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高校生は「名作といわれる古典的な文学書」を読むべきか?

9ballの回答

  • 9ball
  • ベストアンサー率46% (6/13)
回答No.8

名作か、はたまた「迷」作か。 迷作……わけのわからない作品、迷惑と言っていいほどにつまらない作品、解釈はいろいろありますが、どちらかといえばマイナスのイメージがあるように思われます。 名作と迷作をわける基準は何でしょうか。マスコミに取り上げられたから? 「文壇」の権威が褒め称えたから? 質問を見る限り、かなり本を読まれた方とお見受けしますが、それなら思い当たる節があるはずです。世間でいい評価を受けているあるいは友達が絶賛した作品が、おもしろいとは限らない。自分にとって。 面白いか否か、だけでなくためになるかどうかという観点でも、同じように思われます。あなたと私と彼・彼女らはまったく違う人生を歩んできたはずだからです。これから歩む人生はまったく違うものであるはずだからです。 いずれにせよ、重要なのは他人がなんと言っているかではなく、「本人にとって、どうか」であると考えます。 読む・読んだ意味が生じうるのは常に「本人」――ある特定の個人の中でしょう。ファンタジー文学の中ではありません。古典文学の中ではありません。 本の中ではありません。意味(価値)は、本にあるのではなく、それを読んだ人の中に生まれる。――そう私は考えます。 よって、 いつの時代でも(古典文学)は青春時代に読む価値があるのか。それともそういう時代ではないのか。 に対する私の答えは否であり、同時に是でもあります。意味のあるなしを「決める」のは時代ではなく、私でもあなたでもない「その本人」であると。 「本人」にとってはファンタジー系SFこそが「意味(価値)のある」ものかもしれません。それがどんな「意味」かはわかりません。たとえば、そのおかげで将来小説家になるかもしれませんし、あるいはすでに現実の苦難を乗り越えるための考え方を身に着けているかも知れません。直接的には役に立たなくても、長い目で見れば「楽しめた」こと自体が何らかの役に立っていた、ということも考えられます。 そして、「興味のあるものから」の方がえてして得るものは多いように思われます(調査・統計したわけではありません。あくまで個人的経験に基づく実感として)。というより、興味がなくかつ必要もなく(試験に出る、仕事上知識が要るなど)、かつ他に読みたい本ないしはしたいことがあれば、「積ん読」(読まずにどこかに積んでおくこと)になって終わりでしょう。強要するつもりがないならなおさらです。読まれなければ、あるいは読んだフリをされたのでは、そもそも「読む・読んだ意味」など生じようがありません(「フリがうまくなる」、という意味でなら、意味はあるかもしれません)。  >新しい時代には新しい文学だけでこと足りるのか についても同じように考えます。「その本人」次第でしょう。そしてそれが本当に役に立ったかどうか判断できるのは将来の「本人」だけであり、そして今現在の「本人」にとって、興味のない本を仕方なく読むのは苦痛でしょう。 「べき」かどうかはともかく、興味のないものにそれを薦めることは、本に限らずあまり効果的ではないと思います(あなたがどんな状態を効果的と判断するかにもよりますが)。 ただ、  >興味がないようです  とありますが、本当に興味がないのでしょうか。読んでいないように見える、ということは、(本人に)まったく興味がない、ということではありません。  >クラシックな文学にも触れてほしいな  と「思っている」だけで実際に薦めたことがないなら、一度薦めてみてもいいでしょう。「食わず嫌い」という可能性もありますし。 「本人」にまったく興味がない、とわかっていてなお薦めたいならば、興味を起こさせることです。ニンジンが嫌いな子にニンジンを食べさせたい場合、「食べろ。お前のためだ。いいから食べろ。口答えするな。殴るぞ」と言っても(極端な例ですが)反発し、さらに嫌いになるだけです。好きにさせるにはどんな方法があるでしょうか。 たとえば、みじん切りにしてキャロット・ケーキにしてしまいます。子供は知らずに食べ、そのようなことを繰り返しているうちにニンジンに対する”抵抗感”が減少し、食べれるようになります。別のアプローチとしてはさもおいしそうに食べる、等の方法もあります。「ニンジンはまずい」という先入観を「おいしそう」に転換させるだけですが、それだけで本当においしく感じるということがあります(いずれにせよ100%成功するわけではありませんが)。 これらは本のケースにも応用できます。 たとえば、あなたが読んで面白いと思った「名作」をさも面白そうに話して聞かせてやるわけです。本当に面白い本は粗筋を語られたくらいで面白さが減じることはありません。その際、物語の展開どおりに、順番どおりに話す必要はありません。むしろ、面白いと思った、印象に残ったシーンから、物語の背景説明をなんらしないまま話し始めたほうが、相手に「おや? 何だろう」と思わせることができます。つまり、興味です。気を引いたわけです。まあ、「紹介してやろう」と身構えずに、(読んだ際の感情のままに)好きなところから好きなように話してやればよいわけです。そうすれば相手に「面白いんだ」ということが言葉でなく態度として伝わります。 じゃあ、キャロット・ケーキの方は? この方法は「ケーキという甘くておいしいもの」をだしにする方法であるといえます。本の場合は(かつあなたのケースでは)「ファンタジー系SF」ということになります。一口に「ファンタジー系SF」と言っても、個々の具体的作品は千差万別です。タイムスリップものであったり、妖怪が出てきたりと。 利用できます。 つまり、「ファンタジー系SF」を構成する設定、またはそれらに通ずる雰囲気、キャラクター、話の展開の仕方、文体……etc. などのうち、「本人の興味を引きうるもの」をだしにするわけです。そこを攻めるわけです。いきなり「古典文学」ではなく、ワンクッションおくことで「本人」がその世界に入り込みやすくしてあげるわけです。 ご参考までに。

meikosan
質問者

お礼

具体的なアドバイスをありがとうございます。 >「本人」にとってはファンタジー系SFこそが「意味(価値)のある」ものかもしれません。 そうですね。「私にとって意味のあるものが、他のすべての人にとっても意味のあるもの」では決してないですね。そういう押し付けは私自身拒否してきました。それなのに親って、つい自分の価値観を「文化遺産の伝承」のごとく子供に押し付けようとしてしまう^^; 子供は、自分の好きな本がどんなに楽しく素晴らしいかを話してくれます。それを聞いて、私も同じ本を読んだりします。そういうことができるのはとても幸福なことです。 >直接的には役に立たなくても、長い目で見れば「楽しめた」こと自体が何らかの役に立っていた、ということも考えられます。 それこそが読書が人に与える大切な「善きもの」ですね。 それが解っていたはずなのに、つい「そういう軽いものばかりじゃなくて」と思ってしまうのですね、口には出しませんけど。でもなんとなく伝わる時もあるようです。いけないですよね、これは、反省反省。

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