• 締切済み

彼方は、動物は何故生まれたの?神様はだれが創られたのですか?

hosiboshiの回答

  • hosiboshi
  • ベストアンサー率9% (15/158)
回答No.5

縁と業。 神様の神様?  偉い人みんなで決められました。 動物はわからないですね。

ri-zyu
質問者

お礼

御回答有り難うございました。

関連するQ&A

  • 神様に近い動物

    神様に近い動物、神様に仕えてる動物はどんな動物でしょうか? また、猫は神様に仕えてる動物なのですか?

  • 神様として祀られている動物

    日本の神様って、キリストとか、アラーとか唯一の神としてではなく、山の神や海の神や食べ物の神とか、もうたくさんいると思うのです。 その中でも、自然の持つ力を代表するものとして動物を祀っている神社があると思いますが、どんな動物がどんな自然の力を表しているか、知っていることがありましたら教えてください。(たとえばお稲荷様の狐なんかは稲が生育するようにと祀られた神様の使いみたいな話を聞きました。)そんな感じで、家の近くの神社はこれを祀っているらしいとかでも結構です。 それから、日常のふるまい(生活)の中でペットとかそういうことではなく動物を取り入れていると感じる場面は何ですか?(たとえば、干支や、地震を表すときのナマズとかもそうかもしれません)鬼とかの架空のものでも構いませんので教えてください。

  • 動物神

    日本に動物の神様っていますか?

  • ガンジー「神は真理である」から「真理は神である」

    ガンジー「神は真理である」から「真理は神である」 ガンジーは「神は真理である」と述べていたが、後になると「真理は神である」と変えたとwikipediaで読みましたが、これは事実でしょうか。 このことを論理的に考えると、逆は必ずしも真ならずで、 神は真理である→全ての真理が神であるとは限らない 真理は神である→全ての神が真理であるとは限らない つまり、信仰の対象を神から真理へ変えた、という風に、 とらえて正しいのでしょうか。

  • 人間はいつ神・死を発見したのでしょうか?

    動物、猿にしときましょうか、猿はこれが神だ死だと脳で概念化できないですよね。神だ死だは進化において人間の脳が発達した為、創ったものではないのでしょうか。真理という概念もそうですが。 そもそも神も死も真理もないのでは・・・。ふと思いました。 生物カテにと思いましたがこちらにしました。

  • 神様について

    哲学で神様とはナンですか? ずっと神の存在を信じてきましたが神様(いろいろな神がいますが、)神さまを超えた真理や法則が有るような気がします。そんなものが本当にあるのでしょうか?

  • 神は信じるものではなく、感じるものである

      問う人: 神を信ぜよとゆー人達がおるが。 「人の道」: それは違う、神は信じるものではない。 神は感じるものである 問う人: 神を感じることができるのか。 「人の道」: 神を感じることが出来る。 現にわしは今神を感じておる。 問う人: では神は何処にいるのか。 「人の道」: 神は我々の周り至る所にいる、神のいない所はない。 問う人: では神はいつ現れる。 「人の道」: 神は我々の周りに四六時中常に現れておる、神の現れない時など一時もない。 問う人: 我々の周り至る所にいて、我々の周りに四六時中常に現れているその神とは何か。 「人の道」: 神とは宇宙の法則である。 問う人: その神を感じるにはどーすればえー。 「人の道」: 真理を探求すればえー。 真理を探求すれば神を感じるよーになる。 皆にも訊いてみい。 問う人: 真理を探求すれば神を感じるよーになるゆーこと、皆はどー思うか聞かしてくれ。  

  • 《アルケーの神と一体となる》ことは・・・

     一般に《信仰》のむくいは 神を見ること。だと思われます。  つまり 《真理がすべてにおいて――あなたにとって――真理であること》。これの成就だと思われます。  《真理は きみたちを自由にする》と。   ○ 《アルケーの神を感じる》ことをとおしてゆくゆくは《アルケーの神と一体となること》は 言うところの《真理の探究》における《見返り》なのではないですか?  これが問いです。  《見返り》という言葉がわるかったでしょうか。《むくい》という意味で使っています。  つまり この問いに対して   □ 断じて 見返りではない。  という答えが返って来ています。みなさんは どうお考えになりましょうか?

  • 《そこここにうようよしているアルケーの神》とは?

     或る人とのやり取りで その或る人が書いています。  ◆ (アルケーの神とは?) ~~~~~~~~~~~    >(け) 冗談はさて措き 経験思考において認識しうるものが 神であるとは いったい何を考えているのか。もしそうなら 《信じる》必要はない。  だからアルケーの神は信じるものではなく、感じるものであると言い続けています。 アルケーの神を感じよーとすることは信仰ではなく、真理の探求であると。    >さ) それだったら アルケーの神は そこここにうようよしていることになる。・・・  もちろんアルケーの神はそこここにうようよしています。  だからアルケーの神は我々と接していると言ったのである。  しかしそのアルケーの神を感じるよーになるには、真理の探求ってゆー深く長く厳しい試練を経なければならないのである。  漬かっていてはアルケーの神を感じることはできませんってこと。    これらのことはこれまでに何度も繰り返し述べてきたことである。  もはやこれ以上の説明はできません。   さよーなら。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このやり取りを継ぐ人はいないだろうか――なぜなら わたしはチカラがないと気づきました――というコンタンを持ちますが この質問では ここに掲げた文章の内容を分かるように解釈して欲しいというものです。  どなたか分かる人で殊勝な方はおられませんか?

  • 神が何かも分からず、神に祈ることはできない

      神が何かも分からず、神に祈ることはできないはずである。 神が何かも分からず、その神に願うことは無意味である。 神が何かも分からず、その神を信じることは愚かである。 しかし神が何であるか分かれば、これらのことが全て無意味であることが同時に分かるのである。 神は祈るものではない、神は何かを願うためのものでもない、ましてや神は信じるものではないのである。 何故なら神は宇宙の法則だからである。 有瑠慶此即宇宙法則 そして宇宙の法則は永遠不変だからである。 有瑠慶此即恒常不変 なぜ宇宙の法則は永遠不変なのか。 それは宇宙の法則は完全無欠であり、正しいが故に変わる必要はないからである。 だから神に祈ること、神に願うことは一切無駄である。 有瑠慶非信非拝非願 神は信じるものではなく、感じるものである。 有瑠慶可能感可能解 神に祈っても神に近づくことは出来ない。 唯一つ真理の探求によってのみ神に近づくことが出来るのである。 そして神を感じることが出来るようになるのである。 神が何かも分からず、その神に祈ることは無意味である。 それでもあなたがたは神に祈りますか。