒエラルキーの形でカトリック教会は定めます。カトリック教会では、教えは、「聖書、古代教義、カトリック聖伝、カトリック教会及び教皇の教義決定」の四つを起源として定められます。 しかし、これに対し、社会的経済的政治的理由も関係するのですが、16世紀に、カトリックのこの方針に反論する者が社会的に大きな力を持ち、ルター、カルヴァンを代表とする彼らは、教えは、「聖書、古代教義・公会議決定=ニカイア・コンスタンティノープル信条等」に従うと主張し、「カトリック聖伝、カトリック教会・教皇の教義決定」は無効であると主張し、カトリック教会は、これらの人々を異端として破門します。これらの人々は、「プロテスタント諸派」と呼ばれる、キリスト教会を築きます。 また、イングランドのヘンリー八世は、離婚問題をめぐり、ローマ教皇と対立し、カトリック教会とは別個の「イギリス教会」を宣言します。イギリス教会は、プロテスタント諸派と、カトリック教会のあいだの「中間の道(via media)」を進むと主張し、今日まで、イギリス教会は、「聖公会」として、存続しています。 原始キリスト教→ 古代教会 →東方教会→ 諸東方正教会(ギリシア、ロシア、ブルガリアなど) 原始キリスト教→ 古代教会 →西方教会→ 中世カトリック教会 西方教会→中世カトリック教会 →継承 カトリック教会                     →分離 イギリス教会(聖公会)                     →分離 プロテスタント諸派 >(2)イタリアのローマ法皇はどういった方なのでしょう。 初代ローマ教皇(「法皇」とは言いません)は、キリストの十二使徒の筆頭とされ、ローマで殉教したとされる聖ペトロですが、これは歴史的裏付けが薄弱です。それを引き継いで、ローマ司教管区を統括した「ローマ司教座」の司教が、現在のローマ教皇の起源です。 古代教会が東方教会と西方教会に分離したとき、ローマ司教は、ローマ首都座総大司教の資格で、コンスタンティノープル首都座総大司教と、司教の格において対等であった(コンスタンティノープルの方が、東ローマ帝国を背景にしている点、格上だとも言えます)のですが、ローマ司教は、「ペトロの首座権」を主張し、全キリスト教会の長は、ローマ司教だと主張します。そして「普遍教会(カトリック)」の首長は、ローマ司教であるとして、「聖父(パパ)」の称号を名乗り、ここに、西方教会と東方教会の決定的分離が起こり、ローマ司教は、「パパ」として、西方教会に君臨します。 すでに述べたように、「この聖父(パパ)-英語で、Holy Father と訳します」の称号を、「教皇」と訳しているのです。従って、初期の古代教皇は、伝説の人物が多いですが、基本的には、当時は、ローマ司教でした。ローマ司教もそうですが、司教、司祭と、カトリックの聖職者は「結婚しません」。 従って、ローマ司教の後継者は、ローマ司教管区のなかの優秀な人物、あるいは、他の西方教会のなかの優秀な人物を、亡くなったローマ司教が、遺言で指名していたり、また、西方教会の司教たちが集まって、合議で、誰を次のローマ司教にするか、決定しました。 ローマ司教座の西方教会統括機関として、「聖庁」と呼ばれるものが置かれると、やがて、枢機卿という「聖庁」の大臣に当たる役職ができます。枢機卿は、司教、司祭、助司祭などから選ばれます。この枢機卿会議で、教皇が死亡した場合、選挙で、次の教皇を選ぶという手順が中世以降確立してゆき、この教皇選出会議は、コンクラーベと呼ばれます。 教皇の座は世襲制ではなく、有能な人物が、司教会によって、後には枢機卿会議によって選出されたのですが、コンクラーベの制度が確立する中世後期あたりまでは、特定の家系の者が教皇になったり、かなりいい加減な形で、教皇の擁立などがなされました。中世に、「対立教皇」が多いのは、統一的に教皇を決める手順が確立していなかったため、色々な勢力が、自分たちに都合のよい教皇を立てたので、複数の教皇が存在することになり、後に、勝利した教皇が、「正統教皇」、敗北した教皇が「対立教皇」とされたものです。 ローマ教皇は、ペトロの後継者であり、キリストの教えを広めるため、キリストが制定した十二使徒の首座聖ペトロの後継者であることより、キリスト教会の最高指導者、最高司祭を任じます。また、二十世紀にラテラノ条約で、ヴァティカン市国が成立して後は、ヴァティカン市国の元首です。 >(3)もともとはイスラム教とあと1つと同じ?だったと聞きましたが、本当ですか?どうしてそうなったのですか? キリスト教は、起源的には、「ユダヤ教の異端」とも言えます。ユダヤ教の神ヤハウェが、キリスト教の神でもあるからです。従って、キリスト教は、ユダヤ教の分派で、後に、独自の宗教になったとも言えます。 他方、イスラム教は、ムハンマドが始めたアラブ族の民族宗教だったのですが、ムハンマドは、ユダヤ教やキリスト教についての知識を持っており、自分に啓示を与え、新しい教えを説けと述べているのは、ユダヤ教、またキリスト教の天使であるガブリエル(ジャブリール)であるとし、当然、彼の唱える唯一神とは、ユダヤ教のヤハウェ、キリスト教の神と同じ神となります。 「アッラー」とは、アラビア語で、「神」という意味で、「神アッラー」とは、ユダヤ人の前に、ヤハウェとして現れた神と同じ神であると、イスラム教では、主張します。しかし、ユダヤ教は、そういうことは認めません。従って、ユダヤ教徒とイスラム教徒は仲が悪いのです。 キリスト教が、ユダヤ教の分派と見なせることは、ユダヤ教、キリスト教双方で合意がありますが、イスラム教については、ムハンマドが、勝手に、ユダヤ教やイスラム教の神話や記録、伝統、教えを援用して、自己の宗教を主張しているのであり、歴史的に連続関係や近縁関係は、「ユダヤ教、キリスト教の側からは」ありません。しかし、「イスラム教の側からは」、神アッラー(イスラム教側からは、ヤハウェと同じ神)が啓示を与えてできた宗教が、ユダヤ教、キリスト教だとなります。 >(4)右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せとありますが それは、キリスト教『新約聖書・福音書』にある、イエズスの言葉です。「マタイ福音書」の「山上の垂訓」などを読めば、どういう意味か分かります。「無償の愛」「敵をも愛する愛」を語っています。「豚に」云々は、素直な人は、教えに従うが、そうでない人は、教えを受け入れず、救われない、というような意味です。「私イエスの教えを、よく聞きなさい」という意味でしょう。聞く耳を持たない者には、救いの教えの言葉も、豚に真珠と同じで、無駄だということです。 >(5)偶像を崇めるなとありますが、これはどういう文章ですか? ユダヤ教では、神ヤハウェは「形のない神」です。というか、形はあったのでしょうが、「ヤハウェの神像」というものが、ユダヤ教には伝統的にありません。また、ヤハウェは唯一絶対神で、自分以外に神はいないと主張します(唯一神なら当然のことです)。 形ある神の像は、ヤハウェではないのです。従って、形ある神の像は、ヤハウェ以外の偽の神の像であり、これを「偶像」と言います。「偶像を拝む」のは、ヤハウェ以外の神を拝むことになるので、これはユダヤ教では、神に背く行為で、ユダヤの律法で禁じられています。(「モーセの十戒」や、旧約聖書の「レビ記」などに記されています)。 キリスト教もやはり、「偶像崇拝禁止」を教義に含みます。しかし、「聖人・聖女」の像は、「崇敬」のため祈ってもよいことになります。また、イエズスは、人間となった神なので、イエズスは人間の形を持っており、これを崇拝するのは、偶像崇拝にはなりません。三位一体教義で、イエズスであるキリストは、まさに神ヤハウェと同じ存在だからです。 イスラム教は、三位一体など認めません。イエズスは、ムハンマドに先行する「偉大な預言者」の一人ではあっても、「神の息子、神自身」などではないと主張します。従って、イスラム教では、徹底的に偶像崇拝を禁止し、人間の姿や、動物などの姿が、礼拝所にあると、神に礼拝していると、それらの像にも礼拝にしているように見える可能性があるので、礼拝所から、一切の人間や動物などの像を排除しました。 イスラム教の礼拝所(モスク)は、アラベスク模様(植物模様)や幾何学模様で飾られていますが、人などの姿が描かれないのは、偶像崇拝の危険性があるからです。  

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。とても詳細にわたって書かれていて理解することができました。何から書いてい いのか。。。それぞれの解釈は違っても(聖書)というのは当然のことながらあるとわかりましたが、その聖 書は(旧約)も(新約)もなのでしょうか。それともカトリックでは新約だけなのでしょうか。また、教科書 や参考書やガイドブックのようにそれぞれの出版社によってのアプローチが多少違うように、カトリックとプ ロテスタントでは聖書に記載されているアプローチやニュアンスも違うのでしょうか。>イスラム教は、ユダ ヤ、キリスト教のあとにできたのですね?(4)では2つの文を書いていまして、頬を~の、無償、慈悲、敵 をも愛する等の解釈の一方で、豚に高価なものを与えると噛みついてくるだろうというのがあって、そういう 相手(豚)にも頬を差し出すのかなという疑問があったのですが、他の方の回答でそれは(後者のもの)旧約 の十戒からの記載とわかり、少し疑問がとけた気がします。(どちらも新約だと思っていたので)とても勉強 になりました。よろしければ補足して下さい。ありがとうございました。

その他の回答 (11)

  • haroeris
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回答No.12

(1)メジャーどころだとプロテスタント、カトリック、東方正教(ギリシャ正教、ロシア正教etc.)って所でしょうか?イギリス国教会なんてのも、違うと言えば違うですしねぇ。他にもマニアックなところだと、エジプトのコプト教なんてのもありますが。 歴史的なことを言うとローマ帝国が東西に別れた際に、カトリックと東方正教に別れました。詳しくは僕も分かりませんが、東方正教の方が古代キリスト教に近いと言われています。プロテスタントがカトリックから別れた経緯は、皆さんお書きになっているので割愛します。ちなみに、イギリス国教会はイギリス国王が離婚・再婚したいが為に勝手に作り上げたんじゃなかったですかね?コプト教はエジプトがローマ領だった時代に伝わった物で、東方正教以上に古代キリスト教が色濃く残っているそうです。 (2)皆さん書かれているので割愛します。 (3)ユダヤ教、イスラム教との関係ですね。 ユダヤ教はキリスト教のルーツです。 もともとあったユダヤ教からキリスト教が生まれ、ユダヤ教とキリスト教を踏まえてイスラム教が生まれました。 旧約聖書はユダヤ教の聖典ですが、ユダヤ教から生まれたキリスト教はキリスト教独自の聖典新約聖書とともに旧約聖書も聖典としています。 キリスト教の生みの親、イエス本人は、新たなキリスト教を作る為に活動していたのではなくあくまでユダヤ教の司祭として、腐敗したユダヤ教の改革を進めていたと言う認識であったと言われています。キリスト教がキリスト教として確立するのは、イエスの死語、弟子達の功績に寄るところが大きいです。 イスラム教は、ユダヤ、キリスト教を経てイスラム教が出来たと言うことが聖典コーランから読み取れます。死後の地獄に何種類かありキリスト教徒が行く地獄、ユダヤ教徒が行く地獄と言うのがきっちり別れています。(キリスト教の方が、ユダヤ教よりも軽い地獄)その他にも、旧約聖書の予言者(髪の声を聞くことが出来る人間)モーセ、そして新約聖書の予言者イエスもマホメットと以前の予言者であるとしています。ただ、ユダヤ教、キリスト教は、正しい神の声を実行できなかったと。イスラムからの視点で見るとユダヤ、キリスト教徒は同じ神を信仰しているが、詰めが甘いと言った感じでしょうかね。 (4)については、僕にはうまく説明できません(苦笑)宗教書の解釈と言う物は見方によってかわりますしね。 (5)ユダヤ、キリスト、イスラム教は唯一絶対の神を信仰する一神教です。ですから、当然他の神様を信仰するのは禁止って事ですね。背景としては、元祖であるユダヤ教が成立した時代には多神教が『常識』の時代でしたのでその他の神を否定するといういことでしょう。また、自分達の神様も唯一絶対ですので、人間なんかには恐れ多くて、像を造ることなんてできないというのもあります。この点に関してはキリスト教は守っていませんが…。数多くのキリスト教芸術はまさに、神であるキリストを描いている訳ですから…。

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。>イギリス国教会はイギリス国王が離婚、再婚したいが為に~。そういうのほん とにやめて下さいって感じです。(3)はイエスはもともとユダヤの人、ユダヤ教だった?ということなので しょうか?また、キリスト教の旧約聖書とユダヤ教の旧約聖書もまた若干違うのかな。でもどちらも聖典とし ているんですね。当然のことながら膨大な資料があって(歴史や科学の観点から見るとさらに増える)、読み やすいものから読んでいこうと思います。ありがとうございました。

noname#116869
質問者

補足

~~回答を下さった皆様ありがとうございましたっ。とても勉強になりました。~~

回答No.11

  まず、『聖書』と呼ばれる本というか聖典は、どういうものなのかという説明です。これは複雑な歴史があり、以下、簡単に(と言って、複雑に感じられるとおもいますが)説明してみます。 「聖書」と呼ばれる本は、キリスト教の聖典ですが、これは、元々一冊の本ではなく、書かれた時代も、書いた人も異なる、複数の本・文書を、後になって一冊の本に編集し、まとめたものです。従って、編集の仕方で、「聖書」に含まれる構成文書の種類や内容が違って来ます。 キリスト教に限らず、宗教の聖典の場合、「正典(カノン、と呼びます)」と呼ばれるものが定められるのが普通です。つまり、これが「正式な聖典」という意味です。 カトリックとプロテスタントでは、正典に違いがあります。従って、『聖書』に含まれる文書の数や構成に違いがあります。東方教会の「聖書」も幾分違っています。それほど極端に違いはありませんが、違っているのは事実です。東方教会は詳しく知りませんので、ここでは、カトリックとプロテスタントの聖書の構成の違いを説明します。 紀元1世紀や2世紀のキリスト教は、原始キリスト教と呼びますが、原始キリスト教で、「聖書」というものを定めようという試みがなされます。つまり、原始キリスト教の最初期には、「聖書」はなかったのです。個々別々の色々な文書はあったのですが、それが、正式に聖典として、一冊の本とまとめられることはなかったのです(また、正典が定められても、「一冊」の本になった訳ではありません。この文書=本と、この文書は正典であるとして、それら全体を、「聖書正典」としたのです。一冊の本に現代ではなっていることが多いので、勘違いします)。 1世紀や2世紀の頃には、色々なキリスト教に関する文書が流布していました。これらから、原始キリスト教の古代教会=古代カトリック教会が、会議などを開いて、何が「正典」かを決定したのです。大体、2世紀頃には、正典は決まり、「正典聖書」が決まります。 この古代教会の「正典聖書」は、現在の「聖書」とは、内容が少し違います。現在の「聖書」は、標準的に書店で見るものは、『新約聖書』27文書、『旧約聖書』39文書の合計66文書から構成されています。(参考1)。 これは、古代教会が定めた「正典」と同じ数です。東方教会も、この正典の数は同じです。しかし、正典を定めるとき、「準正典」とも言える位置で、正典に準じて、公的に認めるべきだとされた文書があります。これを、「聖書外典(アポクリファ)」と呼びます。カトリックでは、「第二正典」と呼んでいるようです。 従って、「聖書」は、「正典+聖書外典」という構成を持っていたことになります。4世紀末に、ラテン語に聖書を翻訳し、編集しようとした聖ヒエロニュムスの努力は、中世を通じて、聖書正典とされた、ラテン語訳『ウルガタ聖書』として完成し、これは、1400年に渡り、聖書の西欧での「正典」の地位を持っていました。 「ウルガタ聖書」には、「聖書外典」が、特に区別なく収められていて、「正典」と「第二正典」の区別は、ここではありません。しかし、歴史的には、正典は66文書で、それに第二正典が加わっていたということがあります。 古代から中世そして現代に至るまで、カトリック教会は、「ウルガタ聖書」を聖書の基本正典としました。 しかし、16世紀に、ルター、カルヴァンらによる宗教改革で、プロテスタント諸派が成立し、またイギリス教会が成立すると、プロテスタント諸派は、カトリックの「聖伝、カトリック教会決定教義」などを否定しましたので、「聖書」として、「ウルガタ」以前の古代教会での「正典聖書」が正しいとしました。こうして、「聖書外典」の部分が外された「聖書」がプロテスタント諸派の聖書の標準となります。 プロテスタント諸派は、「聖書を基準とするキリスト教」を主張しますが、「聖書」自体が、古代カトリック教会が司教会議などで、正典を決定した結果できあがった本です。当然ですが、「聖書」のなかには、どの文書が、「正典」であるなどとは記されていません。また、三位一体教義や、その他色々なキリスト教の教義も、「聖書」だけからは出てきません。古代教会の公会議決定や、教義決定が元になっています。 従って、プロテスタント諸派は、カトリックが「聖庁」を定めて、独自の西方教会としての教えや伝統を築いた部分は捨てるのですが、それ以前の古代カトリック教会(これは、古代教会とほぼ同じことです)の決定したことは、これを継承しています。ニカイア・コンスタンティノープル信条などが、その典型です。 カトリック教会とプロテスタント諸派が、共同で翻訳編集した、『新共同訳聖書』には、「旧約聖書続編」という部分が付いている本と、付いていない本があります。この「旧約聖書続編」は、ほぼ古代の「第二正典」に対応し、「ウルガタ」に含まれていた文書です。 簡単に言えば、カトリックの聖書は、「旧約聖書続編」が含まれた、「新共同訳聖書」で、プロテスタント諸派及びイギリス教会の聖書は、「続編」のない「新共同訳聖書」だということになります。 カトリック教会の聖書 = 「旧約」+「新約」+「旧約アポクリファ・第二正典」 プロテスタント諸派・イギリス教会の聖書 = 「旧約」+「新約」 (追加)なお、混乱するような話ですが、「第二正典」としての「聖書外典」以外に、準正典と認められなかった、キリスト教関係文書が多数あり、これらも、「外典(アポクリファ)」と呼びます。「聖書偽典」とも呼ばれますが、「偽典」とは、あくまで、正典を決めた人たちの教えからして、合わない文書という意味で、「偽」ではありません。 こういう意味の「聖書外典(アポクリファ)」は、旧約聖書、新約聖書共に多数あり、「旧約聖書外典」「新約聖書外典」などと呼びます。 --------------------------------------- なお、少し複雑な話ですが、「旧約聖書」は、原典は、アラム語が少し混じった、ヘブライ語で記されています。「新約聖書」は、原典は、コイネーギリシア語という、古典ギリシア語の一つで記されています。 「旧約聖書」とユダヤ教の『ユダヤ聖典』は、起源的には同じものです。元々、ユダヤ教の聖典を、ユダヤ教の伝統を継承する形になっているキリスト教が、自分たちの宗教の聖典として取り入れたもので、元々は同じものだったのです。 しかし、「旧約聖書」イコール「ユダヤ聖典」かというと違っています。 聖ヒエロニュムスのラテン語訳聖書、つまり「ウルガタ聖書」が完成して、これが西欧での聖典としての位置になったのは先に述べましたが、このとき、ユダヤ教の「ユダヤ聖典正典」はまだできていませんでした。できていないのに、何故翻訳ができたのか不思議ですが、これは事情があります。 原始キリスト教や古代教会は、「聖典」として、「ギリシア語新約聖書」と、ギリシア語訳「セプトゥアギンタ旧約聖書」というものを、使っていました。これは、ヘブライ語が読めない人々が、信徒に多数いたからです。当時の地中海世界の共通語は、ギリシア語であったのです(「コイネーギリシア語」というのは、「共通ギリシア語」という意味です)。 「セプトゥアギンタ聖書」は「七十人訳聖書」とも呼ばれ、これは、紀元前3世紀に、アレクサンドリアで、七十数人のユダヤ教神学者が、当時のヘブライ語で書かれたユダヤ教の聖典文書から、ギリシア語に翻訳した聖書です。 聖ヒエロニュムスの「ウルガタ」は、ヘブライ語のユダヤ聖典文書を元に翻訳されていますが、「セプトゥアギンタ」も参考にしています。 キリスト教の古代の「正典(カノン)」は、先に述べたように、2世紀から3世紀頃に制定され、正典の文書や本文が、決まります。 しかし、ユダヤ教の正典は、もっとずっと後になって、「正典(カノン)」の制定が行われます。大体、十一世紀前後に「ユダヤ聖典」の「正典」は確立します。 従って、「ユダヤ教の聖典」と、キリスト教の「旧約聖書」は、元々の起源は同じですが、内容的に違った聖典だと考えねばなりません。 --------------------------------------- 別の人への質問ですが、イエズス(イエス)は、「新約聖書・福音書」(例えば、「マタイ福音書」)の記すところでは、エルサレム近くの「ベツレヘム(ベートレヘム)」という村の馬小屋で生まれたことになっています。しかし、メシアや救済の偉大な預言者は、ベツレヘムで生まれる、とユダヤの伝承にあり、その伝承に従って、ベツレヘムで生まれた、と福音書記者は書いたのだろうとされます。 実際はどこで生まれたのかというと、イエズスは、「ナザレ人」とか「ナザレのイエズス」と呼ばれるので、ナザレという村で生まれたのだというのが、おそらく妥当です。イエズスの故郷は、ガリラヤ湖畔南のナザレの辺りだということは、「福音書」に記されています。 「ルカ福音書」第一章26節に、「天使ガブリエルが、ガリラヤのナザレという名の村の一人の乙女に遣わされた」と出てきます。ガブリエルは、この乙女つまり聖マリアに、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」と言います。これを、カトリックで「天使祝詞」と言い、ガブリエルの言葉をラテン語に訳し、「Ave, Maria, gratia plena, Dominus tecum」と言い、これが「アベ・マリア」という歌のラテン語での歌詞です。また、これを、「受胎告知」とも言います。 --------------------------------------- カトリックとプロテスタント諸派で、聖書の解釈は当然違ってきます。カトリックは二千年の伝統を持ち、神学や教義を持っています。プロテスタント諸派は、五世紀の伝統で、これに古代教会の教えが加わりますが、やはり独自の神学を、それぞれの諸派で持っています。 「聖書」は、基本的に「象徴解釈」という方法で読みます。「文字通りに読んではならない」のです。文字通りに読むと、例えば、神ヤハウェは十戒で、「汝、殺すなかれ」と言っているのに、ペリシテ人を多数殺したイスラエルの英雄を誉めているので、異教徒や異端者は殺すのだ、という理屈が出てきます。中世西欧の異端審問や異端者の処刑は、一つに、聖書の記述を文字通り読んだだめ起こってきています。 また、「まじないをする女は殺せ」と聖書に書いてありますが、文字通りに読んだ結果、カトリックもプロテスタントも、「魔女裁判」を行い、多くの魔女だとされた女性を火で焼き殺したなどがあります。 カトリックは、聖書を知識のない人が勝手に読むと、誤読するので、聖書をどう読むか、どう解釈するか、指示しました。中世では、普通の人が読める形で聖書があると、勝手な解釈や読み方が出てくるので、他にも理由がありますが、聖書を、一般人や知識人が、自国語に翻訳することを禁じました。 16世紀の宗教改革は、まず、カトリックへの反論として、「聖書」を一般の人が読むべきだと主張しました。そこで、ルターは、ドイツ語訳聖書を翻訳して造ります。またイギリス教会でも、17世紀に、「ジェイムズ王・欽定訳聖書」というものが、英語で翻訳され出版されます。 しかし、プロテスタント諸派も、それぞれの神学や解釈に従って、聖書を読み、解釈することを信徒に求めます。「聖書」を勝手に読むと、個人個人で勝手な解釈が実際出てくるからです。 「翻訳」というのは、言葉の解釈ができていないと不可能です。従って、「翻訳された聖書」は、すでに「解釈された聖書」なのです。日本では、「新共同訳聖書」で、カトリックとプロテスタントの共同翻訳がありますが、この翻訳の前は、カトリックの翻訳聖書とプロテスタントの翻訳聖書で別の形のものがありました。 しかし、キリスト教の神学の前提なしで、聖書を読み翻訳することも可能で、この場合は、原文に即して解釈を行うのですが、もしも、聖書を基準にキリスト教を考えるというなら、実は、この各派の神学とは独立した「聖書」を見なければなりません。 >聖書とは >http://cat-tsurumi.moo.jp/bible.htm >聖書って66巻だけなの? >http://www.tcc-nara.org/C-itr/C-itr90.htm  

参考URL:
http://cat-tsurumi.moo.jp/bible.htm,http://www.tcc-nara.org/C-itr/C-itr90.htm
noname#116869
質問者

お礼

再び回答ありがとうございます。とても勉強になります。(聖書生典)と(生典聖書)はもとより、それぞれ の文書(ある意味ほんとの意味での原文)を見てみたい気もします。記載されている内容もそうですが、どん な感じ(タッチ)で書かれているのかとか。どこかに保存されているのでしょうか。これを読みながらふと以 前見た映画の意味がわかりました。教会に長年隠されていた文書をそこの神父が見つけ読み~、とそのときは その紙を見て何をそんなに慌て、深刻に考えているのかさっぱり意味がわからなかったのですが。旧約、新約 聖書の(外典)と言われるものも興味があります。>基本的に象徴解釈。そうかもしれません。けれど、あま りにも簡潔な短文の場合つい文字のまま読んでしまうとこもあります。(と言ってもところどころの箇所しか 読んだことしかないのですが)翻訳と解釈、そして歴史的な背景。なんていうかある意味解釈、翻訳の作業に 関して、ノストラダムスの予言を思ったりしました。(聖書とは全然違いますが、ニュアンスとして)象徴解 釈とか。詳細にわたりていねいにありがとうございました。

回答No.10

No.9の者です。 *まとめ*のところに誤字がありました。「イエスズ様」が「イエズス様」の誤りでした。ごめんなさい。 ……それにしてもこの呼び方、何度使っても慣れません(笑

noname#116869
質問者

お礼

単語ノートで覚えます。(笑)

回答No.9

私はたまにプロテスタント教会に行くくらいの無宗教(洗礼を受けてないからクリスチャンではない)の人間です。1と5だけ答えます。 1は、皆さんが仰っているのと一緒です。あと、カトリックは神の子イエスに対して「イエズス様」なんて発音しにくい呼称を使いますが、プロテスタントは「イエス」と普通に呼びます。学校でヨーロッパの地理をやっている時、地理の先生が「カトリックは神父でプロテスタントは牧師」とだけ説明しましたね。神父だけじゃなく修道院やシスターがいるのもカトリックのみです。あと胸の前で十字を切る習慣も、洗礼名をつける習慣も、ほとんどカトリックだけだと聞いています。プロテスタントはあくまでプラトニックって感じがしますね。何しろ、神父やシスターは性別や結婚まで規定される程に厳格みたいですから。 残念ながら中学生なので、牧師の説教は聴いたことがありません(高校生以下は教会学校という別組織になっていて、聖堂でお祈りできないんです。説教は先生から聴きます)。 *まとめ*(プロテスタントから見てカトリックは~) ・イエスに対しイエスズ様という呼称を使う ・牧師じゃなく神父がいる ・修道院があり、シスターがいる ・聖職者には権力と、結婚などの厳しい規定がある ・胸を十字に切る仕草がある ・洗礼名を親以外の人物に名付けてもらう習慣がある ・懺悔がある ・マリアを積極的に崇拝する事がある 5については、うち(プロテスタント)の教会において、キリスト像やマリア像は一切ありません。教壇に金色の十字架が立ててあるだけですね。ステンドグラスの装飾や高い天井は一緒だと思いますが。思い出してみれば、教会には一切偶像の類がないような気がします。日曜礼拝のメニューは聖書と賛美歌と献金、祈りの文句を唱える、くらいでしょうか?聖書の中の聖人にお祈りする、という感じが強いです。聖母マリアもそれ程、重要視しないし…… 多分、偶像崇拝は教派の分裂につながるから禁止されているのではないでしょうか?日本の八百万の神って、広義で解釈すれば偶像崇拝の一種ですよね。神の形が少しずつ変わっていくのを恐れて、絶対的に変わらない文章=物語のみを信仰しているのでは。……私見ですが。 少しでもお役に立てたら幸いです。

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。プロテスタント教会に通っている方からの意見を聞けてとても勉強になりまし た。>偶像崇拝を恐れて~、確かにそう思います。教会に通ってらっしゃるということでお聞きしたいのです が、(1)プロテスタント(カトリックについても知っていたら教えて下さい)では旧約も聖書として見るの ですか?(2)また、イエスはどこでお生まれになったのですか?(地名の場所)(3)プロテスタントで は、賛美歌でなく、ゴスペルを歌うものもありますか?(4)カトリックもプロテスタントも、聖書の内容は 同じですか?教科書や参考書にそれぞれのアプローチがあるように、解釈が若干違うということは聖書のアプ ローチにも何か違いがあるのでしょうか?よろしければ教えて下さい。

  • Pesuko
  • ベストアンサー率30% (2017/6702)
回答No.7

(2)のみ NO4さんが書かれているように「コンクラーベ」ですね。 窓が無い?部屋に決定権のある枢機卿を軟禁して選挙で決めるそうです。 時間が掛かるときがあるので日本語の「こんくらべ」と揶揄しています。 決定すると暖炉で選挙用紙を燃やし白い煙が出たら、部屋の外部にそのことが伝わると・・

参考URL:
http://homepage.mac.com/thuduc/Literature/Criticism/Teio5.html
noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。勉強になりました。(コンクラーベ)、なんだか覚えてしまいました。(笑)

  • kenichi8
  • ベストアンサー率13% (27/197)
回答No.6

(3)に対してだけですけど、記憶なので確かでは無いのですが、キリスト・イスラム・ユダヤだったと思います。そして、その3つの宗教の聖地は今のイスラエルにあって、それも現在の中東情勢の原因の一つになっている。と聞いた事があります。 すいません、こんな不確かな情報で。

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。それがほんとうに不思議というかどうしてなのだろうと思うのです。単なる偶然 とは言えないというか。イエスはイスラエルでお生まれになったのでしょうか。ユダヤ(旧約聖書)のアダム とイヴはイスラエルにいたのでしょうか。わからないことだらけです~。もっといろいろ読んでみます。あり がとうございました。

  • fujishiro
  • ベストアンサー率28% (162/574)
回答No.5

1)カトリックとプロテスタントは何に重きを置くか?という差です。 カトリックはローマ法王を頂点とした、組織が聖書を「解釈」し、信者の方がこれを信じます。しかし、長い間にキリスト教内で腐敗がおこり、聖書という原点にもう一度もどろうということでプロテスタントがうまれ、分かれていきました。 2)ローマ法皇をどのように決めるかは知りません。すいません。でも世襲ではないと思います。 3)キリスト教とイスラム教は同じだった、というと語弊があるとは思いますが…。 実際、両者は根本部分でかなり似た教義を持っているとは思います。 決定的に違うのはキリストに従うかマホメットに従うか。 バイブルに従うかコーランに従うか。 4)ぶたれたら…というのは殴ると言うことです。 右の頬をぶたれたら、(なぐり返さずにもう1回殴られる覚悟で)左の頬を出しなさい、ということです。豚を差し出せと言ってるわけじゃないです。殴られても殴り返すなという意味です。 5)10の戒律のひとつです。イスラム教ではさらに徹底してますね。 宗教学者ではないので。特に2)はわかりませんし、3)でもいろんな説があることでしょう。

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。では、プロテスタントには法王はいないのですね。他の方の回答に、プロテスタ ントにはキリスト像(十字架に)がないと書いてありましたが、それはどういった意味からなのでしょう。( 3)はイスラム教についてほとんど知らないので何とも言えないのですが、場所も近接しているというのが、 どうしてなのだろうと思います。(4)の質問の1つの解釈はわかるのですが、(豚を差し出したりしませ ん。まるでコントです)(笑)その一方で(他の方の回答で旧と新約からだとわかりましたが)、噛みついて くるだろうというのがどういうことだろうと思っていました。そういう豚にそういうことをしてはいけないの に、頬を出すとはと。もっといろいろ読んでみたいと思います。ありがとうございました。

  • tunoji
  • ベストアンサー率7% (8/105)
回答No.4

1)プロテスタントの側から言えば、カソリックの腐敗がひどいので本当のキリストの教えに従うことにした。これを宗教改革といいます。 2)神の奴隷の奴隷。カソリックの最高権威でペテロの鍵を持つとも言われます。 法王が亡くなると有資格者の中から次の法王を選びます。これをコンクラーベといいます。 3)ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の順で成立しましたが、3つとも一神教で あり、同じ経典の民とも呼ばれています。キリスト教はユダヤ教から生まれましたがイスラム教は独自に生まれました。 4)>右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せとありますが、また豚などににそういう高価なものを( 物質にかぎらず)与えると盗まれる? 頬をぶたれたらの教えは地上のことを見ておられる神の心にかなうような神の教えに忠実な人でありなさいということでしょう。「豚に真珠を与えるな。却ってそれを踏みにじって噛み付いてくるであろう」とはパリサイ人のような偽善者に神の教えを説いても無駄などころか反撃してくるであろうとの喩えです。 5)主なる神のみに仕え、心を込めて、全身全霊で神を愛せ、とありますから、偶像など人間の被造物を崇めるのは神を冒涜する行為です。 以上です。質問の半分ほどは新約聖書を読めばわかりますが、教科書を読まないと分からない質問もありますね。

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。(1)では、カトリックもプロテスタントも、解釈の違いはあってももととなる 聖書は同じなんですね?(同じ聖書でそれぞれの違う解釈をしているという意味)それともプロテスタントに はプロテスタントの聖書があって内容も若干違うのでしょうか。仮に(ほんとに仮に)例えばマックとウィン ドウズのように?(2)ではプロテスタントには法王はいないのですね?(3)独自に生まれたイスラム教、 どうして((2))の方の回答のように場所が近接しているのかと思います。(4)は例えばそのパリサイ人 のような偽善者に対しても、神の教えに忠実に、頬を~ということではないのですね。頬を~、は誰に対して と記載されているのでしょう。また、キリスト教では旧と新約聖書をまったくわけて考えているのでしょうか ?よろしければ補足お願いします。ありがとうございました。

  • shota_TK
  • ベストアンサー率43% (967/2200)
回答No.3

参考URLにかなり詳しく出ているのでご覧下さい. 簡潔に・・・ (1)は仏教と同じです.イエスが抽象的なことを言ったので,いろんな解釈が生まれました. (2)バチカンのローマ法王は話し合いで選ばれます.世襲じゃありません.現在のローマ法王のヨハネ・パウロ2世の古い家系については知りません. http://homepage2.nifty.com/arumukos/ththrs/pps/ (3)イスラム教じゃなくて,ユダヤ教じゃないでしょうか? (4,5)「どういう文章ですか?」というのは,聖書のどの部分を引用したものか,ということでしょうか.うろ覚えの単語でもいいから, http://www.google.co.jp/ で検索してみて下さい.

参考URL:
http://mindset.jp/~wagamind/christ.htm
noname#116869
質問者

お礼

たくさんのリンクありがとうございます。見てみます。(2)のローマ法王のヨハネというのは聖書のヨハネ なのでしょうか。聞きたいことはたくさんあるのですが、1つ1つの質問が大きいので何と説明していいか。 。。ありがとうございました。

  • miu-45
  • ベストアンサー率12% (8/66)
回答No.2

こんにちは。 ものすごく省略して言ってしまうと、16世紀ごろ、カトリックはローマ教皇を首位として聖職者がヒエラルキーを 形成しており、権威をふるっていた。 そして資金集めのために悪名高い「免罪符」を売るようになり(これを買えば 罪が許されるというもの)、それを批判して「聖書の精神に立ち戻ろう」 という動きがプロテスタントを生んだ、といえると思います。 もちろん、その当時の体制のことであって、私はカトリックを批判しているわけではありません、不快に感じられたかたはご容赦ください。 今の具体的な違いは、バージンロードの色がカトリックは赤でプロテスタントは白。 カトリックは神父でプロテスタントは牧師。 十字架に、カトリックはキリストの像があってプロテスタントはなし。 カトリックは「告解」と言って神父に懺悔することで罪を赦免する(洗礼後のみ) が、プロテスタントは洗礼しかしない。 といったところです。プロテスタントはそもそも「プロテスト」(抗議する) という言葉からきているのです。 イスラム教ともうひとつ(ユダヤ教のことでしょうか?)とは発生の土地が近接していますし、混じることがあったのでしょう。もともと布教というのは戦争と分けて考えるのが難しいですからそれは歴史を勉強するのが一番よいと思います。 ちなみに旧約聖書はユダヤ教のもの、新約聖書はキリスト教のものです。 ご質問の(4)は新約聖書の言葉(つまりキリストの言葉) (5)は旧約聖書の「十戒」のひとつです。 聖書は簡潔にまとめられた面白い読み物が沢山でていますので、ご覧になってください。 私はまったくの素人ですから、勘違いもあるかと思います。 そんな所は皆さん指摘してください…。

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。(^^)とても勉強になりました。>イスラム教とユダヤ教とは発生の土地が近 接している。それはもともと同じものが、それぞれの解釈で宗派が別れたのではなくて、近接はしているけれ どももともと違うものであったということなのでしょうか。>旧約聖書はユダヤ教のもの。ということはアダ ムとイヴのことは旧約聖書に記載されているのですね?(4)(5)はそうなのですね。基本的な簡潔なもの から読んでみようと思います。勉強になりました。ありがとうございました。

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