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大衆こそが独裁者ではないのか?

民主主義の敵は独裁である。 そして、民主主義の独裁者は民衆ではないのか? 例えば、民衆を敵に回すとその商品は売れなくなる、故に民衆の悪口は絶対に言えない。だから、絶対、雑誌などでは消費者である民衆の悪口はかけない。 よく総理大臣の支持率ってTVでっやってますけど、その支持してる人たちが馬鹿ばっかりだったらどうなるのだろう? その、民衆を支持しているのは誰なのだろうか? 民衆の意見は「真理」なのでしょうか? 民衆の意見を反映してナチスは台頭してきたのではないのだろうか? 私はこの前、「女性は男性より劣っているのではないの?」という質問をしたのですが、削除されてしまいました。 きわめて建設的に、合理的に(合理的であるが故に余計たちが悪かったのか?)、「こうこうこうだから女性は劣っている」と質問を行っていたはずなのですが、「社会的許されない」とかの回答を沢山いただき、しまいには大多数の意見を反映され削除されてしまいました。 これは、まさに「言論弾圧」ではないのか? 大多数の意見がいつも正しいのだろうか? 例えば、民衆の多くが戦争賛成の意見を表明し(その戦争は自国がおそわれそうな場合ではない、と考える)、戦争になりかけたとき、一人の独裁者が現れ戦争反対を訴えたとき、どちらが正しいのか? 独裁国家では独裁者を批判すっることはタブーとされる。 同じように民主国家では民衆の批判はタブーとされる。 …ということについて多くの民衆は考えもしないのではないのか? 考えもしないから、ますますたちが悪い。 無知な民衆に責任はないとしても、今の日本の腐敗は民主主義自体にあるのではないのでしょうか?

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  • ryuken_dec
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回答No.14

No11です。(たぶん)最後にします。 >いつの時代も大衆は愚かだというのならば、やはり民主主義 >=愚民主義になってしまうのではないのでしょうか? 違います。厳密には「いつの時代もどの政治体制においても大衆は愚民になりえる」という話です。同様に独裁においても、一部の権力者の支配においても支配者は愚かになりえるのです。 ですから大衆を批判しても民主主義批判にはなりません。市民と顧客が物質的な存在としては同一な集団であっても、社会における役割においては別人格と区別したりするように、政治体制などを考える際には明確な区別が必要になります。このようなものを混同すると話になりません。 >しかし、大学一年程度で習う事をみんな本当に「理解」し、考えているのでしょうか? >とてもそうとは思えません。 本当に「理解」して、考えているはずもありません。そんな人間は日本でも1人か2人もいれば驚くべきことです。 質問者様の主張は人間がどこかで必ずや愚かでない確固たる存在になれるかのような前提があるようですが、人間という存在そのものが完璧な存在ではあり得ません。 大学生とまで言わず高校卒業程度くらいまでに知っておくような常識的なことさえも本当に理解している人間はまずいません。 漢字を全部知っているか?高校程度の熟語を全部知っているか?花の名前は?スズランと言ってすぐに描けるか?俳句は?クラシック音楽は?芸術家や絵に関する知識は?料理については?栄養素については? まず、通常の人間であれば何らかの知識が漏れます。それ故に多くの知識が欠損した状態で判断することになり、全てをしっかりと考慮した上での合理的判断を下せないのです。その情報を持っている人からすれば愚かと思われる行為を起こします。振り込み詐欺にかかる人もそうですし、ワーキングプアもそうです。人間は人間という存在である時点で愚かな存在として位置づけられているのです。だから人間による統治である以上は全てが【愚か者による統治主義】です。 愚か者による統治を避けたければ、人間を超越した存在による統治が必要です。そうなると神や宇宙人や新たな中窮状の支配種族といった人間を超越した存在による支配を待つしかありません。 >徳を尊重していなくて民主主義以上に優れている主義を >例えにするならばわかりますけども、余計たちの悪い社会 >主義を例に挙げていたのでは、やはり徳を尊重しないことは >悪いということになってしまうと思います。 >うんじゃ、お前は結局なにがいいの!?」と言われれば自分 >でもわかりません。 上でも述べましたが、人間が如何なる政治体制を構築しても、人間が徳を尊重して生きるようにできる完璧な体制など存在しないということです。それゆえに最悪な政治形態で衆愚制に陥る制度だが、まだマシだろうということでの民主主義です。「死亡、重傷、軽傷、どれがいい?」で軽傷を選択するようなものでしょうか。本来なら怪我がなく健康がいいのですが、それは人間にはできません。空を飛ぶ以上に不可能です。 >ただ、民主主義、人権主義が絶対だと思うことは危険な事だとは思います おっしゃる通りです。ですので、民主主義至上主義を唱える者に対しては強い抵抗があり、現代社会においては民主主義絶対正義派というのはマイノリティです。

nitoro2
質問者

お礼

度々回答本当にありがとう御座います。 >「通常の人間であれば何らかの知識が漏れます」 私の持論では…、「人は、無意識的に、自分に不都合な知識は無かったことにしている」というものです。 多くの民衆は、ものを考える知能は備わっている。 しかし、「考えないようにしている」のでは。 それは宗教的な、科学的ではない観念的な結論を導きます。 そこに、「知能」は関係ない。何を信じるか信じないか、の問題なのですから。 ダイエットにしても、TV真理教にしても、民主主義にしても。 観念的ならそれでいい。 真実なんて大抵人を幸せにはしませんから。 しかし、政治という俗なものにはそれはあてはまらないと思います。 確かにあらゆる人間は愚劣かもしれません。 しかし、私が言いたいことは、その「漏れる知識」が、やはり 大衆の場合はエリートに比べて多いということを問題にしているのです。 でも、民主主義絶対派がマイノリティなんでしょうか? だったらなぜTVや雑誌は民衆の見方ばっかりしているのでしょうか?

その他の回答 (15)

  • tooma37
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回答No.16

お礼(を題した別のなにか)があるので一応。 >ただ言える事は、賢者に比べて明らかに正解の割合は少ない、という事。  主張が“民衆は間違えるに決まっている”から“間違える可能性が相対的に高い”に変わってしまっていますよw、意見を変更するのは構いませんが前置きもせずにさもそれがはじめからの持論であったかのようにいうのは“礼”に欠けますね。 >『「馬鹿」と「一般大衆」では民主主義を信じるあなたはどちらを信じる?』 としておくべきだった。  でその馬鹿と一般大衆は誰が決めるんですか?私が言いたいのは結局絶対的な基準など存在しない、という事です。  ちなみに質問に答えるなら私が正しいと考える意見と同じならどっちでも支持し得ます。抽象的過ぎてあまり意味のある質問とも思えないですけど。 >だから、愚かな民衆の意見が通ってしまうのはまずいということ。  だからそれは“馬鹿の増加”という結論とも、民主主義に根ざす社会の腐敗とも関係ないということ。 >現代日本は民主主義なのですから、大衆批判は民主主義批判になっていると思います。  A現代日本は大衆が決定権を持つ民主主義=B大衆は愚か=C民主主義は間違っているという三段論法ですか。まず“また話が変わっていますよ”と言っておきましょう。  そもそも質問者様は民主主義によって社会が腐敗していると主張し、その論拠として大衆の問題点(と質問者様が思うもの)を挙げられました。ですがそれらの問題点は別段民主主義によってもたらされたものではありませんし、またそうであるという論証も全く質問者様はなさっていません。  それと上の三段論法に答えるとAに関しては大衆=大衆によって選ばれた代表者ではない、Bに関しては先にもいったように大衆の愚かさにも程度があると答えておきます。  また一つの政体の優劣を決めるためには当然他の比較対象が必要なわけですが質問者様は何か民主主義より優れた政治体制をご存知なのでしょうか。 >ただ問題なのは可能性以上に「実現率」の方である。  で民主主義よりも高い道徳水準が実現される可能性の高い政治体制とその論拠、そして民主主義体制を放棄してまでその体制に移行することによって得られる高い道徳水準というものが具体的には社会にどのような利益をもたらすのかの説明をどうぞ。

nitoro2
質問者

お礼

回答ありがとう。 う~ん。 私は“民衆は間違えるに決まっている”なんて書いた覚えは無いのですが。 >「でその馬鹿と一般大衆は誰が決めるんですか?」 え?多数決。それが民主主義なのでは? 話がでかくなりすぎなので日を改めて。 ま、ありがとう。

  • tooma37
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回答No.15

>北朝鮮では民衆は本質的に「主権」ではないともうしあげています。  本質的にとはどういう意味でしょうか?それと“民衆は本質的に「主権」ではない”という文章は日本語として意味を成してませんよ。人間は主権“である”ものでなく、主権“を持つ”ものです。 >つまり主権はムガベにある。主権が主権を振るうのが当たり前なのだろうか  ありませんよw、少なくとも“正当な”主権はね。 >民衆の意見とは逆の正しい意見を言っていた一部の人も、(中略)多くの民衆と同じ責任を負わされてしまうのだから、マイノリティの民衆にとっては似たようなものなのでは?  少数派の社会集団にとって不利益が下されやすいのは民主主義の数ある欠点の一つです。ただマジョリティが過失の無い責任を負わされる独裁制とは規模が違いすぎます。“似たようなもの”とは到底言えませんね。 >民主主義を信じている民衆にとって、民衆による民衆の非はありえないからだ。  質問者様の個人的意見ですね。どうぞご説明を >しかし、言っているも同然  ん~、正しい解釈がなされているかは甚だ疑問ですがまぁそういう事にしておきましょうか? >そこでも、あなたは「主権者が主権を振るうのは当然でしょう」と言えるのかい?  “正当な主権者が主権を振るっている”という点に関しては。それと悪政が許されるかはまた別の問題です。  もともとこの発言をしたのは、“民主主義はいわば民衆の独裁制”という質問者様の発言の無意味さを指摘したかったからです、そういう解釈をしてしまえば全ての政体はその主権者による独裁制と呼べますからね。  他の回答でも触れられていますが、そもそも民主主義の構造的問題や民主主義を絶対視する事の危険さなどというのはこれまでさんざん議論されて来たことで、まともな学識を持っている人間で民主主義を完全無欠の政治制度なんて思っている人は殆どいないんですよ。それでも民主主義が指示されるのは他の政治体制はもっとヒドイものになる可能性があると考えられているからです。大衆批判とごちゃ混ぜにして民主主義を批判する前に、政治学と国語の勉強をもう少しした方が有意義だと思いますよ。

nitoro2
質問者

お礼

>「本質的にとはどういう意味でしょうか?」 主権=高権ということです。 >「ありませんよw、少なくとも“正当な”主権はね」 は?うんじゃ何であんな独裁政治できんの? >「ただマジョリティが過失の無い責任を負わされる独裁制とは規模が違いすぎます。“似たようなもの”とは到底言えませんね」 あんた何言ってんの? 「マイノリティの民衆にとっては」ってちゃんと私は書いてるぞ? まぁ、でも、本当のことを言うと、私はあなた見たいな人じゃなくて、私はもっとマジで民主主義を信じている人にむけてこの質問をしたのです。 ですから、「大衆こそが独裁者ではないのか?」なんて書いたのです。 >「それと“民衆は本質的に「主権」ではない”という文章は日本語として意味を成してませんよ。人間は主権“である”ものでなく、主権“を持つ”ものです」 ごめんなさい。キーボード打ち間違えてました。 でもよくあることでしょ? >「それでも民主主義が指示されるのは」 指示?

回答No.13

えー、質問者様のこの「義憤?」におおむね賛成の者です。 先の「女性~」の質問も拝見しましたが、少し論証が甘いところがありましたね。また、他の方も指摘されていましたが(論証の甘さが)“意見表明”的な表現となっていて削除の対象となったと思われます。 ちなみに私は「女性~」には賛成していません。 さて本論ですが、民主主義そのものに問題があるのかどうか?という点と、日本の社会のどのようなところがいけなくて、なぜそれが民主主義に原因するのか、をもう少しまとめた方がいいと思います。 そこで第1のポイント、民主主義(体制)国家がすべて腐敗・堕落するのか?です。 先のアメリカの大統領選挙は民主主義体制のシステムが有効に機能したものであると私は評価しています。(これは、もちろんオバマ氏が“正しい”ということではなくて、政権(担当者)が交代できるという点においてです) また、北欧諸国などについても仄聞する限り、有効に機能しているようです。 と、考えると民主主義体制というシステムに問題があるのではなくて、日本に問題があるのかもしれません。また、どうも有効に機能している(らしい)のがヨーロッパの国々であることから考えると、アチラの社会文化(サブスティテュート)においてのみ有効に機能するのかもしれません。 土壌によって成育に適した作物があるように、日本という社会の土壌には民主主義という作物は根腐れするのかもしれませんね。 作家の塩野七生氏は「大切なのは善政(および国際情勢に適合した外交方針)であり、民主主義体制ではない」という主旨のことを書いていたと記憶しています。 2番目の「日本の社会のどのようなところがいけなくて、なぜそれが民主主義に原因するのか?」は長くなりますので割愛します。 世の中に類似の主張をしている本が沢山ありますから…。 ただ、単なる「徳」の強調はヒトラーが大衆誘導に使った手ですから危険視されます。先の回答にあったように各家庭で批判的リテラシーを教育する以外に方法はないでしょうね。(かといって、子どものうちからポストモダン的な価値相対主義を吹き込むと、ただの我利我利亡者を作りますから簡単ではありませんがね)

nitoro2
質問者

お礼

御礼遅くなって申し訳ありません。 確かに私の論証は甘いところがあったのかもしれません。 民衆主義にではなく日本に問題があるのかも知れませんね。 いや、なんか、今の日本を見ているとあきらかに民衆は馬鹿なんじゃないの? って思うことが多々ありまして、そして、そのことに関して、誰も何も疑問に思わないのはおかしいのでは? って思っていたので、様々な意見をここで聞けて非常に有意義でした。

  • tooma37
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回答No.12

>国民一人一人は将軍の命令には絶対服従って決まってなかったけ?  本来主権者である筈の国民が独裁者に絶対服従しているから当たり前の国家ではないと申し上げています。 >この質問は私があなたに聞きたい。  別の質問になっていますよ、聞いても答えてもいませんねw >北朝鮮が違うと言うのならばジンバブエでも良い。つまり、主権が主権を振るうことが当たり前のことではなくて(中略)主権は主権であるが故に己の間違いに気づきにくいと言うこと。  ジンバブエでもムガベ大統領による国民主権の侵害がなされています。国民が間違いを犯すことは当然ありますが民主主義においては国民は己の過ちの責任を己が追うことになりますが、主権者が不当に歪められている共同体では本来の主権者でない者の失政の責を往々にして国民が負い、またその修正を国民が行う事が困難である事も問題です。 >「民主主義だから民主の意見は正しい」 >“主権者が主権を振るうのが当たり前”だと“民主主義は非常に当たり前のイデオロギー”  そんな事いってませんよ?まぁ民主主義が当たり前の政体だとは思いますけど。お望みなら理由もお答えします。 >それではそんな愚かな民衆の意見が正しいわけが無いではないか。  民衆は愚かといいましたが、その愚かさの度合は共同体によって違ってきます。救いようも無く愚かレベルから、自身は愚かでも賢明な代表者を選出する程度の知恵はある所までです。民衆の意見=正しいわけがない、という等式は大前提的に成立するわけではありません。 >馬鹿と天才の意見だったらあなたはどちらを信じる?  誰が馬鹿や天才と決めるのですか?独裁者は往々にして自身の意見が正しい事を自身の政権の建前としてきました。 >民主主義の腐敗と十分に関連付けられているではないか、つまり「馬鹿が増えている」。  馬鹿が増えていることの説明はまったくなされていませんよ?質問者様は(他政体下の主権者との比較もせず大前提的にその意見が正しい訳がないと決め付けている)民衆の意見が民主主義では通ってしまうと言っているだけです。 >大衆批判は民主主義批判になっているでしょうが。  なっていません、他政体下にも大衆はいます。 >私はこれから徳が注目されていくと思いますけどね。  まぁ思うのは自由ですし別に注目されてもいいと思うんですけど、“徳”を尊重しないことの説明にはなってないですね。人権思想と儒教思想の間にも抵触しない部分はいくらでもありますし、民主主義化で高いモラルが実現されることは別に不可能ではないんじゃないですか?

nitoro2
質問者

お礼

2・ >「民衆の意見=正しいわけがない、という等式は大前提的に成立するわけではありません」 正しいわけがないというわけではない、というわけでもない。と私は思う。 馬鹿でも数学の問題を解いてその中に正解が無いとも限らない。ただ言える事は、賢者に比べて明らかに正解の割合は少ない、という事。 >「誰が馬鹿や天才と決めるのですか?」 これは非常に難しすぎる問題ですね。 「天才」と書いた私も悪かったと思う。 『「馬鹿」と「一般大衆」では民主主義を信じるあなたはどちらを信じる?』 としておくべきだった。 >「民衆の意見が民主主義では通ってしまうと言っているだけです。」 だから、愚かな民衆の意見が通ってしまうのはまずいということ。 >「>大衆批判は民主主義批判になっているでしょうが。  なっていません、他政体下にも大衆はいます」 他政は民主主義ではないから。 現代日本は民主主義なのですから、大衆批判は民主主義批判になっていると思います。 >「民主主義化で高いモラルが実現されることは別に不可能ではないんじゃないですか?」 それでは、現代日本ではモラルは実現されているのですか? あなたは、「されていない。ただその可能性はある」と答えるであろう。 可能性なんてものはどのイデオロギーでもありえる。 ただ問題なのは可能性以上に「実現率」の方である。

nitoro2
質問者

補足

むう・・・。 ここまでくれば、不快な思いをしても、お互い様ですから本気でいきますよ? 1. >「本来主権者である筈の国民が独裁者に絶対服従しているから当たり前の国家ではないと申し上げています」 つまり私は、北朝鮮では民衆は本質的に「主権」ではないともうしあげています。 >「>この質問は私があなたに聞きたい。  別の質問になっていますよ、聞いても答えてもいませんねw」 確かに別の質問になっている。つまり、質問の中でまた別の質問をしただけの事。というか、これは皮肉。 >「主権者が不当に歪められている共同体では本来の主権者でない者の失政の責を往々にして国民が負い、またその修正を国民が行う事が困難である事も問題です」。 ジンバブエは実質的にムガベの独裁国家だ。つまり主権はムガベにある。主権が主権を振るうのが当たり前なのだろうか?(ムガベ自身は主権が主権を振るうのは当たり前だと思っているだろう。だからこそあのような独裁が行えるのだ)。 また民衆の意見とは逆の正しい意見を言っていた一部の人も、その人が民衆である場合、違う意見を言っていたのに関わらず、多くの民衆と同じ責任を負わされてしまうのだから、マイノリティの民衆にとっては似たようなものなのでは? >「民主主義においては国民は己の過ちの責任を己が追うことになりますが」 だったら「今の日本の腐敗の責任は民衆にある」とメディアは書け。そして、そのメディアに民衆は文句も言わず納得しろ。「あぁ、今の日本の駄目駄目さは、我々民衆の責任なのだなぁ」、と。 しかし、そうはならない。民衆は必ずなんらかの理由付けをし、民衆の非を認めないであろう。なぜならば、民主主義を信じている民衆にとって、民衆による民衆の非はありえないからだ。 >“主権者が主権を振るうのが当たり前”(中略)まぁ民主主義が当たり前の政体だとは思いますけど。お望みなら理由もお答えします」 しかし、言っているも同然。 民主主義が当たり前の政体だと信じている時点で同然です。 実際あなたは>「主権者が主権を振るうのは当然でしょう」、と申したではないか。 あなたが違うと仰るのならば、北朝鮮でもジンバブエでもなくていい、 架空の、マジで民衆のことなんか考えていない独裁者が主権の国があったとしよう。そこでも、あなたは「主権者が主権を振るうのは当然でしょう」と言えるのかい? 言えないというのならば、何故、「主権者が主権を振るうのは当然でしょう」と言ったのですか?

  • ryuken_dec
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回答No.11

No6です。 >なぜ民衆は、民主主義を信じることが出来るのか? >この答えも大学一年程度で使う教材に書いてあるのでしょうか? そういう質問でしたか・・・そういう意図とは元の文章からは読み取れませんでした、すみません。 そして、この程度であれば大学1年の講義で使う教材で十分書かれています。専門と言うには程遠いとは言え、意外と大学1年レベルはバカにはできません。 まさにオルテガの『大衆の反逆』も大学1年生レベルですよね。 期をまたいでいたので1年~2年の時にとった講義ですが、私が大学1年で選択できる講義で、オルテガの他にもソクラテス、プラトン、アリストテレス、ニーチェ、フリードマン、カント、モンテスキュー、マキャベリ、ルソー、スチュアート・ミル、ホッブズ、ハイデガー、ロック、マルクス、丸山あたりの代表的な本はひととおり目を通しました。(もうほとんど覚えていませんが・・・) そして、彼らの著書や彼らの思想について述べたような本にはあまり現代の民主主義のことがかかれてはいませんが、彼らの思想を受けついだ研究者達の著書も多数あり、さすがにそれも20冊程度は読みました。この中で民主主義の意義やら存続する力やらについての諸説は書いてあります。大学1年の題材も意外とばかにできませんよ。 もちろん、諸説入り乱れていますので、1+1=2のように明確な1つだけの答えとはなっていませんが。 >まず第一に、民主主義は馬鹿は正しいということ。 >第二、徳を尊重しない。 >第三、芸術を殺す。 >大衆批判は民主主義批判になっているでしょうが。 また、これらを読んで思ってのですが、少し政治形態の捉え方を勘違いされているように思います。大衆批判は民主主義批判にはなりません。専制君主制での無気力大衆批判は民主主義批判にはなりません。かつて民主主義という概念が確立していない時代に、王族や貴族が多くの大衆批判を繰り広げました。それは民主主義批判なのでしょうか?違います。 少なくとも一般的な政治学者の中では大衆批判=民主主義批判というコンセンサスはありません。 第一に、民衆がバカな行為を起こすのは民主主義に限りません。テレビの例を挙げましたが独裁制や他の政体でも民衆は扇動されたりなどで、おかしな行為をします。これは主に民主主義ではなく情報レベルの問題です。 第二に、徳を尊重しないというのも民主主義に限りません。法律云々は法治主義、皆が・・・というのは大衆主義です。大衆は社会主義にしても「皆がやっているから」となりえます。民主主義だけが特別に徳を尊重しないわけではありません。 第三に、芸術が殺されているのでしょうか?音楽で言えば古典であるクラシック音楽はいまだ残っています。また荒城の月やさくらなど日本の過去の名曲も残っています。芸術が殺されたのではなく、大衆音楽が発展してきているだけでしょう。加えて言えば芸術はその場で評価されないことが多い。民主主義が発展していなかった時代の著名な芸術家にしても「画家は死んでから認められる」というように芸術が芸術として評価されるには時間がかかりました。芸術が芸術となるかは後世の人の評価です。 これらが民主主義のせいだというのであれば、今の北朝鮮は100年前の欧州よりバカな行為をせず、徳を尊重し、芸術を殺さないはずですが、そんなことはありません。 数千年前で狩猟で生活していたころは村の長をリーダーとする階層化社会でしたが、芸術を生かすようなことはありませんでした。そして、現代人が聞けばありえないような愚かな行為もしていました。 民主化が進んだ北欧諸国などより社会主義が残る中国も徳を尊重し、芸術を尊重し、民衆はバカな行為をしないという結論になるはずです。キューバやイランなどは徳や芸術を尊重する?馬鹿な行為をしない!?とても、そうとは言えません。 どうも、政治体制、経済体制、社会体制などが混ざっていませんか? 批判を見ていると近年において超資本主義などと呼ばれるものやイノベーションの弊害と言われるものへの批判であって、民主主義か独裁か寡頭かなどの政治体制への批判では気がするのですが・・・ マズローなどが言うように、まずは物質的な欲求、そして社会的な欲求。ここまでが近代ですね。これが実現されると今度は自己実現と個人主義に走る。これも現代の問題の1つの説明です。このあたりは政治形態の問題ではありません。

nitoro2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「大衆批判は民主主義批判にはなりません」 う~ん、この部分はどうしても理解できません。 いつの時代も大衆は愚かだというのならば、やはり民主主義=愚民主義になってしまうのではないのでしょうか? >「専制君主制での無気力大衆批判は民主主義批判にはなりません。かつて民主主義という概念が確立していない時代に、王族や貴族が多くの大衆批判を繰り広げました。それは民主主義批判なのでしょうか?違います」 でも、現在日本は民主主義なのですから、現在の大衆の駄目さ加減を指摘することは、民主主義を批判することになっているのではないのでしょうか? 民主主義ではなくても民衆は馬鹿な行動をしてしまうのでしたら、やはり、そんな民衆を正しいとする民主主義はおかしいのでは? 馬鹿を正しいとする民主主義はおかしいということが私は言いたかったのです。 社会主義や共産主義が徳を尊重しないのは当たり前ですし、これらは民主主義以上にたちが悪いですよね? それに究極の民主主義が共産主義なのだと思います。究極的な意味で平等を目指すならば共産主義以外にありえないような。 徳を尊重していなくて民主主義以上に優れている主義を例えにするならばわかりますけども、余計たちの悪い社会主義を例に挙げていたのでは、やはり徳を尊重しないことは悪いということになってしまうと思います。 「うんじゃ、お前は結局なにがいいの!?」と言われれば自分でもわかりません。 ただ、民主主義、人権主義が絶対だと思うことは危険な事だとは思います。 しかし、大学一年程度で習う事をみんな本当に「理解」し、考えているのでしょうか?とてもそうとは思えません。先の納豆ダイエットの件もそうですし、もの凄く大衆は疑いも無くみんなの意見を信じているのだぁ、と思います。少しでも大衆ではなく自分の意思を尊重していたのならば、たかがダイエットごときで売り場から納豆やバナナが消えたりしないと思います。 大学一年程度の事も多くの大衆は理解していないのでは。 う~ん、つまり、いつの時代もどんな政治形態でも大衆は馬鹿ということですか。 そして、馬鹿であるが故に、馬鹿の存在を認めない民主主義を正しいとしつづけ、己の愚かさに目をつむり続けているということか。

  • tooma37
  • ベストアンサー率25% (96/374)
回答No.10

>主権が主権を振るうのが当たり前だと言うのならば、北朝鮮は非常に当たり前の国家なのですか?  彼の国でも主権者は国民と言う建前を取っていますが事実そうではないので当たり前の国家ではありません。ちなみになぜ“主権者が主権を振るうのが当たり前”だと“北朝鮮は非常に当たり前の国家”になるのでしょう? >平等に扱わねばならんんのか?という質問をしたのであり、意思表明のつもりはなかった。  質問文を暗記しているわけではないので断定的な事は言えませんが、件の“質問”では“女性は男性に劣る”という主張に力点がおかれており(その為の根拠らしきものや反論への再反論らしきものが行われていた)、なぜ平等に扱わなければならないのか(いや、扱うべきではない)というような反語的な印象を受けました。まぁ原文が残ってないのでどうこう言っても詮無い事ですね。 >この「社会」というカテゴリーは質問する以上は絶対何らかの意思表示を含むものであり、議論にならざるを得ないと私は考えています。  それは質問者様の個人的な考えであり、それが公共の場において必ずしも尊重されるべきとは限りません。 >まず第一に、民主主義は馬鹿は正しいということ。  他の政体においても民衆は愚かです。提示された例では民主主義と腐敗の関連性が主張できていません。 >第二、徳を尊重しない  これも単なる大衆批判になっており民主主義との関連性が主張できていません。また“徳”なるものを尊重しない事が大前提的に悪であるという論証もなされていません(近代人権思想と徳と言う字から想起されるような儒教思想には相容れない部分があり、どちらが正しいかと言うことをなんの根拠もなく唱える事ではないでしょう)。 >第三、芸術を殺す。  只の大衆批判であるという点では上に同じ。後、流行が過ぎても聞かれる音楽と言うのはいくらでも存在しますよ。芸術という大きな枠で主張をしながら各論では大衆音楽の話しかしないというのも妙な話ですね。

nitoro2
質問者

お礼

>「彼の国でも主権者は国民と言う建前を取っていますが事実そうではないので当たり前の国家ではありません」 国民一人一人は将軍の命令には絶対服従って決まってなかったけ? >「ちなみになぜ“主権者が主権を振るうのが当たり前”だと“北朝鮮は非常に当たり前の国家”になるのでしょう?」 この質問は私があなたに聞きたい。 あなたは主権が主権を振るうのが当たり前だから、民主主義において民主が主権を振るうのは当たり前だと仰った。しかし、主権が主権を振るううことによって破綻している国家もある。北朝鮮が違うと言うのならばジンバブエでも良い。つまり、主権が主権を振るうことが当たり前のことではなくて、その主権自体が間違っている場合もあると言うこと。 そして、主権は主権であるが故に己の間違いに気づきにくいと言うこと。「民主主義だから民主の意見は正しい」なんて思考停止していたのではいつまでも問題の本質は見ないんだよ。 ちなみになぜ“主権者が主権を振るうのが当たり前”だと“民主主義は非常に当たり前のイデオロギー”になるのでしょう? >「他の政体においても民衆は愚かです」 その通り。それではそんな愚かな民衆の意見が正しいわけが無いではないか。民主主義はそんな愚かな民衆の意見を正しい意見として捕らえてしまうのだぞ?馬鹿と天才の意見だったらあなたはどちらを信じる? 民主主義の腐敗と十分に関連付けられているではないか、つまり「馬鹿が増えている」。 >「大衆批判になっており民主主義との関連性が主張できていません」 はぁ~。大衆批判は民主主義批判になっているでしょうが。 うんじゃ、近代の人権思想をひたすらに信じていけば良いんじゃないですか?私はこれから徳が注目されていくと思いますけどね。それがなく民主主義がこのまま肥大化していけば民衆の自我、欲望も際限なく肥大されることでしょう。 >「只の大衆批判であるという点では上に同じ」 だから、それで十分やんけ。 >「各論では大衆音楽の話しかしないというのも妙な話ですね」 例ですし、書くスペースがないから一つにした。 ま、あなたが大衆は愚か=馬鹿だと認めましたから、もう、なんとも言えないですけどね。

  • negitoro07
  • ベストアンサー率24% (389/1569)
回答No.9

民主主義と民衆の暴走というジレンマは昔からある問題です。 フランス革命直後の混乱は、その典型ですよね。 それをみて立憲政治が定着していたイギリス人は、愚民政治の危険性を思い知らされるのです。 詳細は、以下の本やWebページを見て下さい。 中川 八洋 (著) 『正統の憲法 バークの哲学』 (中公叢書) http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A3%E7%B5%B1%E3%81%AE%E6%86%B2%E6%B3%95-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%85%AB%E6%B4%8B/dp/4120032256 「開かれた保守主義」ってなんだろう http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20070105A/index.htm でも、私も「女性の方が劣っている」という意見は、差別的だと思います。そう思うのも自由ですが、口に出せば反論されます。また公共の場で何を言っても良いという発想も、間違いです。その辺を間違えれば、やはりナチスの再来を招きます。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.8

大衆から腐敗する歴史は無いよ。 民主国家や独裁国家等どんな体制であれ、組織は必ず上から腐る。これは定説ですよ。 上が腐るから大衆が腐るんだよ。

nitoro2
質問者

お礼

そんな定説があったのですか。

  • issaku
  • ベストアンサー率47% (244/509)
回答No.7

>…ということについて多くの民衆は考えもしないのではないのか? >考えもしないから、ますますたちが悪い。 疑念を提示した直後に断定するのは実に脈絡がなく、ここまでの文脈が論理よりは主観的な観念であることを裏付けていますね。 その断定と裏腹に、大半の一般民衆は質問者さんとおなじような疑念を感じ、それを克服ないし鈍磨させて大人になります。 とりあえず、社会への疑念は自分一人のものだという間違った認識のもとに、自分の「建設性」や「合理性」を無条件に信じる独善の陥穽にだけははまらないように気をつけましょう。

nitoro2
質問者

お礼

一般民衆のほとんどがこの問題を克服ないし鈍磨させてきたのですか!? では、鈍磨はしたくないので、是非とも克服の方法を教えていただきたいです。 疑念は自分一人のものだとは思ってないです。 しかし、疑念に思う人も少ないように思います(これが間違った認識なんでしょうか?)。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.6

>そして、民主主義の独裁者は民衆ではないのか? 支配者ですね。独裁とは違います。 独裁は権力が一極集中すること。寡頭は一部の人に集中すること。民衆という多数に分散した場合は独裁ではありません。 >その支持してる人たちが馬鹿ばっかりだったらどうなるのだろう? 衆愚制です。民主主義の欠点の代表です。 >大多数の意見がいつも正しいのだろうか? いいえ。その昔大多数が信じていた天動説は間違っていました。大多数の意見が正しいわけではなりません。 >独裁国家では独裁者を批判すっることはタブーとされる。 >同じように民主国家では民衆の批判はタブーとされる。 少し違います。民衆の批判自体はタブーではありません。事実世界の民主主義国家にて民衆が民衆を批判している国家はたくさんあります。 >今の日本の腐敗は民主主義自体にあるのではないのでしょうか? はい、衆愚政治ですね。かの英国首相だったウィンストン・チャーチルも民主主義は最悪の政治形態と言っています。 「民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」 このあたりについては大学1年程度で学ぶ政治学概論などの講義で使うような教材で十分説明されていますので、そのような本を参考にされると上のような疑問は解けるかと思います。

nitoro2
質問者

お礼

はい。 オルテガの『大衆の反逆』読んで、ますます大衆に疑念を抱いた次第なのですが。 私が質問したかったことは、なぜ民衆は、民主主義を信じることが出来るのか?(すいません。ちょっとひねくれてましたね)ということなので、あまりあなたの回答は参考にはなりませんでした。 この答えも大学一年程度で使う教材に書いてあるのでしょうか? 後、あなたが大衆ではないチャーチルの意見を参考にしているのを見て思いついたのですが、 民衆一人一人の心の中にしまってある格言って、ほとんどが大衆から生まれた言葉ではなく「偉人」の言葉ですよね? 無意識的に大衆は、大衆よりもやはり偉人の方が正しいと思っているのかもしれないですね。

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