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市場原理主義の影響?日本が少し荒んでいないでしょうか?

毎朝、新聞・テレビで報じられるニュース。「通り魔殺人」「自殺」「ワーキングプア」「ニート」 「モンスターペアレント」・・・。 秋葉原の通り魔殺人、専門家は「最大の原因は社会や周囲からの疎外感。それは、学歴社会での『負け組』意識が孤独な性格と結びついて生じやすい。そこから被害妄想が膨らみ、社会に報復を企てる」と分析しているようです。 まず第一に、犯人自体の人格が原因であることは間違いありません。 しかし、少なからず、日本の国家の在り方が原因であると専門家は考えているようです。 このように、社会や国家のあり方が(多少なりとも、多少なりともです)原因となっている、今、日本に生じている問題は他にもあるでしょうか? ご存知の方、いらっしゃれば教えてください。 上に挙げた、5つの例でもかまいません。どのようなことが原因になっているのか教えてください。 よろしくお願いします。

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  • lions-123
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回答No.4

私には、日夜報じられるニュース&事件が次々と多く発生し、その中には、原因も意図も社会へのアピールやメッセージが重く複雑な要因と教育や国民性、風土や文化や歴史に根ざした原点なり視点も加わり、個々には一つの事件やキーワード、ニュースがメディアの扱い方によっても様々な経緯や結果・進展・将来展望を我々に与えもたらしております。 仮に世間・社会に於ける評価や見方が決まっている対象でさえ→具体的な事例・根拠・時系列の分析を掘り下げて行わないと独善や偏見を招くリスクがあります。 それを、一般論で一部の有識者やメディアの論調、意見で、付和雷同や盲従する事があったり、レッテル貼り(烙印を押す)は真実から乖離が大きくなる可能性も孕んでいます。 露出の度合いや反響もケースバイケースでしょうから、一概に決め付けたり、犯人探し、真贋・評価の論拠や証明が簡単に出来るとは思えません。                 ↓ そんな前提・迷走の中での市場原理主義の影響、社会の荒みについての私見&考察です。 <回りくどく、冗長な拙文で意味が上手く伝わらないかもしれませんが順不同で、ご質問への感慨・思いを述べてみます> ◇敗戦後、価値観や教育の軸、プライオリティが激変→混乱と自信喪失、普遍的なシンボル・価値観が消失またはカオス状態になってしまっている。 ◇与えられた自由、民主主義、安全保障(国防)なので→真に守り築く、気概・心構え・決意が欠如、軽視されており、どこかに他力本願、棚ボタ願望が見られ、社会&国民&世論に命がけの苦労で掴み育て守って来た価値感や有り難さの意識が希薄であり、維持・充実増進しようとの取り組みや気運に欠ける。 ◇価値感や崇拝していたものの変転と衰退・否定で自信を失った老年世代、世の中や価値感の変化にいまだに混乱している団塊世代、マニュアルや攻略本そしてインスタント食品から何でもネット検索で手軽に便利に、理解し、分っていると、知識や情報・データーが、表面的なもののみで全てかの解と錯覚し誤解や勘違いしている。 その評価、情報、データーを自分の目で耳で精査考察し、多くの事象や歴史、論文等から自らの感性・信条でチェックする事もなく→誰々が? どのマスコミで? あのアンケートでは? と、簡単に刷り込まれ、付和雷同模倣したり、逆に匿名性の中で一方的に反発誹謗中傷する。 そこには、異なる立場、利害、価値感の議論、切磋琢磨、相互啓発による研ぎ澄まされた合意形成やディベートで洞察や探求のレベルアップ、自己啓発研鑽によるステージアップを知らず行わずの若者世代が見られる。 ◇一方通行の頭でっかち、実務社会でのリスクマネージメントや価値分析を経ていない、似非知恵(悪知恵、ずる賢い要領の良さ、マニュアルと定石偏重)で→物事を評価を単純に2極化する傾向・志向が顕著、徹底して自己努力や自己責任や自己研鑽で分析解明しようとの心構え、疑問へのアプローチ姿勢が希薄、訓練&躾が為されていない様である。 曰く、勝ち組負け組み、大きな政府や小さな政府、社会保障や雇用形態、凶悪犯罪や無差別殺人の模倣連鎖?、酒飲みひき逃げ犯、児童虐待、クレーマーやモンスターペアレント、メタボやダイエット等の社会現象、内閣や政党支持率とその理由etc。 それらに対し、余にもマスコミや一部の評論家、タレントの発言&意見に左右されているのではないだろうか? また、多くの事柄や歴史に学ぶ場合も、インスタントにネット検索で掲示板で簡易、即席で解を求め自説持論としてしまう傾向が強まっていると危惧します。 それらは私達に時間と手間を効率化してくれる便利な道具、手段であっても、使いこなし取捨選択し→分析・葛藤・整理・言動・活用するのは、考え進歩する人間、個人であるはずです。 自らの感性・価値感によって、推敲を繰り返した結果の決意決断でなければ、それは付和雷同・単なる洗脳や幻惑された対応に過ぎないと言えます。 そのような表面的、流れ現象、意図的なリードが、多様な価値感と意見を客観的、合理的な合意形成でなく、ブームやバラエティ的な世論形成、多数派形成、模倣愉快犯の続出、軽薄な拝金主義や売名行為の増長の一因であり、今日の日本社会の自信喪失・矜持の低さ、将来不安を招き、荒ぶっている世情や庶民の深層心理ではないのかと、私は憂い嘆きながらも、夢と希望は失わず「ライジングサン」を日本国・国民の洋々たる未来を信じ、期待し、その為に少しでも資するべく方向、方策へ取り組みに共有と参画をしたいと思います。

その他の回答 (6)

  • wiz0621
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回答No.7

社会問題という言葉は実に便利な道具であると思います。 めんとう向かって「山田さんが悪い」「田中さんのせいだ」という批判を 行うことは大人であれば、あまり良識的な行動と評価されませんが 「社会が悪い」というだけで、その人は良識人として褒め称えられるのです。 構造主義(社会は個の集合ではなく、個は社会の結節点)という発想が 生み出されて以降、多くの"良識人"がこれに飛びつきました。 結果として、この発想が生まれる以前には問題ですらなかった 「社会問題」が発生するようになります。 質問者さんが挙げられた例は、いわゆる「市場原理主義(これも社会批判上 にしか存在し得ない言葉ではありますが)」以前からあった問題なのです。 そして現在よりさらに酷い有様であったにも関わらず、以前は問題に すらなりませんでした。しかし社会批評が方法論として確立された今は 存在しています。つまり、「社会問題」が生じたのは、 社会を批判することが良識であるという認識が知識人の間に広まったこと こそが原因であると思います。もちろん構造上、つまり社会と個における 契約上の欠落から普遍的に存在する問題というものは存在します。 しかしながら、これらの改善案が提示されることは稀です。 現在の「社会問題」は単に「社会が悪い」と評価するための 前置きでしか無いのです。 さらに悪いことに、その評価を行う人間が「自分は関係ない」あるいは 「自分は違う」という超越者の立場から評価を行っています。 彼らの目的は、改善案の提示ですら無く、単に自分を良識人であると 主張することです。彼らの"メシのタネ"になるのならば、 紙を使うことが気温上昇に結びついたり、あるいは検索2回でお湯が沸かせる 電力が消費されるという言いがかりに近い主張すら、社会問題に なりかねません。 そもそも社会は奪い合いでは成立しないのです。 それを奪い合いであると主張し、なおかつそれを社会のせいとした "良識人"により「社会問題市場」は発展してきました。 社会に問題があるとすれば、それは社会を形成する我々の責任なのです。 一方で我々は個々の自分にできる範囲でのみ、その責任を追い それぞれが幸福を追求する義務(誤字じゃ無いですよ?)があります。 これこそが現代社会の基礎である自由主義です。 それを"社会のせい"にするのは問題の解決にすらなりません。 個々の社会との契約上の問題は、個人の責任ですし、 その確認も本人が行うべきです。

  • lions-123
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回答No.6

NO-4です。 字数の制約で欠落した部分を下記に追加掲載します。 <質問から飛躍、脱線していて私の演説・独り言になっているかもしれませんが、悲憤と憂国の吐露からの駄文としてご容赦お願い申し上げます> 最後に、残念な事は多様な価値感、立場と利害が・・・ 世代間、政党間、政府と野党、政策とマスコミ論調が国益・国民・国威・国運に向けて→「小異は残しても大同に付く」求心力とならずイタズラにメンツや手順、立場に拘泥し、是々非々や難局あっての問題解決へ遠心力ばかりが対立ばかりが目立つのが悲しい現実である。 他人の庭だからか? 新しい物への憧れと人気なのか? 翻って→アメリカでのオバマ大統領の選出、就任そして寄せる国民の期待の大きさは羨ましく心強く感動的でさえあります。 その米国を見る日本はどうであろうか? 異論や批判、いづれは・・・との指摘もあろうが→我が国でも、小泉首相(当時)の言動、国際舞台での活躍があり、経済の堅調持続に国際貢献へ少なくとも自信を回復醸成し始めた、政治の安定と政策のスピードアップが見られ国会論戦も対決と調整、結果においては多数決による民主的な合意形成が議院内閣制の制度下・制約の中で行われた時期もあったのだが・・・。 現在の麻生内閣はどうであろう? その政策立案、国会審議、マスコミや世論の責任分担、参画意識、より良き政策・国会運営・選挙制度へ意見や批判や賛否は百家争鳴、自由に論争するのは当たり前だが、果たして国民・国益・国威・国運・国際社会への協調貢献へスピードと客観的な意見集約、合意形成への求心力は作動しているだろうか・・・。 立場や利害、党議拘束の前に100年に一度とも称される難局に際し真に大義・信念・責務に忠実な言動を以って、回天の原動力、難局打開のための波動の起点とならんとする自覚・自負・自戒の対応、情報発信を取り行っているだろうか・・・。 リーダーの資質、言動、成果は勿論、重要であり、その為の権限を与え支持をしているのは、国益・主権・国威・国運への責任と義務、現実と将来へのジャッジとリーダーシップを期待し信託しているのだからでもある。 麻生首相には、その任に足る自覚・能力・意思が無いのだろうか! 彼が率いる内閣・政府・与党には事態の打開方策も遂行力も持ち得ないのだろうか! 我々一人一人が結果的には間接的とはいえ、衆議院選挙で多数党、首相指名の権限を信託し成立した政府であります。 安部・福田総理と事情は別として投げ出した責任と批判、小泉政権の郵政選挙以降は参議院選挙での野党の躍進を受け、衆参ネジレ現象が国政の混乱、スピードアップ、政策実行の足枷ともなっている。 然し、主義主張、政党支持、個々の議員への評価は別として、正統な首班指名で選び信託した総理であり、適材適所であろうと編成された「チーム麻生」ではないのだろうか・・・・ 任期、役割分担、重責を与え、叱咤激励し、共に責任分担と問題意識の共有を図り、持ち場持ち場で、より良いよりましな政策や立法・行政の任に当たってもらわねば→その怠慢・遅滞・過誤は我々の国益・国威・国運・国際信頼の齟齬となって還ってくるのである。 批判すべきは批判し、賛同すべきは賛同し、誰が為の何を目的とした政治・国会・政策なのかを常に念頭に置き肝に銘じ行動して欲しい。共にその重責と義務を共有し連帯していると自戒・自覚して政争や政局、猟官や売名に、党利党略、自利自欲に、立場や利害に受け狙いに走ってもらっていては困るのである。 大政翼賛、挙国一致、全体主義、何でもごもっともを標榜・支持するのではないが→難局に重要課題に国難には、大義・大局・国益に照らした行動規範を示して欲しい、早期の打開へ国の総力、英知を集める求心力の発揮と具現を切に求めたい、私も微力ながら一翼を担う覚悟と言動で参画を致したく、また、そうありたいと思い律して参る所存です。

回答No.5

モンスターペアレントの原因。 「モンスターペアレント」という言葉ができたこと。と、いうと変な風に思えるかと思いますが、昔から、学校にたいして文句を言ったり、問題行動を行う親は昔からいます。 しかし、それを調べていないのです。データを取るようになったのは、「モンスターペアレント」という言葉が作られ、それが問題視されるようになった後でのことです。つまり、それ以前から、そういう人がいたのかどうか、というのは「よくわからない」と言えます。 さらに、この調べ方にも問題があります。これは、学校にたいして「あなたの学校にモンスターペアレントはいますか?」と言うふうに聞いています。つまり、一方の当事者に聞いている、というもので、第三者が客観的に判断しているわけではありません。 第三者から見て、「この要求は当然」と思うようなことを言ったとしても、学校が「モンスターペアレント」と思えばその人は「モンスターペアレント」になるのです。また、そういうのは、「モンスターペアレントが増えている」というムードの中では比較的、すんなりと「います」と回答出来るようになります。 この構図は、学校で起こっている「いじめ件数」「校内暴力件数」などの調査にも当てはまります(これらも、学校という利害関係者に「あなたの学校でありますか?」と尋ねているため、極めて精度の低い調査と言えます) ニート、にしても同じことが言えます。 厚生労働省の統計では、ニートとは「15~34歳で、学校に通っておらず、職についておらず、求職活動をしていない未婚の者」であり、そこに当てはまれば、すべてニートに当たり、そこから少しでも外れればニートではなくなります(例えば、35歳になれば、ニートではありません) そこには、意欲などは全くの無関係です。 そして、各種調査などで増えている「ニート」は、「職につく意志はある」者であり、「将来的にも働きたくない」という非求職型は全く増加していません。 そういうものを無視し、「ニートとは、無気力な奴である」「それが増えていることは、若者のやる気がなくなっているからだ」という方が問題なのです。 問題があるとするなら、むしろ、そういう統計のクセ、言葉の正確さを無視して、「現在の病理だ」と勝手に絶望するところにあると思います。

noname#89274
noname#89274
回答No.3

学校が荒れ教育界ばかりにシワ寄せが来て悲鳴を上げていることに目を背ければ誰でも無責任に適当なことは言える。 犯罪などの表に出てきたものだけで判断して問題無いとしてしまうような教育関係者は分析もできなければその解決策さえ考えることもできないでしょう。 教育再生などと大げさなことをしなくていいことをやってでもいると思っているのだろうか? 確かにそこはいつも見当違いなことを言ってはいる。

  • 1582
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回答No.2

そんなもん昔からありましたよ  むしろ件数だけならよくなったくらい 今はすぐに情報が次々流れていくだけ  実際は違う理由でも事件直後、適当に面白い理由つけて 視聴率取ろうと必死になってますね その後訂正されることはほとんどありませんが

  • tanuki4u
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回答No.1

2008年のデータはこれからですが http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51001197.html 2007年度は、殺人数も、少年犯による殺人も、交通事故も減少した、よい年です。 その専門家の分析というのは、「ためにする」分析ではないですか?

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