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「学歴と能力の相関性」にまつわる論理について考察をお願いします

これまで私はアンケートカテゴリなどで 高学歴者の中には 「コミュニケーション能力」「粘り強さ」「行動力」「論理的思考」「プレッシャーへの耐性」「責任感」「熱意、意欲」「状況適応力」「リーダーシップ」「モチベーション力」 という企業が労働者に求める能力を持ち合わせた人が多いのではないか。 つまり「学歴」は「能力のひとつの指標」としてある程度有効なのではないか (ある程度の指標なので例外の存在を否定するものではありません) という質問をしてきました。 この推論は、初めは 「ということは記憶力だけでも高学歴を目指し  実際に受験に合格する。ことは可能であるが  論理的思考能力・メソッドを構築する能力があれば  より、高学歴を得られるのではないだろうか。  そして、論理的思考能力・メソッド構築能力は  企業が人材に期待する能力のひとつではないだろうか?」 という推論から導かれたものでした。 そして、自分なりに調べた結果 ・2001年のノーベル経済学賞受賞者、マイケル・スペンスが提唱した  シグナリング「理論」 http://note.masm.jp/%A5%B7%A5%B0%A5%CA%A5%EA%A5%F3%A5%B0%CD%FD%CF%C0/ ・SONYの学歴無用論により学歴不問で採用活動を行った場合  最終的に採用されたのは高学歴が多かったという「客観的な事実」 ・論理的コミュニケ-ション能力と大学受験ランキングの関係性の研究  http://ipa.sfc.keio.ac.jp/ipa_web7/kyoiku2007_Final.pdf  という論理コミュニケーション力の詳細定義を利活用者-企業経営者や  人事採用担当責任者、経営コンサルタント-に委ねた試験を行ったところ  いわゆる偏差値と論理コミュニケーション力との間に相関性が見られた  という「統計的な検証」 がその裏づけになる具体的な事例"らしきもの"ではないだろうか。 (それぞれの事例に、それを裏付けるほどの効力がないと思われるため  "らしきもの"としました。) と考えました。 しかし、これに大して「学歴が能力の証明になどなるはずがない」 とおっしゃる方もいらっしゃいました。 その方々の論理の裏づけは (1)「有能か無能かを暗記の学力で判断する事にどれだけの意味があるだろう?」 (2)「高学歴者は数学の理論などを記憶力で理解してきた。  しかし、実際に必要な愛・親切心・辛抱強さ・慎み・柔和さ・謙遜さ・誠実さ・自制心・協調性・洞察力・識別力は学歴とは一切関係がない。」 (3)「「学歴が有能さを表す指標とならない理由」は、そう思ってる人が多いから。」 (4)「有能な人物はその結果として、一流大学を出ていることが多い。 しかし、一流大学を出ているからといって、有能な人である保証は何もない。」 (5)「人間は論理的じゃないから、学歴と能力に相関がないことを  論理的に証明することは不可能」 (6)「「子どもの成長」にどの程度「大人が関与しているか」というのは大きな要素であり、 その恩恵を受けたものと受けなかったものを同一の基準で評価することは問題が大きい。 増してや「能力の証明」などには到底なりようも無い。 その「子ども」を成長させた「大人の1つの能力」としては一定の評価を与えても良いでしょう。 が、子どもにとってはいい迷惑です。」 (7)「この世に生を受けて、20年そこそこの生き方で、生涯賃金が左右されるべきではない。 これは真理である。」 (8)「人が生きる事には論理もへったくれもないと思います。 ただ、生物学的に生命が発生した結果 何者かが存在しているだけなので 論理は後付けの屁理屈ではないかと 後付けの屁理屈を重要視するかどうかに関わる」 などの論理の裏づけが挙げられました。 私としては「論理的ではあっても、あくまで個人の主観に基づいた、その個人の論理によって構築される類いのものであり、客観的な目に耐え得る論理性までは感じられない」という印象を受け 「もしご存知であれば、「学歴と能力が相関性がない」という事例を紹介してください」 という質問もさせていただいたのですが、それに対して 具体的な事例は今のところ提示いただいておりません。 さて、この2つの論理展開について ・個人的な感情を出来るだけ排除して A.純粋な論理の観点で見て B.現実的な論理展開として どちらの方がより強力な論理の裏づけでしょうか? C.皆様の個人的な意見としてどちらの意見に賛成でしょうか? 長文になってしまいここまで読んでいただけただけでも感謝致しますが もしよろしければ回答していただければ幸いです。 ※論理的な方にお聞きしたいので誠に勝手ながら これまでこちらの「数学」カテゴリでたくさんお答えになった方の意見を重要視させていただくことをご理解の上回答していただければと思います。

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  • eatern27
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回答No.8

#6へのお礼: >ちなみにお伺いしたいのですが ・・・(中略)・・・ >と取ってもよろしいでしょうか? はい、そのつもりで書いています。 つまり、 「学歴と能力に相関はあるが、学歴は採用基準に入れるべきではない」(学歴よりもよい強い相関を持つ基準がある場合など) 「学歴と能力に相関はないが、学歴を採用基準に入れてもよい」(能力以外の要素とは相関がある場合など) のような意見があってもよいと思います。 #6への補足,#6へのお礼,#5さんへの補足を踏まえて: 推論Bの「根拠」としてあげたものは、学歴だけで能力が分かるか、という事に関するものが多いですよね。 >(i)シグナリング「理論」 学歴と能力には相関がある→こういう理論で理解できる という流れならいいでしょうが、必ずしも こういう理論がある→学歴と能力には相関がある という事にはなりません。 >(ii)SONYでの「客観的な事実」 >(iii)論理的コミュニケ-ション能力と大学受験ランキングの関係性の研究という「統計的な検証」 このデータに関する信憑性に関しては知りませんが(Opolskieさんの書いた程度の事しか読んでません)、信頼できるデータなら、それなりに推論Aの根拠にはなるでしょう。 推論B (1)相関の有無とは関係のない話です。 (2)ここで挙げられている愛、親切心などが、例えば企業の採用の担当者が挙げた項目であれば、推論Bの根拠になるでしょうね。 (3)実際に相関があるかどうかは、多数決で決める事ではありませんので、相関の有無とは関係のない話です。 (4)前半部分はむしろ推論Aを支持する内容です。後半部分は推論Aではなく、学歴だけで判断する事に関する内容です。 (5)推論Bの根拠がない事の言い訳をしているだけで、相関の有無とは関係ありません。 (6b)学歴と能力の相関の有無については何も言っていないように感じますが、好意的に解釈をしても「能力の証明」という言葉などから、学歴だけで判断する事についての話です。 (7) 学歴で判断する事の良し悪しは、相関があるなしとは関係ありません。 (8b)いまだに何を言いたいのか分からない。。。 (9)現実の企業が、学歴重視である事に関する話です。 >C.皆様の個人的な意見としてどちらの意見に賛成でしょうか? 相関はあるとは思います。まぁ、学歴だけを見てその人の能力が分かるほど強い相関ではないでしょうが。

Opolskie
質問者

お礼

とても論理的に回答していただき誠にありがとうございます。 とても論理的に考察していただいて恐縮です。 この質問を立ち上げて1週間近くたってしまいました… お礼が遅れてしまい申し訳ありません。 もし可能でしたら、もう少し詳しくお話をお伺いしたいと思い 改めて質問をさせていただくかもしれません。 その際には、またよろしくお願いいたします。

その他の回答 (9)

  • oo12
  • ベストアンサー率44% (26/58)
回答No.10

・シグナル理論 この理論自体は、学歴との相関性を裏付けるものではありません。 理論が学歴と相関があることを前提としているにすぎません。 ・ソニーの事例 これは根拠に全くなりません。 この事例から見える主張らしきものは、大企業に採用されたことは能力があることの証明であるといったもので、「学歴と能力の相関性」の「学歴」の部分を「大企業に採用されたこと」に置き換えただけです。 ・論理的コミュニケ-ション能力と大学受験ランキングの関係性の研究 これが一番ましな印象です。 統計のサンプル数が少ない気がするのと、実務を想定したという試験にどれほど妥当性があるのか等いろいろ疑問はありますが。 ・主張B 主張Bは学歴との相関性を否定するために主張していると解釈するべきではないと思います。 学歴と能力の相関性と聞いた途端に、「学歴と能力の相関」=「学歴を採用基準すべき」と解釈して感情的に反論したものです。

Opolskie
質問者

お礼

2度も回答していただきありがとうございます。 >>これは根拠に全くなりません。 >>この事例から見える主張らしきものは、大企業に採用されたことは能力があることの証明であるといったもので、「学歴と能力の相関性」の「学歴」の部分を「大企業に採用されたこと」に置き換えただけです。 これは他の方は一番ましだ。というような表現をされていましたが oo12は全く駄目だ。という感想をお持ちなのですね。 私としてはソニーが能力を見て選抜した結果「高学歴」な人が残った。 という点で能力と学歴の相関性を示すようなものとして見ることが出来るような気もするのですが… 主張Bは否定ではない感情論であるというご意見ですね。 これは他の方とも同じご意見ですね。参考にさせていただきます。 回答ありがとうございました。

  • naozou
  • ベストアンサー率30% (19/62)
回答No.9

最初に A.純粋な論理の観点で見て については、数学のトピックでの質問であれば、数学的な論理で、つまり純粋な論理学的な観点でみるとご質問の内容は論理の対象になりません。数学の論理は真偽がはっきりつくものしか取り扱いません。だいたい正しいとか、より強力な裏付けというのは、例外的なことです。 (6の倍数は2の倍数である、ことはだいたい正しい、とは言わないでしょ?) なので、B.でお答えします。 推論A:「学歴」は「能力のひとつの指標」としてある程度有効なのではないか この推論を支援する3つの事例がでていますが、それぞれ難点があります。まずシグナリング理論、推論の理論的なバックボーンですが、これが正しいかどうかはこれだけではわかりません。偉い人が言っている説だ、ぐらいしかわかりません。シグナリング理論を実証するようなたくさんの事例はありますか? 次、SONYの例はたしかに有効な事例かもしれませんが、多数の企業の一例にすぎません。同一業界の違う会社、まったく異なる業界の会社ではどうなのか、1社だけでは根拠として弱いです。 最後に、統計的な処理結果の論文ですが、わざわざ「発信力」と括弧にいれて、かつ「発信力」を定義しないあたり、ちょっとうさんくさいです。 推論B:「学歴が能力の証明になどなるはずがない」 の(1)~(8)のコメントですが、推論Aへの反対意見としては、論理的にはなにも見るべきところはありません。感想、固定観念、信条などが語られているだけです。推論Aを論破するような証拠にはなりません。 むしろ、推論Aの問題設定に対する疑問だと思います。 (学歴と能力は相関するか、という問い自体への疑問) 推論Aに対する反論としては、SONYのような事例を収集し統計的に相関がないことを示すのが一番だとおもいます。 C.皆様の個人的な意見としてどちらの意見に賛成でしょうか? 全体的にみれば相関はかなり弱いがあるとはおもいます。ただ、それはあくまで統計的・全体的にみての話なので、個人のレベルで学歴と能力を深く追求してもあまり意味がないのではないかと思います。 言い換えると、相関は弱く、個人レベルでのバラツキがよりおおきいのではないかとおもいます。 あと、個人的な感想ですが、本当に論理的に追求したいのであれば、冒頭の10個の能力を客観的に比較する指標が欲しいところです。そういうものってあるのでしょうか?(SPIとか?)

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>推論Aに対する反論としては、SONYのような事例を収集し統計的に相関がないことを示すのが一番だとおもいます。 私自身も、このような事例を提示していただければ。と常々感じておりました。 是非ともこのアドバイスを有効に活用させていただきたいと思います。 >>10個の能力を客観的に比較する指標 これは今のところは難しいところですよね。 たしかにSPIはひとつの指針とはなるかもしれませんが… 更に有効なものがあるか調べてみたいと思います。 学歴と能力には全体的にみれば相関はかなり弱いがある。ということですね。 参考にさせていただきますね。

  • owata-www
  • ベストアンサー率33% (645/1954)
回答No.7

推論A (1)まず、学歴社会の原理を示しているだけなので、これだけで相関を説明するのはちょっと難しいと思います。どちらにしても 有能な人物→高学歴な大学に入る(正確には経済的、本人の思想etcが入るので一概には言えないが)という必要条件を示す根拠にはなっても、高学歴→有能な人物 という十分条件を示す根拠としては弱いと思います。 (2)これが、一番根拠としては強いと思います。ただ、SONYの採用方法が個人の能力をしっかり測れているかが疑問ですが (3)これは、統計として不十分すぎますね(大学も3つだけだし)ただ、統計学的に信頼できるデータだったら根拠にはなると思います。 推論B (i)~(ⅲ)その根拠を示すデータがないとなんとも言えません (v),(ⅶ),(ⅷ)論理というより哲学です。 (ⅳ)論理としては正しいと思います。ただ、相関がないという根拠ではないと思います。 (vi)これも、相関がないという根拠ではないと思います。また、「どの程度大人が関与してるか」というのは問題だとしても、その結果能力に差が出るのなら、相関があると言っていいわけで、論理的ではないと思います。 全体的に、推論Bの方は高学歴≠有能という論理(というよりほぼ哲学か)ですが、相関があるかといった場合、 高学歴=有能 ではなく 学歴が低い人と高い人の能力を比べた場合、統計的に 学歴が低い人<高い人  という傾向が見られればいいわけで、この点に関しては推論Bは論理展開としては違う方向に行っているように感じられます。推論Aの方は、論理展開の方向としてはいいような気がしますが、根拠が弱すぎだと思います。 私の考えとしては、現在の学歴社会には問題があるとは思いますが、相関はあると考えています。少なくとも(入試で入った場合は)、大学入試の段階では、与えられた課題をこなす能力がある(努力できる)わけで、ある意味(この時点では)「粘り強さ」はあるのではないか、と思います。また、私の経験上大学に入った後は多くの人は学歴に関係なくほとんど勉強しないので、大学入試の段階である程度判断できると思います。 余談ですが、私は学歴社会は“理想的には”平等な社会であると思います。議員みたいにw コネや金で職が決まるのでもなく、スポーツ選手のように生まれつきの能力に大きく左右されるわけでもなく、勉強という努力すれば補えるものを基準にしている点で、私は(他の基準に比べて)平等だと思います。まあ、現実には所得格差による教育格差や入試のシステム、大学教育の不十分さなど問題がたくさんありますが… とりあえず、お受験→大学までエレベーター とか指定校推薦とかわけのわからないものは排除した方がいいというのが私の持論です。 以上、ご期待に沿える内容かわかりませんが、参考になれば幸いです。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 まさに期待に沿える内容です。 推論Aについて: これは私の持論ですので、主観的な意見になりますが 私の推論としては 「学歴があれば、記憶力に限らずコミュニケーション能力や体力、その他全てが極めて優れている。」 というつもりはなく。むしろ 「学歴が指標とならない」能力の方が多くを占めていると思っています。 しかしながら、「学歴が指標となる」能力がいくつかは存在する。 これは真でいいですよね? 加えて「高学歴な人の集団の方が低学歴な人のそれに比べて有能な人が多いですよね?」 という意図で質問させていただきました。 その中でシグナリング理論は有能な人物→高学歴な大学に入るという必要条件を示す根拠"とはなりうる"。 SONYの例が最も強力ではあるが、採用方法に疑問が残る。 しかし、3の統計は不十分すぎる。ということですね。 やはり、ある程度予測はしていたのですが、まだ根拠としては弱すぎるということですね… しかし、弱いながらも一応、根拠として扱っていただいて光栄です。 そして論理Bの裏づけについては (1)~(3)はデータがなく(4)(6)は相関がないという根拠ではなく(5)(7)(8)は哲学である。ということですね。 私も「道徳的」であるという印象を受けまして「ほぼ哲学」というご意見には賛同できます。 owata-www様は「相関はある」という推論Aに近いお考えなのですね。 そして、学歴社会は“理想的には”平等な社会である。というご意見には私も全くもって賛成です。 >>お受験→大学までエレベーター とか指定校推薦とかわけのわからないものは排除した方がいい おっしゃるとおりだと思いました。今まで気づきませんでしたが これは非常に「使える」ご意見だと思います。 論理的な回答をしていただき、誠にありがとうございました。

  • eatern27
  • ベストアンサー率55% (635/1135)
回答No.6

とりあえず、論点は何ですか? タイトルを見る限り、「学歴と能力の相関の有無」だと思うのですが、論点の違うものが混ざってはいませんか。(私の国語力のせいならすいません) a.「学歴と能力の相関の有無」について言っているもの。 >シグナリング「理論」 >SONY >論理的コミュニケ-ション能力と大学受験ランキングの関係性の研究 b.「企業の採用基準に学歴を入れる事の是非」について言っているもの >(1)「有能か無能かを暗記の学力で判断する事に・・・ >(7)「この世に生を受けて、20年そこそこの生き方で、・・・ c.「企業の採用を学歴だけで決める事の是非」について言っているもの >(2)「高学歴者は数学の理論などを記憶力で理解してきた。・・・ ※学歴とは関係のない「能力」もあるという事しか言っていないので、次のdに入れたいのですが、好意的に、(学歴では測れない能力もあるので)学歴以外で(も)能力を判断するべきだ、と解釈しました。 >(4)「有能な人物はその結果として、一流大学を出ていることが多い。・・・ d.企業の採用基準・相関の有無に関しては何の主張もしていないもの >(3)「「学歴が有能さを表す指標とならない理由」は、そう思ってる人が多いから。」 >(5)「人間は論理的じゃないから、学歴と能力に相関がないことを・・・ e.文脈がないからか私の国語力のせいか分かりませんが、学歴の「が」の字も出てこないもの >(6)「「子どもの成長」にどの程度「大人が関与しているか」というのは・・・ >(8)「人が生きる事には論理もへったくれもないと思います。・・・

Opolskie
質問者

お礼

出勤前で時間がなく、必要そうな方にまずお礼を差し上げておりますので No.3~No.5の方にはお礼飛ばしとなって申し訳ありません。 時間が出来次第必ず「お礼」をさせていただきますのでご理解をよろしくお願いします。 ↑の補足からのお礼となりますが 「今のところ」「学歴と能力の相関の有無」について言っているものは (ⅰ)~(ⅲ)であり、それ以外は 「企業の採用基準に学歴を入れる事の是非」や「企業の採用を学歴だけで決める事の是非」などであるということですね。 ちなみにお伺いしたいのですが 「企業の採用基準に学歴を入れる事の是非」や 「企業の採用を学歴だけで決める事の是非」を非とした場合でも それは「するべきじゃない」「やってはいけない」というものであって 「学歴と能力には相関がある」を否定することにならない。 と取ってもよろしいでしょうか? これまでいただいた回答の中では最も私の意図していた回答に近いものなので ↑の補足を勘案していただいた上で改めて回答していただければ幸いです。 よろしくお願いします。

Opolskie
質問者

補足

補足要求ありがとうございます。 私の表現力が弱く、皆様に論点の誤解を与えてしまい申し訳ありません。 この質問の論点は 推論A・「企業が必要とする能力」の中には       学歴がある程度の指標となるものがあるのではないか。」 推論B・推論Aの否定。つまり     「企業が必要とする能力」はすべて      学歴がほとんど指標とはならないのではないか。」      (論理的に否定するには「全く」とするべきだと思われますが       それはあまりに極論なので「ほとんど」としました) それぞれの推論を主張する2派があります。 推論Aを主張する1派は (ⅰ)シグナリング「理論」 (ⅱ)SONYでの「客観的な事実」 (ⅲ)論理的コミュニケ-ション能力と大学受験ランキングの関係性の研究 という「統計的な検証」 が、総合的に見て「推論Aの裏づけとなる。」と言っています。 逆に推論Bを主張する1派は (1)~(8)を「推論Bの裏づけ」として主張しています。 さて、この(ⅰ)~(ⅲ)と(1)~(8)について 「それぞれの推論の裏づけ」として「的確・強力」なのはどれですか? 逆に言えば「それぞれの推論の裏づけ」として「見当違い」なのはどれでしょう? という論理に関する質問です。 「皆様は「学歴」と「能力」の相関についてどう思いますか?」という 質問Cはメインの論点ではなく 皆様のスタンスによって論理の判断がどれほど違うか という参考とさせていただくための質問でした。 以前は学歴という言葉を使わずに 「「屁理屈」VS「当たり前」 」という http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4529939.html このような形で質問させていただき的確な回答をいただけたと思っています。 もしよろしければ参考にしてください。 そして(6)(8)についても分かりにくいということなので それについて補足したいと思います。 (6)の方はこれ以前に   「     学歴が能力の証明に為り得ない理由として     ・対象が子どもであること。     ・フェアーではないこと。     ・偏っていること。     などが挙げられる。    」 ということを仰っていました。 それに対して「「子供」が成長して「大人」となるのでは?」とコメントしましたところ (6)のご意見を寄せていただいた形です。 「学歴が能力の証明に為り得ない理由として…」を抜かしたのは 私の不手際でした。申し訳ありません。 (8)の方も、これ以前に   「    「能力の高い人は高学歴になれる可能性はあるが     高学歴だからといって     能力が高い訳ではないし、証明は不可能である」    このことを論理的に示すのも不可能、    なぜって?    それは「人間のことだもの」    人間は論理的じゃないですよ。   」 という論理の根拠を述べてらっしゃいました。 これを抜かしたのも私の不手際です。申し訳ありません。 この補足で論点をご理解いただければ幸いです。

回答No.5

学歴のみを自慢にする人でも、卒業以降に努力をやめてしまえば 何の意味もありません。あっという間に落ちこぼれて若いうちから 左遷されたり解雇されるだけです。 また、頭脳労働が適しているか、肉体労働が適しているかの違いもありますし、 『現場の空気が読めるか、効率的に仕事を進められるか』のような ことも社会人としての能力では見られます。 一番の問題で言うなら、『職場の利益に文句なしに圧倒的な貢献をした』 といえる結果がなければ過去の栄光は何も意味をなしません。

Opolskie
質問者

お礼

以下、↑の補足の補足です。 ↑で示しました推論Bを支持する理由を(9)とさせていただきます。 また、誤解を防ぐため↓の補足で補足いたしました(6)(8)を読んでいただいた方は その補足を加味した意見を(6b)(8b)として表現していただければと思います。 以上、cipher_roy様の回答と直接関係の無いことばかりをつらつらと書いてしまい 申し訳ありません。 なるほど、cipher_roy様は 『現場の空気が読めるか、効率的に仕事を進められるか』のような ことも社会人としての能力では見られます。 一番の問題で言うなら、『職場の利益に文句なしに圧倒的な貢献をした』 といえる結果がなければ過去の栄光は何も意味をなしません。 というご意見なのですね。 ただ、私の表現力が悪く誤解を与えてしまって申し訳ありません。 今回の質問は「皆様はどう思いますか?」という論旨ではなく 「どの(ⅰ)~(ⅲ)と(1)~(9)の意見それぞれは  どの程度、論理的な根拠として機能していますか?」 という質問ですのでそれについてもご回答いただければ幸いです。 よろしくお願いします。

Opolskie
質問者

補足

申し訳ありません。No.6の補足の補足という形でこの補足欄を使わせてください。 推論Bを支持する理由としてこれも追加したいと思います。 多少長いですが推論Aを支持する私が意図的に「不必要」な部分を削った となってはいけないのでほとんど忠実に引用させていただきます。 【以下引用】 ↓のページをリンクして、それを前提に説明させてもらいます。 http://members.at.infoseek.co.jp/tc_nagano/kzz_sb12.html​ これまでの質疑を拝見してますと、貴方が仰る「学歴」とは「何を学んだのか?」という事を前提にしていたと見受けられました。 他の方々も私と同様の印象を持ったのではないかと感じてます。 しかしながら、日本においては実質的に「何を学んだのか?」は重要視されず、「何処を出たのか?」が重要となっている点に「もどかしさ」があったのではないかというのが私の推論です。 ここで、上記リンク先での説明が論理的ではないかと判断したのです。 「*タテの学歴とヨコの学歴」という箇所を読めば、多くの方が指摘している「もどかしさ」の要因が見えてくると感じてます。 真の意味で「学び」自体が重要視されているとすれば、リンク先のページで指摘されている「逆学歴主義(つまり、大学院に進むと就職がかえって困難になる)」という現象は起こらないはずでしょう。 ですが、実体としては長く大学に在籍すると不利になるケースが多く、大半の企業は23歳を基準とする新卒採用を重視してます。 日本の場合は、上記で指摘されている「ヨコの学力」だけならず、年功序列と終身雇用を背景とする「年齢」も重要視されますので、幾ら学を積んだとしても”24歳以上の新卒採用”は必然的に困難になるという”現実”が待ち構えてます。 (逆に、どんなに優秀でも「22歳以下で高学歴」の採用も滅多に無いです。) ここでシグナリング理論との関係性について触れますが、同理論を展開した人は日本人ではないという点も注意が必要だと思うのです。 私から見れば、スペンスも貴方も、欧米人と日本人は同じ意識で将来に対する選択眼を持って行動しているという前提にたって理論構築を目論んでいるのではないかと感じてます。 もし、そうだとすれば、上記に書いた前提(タテ、ヨコ、年齢など)を踏まえますと、大きな勘違いではないかと思えるのです。 流石のスペンスも、日本特有の事情を考慮してまで同理論を展開しているとは思えません。 貴方にしてみれば、タテ・ヨコ関係無しに「学歴」という意味で一致するだろうと思われるかも知れませんが、大半の方が抱える「もどかしさは、正にタテとヨコの違い(それに加えて年齢の問題など)から来るギャップではないかと感じます。 企業側が、純粋に「学力」だけを見て評価する仕組みになってない、という事を指摘したいのだと思うのです。 【以上引用】

  • oo12
  • ベストアンサー率44% (26/58)
回答No.4

学歴と能力の相関性を証明することに何の意味があるのでしょうか。 こういった学歴論争は結局のところ日本の雇用慣行が問題の根幹にあるのであって、学歴と能力の相関性を証明することには何の意味も見出せません。 学歴を獲得できなかった人間の気持ちとして、学歴と能力に相関性があり、高学歴者を採用することが期待値の高い人間を選択することになるのは事実ではあるが、学歴を基準にした画一的な採用活動の結果により混ざってしまった高学歴だが、仕事のできない人間が私達より良い待遇を受けるのは許せないというのがあるのだとおもいます。 つまりは、解雇ルールと人事評価法が変われば論争すらされなくなるでしょう。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 No.10にあわせてお礼をさせていただきますね。

noname#194289
noname#194289
回答No.3

能力の定義をしていただければと思います。また学歴というのは日本の現状では受験勉強が得意かどうかで決まっているので、この能力と本来(?)の能力との関係についてもお考えを聴かせていただければと思います。

Opolskie
質問者

補足

能力の定義は ・論理的コミュニケ-ション能力と大学受験ランキングの関係性の研究  ​http://ipa.sfc.keio.ac.jp/ipa_web7/kyoiku2007_Final.pdf から抜粋いたしました。 「コミュニケーション能力」「粘り強さ」「行動力」「論理的思考」「プレッシャーへの耐性」「責任感」「熱意、意欲」「状況適応力」「リーダーシップ」「モチベーション力」 です。 更に詳しい定義については ・「コミュニケーション能力」を「……」と定義した場合 という風に考えていただいて構いません。 >>この能力と本来(?)の能力との関係についてもお考えを聴かせていただければと思います。 これについては2,3落目に解説しておりますので参照ください。 どちらかというと3段落目 ・2001年のノーベル経済学賞受賞者、マイケル・スペンスが提唱した  シグナリング「理論」 ​http://note.masm.jp/%A5%B7%A5%B0%A5%CA%A5%EA%A5%F3%A5%B0%CD%FD%CF%C0/​ ・SONYの学歴無用論により学歴不問で採用活動を行った場合  最終的に採用されたのは高学歴が多かったという「客観的な事実」 ・論理的コミュニケ-ション能力と大学受験ランキングの関係性の研究  ​http://ipa.sfc.keio.ac.jp/ipa_web7/kyoiku2007_Final.pdf​  という論理コミュニケーション力の詳細定義を利活用者-企業経営者や  人事採用担当責任者、経営コンサルタント-に委ねた試験を行ったところ  いわゆる偏差値と論理コミュニケーション力との間に相関性が見られた  という「統計的な検証」 このような具体的な「論理」「事例」「統計」がある ということが能力と学歴に相関性があるだろう。という論理の根拠です。 これらを踏まえて ・個人的な感情を出来るだけ排除して A.純粋な論理の観点で見て B.現実的な論理展開として どちらの方がより強力な論理の裏づけでしょうか? C.皆様の個人的な意見としてどちらの意見に賛成でしょうか? これらについてお答えいただければ幸いです。

  • Kules
  • ベストアンサー率47% (292/619)
回答No.2

まず「学歴」というのがどこにあるのか…ということですよね。 「有名大学に合格する」のが学歴なのか? 「有名大学に在籍している」のが学歴なのか? 「有名大学を卒業した」のが学歴なのか? (1)有名大学に一般入試で合格した場合 このような人は確かに合格するために必死で勉強したところから」「粘り強さ」「熱意、意欲」はあるかも知れないですね。それ以外は少しわからないです。実際そういう人もいるのでしょうが、そうでない人もいると思います。 (2)有名大学に在籍している場合 これはわからないですよね?大学に入る方法は推薦入試、AO、スポーツ推薦などいろいろありますし、昨今のAO入試などの入り具合を考えてもこれが学力と直結しているとは言い難いです。 (3)有名大学に在籍していない場合 じゃあこのような人たちに学力がないのか、ひいては勉強ができるために必要な力がないのかというとそうとも限りません。大学に入る目的は(本来そうであるべきではないのかも知れませんが)勉強するためだけではありません。例えばスポーツであったり、芸術であったり。中には学力的には有名でないけどその方面で有名な大学というものがあります。では、勉強もできるしスポーツもすごいという人がどちらの大学(つまり学力的に有名か、スポーツで有名か)に行くでしょうか?そこはもうその人の性格次第、ということになるのではないでしょうか? (結論) 有名大学に在籍している人は学力が高い場合が「多い」。従って勉強ができるために必要な能力(こつこつやる持続力であったり、人によっては論理的思考であったり)を有している場合も「多い」。しかし、有名大学に在籍しているからといってその人の能力が高いかどうかを考える上で、それぞれの人の「その大学を選んだ理由」「その大学にどうやって入ったか」といった背景を知ることは必須である。 有名でない大学に在籍している場合、その人の能力が低いと思うことはあまりに危険である。大学に入る理由が勉強だけでないということを認識する必要がある。 論理的ぶって書いてますがところどころ崩壊していると思います。参考になれば幸いです。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 , なるほど。たしかにAO入試やスポーツ推薦の人もいらっしゃるため 何を持って高学歴かを定義する必要がありますよね。 ではKulesさんの仰る(1)有名大学に一般入試で合格した人間としたいと思います。 多少私に有利な方になるやもしれませんが 最もモデルが立てやすい定義ではないかと思いますのでよろしくお願いします。 そして、その(1)に関して言うと >>有名大学に在籍している人は学力が高い場合が「多い」。従って勉強ができるために必要な能力 >>(こつこつやる持続力であったり、人によっては論理的思考であったり)を有している場合も「多い」。 ということですね。 ただ、せっかく回答をしていただいたのに恐縮なのですが >>論理について考察をお願いします という質問ですので、質問文にあげた論理の裏づけについて A.純粋な論理の観点で見て B.現実的な論理展開として どちらの方がより強力な論理の裏づけでしょうか? という質問にもお答えいただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。

  • e-z-rider
  • ベストアンサー率18% (9/48)
回答No.1

立派な歯車になるには必要な事だと思います。 低学歴の創業者にとっては、さぞかし便利な駒でしょう。 使われる人間の能力指数しか問題に成ってないようですが、 末端の企業に学歴だけが取柄の人間が入社したって、 邪魔なだけですね。 理屈をこねるより セメントこねてくださいってことです。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 高学歴者は「立派な歯車」であり「創業者」は「低学歴」であるというご意見なのですね。 参考にさせていただきますね。 ただ、今回の質問は「論理について考察をお願いします」ですので ・個人的な感情を出来るだけ排除して A.純粋な論理の観点で見て B.現実的な論理展開として どちらの方がより強力な論理の裏づけでしょうか? こちらについて http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4529939.html の回答のように論理的なアプローチからそれぞれの裏付けを考察していただけると幸いです。

Opolskie
質問者

補足

少し、質問文に誤字、誤文がありましたので修正させてください。 2段落目「ということは記憶力だけでも高学歴を目指し… は「記憶力だけでも高学歴を目指し…」です。 また、なぜ「コミュニケーション能力」「粘り強さ」…等を能力としたかは 論理的コミュニケ-ション能力と大学受験ランキングの関係性の研究 ​http://ipa.sfc.keio.ac.jp/ipa_web7/kyoiku2007_Final.pdf を参考に致しました。

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