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学歴と訛りの相関関係
ある人が、低学歴ほど訛りがきつい。 あるいは、頭の悪い高校ほど訛りがきつい。 と、いいました。 実際、そういう相関関係を表わした客観的データというものはあるでしょうか? 主観的ではなく、客観的なものです。
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- dai-ym
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東京生まれの東京育ちです。 大学でも東京弁や湘南弁を使っている人は普通にいるし、関西や九州の人は訛りを直そうとしない人も多くいます。 東京の大学で無く地元の国立に行っていればさらに訛りのままって人もいるでしょう。 逆に中卒で早くから東京に出てきてしまうと出身地の訛りなど忘れてしまう人もいます。 また芸能人など高校に行かなかった人高校中退の人もいますが、訛りのある人は少ないですよね。 こういった事実だけでも低学歴ほど訛りがきついということは無いというデーターになると思いますよ。 ただ、高校の場合はありえる可能性はあります。 学校という狭い範囲の中で主な行動をする上に、あまり本など読まずに標準語や他の地方の方言に接しないため、自分の訛りを訛りと気づかないままでいるという場合もありますから。 ただ、そういうデーターをとるのに協力してくれる高校が少ないので、客観的なデーターを収集するのが難しいと思います。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
回答番号:No.5: ≪同世代の労働者と言葉のなまりが違うのかどうなのか知ってはいないでしょう≫ 卒業生や、同僚たちはみな、友達に会うと、自然に全く同じになる。 仮に東京のことばがでてしまうと、嫌がられるので気をつける。といっています。 ふるさとの駅に下車した瞬間、全く少年(少女)にもどる。 たまにどうしても東京的になることもあるそうです。 気をつけるそうです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
回答番号:No.2 お書き込みに対しての再度の投稿: 方言は良く知っております。46年も大学に勤務していて、ほとんどの諸君が関東と東北でした。 訛りを聞くと大体どこの地域かわかります。 東京も訛りがあることはご存じでしょう。 そして一つの方言だってことも。 “し”と“ひ”の区別が困難で、辞書で引いても出てこないとか、漢字変換ができないなどと嘆きます。“しろい道”=“ひろい道”、“しばち”と“ひばち”“おしたし(下地=醤油)”と“おひたし”だと思っていた。とか。 方言を研究している人はおられます。 民謡などがだいすきなので、訛りはとても貴重です。大好きです。 東京のいわゆる、アナウンサー語にはない、言葉が方言には豊富にあって、日本人の心を知る上ではとても重要です。 大事にしたい。
お礼
ありがとうございます。 首都圏の大学に来る地方出身者の学生が、地元で大学進学せず就職した 同世代の労働者と言葉のなまりが違うのかどうなのか知ってはいないでしょう、ということです。 東京で「かつて」人によって言葉が違っていたのは存じ上げていますが、いずれの人も地方の人がいだく「なまり」という認識とは違うはずですね。 貴重なご意見ありがとうございました!
- nemosan
- ベストアンサー率22% (582/2598)
主観でしか答えようがないが・・・ >低学歴ほど訛りがきつい。 方言の修正は大学進学時に経験があります。 高校とちがって大学では様々な地域から学生が集まるので方言が強く意識されます。 特に地方から中央に出た場合は、自分の言葉が少数派になるので著しい劣等感に襲われ 意識的・無意識的にも方言の修正がなされます。(ただし関西系の学生は除く(笑)) おそらく進学校の先生の方がより、大学時代に方言の劣等感を強く感じたと推測できま すので、授業中の会話にもこれが反映されているのではないか? と推理しますが。
お礼
ありがとうございます。
- tamoht
- ベストアンサー率43% (60/137)
訛りは学歴に関係ありません、育ってきた環境によるものと思います、日本語をしゃべる人達の中で育った子供は日本語を自然に覚えるのと同じで、育っていく環境の中で周りの人に感化されて自然に訛りも身についてくるもので、主観的にも、客観的にも決して学歴に関係ないと思います。 それからご質問者のいう頭の悪い高校とは何を基準に言われるのですか、偏差値の低い高校を頭の悪い学校というのなら考え方が間違っています、だれしもが自分の高校なり出身校に誇りを持っているはずです、たまたまその学校の偏差値が低いとしても頭の悪い高校という言い方をするのは、訛りを論ずる以前の問題です。
補足
訛りは学歴に関係ないという客観的データをお願いします。 なお、きれいごとはお避けください。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
データー的にも絶対にありえない。敢えて言いきります。 そしてそんな調査もありえない。敢えて言い切ります。 主観的も、客観的にもありえない。敢えて言い切ります。 ことば才能、生き方才能というのは人によっていろいろありましょう。 溶け方、化けかたも。言葉の堪能さも。 しかし、それは決して学歴には関係が無い。頭の悪さにも関係ない。 ここで関係ないということは、客観も主観もない。 私は六代の東京生まれ、育ちです。江戸も地域や職業、所属する社会の如何でことばが大きく違いました。 もちろん発声から発音、息の出し方も。呼吸の採り方も。 だいぶ曖昧にはなってしまっては居ますが。 仰せの求めはどこにもありえないということを断言できます。 無いものを、ないと示すことはできないでしょう。 でもヒンドゥではないものを、無いものがある、という思考らしいが、この場合はそういうことも通用しないということです。
お礼
ありがとうございます。 あえて言い切ります。ではなく言い切りたいです。と思うのですが。 まあ東京の人には地方の実情は把握できないのでしょう。 しかも6代も外に出ておらず、地方の言葉を心底ご存知ないわけですから。 例えば、仙台の進学高校卒と農業高校卒の言葉、 博多の進学校卒と工業高校卒の言葉 は、明らかに違います。これはあえて言いきれます。 二つとも後者のほうが歴然と訛りがきついのです。 その客観的データというものがみたいのです。 方言学からいうと面白い題材ですし、研究している人は少なからずいると思うのですが。 ある人がいったことにより私もそう思うようになりました。 貴重な意見ありがとうございました!
- zorro
- ベストアンサー率25% (12261/49027)
ある人とは?発言された方が一番よく知っています。確認すれば教えてくれます。
補足
客観的なデータがあればみたいのです。
お礼
ありがとうございます。 >>卒業生や、同僚たちはみな、友達に会うと、自然に全く同じになる。 そうでしょうね。そういう当然のことを聞きかじりではないとわからないというのもあなたが東京でしか存在したことがないからでしょう。 そして相対的に人は学歴が同程度の人が友達です。 基本的に大卒者には中卒者の「友達」はいません。 東京という特殊な地域の人の認識というのが分かりました。 いろいろと貴重なご意見ありがとうございました!