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謙譲語は主体を下げる表現でしょうか?

謙譲語は主体を下げる表現でしょうか? 尊敬語と謙譲語の説明で、「尊敬語は主体の動作を高め、主体への敬意を」「謙譲語は主体の動作を下げ、客体への敬意を表す」のように説明されることがありますが、私はそうは思いません。 謙譲語は、別に主体を下げているわけではなく、単に客体への敬意を表すものだと思います。 そう解釈するしかない用例を見つけたのですが、残念ながら失念してしまいました。

みんなの回答

  • ktyln
  • ベストアンサー率65% (676/1026)
回答No.2

私は敬語の研修で尊敬語と謙譲語を説明する際、 階段に例えて話します。 いま「あなた」と「わたし」は、 階段の同じ段に立っているとします。 尊敬語は、その文の主語である「あなた」を 階段の一段上に持ち上げることで、 あなたが私よりも上であることを表現します。 謙譲語は、その文の主語である「わたし」が 階段を一段下に降りることで、 あなたが私よりも上であることを表現します。 「する」という動詞を例とすると、 尊敬語「(あなたが)○○なさる/○○される」  ⇒主体「あなた」の動作を高めています。 謙譲語「(私が)○○いたす/○○させていただく」  ⇒主体「私」の動作を低めています。 もしも私のこの説明で納得できないようでしたら、 具体的にどこが納得できないか補足をつけてください。 説明を加えさせていただきます。

OREGAWA
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 しかし別に、自分が階段を降りなくても、相手を上げればいいだけの話ですよね。つまり、その例えの妥当性が理解できません。文の主語でなければ段を変更できない理由でもあるんですか? それに、文の主語になるのは「わたし」と「あなた」だけではなく、第3者の視点から表現する場合だってあります。ましてや、敬意の対象となる対象はもっとたくさんあるでしょう。

回答No.1

「単に客体への敬意を表すものだと思います。」それは"尊敬語"と分類しているんじゃないでしょうか? 謙譲語と尊敬語はシーソーに似ていますが、でも、それですべてが割り切れるほど言葉は単純じゃありませんから、ボーダーのグレーゾーンっていうのもとうぜんあるでしょう。「丁寧語」なんて言うのもちょっと苦しい分類のような気がしますが。

OREGAWA
質問者

補足

> 「単に客体への敬意を表すものだと思います。」それは"尊敬語"と分類しているんじゃないでしょうか? 尊敬語は主体への敬意を表すものではないんですか?

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