• 締切済み

客観的事象と主観的事象のズレについて

lookforの回答

  • lookfor
  • ベストアンサー率25% (52/205)
回答No.1

自分によくある癖で、最近よく気が付くことがあります。 客観的事象と主観的事象のズレに該当するかどうか、また、こんなことが学問対象になるかどうか、判りませんが。 職場の上司が不機嫌である。⇒自分に因があると考えてしまう。あの言葉使いが悪かったのかな、あるいは、あの態度が悪いのかなとあれこれ考えてしまう。⇒実は、その人は夫婦喧嘩が因で機嫌が悪かったことが判明。 錯覚とも言えますし、認知の歪みとも言えますし、事実誤認とも言えますし。自分の癖とも言えますし。 日常には、こんなことが多いですね。

関連するQ&A

  • 主観と客観について

    「主観」および「客観」の意味を教えてください。辞書を見てもいまいちよく理解できません。 例えば、物理学の運動の法則の一つに、 「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける。」 があります。この法則を一般の方にわかりやすく説明するために 「物体というのは速度の変化を嫌う性質があります。止まっているときはそのままずっと止まっていたい、ある速度で動いているときはその速度でずっと動いていたいのです」 と言ったら、ある文系学者さんから、 「そのような説明は良くないです。主観的だから」 と言われました。 前者の説明は客観的であることは明らかですが、なぜ後者の説明は主観的なのでしょうか?主観と客観の違いは何ですか? 主観性、客観性のそれぞれの定義は国語辞典に下記の通り書かれています。 主観性: 主観に依存する性質。(主観:その人ひとりのモノの見方) 客観性:だれもがそうだと納得できる、そのものの性質。 この定義に照らし合わせると、「いかなる条件下でもいかなる物体は"そのままの状態でいたい"が必ず成立する」であるならば、これは個々に依らないことであり、かつ、誰もがそうだと納得できるそのものの性質を擬人法で表したものなので、むしろ主観性が低く客観性が高いと言えるのではないでしょうか?

  • 客観的?主観的?

    良く客観的だとか、主観的だ。なんて使われますが客観的と主観的の意味をだれかわかりやすくおしえていただけないでしょうか?? 電子辞書などでひいてもいまいち理解できません。 よろしくお願いします。

  • 主観&客観についてです。

    主観と客観の関係についての、学問の分野とか、あるいはそれらについて考えておられる方いますでしょうか? クオリアについては多少勉強したんですが、自分の考えとは微妙に志向の軸がずれてるように思われます。 主観の世界と客観の世界を足したら、この世のすべてを網羅することになる、それの法則はつまりこの世のすべてを貫く原則になるという方針で10年ほど考えてみたんですが、同じようなことを考えてる文章や人に出会ったことがありません。 そういう人なり、学問があれば参考になると思って書いてます。 論理的思考ではあっても、科学の枠にとらわれないことで、両者を統一した視点から捉えて、その原則に近づこう、という風な趣旨のものなのですが。 似たようなこと考えてるかたおられるでしょうか? あるいはそういう学問の分野があるでしょうか?〈文科系と理科系を論理的に統合するような見解といえば近いと思うのですが〉 上のような考えを知っておられる方がいたらぜひ教えてください。お願いします。 補足になりますが、トランスパーソナル心理学は、その論理的組み立てからみて、また違うパート、分野の学問と思われますので、それは除外してます。 脳科学、あるいは、数学の位相幾何学〈トポロジー〉からの発展系としての考えが比較的近いように思います。自分の考えのたどってきた経路を見てきた場合、参考になったもので。ただ、同じというわけではなかったです。 なにぶん一人で勝手に考えてきたもので、似たような考えをご存知の方いたらよろしくお願いします。とても人の考えを参考に〈あてに?〉したいもので。

  • 主観的なことを客観的に書ける?

    「あなたがそれをどう評価するか、なるべく客観的に書いてください」という文章があり、違和感を感じました。 つまり「あなたがどう評価するか」を書けば、それは主観的なことだと思うのです。 主観的なことを客観的に書く、というのが、あるいは成立するのかなあと考えたりもしているのですが、よくわかりません。みなさんは違和感を感じませんか? ちなみに、その文章は下記URLにありました。 http://help.yahoo.co.jp/help/jp/movies/help/8/3.html

  • 主観と客観

    学校の課題で、知のプロセスにおける主観と客観との関係を説明しなくてはいけないのですが、いまいち主観と客観の意味が判りません。自分で何かテキストを1つ、もしくは2つ読んでそれを分析しながら主観客観の関係を明らかにしていく、というのがこの課題の趣旨なんですが、その取っ掛かりさえ掴めていない状況です。曖昧な質問で申し訳ないのですがどうか助けてください。

  • 神 信仰および宗教についての一般理論

     神および信仰ならびに〔信仰の偽造物なる〕宗教についての一般理論  第一章 《信じる》と《考える》とを分けること   ○ 真理と事実と真実  ~~~~~~      真理――信じる    事実――考える    真実――《信じる》+《考える(感じる)》   ~~~~~~~~~~~~~~~~~  1. 真理は 非経験の場――そういう想定です――である。事実としての経験事象を超えている。  2. 事実については 確かにそのいわゆる客観なる事実は じつは 人間の主観にとっては最終的な確実性においては 分からない。(つねに 未知の部分をのこす)。けれども 経験事象を認識すること・それについて考えること このことと事実とは 一対一において対応している。  3. 真理は 人間の能力によっては 認識し得ない。考えても それが何であるかについて分かるか分からないかが分からない。  4. ただし 事実が 主観によって認識され 主観真実の一環を占めるとき あたかも同じように 真理もそれが ともかく心に受け容れられて 主観真実を成すことになる。真理が 非経験の場であるとき これを受け容れたなら わが心に《非思考の庭》が成るという寸法である。信仰と呼ばれる動態である。  5. このとき 真理についても じつは・じつに 人間は《考える》ことを成す。たとえば 《真理とは 愛であり 慈悲である》とか 《この上なき善である》とか あるいは《真理はきみたちを自由にする》などなどです。  6. このとき 経験事実についての主観真実と 真理についての主観真実とが 紛らわしくなり 互いに混同されてしまうことが起きる。  7. ついには 真理についての《考える》の結果としての思惟や思想が オシエとして持たれ このオシエが あたかも真理そのものであると錯覚されるに到る。  8. 真理そのものを《信じる》のではなく そうではなくなり 真理についての誰かの主観真実としてのオシエが ついには《信じられる》という事態に発展してしまう。  9. まづは このマゼコゼについて 注意をはらうことが 大事ではないだろうか。信じると考えるとは 明らかに別のふたつのことがらである。  これを問います。

  • 主観的、客観的でいいのでコメント下さい。

    30代男性です。相手も同じ30代です。 去年年末に彼女と別れました。 メールで言われました。 仕事が忙しくそこまで気が回らないという理由です。 でも、私は「メールじゃなく、会うか、せめて電話で話し合おう」って言いましたが、 しばらく音信不通でした。 3月にメールが来て、「近々連絡します」と来たものの結局連絡は来ず、 今月にようやくメールが来て、「仕事が落ち着きそうなので、近々連絡します」と返信が来ました。 私自身は「別れるならちゃんと電話で言って欲しい。5分、10分の話じゃない?」 とメールしましたが、それにも応じてくれませんでした・・。 周りからは、「もうそんなのは忘れなさい」と散々言われてますが、 私的にはやっぱりうやむやにはしたくはないです。 お互いいい年なので。 白黒はハッキリとさせたいです。 ほんとに、仕事がいっぱいいっぱいで落ち着くまでは話し合いたくないのか、 いったいどうしたいのかさっぱり分かりません。 仮に新しい彼氏が出来てるのなら、メールの返信すら来ないと思うし、 なんで、電話対応してくれないのかが分からないです・・。 性格的には仕事一本で浮気やキープなどはしない性格だと思うのですが、 女の人の気持ちは私には分からないです。 ハッキリ縁を切るなら、たった5分、10分の話ぐらい簡単と思うし、 復縁するならそういう意思表示をしてくれてもいいのに、とにかく連絡を伸ばされてます。 私自身もどういう気持ちで毎日を過ごしていいのか分かりません。 この文章だけなので、相手の気持ちなど分からないのは当然だと思いますけど、 みなさんの主観的な意見、客観的な意見を聞いてみたいです。 よろしくお願いします。

  • 内観は主観か客観か

    内観は主観か客観か・・・ 案外答えに困りますよねぇ

  • 主観性と客観性の関係について

    前の質問の続きになってまうのですが、主観と客観の幾何学的な相互の関係について興味、あるいは考えてる人、学問分野などあるでしょうか? あと、心理工学という言葉をきいたのですが、どういうことを研究してる学問でしょうか?心象世界の幾何学的構造についての学問でしょうか? 詳しいかたおられたら教えてください。

  • 非和製語で原語とズレがある外来語と言えば?

    いわゆる“和製カタカナ語(和製英語など)”ではないものの、 原語とは意味やニュアンスにズレがある外来語といえば、 あなたはどんなカタカナ語を思い浮かべますか? 日常生活の中でパッと思い浮かぶものを、 調べずに「ひらめき」でお答えいただけると幸いです。 【例】※以下は筆者の主観です。 ・「アイデア」 英語 idea (元をたどるとギリシャ語イデア)からの外来語だが、 日本語の「アイデア」はなぜか、 英語の idea のほんの一部の意味とニュアンスを 踏襲しただけに過ぎない。 ・「ターミナル」 日本語の「ターミナル」というと、 何よりもまずバスなどの「乗り物」を連想するが、 英語で漠然と terminal と耳にすると、 たまに暗いものを想像してしまうことが・・・。w ・「ゲット」 「賞品(賞金)ゲット!」なんてオイラもよく言う。 この「ゲット」は、英語だと「win」に相当するだろうか・・・。