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古文。動作の主体?

誰から誰への敬意か?と動作の主体は?って関係ない話ですよね? 主語が動作の主体と思っていたんですけどどうやら違うようなのでどういう意味ですか? 回答お願いします。

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  • ベストアンサー
  • kzsIV
  • ベストアンサー率53% (238/446)
回答No.1

動作主体は、動詞に対する格関係が主格である名詞等です。 主語は、文の構成要素(主語・術語・補語など)の一つです。 次の和歌に使われている動詞で説明します。  袖ひちて結びし水の氷れるを春立つ今日の風やとくらむ 袖ひち-て  「ひつ」は他動詞 (我)袖(を)ひつ 動作主体は「我」 結びし水  「結ぶ」は他動詞 (我)水(を)結びき 動作主体は「我」 水の氷れるを  「氷る」は自動詞  水 氷る 動作主体は「水」 春立つ今日   「春」は自動詞 春 立つ 動作主体は「春」 風やとくらむ  「とく」は他動詞 風 水の氷れるをとく 動作主体は「風」 最後の「とく」が和歌全体の主文の術語動詞です。疑問文ですが、肯定文に直すと    風(主語) 水の氷れる(目的語相当の準体句)を とく(術語動詞) と分析されます。 敬意は、  尊敬語 話者から術語動詞の動作主体への敬意。  謙譲語 術語動詞の動作主体から動作客体への敬意。  丁寧語 話者から聞者への敬意。    

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その他の回答 (2)

  • kitasan2
  • ベストアンサー率41% (67/160)
回答No.3

 主語というのは文の構造上の言葉で、それに対応する語は述語です。敬語の場合、「動詞」あるいは「動詞プラス助動詞」によって表された動作の主体が問題になりますので、そういう表現になります。その動詞を述語と考えた場合の主語が動作の主体(動作をする人・仕手)となります。主体に対応する語は客体(動作を受ける人・受け手)です。 敬語表現は、その言葉を表現した人が誰かに敬意を表そうとするものですから、常に「話し手」(会話文の場合はその言葉の発言者、地の文の場合は作者)が誰かに敬意を表していることになります。  「話し手」がその動作の主体(動作をする人)の行為(動作)を表す動詞を尊敬語にすることで、話し手が動作の主体(動作をする人)に敬意を表すことができ、「話し手」が、自分あるいは誰か他の人の行為(動作)を表す動詞を謙譲語にすることで、「話し手」が、動作の客体(動作を受ける人)に敬意を表すことができます。  また、丁寧語(侍り・候ふ)を使うことで、「話し手」が「聞き手」に敬意を表すことができます。  敬語表現は、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種類がありますが、動作の主体・客体が問題になるのは、「尊敬語」と「謙譲語」だけです。

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  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20084/39807)
回答No.2

謙譲語や尊敬語には使うルールがあるんですよね。 その敬意の方向を見ることで、発言者が位の高い側なのか、その言葉の受け止めてが誰なのかを読み解く事が出来るんです☆

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