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「やりたいこと」って何?
【とても安易な質問かもしれません】 僕自身はやりたいことがあると思うのに、自分のその気持ちを 信じることができなかったり、他にもいろいろ候補が出てきて 取り止めがありません。 世間はやりたいことを見つけなさい。と、言いますが、今の僕にとって やりたいこととはそんなに継続的なものではなく、時々刻々と変わり つづけるものなのです。 ひとつのことをやりつづける人を尊敬しますが、反面、それはただの結果 だとも思います(自分が反感を持ちながらもいつも何か大学に4年間在学していたからそう思う)。 漠然とした質問ですが、どうか、僕の質問に答えてください。 よろしくお願いします。 (ちなみに就職活動中です[笑])
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>ayamatiさんの定義があると思います。 本望は、まるで、自分自身です。 本望を叶えるということは、自分自身を叶えるということです。 これで死んでも本望だ。というような望みです。 それは、生きることの目的です。
欲望を無限にたてても、ひとつの本望には及びません。 絶望のふちに立たされても、すこぶる小さい希望はその人とともに死んでくれます。 同じ望みでも、本望を求め、希望を信じてください。欲望は勝手に出てきてくれるので、世話のかからないいい奴です。ちくいちそれを満たせばいいです。そのことで、人生は形作られます。その形作られた人生を使い、本望を求めればいいんじゃない? 目に見えない点のようにちいさいけれど、希望は平等に、すでにあるので、本望だけが、個々人の求めるべきです。 希望もいい奴です。全くこちらが無視してても、気づかなくても、しっかり見守ってくれています。いざというときにおもいっきり働くので、頼りになります。 本望だけが手のかかる奴です。 まるで、自分自身です。 もっとも必要なうえに、努力と運を要求します。 だけれども、本望は、希望と、欲望を、従えているほどお偉いさんなのです(笑。ぜひそいつをものにしてください。ゆうことなしのすばらしいやつです。まるで、文句のつけようがありません。 希望にはもっと目立てよといいたいし、欲望には、あんまりでしゃばんなとも言いたいです。というよりも、欲望にはおよび出ないとも言いたいときがある(笑。それでも、かれらはしっかり仕事をしています。欲望がでしゃばってこなければ、死んでまうし、希望が目立てば、まぶしすぎてなんとやらです(なんやねん!)。 欲望をうまい具合に満たせない人は、人生をうまい具合に形作れません。うまい具合でない人生は、本望を求めるに当たって、うまく使えません。 だから、 1.欲望をうまい具合に満たす。 2.希望は言わずとも働いてくれているので、それに感謝せずにはいられず、本望を目指す。 3.本望は、想像を絶する具合で、見つかり、体験を超えて体験される。 この世界に来たからには、本望を薦めます。 それは、自分を超えた世界を、ものにするということです。
もうじき40歳になるオヤジです。 友人や知人に言わせれば 私は「キミはヤリたいことを仕事にしているからイイね」 なのだそうです。 でも、自分はあまりそうは思っていません。 今だ、自分のヤリたいコトは本当にコレか?と ほぼ毎日のように悩みますし 今だ、ヤリたいコトは刻々と変わりますよ。 ただね「自分のヤリたいコトは本当にコレか?」と 悩めるのは、いま実際に何かをやっているからなんだよね。 そして「コレは自分のヤリたいコトじゃない」といった確信が持てるのは それまでヤリたいと思ってきた筈のコトを 実際にやっているからなんだよね。 つまり「やってみないと分からない」のだと思います。 そういう意味では、漠然とでも「やりたい」と思っていることを まずやるべきだと思います。 やってみないと、コレが本当に自分の求めていたコトか否か?が 分かりませんし、それ以上に大事なのは コレが自分に向いてるか否か?が分かりません。 違う!と思ったら、兎に角いち早く軌道修正し始めるコトです。 最後に、いつも思うのですが 現状に満足してしまうか、諦めてしまった時点で 終わりなのではないでしょうか? コレが本当にオレのやりたいことか?と いつも自問自答しているのが正しい在り方なのでは ないでしょうか?
- may-river
- ベストアンサー率7% (3/39)
私も、やりたい事が猫の目のごとく変わっていく、世間一般でいう“移り気”な人間です。 やりたい事が時々刻々と変わっていくのはしょうがないと思います。情報化社会に生きる私達は、知らず知らずのうちにメディアなどの媒体を通して様々な知識が浸透してしまうのですから、外部からの影響によって、やりたい事が変わるのは普通です。 しかし、です。やりたい事を将来の職業と限定した上での話になりますが……世間にはそれこそ星の数ほどの仕事がありますね。その中で、「○○をやってみたい」と思うのには理由があるはずです。その理由とは、自分の中の価値観に根付いているものだと考えます。自分の考えに少しでも引っかかるものがなければ、その○○事体が価値のないものになってしまうから。サッカーのルールを知らない人間が、Jリーガーを志望する事はありえないのと同じ事だと思って下さい。 つまり、どれだけ「○○をやりたい」という事があったとしても、それは一貫した自分の中の価値観に基づくものであり、表面的には違う事のように思えても、底では同じ水が流れている、という事。だから、やりたい事が変化するのは別に悪い事ではありませんよ。 それに、解釈ひとつで、ひとつの事をやり続ける人間は、外部との柔軟性がないとも言い換えれます。 ひとつのやりたい事を見つける事だけに固執するのはよくないですよ。 様々な職業の中を彷徨った挙句、最終的には世間で成功を収める人間もいますし、何よりもその一瞬一瞬が満足できたら……その時の事を思い出す時は、きっと幸せですよ。
- mktoolll
- ベストアンサー率22% (20/88)
あなたがどういう人になりたいかという点がその答えを導いてくれるでしょう。 いつも人に囲まれて笑いの絶えない毎日を送る人に成りたいのか。 他人にさげすまれて惨めな生活をする人に成りたいのか。 人前にたってリーダー的存在で常にいられる人になりたいのか。 人望はあるが目立たず地道に他人に奉仕することを喜ぶ人に成りたいのか。 あなたの目指す人物像はどのようなものだろうか。それがつかめればやるべきことは自然と理解できるはずです。
- gekkou
- ベストアンサー率21% (50/235)
#2と#3回答がダブってしまい申し訳ありませんでした。 >僕の存在目的と、企業や社会の存在の目的が違うのだからしょうがないです。 僕の目から見た社会と、社会の眼から見た僕との間に齟齬が生じる のは仕方のないことなのかなと。 会社の存在目的はEvianusさんに限らず、どの社員の意志ともリンクしていないでしょう。会社側は、社員は会社のために存在すると思っているかもしれませんが、そこで働く人間にとっても会社は人生を営むための道具でしかありません。でも、その道具を只の道具と感じるか、大事な道具と感じることができるかで中身が違ってきます。 正直どんな会社に入ってもその中からやり甲斐を得ることはできると思います。それは誰の力でもなく、自分の気持ちひとつでやり甲斐に変わるのです。 >僕は、人生の流れの中で満足できる「やりたいこと」(生きがい)を 見つけられることが理想ですけど、それは当たり前のことではなく、実は、 難しいことなのだと最近悟りました。 そうかもしれませんね。ですからそれを見つけられない多くの人がもがき苦しんでいるのでしょう。
お礼
僕は映画と読書と特に海外一人旅が大好きなんですが(生きがいみたいです)、 やっぱりこの方向に進んだほうがよいと思います? とても、リスクを回収できるとは思えないのですが…。 うむー。
- ayumi-1981
- ベストアンサー率32% (8/25)
そうですね。なるようになる感が強いと思いますよ。 自分の目でみて選ぶっていうことはとても難しく 他人の意見をのむことは楽です 失敗しても、自分のせいではなく他人のせいだと責任転嫁できますし。 けれど、結局は自分の人生だから自分で選ぶことって重要だと思います 就職活動は大学を選ぶとき以来の、もしかしたらそれより大きい選択に なると思います。 今は3年生ですか?就職活動は秋採用(10月ごろ)もありますし 来年の3月までやる気になればできます。 まずは情報収集が大切だと思いますよ。 もしかしたら他人のすすめる大企業が、自分のやりたい事になってくる 可能性もありますから。 。。。全然アドバイスになってなくてごめんなさい。支離滅裂だし(汗 影ながら応援してますよ!!
お礼
回答ありがとうございます。 僕は就職活動は大学受験よりも難しいとも思うし、簡単だとも思います。 うむ~。 難しいというのは、これから自分の人生(キャリア?)を考えるにあたって、 大学選びならできるだけ偏差値の高いところに言ったほうが有利ということは 自明です(一般敵にです)。企業選びについてもある程度は同じような傾向 があり、大企業にいったほうがよいのかもしれませんが、 その決定に人生が大きく左右されます。たとえ大企業に言っても 幸せになれるとは限らないと思うからです…。 (取らぬ狸の皮算用。ふっ。) まぁ、なるようになりますね。 こんなことに思い悩んでいるよりも、企業研究などの勉強をしようと思います。 そうそう、就職活動だけではなく「やりたいこと」の原因を 教えてください。 回答ありがとうございました!
- gekkou
- ベストアンサー率21% (50/235)
おっしゃる通りだと思います。 やりたいことは別段継続的なことや目標とする事柄とは本来違い、その時によって変わる普遍的な事だと思います。(毎日違うものが食べたいように) しかし、一般的にやりたいことを見つけなさいという場合は本来のそれとは違い、人生の主軸となるような事柄を探せというようなニュアンスで使います。 言葉本来の意味からすれば、「やりたいこと」とは、今現在の自身の心理状態から発せられる欲求ですから、「見つける」というのはおかしな表現です。 誰が言い出した事か分かりませんが、いつのまにか意味合いが変化していったのでしょう。 そこで、「やりたいこと」は「生き甲斐(またはやり甲斐)」に置き換える事ができるように思います。 「生き甲斐」と簡単にいってはみましたが、これを見つけるのも至難の業ではありません。 自分が好きだと感じたり、向いていると感じた仕事に必ずしも生き甲斐を見いだせるとは限りません。 あるいは毎日無意味だと感じつつ、惰性でこなしていた仕事なのに、ある日何らかの理由で生きがいを感じることもあるのです。 その場合、生き甲斐を見つけるまで一ヶ月かかるか、数十年かかるか、または死ぬまで見つけられないか誰にも予測が付きません。 やりたいことを見つけろというのは、自分の生きがいを見つけろということでしょうから、自分を活かせるような事柄を見出せば、人生の中の無数の選択肢の中から、多少でも「生きがいを感じる人生へ近道ができる」ということではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 僕は「世間がやりたいことを見つけろと押し寄る」と、いいましたが、 やはりこれはしょうがないことかなと、一面では考えています。 僕の存在目的と、企業や社会の存在の目的が違うのだからしょうがないです。 僕の目から見た社会と、社会の眼から見た僕との間に齟齬が生じる のは仕方のないことなのかなと。 僕は、人生の流れの中で満足できる「やりたいこと」(生きがい)を 見つけられることが理想ですけど、それは当たり前のことではなく、実は、 難しいことなのだと最近悟りました。
補足
【訂正】 質問文で以下のところに間違いがありました。 誤)自分が反感を持ちながらもいつも何か大学に4年間在学していたからそう思う 正)自分がいつも何か反感を持ちながらも大学に4年間在学していたからそう思う」 わかりにくくなってすいませんでした。
- ayumi-1981
- ベストアンサー率32% (8/25)
やりたいことは刻々と変わるものだと思う 必ずしも一つの事に縛られる必要はないし。 私も就職活動中は、今自分が何をやってるのか なにがしたいのかわからず、 目の前の一つのことに集中しようとしても集中できませんでした。 みんなそんなものなのではないでしょうか? ちなみに、就職活動初期にやりかった業種と 就職活動が終わって、実際に決まった業種は全く関連のないものです。 もし、また方向を変えたくなったら転職しちゃえばいい。 それくらいの気持ちでいたほうが楽ですよ。 色々やりたいことがありすぎて迷っていらっしゃるのでしたら まずは自分の足で一つ一つ見ていくのがいいと思います。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 結局夢を見ないでそろそろ現実を見たほうがよいのかもしれませんね。 僕は別に、「悲しい現実」ということを言おうとしているのではなく、 物事を違った側面から見る次期が着たのではないかなぁ。 と思ったのでした。 やはり、最初の企業は大切なんだろうなぁ。なんて考えてしまいます。 また、とてもちっぽけな視点(現在の僕)で自分のやりたい職種を 選んだほうがよいのか、それともやはり世間で認められている 大企業を選んだほうがよいのか迷います(といっても、簡単に大企業 に受かるわけではないのでとりあえず受けますが…笑)。 たとえちっぽけな視点でも、そこで、自分で決定したということが とても大事なことのようにも思います。 まぁ、結局運命なんでしょうね。なるようになると。
補足
就職以外にも道を捜し求めてしまいます。 リスクを回収するという、思考を無視して、旅立ってしまいそうです…。 ううう。
お礼
ayamatiさんのおっしゃる「本望」とは何でしょうか。 ayamatiさんの定義があると思います。 率直に言って、ayamatiさんのおっしゃることがよくわかりませんでした。 書き込みありがとうございました。