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神はなぜ自分の存在を明らかにしないのか?

noname#80116の回答

noname#80116
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回答No.3

 あたかも 指の先で そおっと 触れるかのように 知らせる。  知らせたか知らせなかったか 分からないくらいの仕方で あっ 声を聞かせてくれたか と錯覚するほどの経験は 起こるのではないでしょうか。  しかしながら 基本的に言って 神は 表象し得ません。象(かたち)に表わし得ません。ゆえに 《考える》のではなく 《非思考の志向性 として 信じる》という言葉で扱います。そういう心の伸び もしくは 開きのことです。  少々むつかしい議論を添えます。括弧内は 私註です。  ▼ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  さて 自分自身によって 神を観想し神に密接に結合されるほど清められると思っている人がいる。そのような人を汚すのは とりわけ〔人間の精神を あたかも 神そのものと思いこみ 理性による経験思考を絶対の力とするような〕高ぶりそのものである。  ・・・  しかし 不遜な人にとって また このゆえに木(=十字架)の船に乗るのを恥じる人にとって 遠くから海を越えて存在する故国を〔理性による推論によって〕望み見ることが 何の役に立つであろうか。  逆に あの不遜な人がそれで運ばれるのを軽蔑する木の船に乗って(=つまりは 信仰によって)祖国に行く謙遜な人にとっては このように遠くから祖国を見ないことがどうして不都合であろうか。(神を 表象し得なくても 何の問題もない)。        *  さらに主(=神)はモーセに言われる。《あなたは私の顔を見て 生きることは出来ないであろう。なぜなら 人間は誰も私の顔を見て 生きることはないからである》。  また 主は言われる。     見よ 私の傍らに一つの場所がある。     私の威厳がそこを通り過ぎるやいなや あなたは岩の上に立つ    であろう。     私はあなたを岩の頂上に置こう。     私が通り過ぎるまで 私の手であなたを蔽うであろう。     私が手を除けるとき あなたは私の背面を見るであろう。      私の顔はあなたに現われないであろう。         (出エジプト記33:20-23)   (ここでは そのように 《神の背面を見る》とは 言われている)。         *   今 私たちに見ることを欲しさせ 信じさせ 将来見るであろうことを望ませ そして私たちが前進する限り 《今は〔世界という・歴史という〕鏡をとおして謎において見〔てい〕る》(コリント前書13:12)。  (というかたちで 《神の背面を見ている》と言われる。その《似像(にすがた)》とも言われる)。         *   しかし非物体的であるだけではなく 最高に不可分離的であり 真に変化しないこの神の三位一体を 《顔と顔を合わせて》と私たちに約束されている神直視(visio)が訪れたとき 私たちの現在の状態を示すこの似像よりもずっと明らかに確実に見まつるであろう。  そして・・・似像をとおして 予感することによってではあるが 神を見得るのである。まだ 《顔と顔を合わせて》 神を見ることは出来ないからである。・・・   使徒(パウロ)は このことを次のような言葉で意味表示している。     私たちは 顔蔽いなくして 主の栄光を鏡に映すようにして見    つつ 栄光から栄光へ 主と同じ似像において いわば主の霊に    よって変えられるのである。(コリント後書3:18)  (アウグスティヌス:三位一体論 中沢宣夫訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー 長文でのご回答恐れ入ります。 私は墓参りもするし、先祖の供養もします。 それは質問文に書いてありますように、私や家族に 対する近い神の存在は、信じているからなのです。 全知全能の神の存在は、我々素人にはピンとこないの ですが、たとえば宇宙や地球の創造に関しても、何億 何十億年かけてやれば、自然にできても不思議ではない と、私などは考えるのです。 それが、自然や偶然では絶対に出来ない。 すべて神の摂理によるものである。という具体的な 事柄がなにかあれば、神が実際に現れなくても 神の存在を信じる人も多いのではないかと思っています。 ご回答ありがとうございました。

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